お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。

放送中

放送中


  • 放送ログ

今のSDGSにつながる考え方だった?!渋沢栄一の生涯

檀れい 今日の1ページ

檀れい 今日の1ページ

女優の檀れいが毎回、その日にまつわる話題や風物詩などを交えてお届けする「檀れい 今日の1ページ」。今朝は「渋沢栄一の生涯」をご紹介しました。

今年の大河ドラマは、日本の資本主義の父・渋沢栄一を題材にした「青天を衝け」。
また、初回放送の翌日2月15日からは全国初のオンライン検定「渋沢栄一検定」がスタート。さらに、2024年度から新しい1万円札の顔に起用されるなど、渋沢栄一は今、非常に注目されています。

そこで、渋沢栄一の181回目の誕生日の今日は偉大な足跡を振り返りました。

渋沢栄一記念財団によりますと、渋沢は現在の埼玉県・深谷市の農家に生まれました。
家業の畑作、藍染めに使用する、藍玉の製造・販売、養蚕を手伝う一方、幼い頃から父に学問の手解きを受け、従兄弟から本格的に「論語」などを学びます。郷里を離れた栄一は、のちの「15代将軍・徳川慶喜」となる「一橋慶喜」に仕えることになり、一橋家の家政の改善などに実力を発揮し、次第に認められていきます。

渋沢は27歳の時、15代将軍となった徳川慶喜の実の弟、のちの水戸藩主、徳川昭武に随行し、パリの万国博覧会を見学するほか、ヨーロッパ諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情に広く通ずることができました。明治維新となり、ヨーロッパから帰国した渋沢は、金融商社「商法会所」を静岡に設立します。その後、明治政府に招かれ、大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わります。1873年に大蔵省を辞めた後、渋沢は一民間経済人として活動しました。そのスタートは「第一国立銀行」の総監役。

渋沢は第一国立銀行を拠点に、株式会社組織による企業の創設 ・育成に力を入れ、生涯におよそ500もの企業に関わったといわれています。さらに、およそ600の教育機関 ・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力し、多くの人々に惜しまれながら、1931年、91歳の生涯を閉じました。

著書『論語と算盤』の中で、渋沢栄一は経済と道徳の両立を説いています。
儲けることだけでなく、道徳も大切。
今のSDGSにつながるような、継続するビジネスのあり方を示しているのかもしれません。


ラジオは、AM954kHz、FM90.5MHz。
パソコンやスマートフォンでは「radiko」でもお聴きいただけます。