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震災から10年~「震災遺産」と「思い出の品」

森本毅郎 スタンバイ!

三月に入りました。今年は東日本大震災から10年なのですが、実は、福島県の浪江町にある「思い出の品展示場」が、3月21日で閉鎖する、というニュースがありました。そこで・・・

「森本毅郎・スタンバイ!」(TBSラジオ、月~金、6:30-8:30)7時35分からは素朴な疑問、気になる現場にせまる「現場にアタック」!!今日3月1日(月)は、『震災から10年。震災遺産と思い出の品。』というテーマで取材しました。

 

近堂かおりの現場にアタックhttp://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210301073702

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

 

★7年間で1万700人来訪。2448点の引き取り。

『思い出の品展示』は、浪江町沿岸部の津波被災地で発見された「思い出の品」を展示し、持ち主やご家族への引き渡しをしている場所で、2014年=平成26年から、浪江町と環境省が運営しています。まだ、たくさんの品物が持ち主を待っている中、なぜ閉鎖なのか、「思い出の品展示場」施設職員の三浦由佳里さんにお話を伺いました。

三浦由佳里さん
「来場者や引き渡しの件数が大幅に減っていることから、震災から10年という節目をもって閉館と聞いております。そうですね、ずいぶん減ってるな、という感じはします。詳細については今の段階では私どもは承知してないんですが、町の発表では処分される予定と聞いております。平成26年の7月から、1万700名ほどの方がいらして、引き取りが、742名の方が2448点持ち帰っています。三分の一にも満たないですね。限られた日にちではありますが、ぜひ多くの方においでいただき、一つでも多く引き取って頂ければ、と願っております。」

並べられているのは、写真・プリクラ・位牌・貴金属・メダルやトロフィー、ランドセル・賞状・洋服など、家庭にあるもの、日々の生活にあるもの。

ピーク時には101万7千点あった展示品は、7年で2448点が返された。しかし、震災から10年、この場所を訪れる人も、引き渡しも減ったことで、浪江町と環境省は「一定の役割を果たした」と、3月21日での閉鎖を決めました。

7年間、ずっと展示場にいた三浦さんは、思い出の品に再会して喜ぶ姿をたくさん見てきたので、仕方がないとは思いつつ、とても寂しそうでもありました。

残された品は、基本的にはすべて処分する方針、ということです。

★避難が続く今、震災遺産はこれからも生まれ続ける。

一方で、被害にあった品々=「震災遺産」を積極的に収集し、企画展を開催しているのが福島県立博物館学芸員の筑波匡介さんのお話です。

筑波匡介さん
「福島県の場合は原子力発電所の事故があったので、避難指示があって立ち入りが制限されていたところもあり、地震当時のものがそのまま残っている場所がいくつかあったわけなんです。災害によって失われてしまった生活を取り戻すために、壊れてしまったものは捨てて新しいものを作っていく、直していくっていうことが普通だと思うんです。そういったことができなかったというのが、一つ福島県の被害の特徴なのかなとも思うんですね。震災遺産としては、今も避難が続く人たちがいるわけですので、そういった意味では、まだ、この東日本大震災は終わったと考えられないわけなんですね。そうすると、必然的に資料はこれからも生まれ続けて、我々は集めることができるんじゃないかな、という風に考えています。」

被災地の多くは、当時の資料がなかなか収集できていないと聞きますが、福島は原発の事故があった影響で、震災当時のままの場所が残っており集めることができた。

10年が経った今では、小学生などでは震災の後に生まれた子も多く、テレビ画面を通してしか被害を見たことがなかったのですが、実物を見ることよって地続きになる、といった声も多く、熱心に資料を集めているそう。

現在は、3月21日まで震災遺産の企画展が開催されていて、津波で壊された道路標識や看板、止まった時計、津波にのまれたパトカー、富岡町の災害対策本部の机など、様々な物が展示されています。

また、新型コロナの感染拡大が始まったとき、震災直後のように買い占めがあったり、似ている点があると思い、今は震災の比較資料としてコロナ関連資料も収集しています。

★博物館は、後世に資料を委ねる、ということ。

それだけ熱心に様々集めているのなら、浪江町の「思い出の品」も、資料にならないのか?学芸員の筑波さん筑波さんに聞いてみました。

筑波匡介さん
「そうですね、ただ、あの、ああいった品物になってくると、なかなかそのあと、本当にそれが資料だったのかどうなのか、っていうことを正しく伝えることを我々にはできないので、そういった意味ではきちんと後世に伝えていく意味では、少し情報が足りなすぎるかなっていう感じがします。例えば道路標識であれば、そこに必ず地名が書いてあるので、例えば●●村ですとか、国道●号線といった文字が入っていれば、だいたいそれがどこにあったものかっていうのは分かるので、後世に伝えていっても意味はある程度伝えられるんですよ。ただ、流されてきた写真であるとそれが一体誰なのかも分からないし、本当に、地震で、津波で流されたものなのかどうなのかっていうことを後から判断することは非常に難しいと思うんですね。なのでホントにしのびないんです、ああいったものがどんどん捨てられてしまうっていうのは、ホントに心苦しいんですけれども、我々としても、ただし、責任を持って預かるってことが、今、なかなか難しいのかな、って思っています。」

思い出の品は、元々あった場所や、誰のものか、などの情報を持たないもの。例えば、壊れて捨てられていた車が津波に流されたのか、地震の瞬間まで使っていた車なのか、情報を持たないと資料として活用は難しくなってしまう。

震災に関する資料というのは文化財ではないので、価値の判断は難しい、ということでしたが、

筑波匡介さん
「ある意味、後世に資料を委ねるわけなので、しっかりとした情報と意味を付けて、物語と一緒に渡したい。」

という筑波さんの言葉が印象的でした。

震災から10年経つと色々なことが変わってくるのもまた現実。資料にならないとしても、当事者には大切な品。心当たりのある方は、閉館前に尋ねてみてはいかがでしょうか。