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宇多丸、『異端の鳥』を語る!【映画評書き起こし 2020.10.23放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『異端の鳥』2020109日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今週扱うのは、109日に公開されたこの作品、『異端の鳥』

(曲が流れる)

この歌、あれですね。劇中で、見た方はわかると思いますが、ルドミラっていう、途中でニンフォマニアックな感じの女性が出てきますけど、あの女優さんが歌ってる、ということみたいですね。この歌はね。ということで、ポーランドの作家イェジー・コシンスキが、1965年に発表した同名小説を、チェコ出身のバーツラフ・マルホウル監督が11年の歳月をかけて映画化……撮影自体は、主演の男の子の成長を切り取るという意味で、2年間かけたということみたいですけども。第76回ヴェネチア国際映画祭をはじめ、様々な映画祭で賞を受賞。

東欧のどこか。戦争で居場所と家族をなくした少年が、ひどい仕打ちを受けたり、人間の残酷さを目の当たりにしながらも、生き延びようともがく姿を描く。主人公の少年を演じるのは、新人俳優というか……俳優じゃないんですね。完全に素人というか。ペトル・コトラールさん。その他、ステラン・スカルスガルド、ハーヴェイ・カイテルなど、ベテラン俳優というか、結構ハリウッド級のスター俳優なんかも出演している作品です。

ということで、この『異端の鳥』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「少ない」。あら。まあ、公開館が少ないのと、あとはやっぱり上映時間3時間弱というね、この重たさ。そしてやっぱり、(描かれているものが)エグいんじゃないか、みたいな、そういうところがあったのかもしれませんが。

ただし、賛否の比率は、褒める意見が7割。主な褒める意見は、「地獄絵図が3時間。ドスンと腹に来る映画体験」「モノクロ映像の美しさはヨーロッパの芸術映画ならでは。ラストには思わず涙してしまった」など。「オールタイムベスト」「今年一番」という声も目立ちました。一方、批判的な意見としては、「戦時下という状況を差し置いても、登場人物が変人ばかり。これでは共感できない」とか、「もっと人間の暗闇をえぐることができたのでは?」などなどがございました。

■「正直言ってしばらくは見返したいとは思えないのですが、忘れられない1本になりました」byリスナー

ということで、良かったというメールをご紹介しましょう。ラジオネーム「りゅっぱち」さん。「本編を見る前から(ソ連戦争映画の傑作)『炎628』や『彼らは生きていた』に匹敵する名作なのでは? という予感がしていたのですが、個人的にオールタイムベスト級の1本になりました。先に挙げた作品とは違って戦場を舞台にした物語ではなく、いつどんな場所でも起こり得る暴力を描いた映画で見てる間は本当にきつかったです。

セリフと音楽が極端に少なく、美しい風景の中で描かれる地獄めぐりは寓話的、神話的に感じられます。あてどない暴力の中で言葉を失い、徐々に暴力的な行動で自分の意思を示すようになる少年を見続けるのはつらかったのですが、人間性を取り戻そうとするラストは胸に迫りました」。で、まあちょっとラストにまつわることが書いてあるので、ここはちょっと省略をしますけども……

「小道具の使い方も上手いです。暴力の中で苦しんできた人間が、暴力から脱却しようとするラスト。あのラストショットは『ランボー/最後の戦場』が重なりました。正直言ってしばらくは見返したいとは思えないのですが、忘れられない1本になりました」という。

あとですね、ちょっと省略させていただきますけどラジオネーム「奇映輝(キエイアキラ)」さん。「連想したという作品で言いますと、同じく地獄巡りということから、ストルガツキー兄弟の『神様はつらい』を原作とした、アレクセイ・ゲルマン監督の『神々のたそがれ』を想起。モノクロ、ドキュメンタリータッチという共通点がある両作。観客の追体験性を狙ったところが恐らく近似だから同様の手法となったのだろう」というようなことを書いていただいたり。

あとはですね、ラジオネーム「ちびたえんぴつ」さん。25歳女性の方。これも、すごく長く書いていただいて。全体としてはすごく絶賛していただいてるんですけど、「ひとつ気になる点。女性描写について」ということで。時間がないのでちょっと省略をさせていただきますが、男性キャラクターたちにある種、多様性、多面性みたいなものが描かれているのに対し、女性はちょっと一面的な、ステレオタイプなキャラクターというか、ある種、「露悪的な描写をしたいがための道具として女性キャラクターが使われているように見える。このことに気付いた時、気持ち悪さと居心地の悪さを感じてしまいました」という。これはたしかにその面、ちょっとあるかもしれないな、という風に私も思いましたね。なるほどと思いました。ちびたえんぴつさん。

あと、よくなかったという方。「はたらくほうのもも」さん。「この物語の横糸は目を覆いたくなるような人間の罪。ただし物語の縦糸は少年が家族の元に向かう旅路です。そのために圧倒的に描かれるはずの人間の罪の姿が、1人の少年が耐えられるレベルへと下げられてるような気がするのです。いわば邪悪なおとぎ話のレベルに。白黒の映像は冷たい湿気を含んだような空気を感じさせ、圧倒されるようなシーンも多かったです。しかし、これだけの映画を撮る覚悟があるのなら、もっと人間の暗闇をえぐることができたとも思うのです。そういう意味では不満が残る映画でもあります」といったご意見でございました。

ということで、なかなかね、見るのに体力がいるというかね、様々な意味でコストがかかる作品を、皆さん見て、感想を送っていただいて、ありがとうございます。

■原作小説『The Painted Bird』はただ事じゃなく物議を醸した作品

ということで『異端の鳥』、私もTOHOシネマズシャンテで2回、見てまいりました。非常に、本当に満席というか。(コロナ対策で)1個ずつ空けではありますけども、平日昼、ほぼ満席で。ただ、途中退席なんかもちらほらいるはいるかな、というぐらい。まあ、やっぱり見続けるのがつらい、こんなの見ていられない、という方が一定数いてもおかしくない程度にはハードな描写が、しかしある種淡々と、そして延々と続いていく、という。そういうタイプの映画ではあるという。

で、ですね、改めて言いますと、そもそも原作となったイェジー・コシンスキの1965年に出版されたその小説、『The Painted Bird』という、これ自体がそもそも、ただ事じゃなく物議を醸した作品だったわけですね。日本では現在、松籟社という出版社から、2011年に「東欧の想像力」シリーズという中で、『ペインティッド・バード』として出ているという。その昔、1970年代にも角川書店から出てるんですが、今、手に入りやすいのはその松籟社のバージョンなので、ぜひ読んでいただきたい。

その、後ろについているコシンスキー自身の後記であるとか、訳者である西成彦さんの解説が、非常に分かりやすいので。これを読んでさらに理解が深まったところがありますが。とにかくですね、小説『The Painted Bird』、1965年の出版以来、高く評価され、今なお広く読み継がれていると同時に、激しいバッシングも巻き起こした作品ですね。ほとんど全方位からの袋叩き状態というか、まさに『異端の鳥』そのままにですね、本当に各方面から小突き回されてる、というような感じでした。

特にですね……もちろん非常に、作者のイェジー・コシンスキさん自体が、毀誉褒貶の激しい人ではあったんですけども。91年に自殺されてしまいましたが。特にこの『The Painted Bird』に関して言えば、まず、要は英語で書かれたホロコースト物、ということですね。翻訳ではなくて、英語で書かれたホロコースト物であったが故に、英語圏に直接的に与えた衝撃、というのがまず大きかった。というのと、舞台となる国は特定できない作りにはなってはいるものの、まあ作者の出身であるポーランドとか、少なくとも東ヨーロッパ諸国には、間違いなく明らかに当てはまる。

それ故に、要はこの話がいわゆるホロコースト物と違うのは、「ナチスドイツが悪いんだ」という単純な話ではなくて、むしろ何より、普通にその地で暮らしていた人々こそが発揮する、残酷さ、乱暴さ、邪悪さなどが描かれる。そこが非常に大事な部分でもある作品なので、当然、非常に反発を招くような内容でもある。特にやっぱりその、作者の出身地であるポーランドでは、長らく発禁になっていたぐらい。まあ、現在ではそれも解かれたようですけども。

■今も世界各地で加速する人間の闇。ゆえに原作を濾過して普遍性を抽出した

それ故にですね、非常に衝撃が強いし、そもそも読むことに抵抗を覚えるような人がいてもおかしくない内容ではあったために、コシンスキ自身は、これは自伝ではなくフィクションだという風に言ってるんですけども……ただ、最初にはっきり「自伝ではない」ってあんまり言い切らないままに売れてしまった、ということも含めて、要は読む側はやっぱり、彼の生い立ちと重ねて見ちゃったわけですね。「本当の話なんだ!」みたいに思っちゃったぶん、彼の生い立ち、「お前、実際にはこうじゃねえじゃねえか!」みたいなこと、その違いを元に、作品の真実性までをも否定するような叩かれ方を、たくさんされてしまったわけです。

しかし、後年のその、歴史的ないろんな研究からですね、これはまさにその先ほど言った西成彦さんの解説にもあるように……西成彦さんはこう書かれています。「それまでホロコーストの一部と見なされてきたジェノサイドのいくつかが、ソ連軍によるものであったこと、あるいは地域の多数派農民によるものであったことが、次々に告発・暴露されるようになってきた」っていう。そういう歴史的背景があるわけです。

つまり、やっぱり書かれてきたことは本当だった、っていうことが明らかになってきたわけですね。たとえば、あのパンフレットに載っている脚本・監督・製作のバーツラフ・マルホウルさんのインタビューで、ご本人が本作の参考文献として特に挙げていた、ティモシー・スナイダーさんという方が書かれた『ブラッドランド:ヒトラーとスターリン大虐殺の真実』。これは筑摩書房から上下巻で出ていて。

これ、要するに監督が参考図書として挙げてたぐらいなんで、これも私、この機会に上下巻を読んだんですけども、とにかく本当に、監督も言ってますけども、『異端の鳥』どころじゃない、しかもフィクションじゃない、文字通りのこの世の地獄が、東ヨーロッパ、ウクライナ、ベラルーシ、そしてポーランドで、ほんの80年程前に、当たり前のような顔で繰り広げられていた、という現実があるわけですね。加えて、我々が生きているこの21世紀、2020年現在ですね、たとえば弱い者とか違う者への差別、虐待。そしてその、戦争と分断と搾取。あるいは、被害者面した不信と憎悪。これ、イェジー・コシンスキが、フィクションならではの、自分の個人史ではなくフィクションならではの普遍的真実として描き出したそれら、人間の闇というのは、無くなるどころか、世界各地でいよいよ火の手を増しつつあるわけじゃないですか。

なので、だからこそでしょう。このバーツラフ・マルホウルさん、この約11年をかけて実現させ、撮影には2年をかけたというこの映画化、渾身の映画化なわけですけど、原作小説が元々持っていた普遍性、真実性……出版当時はそれこそね、表面的な、スキャンダラスなノイズというのに覆われがちだったそれをですね、映画ならではのやり方で丁寧に抽出することに、僕は完全に成功していると思います。なんなら、「小説の映画化」におけるひとつの理想、最良の例である、というぐらいに言い切ってしまってもいいかな、と思うぐらいです。

■長編三作目となるバーツラフ・マルホウル監督が施した「映画ならでは」の工夫とは

で、ですね、先ほどから名前を出している脚本・監督・製作のバーツラフ・マルホウルさん。チェコの方でね。これ、ちょっとすいません、やっぱりチェコの映画界、私は不勉強で全然存じ上げなかったんだけど、まあ俳優としてそこそこ活躍も続けてきて、あとはプロデューサーとしても長年活躍してきた、というような方らしいんですけど。映画監督としてはこれが三作目で、一作目の2003年の『Smart

Philip』っていうやつだけは、すいません、現時点で未見なんですけども。二作目の2008年、『TOBRUK』という原題の作品が、日本では『戦場の黙示録』っていう投げやりにもほどがあるタイトルで(笑)DVD化されていて、これは見たんですけど。

これね、第2次大戦中に、北アフリカ戦線に投入されたチェコスロバキア義勇軍が味わう、まさに戦場の地獄というのをですね、「何も知らない」新兵目線で描く、というこの語り口もそうだし、途中ですね、隊からはぐれてしまった兵士が、1人荒野をさまよう、というくだりに結構な尺が割かれるんですけど、そこのすごく静謐で、なんならアーティスティックでもあるようなムードなど、今回の『異端の鳥』ともはっきり通じる……要は、この世の真実を混じり気なく見せようとする透徹した視点、みたいなものが、すごく顕れているような作品でした。『戦場の黙示録』。

それにしたって、今回の三作目『異端の鳥』。まあ明らかに、作家としてレベルが桁違いに上がっている一作ではあるかな、という風に思います。さっき言ったようにですね、原作小説が本来伝えようとしていた、普遍的な……言っちゃえばその、人間の根源的な暴力性への考察、ということですね。というのを、時代や立場を選ばず響くように、できるだけその純粋な形で……人間の根源的な暴力性への考察というのが、ある時代限定とか、ある土地限定であるとかっていう、そういうものに縛られて見る側にノイズがかかんないように、できるだけ純粋な形で抽出・提示するべく、バーツラフ・マルホウルさんは、様々な、映画ならではの工夫をしている。この「映画ならでは」っていうところが素晴らしいんですけど。

たとえば、まずやはり、35ミリフィルムで撮られた、非常に美しい白黒のシネマスコープ画面ですね。これはウラジミール・スムットニーさんという方の撮影。これが本当に、どんな場面にも品格と美しさをたたえていて。場面によっては、あのコサック兵が馬に乗って現れるところとか、村人が怯えている、シンとした村の映し方とか、明らかに黒澤明的な雰囲気、影響も感じさせるようなところもありましたけど。とにかく非常に素晴らしい画面。

これはですね、もちろん、単にかっこつけで白黒シネマスコープにしているわけではなく。そしてもちろん、「昔」っていうことを示したいわけでもなくて。要はこの物語に、ある種の神話的な……先ほどのメールにもありましたよね、神話性、抽象化するような作用を、この35ミリフィルム白黒シネマスコープの画面というのは持っているわけです。これね、『キネマ旬報』で、石川慶さん、『蜜蜂と遠雷』の監督の石川慶さんが寄せられていた文章が、非常に面白くて。

■「映画ならでは」の「仕掛け」としてのモノクロ、言語、説明の省略

劇中ですね、これは元の小説のタイトルにももちろんなっています、本作全体を象徴する……要は「色を塗られた鳥」は、元のその群れに戻してあげても、同族から攻撃され、排斥されるという、そういうくだりがありますね。なんだけども、この石川慶さんの指摘で、映画ではその塗られた色っていうのも、白黒ゆえに定かではない、という。つまり、全ての暴力を並列に描くこの本作が、原作小説に、映画ならでは(の語り口)でつけ加えた真の主題がここにある、みたいなことを石川さんは仰っていて。「うわっ、さすがやっぱり面白い指摘! さすがだな!」と思っちゃいましたけどね。これね、ぜひ皆さん、『キネマ旬報』も読んでいただきたいんですけど。

で、ですね、抽象化という意味では、その最たるものが、劇中で使われている言語ですね。まあドイツ人はドイツ語をしゃべる、ロシア人はロシア語をしゃべるっていう以外は、現地の人が話すのは、スラヴィック・エスペラント(インタースラーヴィク)。まあ「エスペラント」ってありますけども、スラブ版のエスペラント。要は、スラブ諸国間用の半人工言語、っていうことですね。一応、スラブ語の文法とかそういうものを元にしつつ、どこの国でもない……スラブの国家間で使われ、通じるような、半人工言語があって、それを使っている、という。

だから、それによってその特定の(国が舞台ではない感じが出る)……東ヨーロッパではあるけども、という感じがしている。要するに、非常にフィクショナルなわけですね。(この言語が母国語であるというような)そんな国はないわけですから。ということですね。で、さらに当然、ここが最大のポイントなんですけど、小説は「ぼく」というのの一人称で、そのとき主人公がどう思っているか、どう感じているかなどなどを、言葉で説明していく。だけではなくて、その場ごとの状況説明も、実はわりと細々としているんですね。

たとえば、今はどういう……全体として、たとえば第2次大戦がどういう戦況だとか、あるいはその、人物関係ですね。先ほど、ちょっと前のところ(番組オープニングトーク)で言いました、ウド・キア演じる粉屋がですね、非常に嫉妬深い旦那で知られてますよとか、こういう人間関係ですよ、みたいなことの説明であるとか。あるいは、たとえば後半、ソ連軍と合流するわけですけど、共産主義とは何かとか、スターリンとは誰かみたいな、そういう説明が……まあもちろん、あくまでその時点での少年の考えたこととして、ではあるんだけど、わりと具体的な情報として、書き込まれているんですね。で、それ故やっぱりその、史実・現実と結び付けて読まれてしまったというのも、これはある種ちょっとしょうがないことかな、とも思うんですけども。

それに対してこの映画は、そういう言葉による状況説明などは、本当に最小限にとどめていて。あくまでですね、その場で起こることを見て、聞いて、理解できる範囲のことしか分からないんですね。観客にもね。で、これはまさに、主人公の少年が、子供だから事情もよく分からないまま、ある場所に置かれていたり、放り込まれたりして。

で、その都度、状況を必死で理解しようと、頭をフル回転しつつ、何とかそこに順応・サバイブしていこうとするという……この、子供ならではの順能力こそがまた、恐ろしくも悲しいあたりではあるんですが。という、この物語の本質ですね。要するに少年、無力の象徴としての子供が、状況に放り込まれて、その周りの状況を、何とか手に入る情報だけで理解して、順応しようとするという、この物語の本質に、むしろ忠実な、フィットした語り口なんですよ。この映画の語り口の方が。

■この映画は余計な前情報なしにライド的に乗り込むのがふさわしい

それでまたね、その主演のあのペトル・コトラールさんの、「見る目」の力強さ。彼が「見る」っていうその顔の強さが、すごく大きくて。彼が、演技経験がないにも関わらず抜擢されたのは、やっぱりこの彼の、「見る」顔の強さという、ここに賭けたんじゃないかな、と思うんですね。で、これによって……要するに具体的な、固有名詞的な情報というのはできるだけ少なくなったことで、やはり抽象性が増している、普遍性が増している、と言えるわけですね。

言ってみればこれ、要は、物事の全体像など見えているはずもない、少年の目を通した、地獄ライド、地獄めぐりなわけです。なので、あらすじ説明ではこれ、物語の出だしの部分で、「ホロコーストから逃れるべく1人、疎開させられた少年が……」的なことが書いてあります。小説も、最初はその説明が入る。客観説明から入るんですけど、この映画に関しては、そういう知識は一切入れないまま、とにかくとりあえずライドに乗り込んでしまう、という方が、むしろふさわしいんじゃないかと思うんですよ。

だからホロコースト物って知らずに……というか、ホロコースト物じゃないんですけど。時代背景とか何も知らずに見に行った方がいいぐらい……まあ今、これを話してる時点で手遅れなんですけども(笑)。すいません! まあそういう諸々に関しては、ラスト、むしろ主人公があるものを見て、「あっ……と気づきの表情をするんですけど、それぐらいでいいんじゃないか、という風に思いますね。で、ですね、ド頭のつかみからして非常にこの映画、衝撃的だし、上手いんですね。

まず、少年がですね、何者かから逃げてるわけです。それで胸に、なにか小動物……これはフェレットかな? 原作ではリスに当たる動物なんですけど、胸に抱えて、何者かから必死に逃げているわけです。この「逃げてる」っていう描写は原作にはないんですけどね。そうすると、彼を捕らえる少年たち。非常に粗暴な少年たち。身なりもちょっと、違うわけですね。少年はわりときちっとした格好をしてるんですけど、その少年たちは皮とかを着たりしていて、ちょっと原始的な感じの格好をしている。

で、少年を押さえつけたその周りの粗暴な少年たちは、奪った動物に何やら液体をかけている。と、思ったら……もういきなり目と耳に焼きついて離れないある光景に、ガーン!となるわけです。で、そこから始まる本編なんですけど、「マルタ」パートという……まあこんな感じで本作、主人公が関わるというか、主人公がその都度その都度、やっぱり子供ですから保護者が必要なわけですけど、主人公を一応を保護する人たちが、章立てになっているわけですけども。

まあその、マルタのパートね。そのマルタという老婆……ちなみに原作からはかなり人数とか役割も整理されていて、これも非常に見やすくなっています。その彼を預かっている老婆の語る、最小限のセリフ。あるいは、主人公の物言わぬ行動の数々によって……要は、これが分かれば十分なわけです。彼が、何らかの理由で家族と離れ、この老婆に預けられているんだな、と。田舎の野原の、ポツンとした素朴な家ですよ。そんな彼は、よそ者ゆえに、地元の人間たちからは、隙あらば攻撃の対象となっているんだな、という。もうこれが分かれば十分なわけですね。冒頭はね。それがしっかり頭に入ってくる。

で、面白いのはこれ、さっき言ったように冒頭、すごくショッキングな展開があるんですけど、それがあることで、この映画、この世界ではもう、どんなひどいことが起こってもおかしくない!って感じで、観客は覚悟をさせられて。以降3時間、全く気が抜けなくなるわけです。なんだけど、振り返ってみるとあの冒頭らへんは、本作で一番平穏な時なんですよね。なんならあのタル・ベーラの『ニーチェの馬』のような、淡々とした生活描写が続いているだけ、にも見えるぐらいなんですね。

で、とある事態が起こって、少年は身寄りのない、本当に「家なき子」になってしまう、ということなんですけど。そのね、しばらく「事態に向き合えない」、あの子供ならではの感じが、ちょっとまた、『ヘレディタリー』(の一場面)的な怖さがあったりしましたけど。で、「これからどうやって生きよう?」と途方に暮れたところで、ようやく、上空にドイツ軍の飛行機が飛んでくる……というところで初めて、劇中の時代感がなんとなく掴めてくる、みたいな感じなんですけど。で、特にこの後ですね、東ヨーロッパのどこかであろう辺境の村で、彼は祈祷師の老婆に拾われていくんだけど、この暮らしぶりが、非常~に原始的なわけです。

■文明度が上がると共に残酷度が上がる構造は映画『アポカリプト』と同じ

事程左様にですね、最初はまだ平穏な日々だった分……その時はまだ、文明の匂いがあるんです。ピアノとかブリキのおもちゃとか……などがあるのが、彼が1人で生きていくことになる、要するにもう野っ原に投げ出されてから、本筋に入ってからは、完全にそういう文明の匂いが消えて。非常に原始的な、野蛮とさえ言っていいような地元共同体から始まって。で、彼がどんどん渡り歩いていくコミュニティ、少しずつ段階的に、文明度が上がっていくんですね。

なんだけど、社会や人々の暴力性や残酷さ、排他性は、文明度が上がっても、薄れるどころか、なんなら悪質化していくわけですよ。「ああ、すごく近代的な街に入ってきた」と思ったら、立派なスーツを着た身なりのオヤジがやることは、結局、最初の村と変わんないわけですよ。で、この構造は、実は『アポカリプト』と同じなんですね。非常に原始状態から文明的なところに入ってゆくけど、残酷度は上がっていく。そういう流れ、構造が、映像になったことで、本作ではより際だってもいますし。

で、さっき言ったようにね、その章立ててでどんどん進んでいくのは、実は非常に、オムニバス的展開というか、テンポも早いですし。あとはその、いろんなスター俳優たちが次から次へと出てきて、派手なんで。そういう意味でも「見やすい」作りとも言えるわけですね。特に、ハーヴェイ・カイテルとジュリアン・サンズが出てくるくだり。要するにカトリックと児童への性的虐待というのを隣り合わせにしたのは、これは明らかに現実にある問題に向けたものでしょうし。

あるいは、終盤の展開。ソ連軍に保護されて、一応幸せに見える日々なんだけど、あれも現実の少年兵問題というのをやっぱり木霊させているんじゃないかな、と思います。まあ「靴を磨く」というアクションとかね、あるいはもちろん「鳥」とかですね、そういう全編に共通するモチーフが、非常に効果的に使われている、というのも上手いあたりだと思います。

■世界の残酷さを普遍的なアートの域まで高めた見事な一本

といったあたりで、まあ時間がちょっと迫ってまいりました。とにかく、名前のないひとかたまり、なんなら「数字」として人々を見る目線……その人々、弱者たちがですね、名前を、言葉を、尊厳を取り戻すまでのこの物語。これ、私たち自身の人間性……人間とは何か、我々とは何か、を問うてる話でもあるわけです。社会の弱者を、なんなら被害者意識を持って小突き回し、おとしめ、時には排除、殺害までする……悲しいかな、無縁じゃないですよ、我々の社会は。

ということで、この残酷さ、つらさは、決して単なる露悪ではない。それを非常に普遍的なアートの域まで高めた、小説の映画化としても、そしてもちろん1本の映画としても、「見やすい」上に射程は長い。うーん……見事な1本だったんじゃないでしょうか。しばらく見返したくない、というのは同感ですが。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!◆TBSラジオ『アフター6ジャンクション』は毎週月-金の18:00~21:00の生放送。