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宇多丸、『透明人間』を語る!【映画評書き起こし 2020.7.17放送】

アフター6ジャンクション

  TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『透明人間』2020710日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今週、扱うのは710日に公開されたこの作品、『透明人間』

(曲が流れる)

ユニバーサル映画のクラシックキャラクター、透明人間を、現代的な解釈で新たに映画化。富豪の天才科学者エイドリアンに束縛されていたセシリアは、彼の下から逃亡。それにショックを受けたエイドリアンは自殺してしまう。それ以降、セシリアの周囲で不可解な出来事が次々と起こり始める……ということです。

主人公のセシリアを演じるのは、テレビドラマ『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』……あと、映画だとあのジョーダン・ピールの『アス』の、白人家族の方なんかをやってましたね、エリザベス・モスさんです。監督・脚本は、『ソウ』シリーズの脚本や製作などを手がけられました、最近は監督業にも進出されてます、リー・ワネルさんです。

ということで、この『透明人間』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多い」ということです。賛否の比率は「褒め」の意見が8割ということで、非常に褒めの方が多かった。

主な褒める意見は、「手垢のついた作品を、主役となる人物をずらすだけでここまで現代的に蘇らせたアイデアがすごい」「中盤までのサイコホラーとしての恐怖感もすごいし、終盤の展開も熱い」「フェミニズム映画としても見応えがある。文句なしに面白い。エリザベス・モスの演技が見事」などがございました。一方、批判的意見としては「これって『透明人間』じゃなくない?」とか「大きな音でびっくりさせる演出、やめれ!」などがございました。まあそれはね、ちょいちょいホラー映画……アメリカホラー映画は、特にやるあたりですけどもね。

■「『透明人間』が格調高いスリラーになって、本当に嬉しい驚き」(byリスナー)

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「八王子のはにわ」さん。

「今回の『透明人間』は事前の予想のはるか上をいく怖さと面白さで大満足」。当初、いろいろ『透明人間』をやるということで予想していた範囲があったんだけど、「『たまむすび』で町山さんがこの映画をいわゆるガスライト映画だと紹介されていて驚き、ますます興味が湧いたところでした」。

この「ガスライト映画」って――1938年、イングリット・バーグマンの『ガス燈』という映画があって、要するに、精神的に主人公が追い詰められていくというか、精神的に嫌がらせをすることを英語でGaslightingっていう感じで動詞化したりとかしている、という話でしたけどね。ガスライト映画。

……実際に鑑賞してみると、この映画は最初から最後まで『そう来るのか!』の連続。たとえば冒頭、主人公の親友が家の中で高い脚立がガタつくことに文句を言うシーンがあります。私はすぐに『ああ、この脚立を、透明になった悪いヤツが倒して、この親友のナイスガイが顎の骨とか折っちゃったりするのね』などと短絡的に思ったのですが、実際にはこの脚立、そんな予想のはるか上を行くショック演出で使われていてビックリ」。そうでしたね!

「『透明人間』という荒唐無稽なお話をこんなにも格調高いスリラーとして見ててくれるなんて本当に嬉しい驚きです。また主人公を演じたエリザベス・モスの繊細な演技とメイクが素晴らしかった。冒頭の怯えた表情、徐々に追い詰められて疲弊していく様子。自分で自分の正気を疑い出し、絶望する様。そしていざ、覚悟を決めた時の息を呑むような美しさ、最高です。他のキャストも親友の刑事役の俳優さん以外、あまりお顔を拝見したことがない方が多く、簡単には各登場人物の善悪が想像しづらいのも効果的でした」。

たしかにね、はい。「私の地元の映画館はガラガラでしたが、もっとみんなに見てほしいと切に思った映画でした。なによりもゼウス、ワンコちゃんがちゃんとフォローされていてよかった。ここ、大事です」というあたり。

一方、ちょっと批判的なメールもご紹介しておこうかな。「ヤーブルス」さん。「これは『透明人間』……なのかな? そこに現れないのにそこにいる。もしくはいるように感じることこそが『透明人間』の本質であり、そのことによって主人公が壊れていく様子こそが恐怖だと思うのですが、そういう観点からすれば、猜疑心が増幅していく終盤まではかなり『透明人間』していたと思うのですが、主人公以外(観客含め)が透明人間を可視化してしまったら、それはもはや透明人間ではなく、ライク・ア・『攻殻機動隊』なわけで」……要するにね、ちょっと今回の『透明人間』の仕掛けに関わってきます。

「まさに憑き物が取れてすっきりとした表情で颯爽と去りゆく主人公と対照的に、モヤモヤとした表情で劇場を後にする私なのでした」。ただ、「最初の邸宅からの脱出ミッションはすごく良かったです」とようなことを仰っています。ということで『透明人間』、私もTOHOシネマズ日比谷で2回、見てまいりました。平日昼にしてはまあまあ入っている感じでしたかね?

■1933年、ユニバーサル映画でイメージが(ちょい地味な存在感も含めて)確定した「透明人間」

ということで、改めて言っておくならば、大もとは皆さんご存知の通り、HG・ウェルズが1897年に発表したSF小説ですね。しかし、イメージ的にね、たとえばその我々が『透明人間』って言った時に思い浮かべる、サングラス、あと包帯がぐるぐる巻きで、その包帯がスルスルと取れて……みたいなああいうイメージは、やはり1933年の、ユニバーサルの最初の映画版、というのがあるわけですね。

で、これはその後もね、何度となくその映像化、パロディ化……もう元の原作からは離れて、「透明人間」っていうそのアイデアそのものが繰り返し繰り返しいろんなところに使われて、なんていうのかな、もうポップアイコンっていうか、一般的存在というか、そういう感じだと思うんですけどね。

ただですね、実体が見えないだけに、ちょっと地味目な存在……そのユニバーサルモンスターのいろんな、フランケンシュタインとかドラキュラとかに比べると、ちょい地味ではある、という。あと、映像テクノロジー、特撮テクノロジーの進化に伴う、本来見えない存在をいかに映画的に「見せる」かという、作品ごとの工夫……実はその透明人間映画っていうのはこれまで、いかに「見せる」か、の部分が実は肝だったわけですね。そこにどうやって「いる」と感じさせる視覚的効果を……見えないものを「見せる」という工夫が実は、これまでの工夫の部分だったんですけど。

ご存知、2000年のポール・バーホーベン監督、ケヴィン・ベーコン主演版、日本タイトル『インビジブル』で、とりあえず行くところまでそれを……要するに「見せる」方向の透明人間物というのは、行くところまで行った感もあって、ということで。まあ個人的にはですね、姿さえ見えなければ人はどこまでもゲス化しうるという、この『インビジブル』で特に際立っていた、この『透明人間』という題材が本質的に持ってるテーマ性、これ、インターネット普及後の現代にふさわしい、掘り下げがいがあるテーマだな、という風に『インビジブル』を見た時にすごく思って。

実は2000年、自分自身がインターネットをやりたての時で、「ああ、なんかインターネットのメタファーみたいだな」っていう風に(思っていました)。まあポール・バーホーベンにそういう意図があったかどうかはちょっとわかんないですけど。なので、そういう意味では現代的なテーマを内包している題材ではあるなとは思ってたんですが、とはいえ『インビジブル』でその若干の打ち止め感があった中でですね、20年間経って、ついに再び作られた本格透明人間映画、ということですね、今回ね。

■ユニバーサルモンスター総出演の「ダーク・ユニバース」が頓挫してそれぞれ単体リブートに

まあこの間も、デヴィッド・S・ゴイヤーさんが2000年代後半にやろうとして頓挫したりとか、あとはですね、さっき言った、そのユニバーサルモンスターの、ユニバース化計画。これ、2010年代半ばぐらいですね。「ダーク・ユニバース」という、まあ身も蓋もない言い方をすれば、マーベル・シネマティック・ユニバースのユニバーサルモンスターズ版、みたいな企画。これが立ち上がる中で、「ジョニー・デップが透明人間をやるよ」というアナウンスがされて、その他の主演候補たちとビシッとした集合写真まで撮って。わりとこう、大がかりに宣伝されてたわけですね。

なんですけど、そのダーク・ユニバース企画第一弾、トム・クルーズ主演の『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』。これ、私は201785日に評しました。まあ例によって書き起こしが残ってますので読んでいただきたいんですけど、とにかくその初っ端の『ザ・マミー』がですね、いろんな意味ではっきり失敗に終わったことでですね、このダーク・ユニバース構想が、いきなりチャラになりまして。ユニバーサルもですね、今後はユニバーサルモンスター、もちろんユニバーサルの財産ですから、「ユニバーサルモンスター物はやっぱり、それぞれ単体の作品としてリブートしていくことにします」なんて風に、方向転換したわけですね。

で、改めて、低予算で大ヒットを連発する、現代アメリカホラー映画の間違いなくトッププロデューサー、ジェイソン・ブラムさん、これの仕切りで作られたのが今回の『透明人間』、ってことですね。もうジェイソン・ブラムが作るんだったらまあ、一定の面白さがあるだろう、って感じがするんですけど。

脚本・監督を手がけたのは、『インシディアス』シリーズなどでジェイソン・ブラムとも何度も仕事をしてきたリー・ワネルさん。このリー・ワネルさん、一番有名なのはやっぱり、『ソウ』シリーズですね。『ソウ』シリーズの脚本。あるいは、今言った『インシディアス』シリーズの脚本。あと、俳優さんとしてね、『ソウ』シリーズや『インシディアス』シリーズにも出てたりする、っていう感じですけど。

同じくオーストラリア出身の盟友、ジェームズ・ワンさんとの仕事が特に有名なリー・ワネルさんなんですけども。で、監督業にも、『インシディアス』の三作目、『インシディアス 序章』という2015年の作品から乗り出していて。特にですね、監督二作目、今回の『透明人間』の前作にあたる、2018年の『アップグレード』という作品があって。これ、蓑和田くんはすごい好きなはずですよ! 今、ディレクターの蓑和田くんに話しかけてますけど(笑)。『マトリックス』と『ヴェノム』と『インセプション』と『ターミネーター』とか、いろんなそのへんのを、混ぜたような作品。

腕の中に埋め込んだ銃とか、そういうちょっとなんか『ヴィデオドローム』風というか、クローネングバーグ風なガジェットも楽しい、ちょっと変わったSFアクションヒーロー物、みたいな感じで。カメラワークとかもね、なかなか面白いことをいろいろ盛り込んでたりして、監督としてもなかなか腕があるじゃん!っていう感じだったんですね。リー・ワネルさんね。

あと、今回の『透明人間』とのつながりで言うと、主人公が就職しようとするあの建築事務所の社長役を演じている、ベネディクト・ハーディさん。これ、前回のその『アップグレード』では強烈な悪役を演じていて。『アップグレード』を見た人だと、「うわっ、こいつ! こいつ、なんか悪いことをするんじゃないか?」って思ったりするあたりなんですけどね(笑)。

ちなみにですね、このリー・ワネルさん、出世作の『ソウ』シリーズ、あと、そのさっきから言ってる『アップグレード』、そして今回の『透明人間』と、実は一貫する話でもあるな、と思っていて。要は1から10まで全部計画通り、お見通し系のスーパーサイコパス」の話というかね。まあ作家性とまで言っていいかはわからないですけど、はっきり共通するものがあるかなと思います。

■「透明人間をいかに“見せるか”」から、「見えなさの強調」へ

ということで、そんなリー・ワネルさんが脚本・監督を手がけた今回の『透明人間』。これまでの『透明人間』作品とは180度アプローチを変えた、非常に斬新な、そして大変に現代的、今にふさわしい『透明人間』になっている、っていうことですね。端的に言ってしまえばですね、透明人間技術を開発し、自ら使う……まあ、概ね悪用する科学者というね、従来の作品では中心に据えられていた視点っていうのを、完全に廃して。透明人間側の視点を完全に廃して、100パーセント、その透明人間に脅かされる側の立場から描く作品になっていると。

しかもそれはですね、まさに透明人間ならではの脅威、他のモンスターでは表現しえない脅威。つまり、直接的暴力……もちろん、直接的暴力も振るうんですけど、直接的暴力以上に、第三者、社会は感知できない、認識すらしていない存在だからこそ、主人公だけが苦しむことになる、精神的圧迫。そここそが、これでもかとばかりに、ネチネチネチネチと陰湿に陰湿に描かれていく、という。それが今回の作りなんですね。

なので、さっき言ったようにその2000年のポール・バーホーベン『インビジブル』までは、実はいかにその存在を「見せる」か、というのがこの『透明人間』の技術的、作品的キモだったわけですよ。たとえばその、何かを噴きかけられて姿が見えるとか、ポール・バーホーベンの『インビジブル』だったら、だんだん徐々に、血管がニョイーンってなったりして、徐々に徐々に姿を現す、もしくは徐々に姿が消えていくという、そういうビジュアル的に、実は「見せる」部分がキモだった今までの透明人間作品に対して、今回は、一見そこには誰もいない、何もないように見える、誰もいないように見えるという、「見えない」ということそのものを、強調した作りになっている。

だから実際のところ、カメラの前には何も映ってない、っていうことが多いわけですね。これは、リー・ワネルやジェイソン・ブラムが手がけてきた、特に『インシディアス』のような心霊物、幽霊物の手法が、そのまま使えるわけです。特に前半部は、ほとんど幽霊物と全く同じ怖がらせ方、撮り方をしてると思います。で、それゆえに、アメリカメジャー映画としてはかなりの低予算、700万ドルというバジェットで……これを最大限効果的に生かす、という作りとも言えるわけですね。実際、要するに特に大掛かりな仕掛けとかしなくても、何もないところを映すだけで怖い、みたいなことなんで。

■カメラがパンしてもそこには何も映っていない……だからこその怖さ

順を追って行きますけども。まず冒頭からですね、この冒頭のところ、「印象的だった」と挙げられる方が多いですけども、非常に怖いっていうか、盛り上がりますね。激しく波が打ちつける岸壁がある。そこに浮かび上がるタイトルクレジット。それもなんか、フッとすぐに消えちゃうのでよく見えない、っていうタイトルクレジット。

で、カメラがこう、上に向く。上にティルトすると、そこには何かモダンなデザインの豪邸が建っている。まあこの、岸壁のところに、波が激しく打ちつける岸壁の脇に建っている豪邸……つまり、これがですね、伝統的なユニバーサルモンスター物とか、怪奇映画ですね、当時は怪奇映画って呼ばれてましたけども、そういったものにおける、たとえばその狂った主人、マッドサイエンティストが住んでいる孤城。今回の孤城は、それの現代版として、あのグリフィンの家が建っているわけです。あれは孤城なわけです。

だから、あそこで全てが始まるし、全てが決着するという、この作りが非常に正しいわけですけど。で、その豪邸が映る。そうしたら、その中にいる、ベッドで夫と寝ているらしい、エリザベス・モス演じる今回の主人公セシリアが映し出される。ちなみにこのセシリア、愛称が「シー」と言われてますね。愛称が「SEE=見る」という言葉と同じ(発音)。これも非常にこう、シンボリックになってるわけですけど。

とにかく彼女がですね、恐ろしく慎重に……「恐ろしく慎重に」ということはつまり、明らかにひどく怯えながら、その邸宅から脱出していく様子っていうのが、まあここは本当に脱獄物ですね、脱獄物さながらの緊迫感で描かれていて。だからこの映画、すごくいろんなジャンル映画の面白みがいっぱい入ってるんですけども。ここの冒頭は、脱獄物。

「なぜ?」っていうところはこの時点ではわからないんですけど、はっきりとは言われませんけど、彼女が恐れているのは、カメラワークなどから明示される通り……はっきりと、今は寝ている男を恐れている、というのがわかるカメラワークなので。恐らくは彼の、まあ睡眠薬でも飲ませない限りは解かれることのなかったその支配、間違いなく暴力的であったろうそれから、逃れようとしているんだろうな、っていうのは察しがつくわけです。とにかく異常に怯えているので。

で、その逃げる過程で、彼が何やら、ハイテクかつ何か不気味な研究をしていることであるとか、あるいは細かいところで言うと、彼女が着ているパーカー、「CAL POLY」って書いてあるんですけど、あれは要するにカリフォルニア州立工科大学のパーカーですよね。だから、彼女の出身校とするならば、彼女自身も……まあ後にね、建築家でもあったみたいなことがわかるので、彼女自身も、本当はそれなりのキャリア、学歴があったらしい人、というのがそこで示されたりとか。

とにかく、セリフによる説明ではなく、必要な情報が、あくまで視覚的に、あるいは演出によって配されていく手際。全くもってムダなくシャープで、本当に見事。惚れ惚れするようなオープニングですね。で、最初はですね、敢えて音楽を付けず、寄せては返す波の音だけが、異様な、ちょっと音量も大きいですし、異様な緊張感、圧迫感を醸す、というこの音使いも非常に見事ですし。

なによりですね、これは全編に渡って大変効果的に使われる手法なので、ぜひ皆さん、ここに注目していただきたいんですけど、この映画、とにかくカメラの……カメラワークの「パン」、分かりますか? 横方向に、左右に振れるカメラワーク。まあ三脚に立ててカメラを左右に振る、パンですね。カメラがパンするだけで……というか、カメラがパンするだけ、だからこそ!っていう怖さを演出してくる。

普通、カメラがパンして、別の場所にカメラが向いたら、そこには映し出されるべき何かがあったり、人がいて当然なわけですけど。この映画ではですね、何ヶ所か、カメラがパンしても、その先には別に、特に特筆すべきものがない。ただの空間、あるいはただのがらんとしたその場所、だったりする。あるいはこの冒頭の場面だと、ただ真っ暗な廊下の奥。主人公がこうやって身支度を静かにしている。カメラがパンする。別に何も映らない。で、戻る、みたいな、こういうことをするわけです。

■1961年『回転』〜Jホラー経由で伝わった心霊ホラー表現の応用

あるいは他の部分。これはパン以外で言いますと、不自然に空間が余ったようなショット構成をしていたりする。あるいは不自然に、ほぼ何も起こっていないところをなぜか、「何でこの尺で撮る?」っていう風に映し続けるショットがあったりする。というのが、要所に置かれている。言うまでもなくこれは、我々観客をですね、そこに本当は何かいるんじゃないか、誰かいるんじゃないか、って……あるいは、じっと見ていると何か起こるんじゃないか、という風に、不安をかき立てるカメラワーク。

つまり、映画を見慣れている観客ほど、映画の文法に慣れている観客ほど……我々のような、すれた観客ね(笑)。「どうせこうなるんでしょう?」って、ジャンル映画を見に来る人なんか、超すれてますよ。「どうせこうなるんでしょう?」って思ってる人ほど、「えっ?」ってなるカメラワークをする。で、これはまさにですね、1961年の『回転』あたりから始まって、もちろんJホラー経由で、『インシディアス』などアメリカホラーにも定着した、まさにその心霊ホラー表現の、見事な応用と言えますね。これね。

要するに、何もないところをじっと映してるだけで、何かいるように見えてくる、という。まさに『回転』の、Jホラーの手法ですね。ということで、まだ何も起こってないうちから、しっかり怖い、ハラハラするこのオープニング。あるきっかけ、とあるきっかけで、警報が盛大に鳴り響き始めてしまって、セシリアがダッシュで逃走を始める。そこでベンジャミン・ウォルフィッシュさんの音楽が、満を持してガーン! と鳴り響いて。坂を駆け下りていくセシリアさんのシルエット。

そしてその行く先には森があって、グッとカメラが上がると、遠くの方に街の灯りが見える、というこの流れ。非常になんというか、ゴージャスというか、音楽が鳴り出すことで、「うわっ、これは一級品の映画だ!」って感じがする。なんかちょっとヒッチコック風だな、っていう感じもしてたんですけども、シネマトゥデイの監督のインタビューによれば、たしかにこれ全編、この音楽も含めて、ヒッチコックをすごく意識したという。まあサンフランシスコが舞台というのも、どうしても『めまい』というものを連想させますしね。

■中盤以降、世界中の女性が置かれている普遍的な問題をえぐり出す

ということで、とにかくこのオープニングからしてですね、これはちょっとただごとじゃない傑作じゃないか?っていう予感が、ビンビンにする。そしてその予感は、最後まできっちり裏切られない、どころか、なんなら予想を上回る満足を与えてくる! と私、断言したいと思います。まあ怪物的な夫の、身体的、精神的支配から何とか脱出したその主人公セシリア。すると夫は、なんと自殺をしてしまったという知らせがやってくる。で、法を犯さないことと心神喪失状態でないこと、という、この時点では全く問題がないように思えた条件付きで、莫大な資産を相続するという。ここがミソですね。

「お金、あげますよ。ただし、犯罪を犯さない。あと心神喪失じゃないなら……」っていう。ここが嫌がらせのキモになっているわけです。しかし、彼女には夫がまだ生きていて、そこにいるとしか思えない怪現象が、次々と起こる。このあたりは、さっきから言ってるように心霊ホラー的な演出ですね。怖さ、面白さ。

なんだけど、やがてその精神的、物理的な嫌がらせ、暴力が、今度は彼女の周囲の人間に振るわれるようになってくる。するとその全てが、他の人にはそこには彼女だけしかいないようにしか見えないので、彼女が生前の彼から受けたいろんな行為のPTSDなのかな?っていう感じで、ちょっとおかしくなってしまったためにしでかしてしまったこと、みたいな風にされていってしまう、という。

ただしこの時点では、「透明人間化した夫の仕業」という明白な証拠は観客にも示されないので、「ひょっとしたら彼女が本当におかしくなってしまっただけなのかも?」とも充分に思える余地を残してるあたりがミソで。まあ、これがいわゆるそのニューロティック・ホラー、神経症的ホラー、まあ『ガス燈』から始まるそのガスライト映画でもいいですけど、後は『反撥』とかね、『ローズマリーの赤ちゃん』でも何でもいいですけど、そういうモードに今度はなっていく。

しかも、そこでの主人公の追い込み方が、本当にただごとじゃない! これぜひ皆さん、映画館で実際に見てください。さっき(番組全体のオープニングトークで)言ったように、「はっ?」とあっけにとられているうちに、もう事態は最低最悪の、「もう無理じゃん……っていうことになってくる。「もうこれ、自殺でもするしかないんじゃないか?」っていう感じになってくる。で、ここで生きてくるのが、なにしろ主演のエリザベス・モスの演技力で。男たちにひどい目にあって憔悴していく女性、という意味で、『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』での主演の実績も当然あってのキャスティングでしょうけども。

傍目には、正気を失いつつあるようにしか見えないのも無理ないな、という感じと、しかし彼女にとってはこうなってしまうのも当然だよな、という、その感情移入のバランスを完璧に体現しているし。それこそですね、性被害や不公平、不公正について訴えても、まともに聞いてもらえない、という現実の……まあ残念ながら普遍的に言える、世界の女性の問題っていうのもえぐり出すような、まさに名演を見せていたりする。これ、ジャンル差別されなければ、本当にアカデミー賞レベルと言っていいんじゃないかという風に思います。

■ジャンル映画としても最高レベルな現代版『透明人間』。一言で言えば、めちゃくちゃ面白い!

で、一方、さっきから言ってるように、基本徹底して「見えない」存在であることこそがそのミソな今回の『透明人間』ですけど、やはり当然、あるポイントで、その存在が「本当にそこにいる」ということを視覚化する瞬間、「見せる」瞬間というがやってくるわけですね。そこの、思わず声を上げてしまうような間合いの絶妙さ。やはり心霊ホラー的でもあるわけですが、さすが……「本当にいた!」って分かる瞬間ね。さすがホラーの手練たち、という感じですし。あと、そのついに明らかになる透明化の真相。今、『透明人間』をやるなら、なるほどこれだろうな、という納得感もある。

今までの透明人間物に、僕は感じずにはいらなかったいろんな疑問……「寒くない?」とか(笑)、そういうのも、ひと通りクリアするアイデアでもありますし。個人的にはですね、たとえば『羊たちの沈黙』クライマックスのバッファロー・ビルの、あの暗視装置とかにも通じる、「一方的な窃視者」のおぞましさ、気持ち悪さ。つまり、自分は見られていない前提で、一方的に何かを見る、いやらしい……特に男の視線のキモさっていう。その実像のキモさ、それを強く感じさせる造形だと思いました。

つまり「無数の目」っていうことだから。気持ち悪い!って感じがする。無論、自らね、姿や正体を見せないまま弱者を攻撃する邪悪な魂、というのは、2000年の『インビジブル』以上に、本当に今日的なテーマですよね。今回は特に、本当に実態が見えないまま襲ってくる脅威なので、よりそこはですね、本当に今日的な……つまりインターネット上に漂う悪意たち、っていうのも、すごく嫌な感じで重なるテーマ取りだとも思います。そこも見事。

ということで、テーマ的にも本当に、見事に現代的にアップデートされた『透明人間』たる本作。心霊ホラーであり、ニューロティックホラー的であり、序盤であれば脱獄物であり、というようなその諸段階を経て(宇多丸追記:放送では触れ忘れてしまいましたが、診療所廊下での、それはそれは見事なワンカットのアクション見せ場も、大変効果的でしたよね)、ついに訪れるクライマックス。もはや多くは語りませんが、「だいたいこのぐらいに落ち着くんだろうな」って見切ったつもりの観客の、予想のしっかり斜め上を行くアイデアが用意されている。本当に、最終的な納得度、満足度は半端じゃないので、ぜひ……タイトルを上げるだけでネタバレになるので伏せますが、女性側の逆襲という意味で僕は、『ゴ○○・○○○』を連想する方も多いかな、という風には思いました。

それぐらいの切れ味だということです。ということで、一言で言えばめちゃくちゃ面白い! し、めちゃくちゃよくできています! ジャンル映画としても本当に最高レベルの出来栄えですし、さっきから言っているように、現代フェミニズム的な問題意識もちゃんと織り込んで、ちゃんとその作品の根幹に入ってますし、それを見事な演技、見事の演出、的確な演出で示して。考え抜かれたアイデアも込められてますし、たとえば美術とか撮影も、本当に隙がないレベルの高さで。

リー・ワネル監督としても当然、最高傑作ということでしょうし、本当に大ホームラン。ジャンル映画というか、こういう映画を観る喜び。あと、デカい音響とか怖い音響効果とかも非常に意味がある映画なので。これは絶対に映画館に行った方がいいです。あと、暗闇表現もありますから。絶対映画館で! もう本当に万人に……ああ、怖いのが苦手な人以外ね。万人におすすめです。めっちゃ面白いよ!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画はWAVES/ウェイブス』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。