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ひばりさんの声に導かれて歌手の道へ~天童よしみさん

コシノジュンコ MASACA

2020年4月19日(日)放送
天童よしみさん(part 1)
子供のころからのど自慢大会に出場して話題を集め、1971年アニメ『いなかっぺ大将』の挿入歌を担当。1972年に「風が吹く」で歌手デビューし、「道頓堀人情」「珍島物語」などが大ヒット。演歌のみならず、多彩なジャンルで活躍しています。

JK:お会いするの生まれて初めてなんですよ!

天童:夢みたいです!

JK:母からはいろいろ聞いてたんですけど・・・どういう風に知り合ったんですか?

天童:最初にジュンコ先生のお母様のアヤコ先生にお会いしたのが傘寿のパーティにお招きいただいたんです。「紅白に出てないの?」って言われて、「出てません、それが目標なんです」って言ったら「じゃあ頑張って応援するわよ!」っておっしゃってくださって。それがきっかけで、その年に「酒きずな」という曲で初出場したんです!

JK:うわぁ! すごいわね!

天童:今から27年前になりますね。それで願いが叶って、さっそくアヤコ先生が「衣装を考えなアカンな~」「そうなんです、衣装を考えていただくことはできますか?」「そしたら私が考える!」って。竹のようにスクスク伸びるように、と、斬新なブルーとゴールドの竹を裾のほうからあしらった着物を作ってくださって。

JK:いいこと言ったわね(^^)うちのお母ちゃん竹が大好きなのよ。自分の好きなのをちゃっかり(笑)でも竹って日本の原点なんですよ。日本の原点を謡ってらっしゃいますもんね。

天童:「スクスク伸びるのを楽しみにしてる」ってアヤコ先生も言ってくださって。

JK:それから伸びっぱなしですか?(^^)

天童:時代の波に取り残されたときも何回もありますけど(^^;)「今や! 今乗らなどうすんや!」ってアヤコ先生も言うてくれはって。

出水:小さいころから歌うことが大好きだったと聞いてますが、どなたの影響ですか?

天童:祖父の浪曲が始まりです。当時は梓道夫さんの「こんにちは赤ちゃん」って曲がヒットしていたころで、私はまだすごく小さかったんですが、おじいちゃんがこぶしを回した「こんにちは赤ちゃん」を聞かせてくれたんです。「こんにち~は~赤ぁ~ちゃん~」って(笑)それが面白くて。

JK:すっごい面白い! 最高! 子供のころからこぶし! おっかしい!

天童:友達からは変な子だと思われてたとますよ。何でもこぶしを回すから(^^)それから父が70年代のアメリカンポップスを聞かせるようになって。

出水:中学生のころはタイガースの大ファンだったそうですね。

天童:はい! 追っかけでした。沢田研二さん!

JK:私もタイガースの衣装作ったのよ。ジュリー可愛かったわね。

天童:とっても目が素敵でしたね・・・全部好きでした。歯並びまで好きでした!

JK:じゃあコンサートにもいろいろ行ったんですか?

天童:コンサートは1回ぐらいしか・・・ただ映画が決まった時は見に行きました。ジュリーが大アップですよね! 映画のスクリーンにに現れたときに、ウワァっなんて綺麗な歯並びしてるんだろう! って大好きになりました(笑)

出水:じゃあそのころはタイガースの歌も歌ってらしたんですか?

天童:そうですね、「アクション」が特に好きでしたね。

JK:やっぱり一つのブームを起こしたのがタイガースよね。私も衣装作っててとにかく楽しかったわ。紳士服じゃなくて「男の子」なのよね。男の子のカワイイ衣装を作ってた。

天童:先生のユニフォームすごかったですよね。袖のところも印象的に張ってたり、刺繍が入ってたり。女の子が喜んでました。ピッタリでしたね。

出水:天童さんはのど自慢大会に出場しては優勝しまくりという神童ぶりを発揮していらっしゃたそうですが、歌手になりたいと思ったのはいつ頃ですか?

天童:ちょうど8歳のころ、美空ひばりさんの特別公演があって、お芝居の中で子役を募集していたんです。私の両親が申し込んだら、子役専門のスクールに入れてくれて、そこで練習をしておけいこをして、そこでまた選ばれて・・・という、そういうことがあったんです。それで1~2か月ぐらい美空ひばりさんの公演に出させていただいて。

JK:えっ、出てたんですか?!

天童:はい。ちょうど「お夏清十郎」というお芝居の中で子役をさせていただいて、いろいろ絡んだり。

JK:歌も?

天童:いえ、その時はまだ8歳なので(^^;)でも影響を受けたのはそのお芝居と歌、両方なんです。美空ひばりさんが歌の時に袖で見させていただいて。

JK:うわっ、本物を見させてもらったわね!

天童:もうすごかったですね、声の響きとか。子供心に、こんなに声が出るんだなあって感動して。一生忘れられない思い出です。

出水:ひばりさんにかけていただいた言葉とかありますか?

天童:私たち子役5人に、いつもひばりさんが楽屋にいらっしゃいって言っていて、私が代表でいくことが多かったんです。それで「おちびちゃん、いらっしゃい」ってお菓子をどっさりもらって。「これも食べなさい、これも美味しいわよ」っていただいて、みんなで分けて食べて。そんな優しい方がまたステージで歌うときは厳しい顔に変わる。そのギャップっていうか、そこもすごいなと思いました。

出水:そんな天童さんは、70年代に人気だった歌番組『全日本歌謡選手権』で10週勝ち抜いて、最年少で7代目のチャンピオンになったんですよね。

JK:何歳のころ?

天童:中学3年生です。15歳。

JK:最初はどんな歌を歌って?

天童:最初はとにかくインパクトのある歌。聞かせる歌を父が選曲しまして。審査員の方も結構厳しい先生方がいっぱいいらっしゃるので、視聴者よりも、まずは審査員を意識したんです。おっとびっくりさせるような。それで最初は「お待たせしました」って曲だったんです。最初に「お待たせしました~!」って張る歌なんですけど、それが印象に残ったみたいで、1週目を抜けたんです。それで2週目、3週と抜くうちに、10週勝ち抜いて、発展していたんです。

出水:お父さまが策略家だったんですね(^^)

JK:お父さまは今もいらっしゃるの?

天童:13年前に亡くなったんですけど、母はまだ元気です。やはり父の影響もありますね。

出水:舞台度胸はいつ頃身に着けたんですか?

天童:やっぱりのど自慢荒らしと言われるぐらい、歌い倒しましたね! すべて優勝して帰る、っていう子供だったんです。

JK:私もコンテスト・マニアって言われた(笑)似たようなもんですね。

天童:そういう根性で舞台度胸をつけていきましたね。

出水:同世代の子供たちを蹴散らして、他の子はたまったものじゃなかったでしょうね!

天童:ちょうどその時上沼恵美子さんが挑戦しておられて、私がまさにチャンピオンで、グランドチャンピオン大会の時に私が優勝して、恵美子さんが後ろで拍手を送る、という場面があったんですね。いまだに恵美子さんとお話すると、「憎たらしい奴やなと思った~、腹が立った!」って(笑)

JK:そうだったんですか! お料理のイメージしかないから。

天童:どんな会場に行っても恵美子さんと会うんですよ。小さいころはよく「歌手になろうね」って約束したんですけど、私に優勝が決まったのを見て、お笑いの道に行くって決めたそうです。

=OA楽曲=

M1. 君だけに愛を / ザ・タイガース
M2. 日の出前 / 天童よしみ

「コシノジュンコ MASACA」
TBSラジオで、毎週日曜17:00-17:30放送中です。ラジオは、AM954kHz、FM90.5MHz。パソコンやスマートフォンでは「radiko」でもお聴きいただけます。