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『男と女』ピエール・バルーを復活させたのは私です~立川直樹さん

コシノジュンコ MASACA

2020年4月5日(日)放送
立川直樹さん(part 1)
1949年、東京生まれ。音楽プロデューサー/ディレクターとして70年代から「メディアの交流」をテーマに、音楽・映画・芸術・舞台など幅広く活躍。また音楽評論家として、ライナーノーツや雑誌の評論、ビートルズやピンク・フロイド、クィーンに関する著書も多数出版されています。

JK:基本的には音楽から出発してますよね? 音楽評論家だし。

立川:でもね・・・今から50年前ぐらいは職業がひとつ、っていうのが基本だったんです。僕が中学3年ぐらいのとき、たまたま古本屋でドリス・ヴィアンの『墓に唾をかけろ』っていうのを買ったんです。そしたら小説よりも、後書きの「ドリス・ヴィアンの並行的人生」っていうのが面白くて。ドリス・ヴィアンの職業がいっぱいあるわけ。小説家、詩人、レコードディレクター、トランペッター・・・「職業がひとつしかないのは売春婦と同じだ」って後書きに書いてあったんです。これめちゃかっこいいな!と思って。

JK:これだ!と思ったのね。

立川:いろんなことが好きだったから。音楽だけじゃなく映画もそうだし、舞台もね。1969年に、ロンドンの蚤の市でチャップリンの8mmフィルムとか売ってたんですけど、友達が買ってきて。今でいうイベントスペースみたいなところで上映したりね。レコードノライナーノーツを一番最初に書いたのは1970年。その年の夏にはタイガースをメインにした野外ロックコンサートがあって、その舞台美術もやった。

出水:まだ21歳ぐらいですよね!

JK:うわー、マセてたね~! でもあの当時、21歳だろうが18歳だろうがあんまり関係なかった。そう思わない? 年齢ってあんまり意識しなくて、気が付いたらみんな若いんだけど。でも大人の人ともふつうに付き合って。そういう時代だったのよ。フィーリングで会ってるから。

立川:どこかに出かけて行って、気が合う大人の人が出入りしている場所に出入りするようになって、それがそのまま仕事になっていったりね。タイガースをやるようになったきっかけも、僕がやってたヘッドロックっていうライトショウをタイガースのマネージャーが身に来てて。玉美卒だったから、すごく新しいアートシーンの動きに敏感だった。それで仕事しないかって言われて。僕もすっごい生意気だったから、「好きなようにやらせてくれるならやる」って(笑)

出水:カッコイイ~! それで「お願いします」って言ってくれる度量も、大人の側にあったんですね! その時プレッシャーは感じてらっしゃらなかったんですか?

立川:生意気でしたからね(笑)

JK:でもあの当時、まだお金の感覚ってなかったよね?

立川:なかった。僕はその時渡辺美佐さんに初めて会うんですけど、ものすごく僕が生意気だったから、美佐さんが「あの子面白そうね、でもお金のことは分からなそうだから、ちゃんと経理の人をつけなさいね」って言ったんですって(笑)でもプレッシャーっていうか、自分のやれることがやれる、っていうのがすごくうれしかった。

JK:私もファッション以外の異業種の人、とくに音楽関係の人と仲いいわけ。一番自然に合うんですよ。

立川:なんていうかな、言語形態が1個じゃなくて、それこそバイリンガルっぽく、文化を横断している生き方が好きだった。全然自然だったしね。得だったのは、年上の人に好かれた(^^)

JK:あの当時って作家とかスターだったよね! 五木さんとか遠藤周作さんとか、ああいう人といっしょに生意気に一緒に飲んでたよ。

立川:赤坂にMUGENビブスっていうのがあったんです。みんな入り浸ってて。すごいのが、川端康成さんが芸者連れて遊びに来るんですよね。

JK:そうよ。加賀まり子がその当時『伊豆の踊子』やってて、それで川端康成さんを連れてきたのよ。

立川:それでみんな払ってくれる(笑)だいたいみんなの席が決まってて、ここはジュンコさん、これは誰々さん、って。空けてあげると「悪いね」って言って、そこのテーブルの会計を全部払ってくれる。

JK:MUGENで一番印象的だったのが、ジェーン・バーキンとセルジュが来た時。あの時いたよね?

立川:『ガラスの墓標』のプロモーションで来た時ですね。いました。それとアイク&ティナ・ターナーがあそこでやったコンサートは伝説になりましたね! もう目の前だし!

JK:かぶりつき! そんなの普通だったわよね。

立川:当時ベトナム戦争で、横須賀とかの米軍キャンプからお金を持ってる将校がいろんなものを持ってやってくるわけ。あと六本木にキャステルができた。クラブの走りだったね。

JK:キャステル! 会員制なんだけど、ケンゾーさんが何が何でも会員になりたいって言って(笑)だから私も行けたんだけど。そうやって常に頑張ってたわ。

立川:NYの54にはドレスコードがどうとかあったじゃないですか。でもね、ビブロスもあったんです。それで面白かったのは、みんながおしゃれしてビブロスに入れるかどうかっていうときに、ビーチサンダルで入れるか?入れたらこっちのもんだ!ってチャレンジしました(笑)

出水:さきほどセルジュ・ゲンズブールのお名前が出ましたけど、著書『セルジュ・ゲンズブールとの1週間』では、ゲンズブールと1週間過ごしたことを元に描いたんですか?

立川:そう。80年代の頭ぐらいに『BRUTUS』って雑誌でフランス特集をやる企画があった。何か考えろ、って当時の編集長に言われて、「パリの男たち」っていうタイトルで僕が会いたい人に会いに行くっていうのをやりたい、って言ったんです。メインは絶対セルジュ。あとはこの前亡くなっちゃったけど、『男と女』のピエール・バルー。それからルルーシュとか・・・それで当時パリで仕事を頼んでた子にアポ取ってもらって。それでセルジュのところで1時間ぐらいしゃべってたら「お前面白いな」ってことになって。セルジュの家はサンジェルマンのブルネイル通りってところにあって、そこの1本隣のホテルに泊まってたんです。セルジュん家まで歩いて2~3分。そしたら「ちょうど部屋もあるから俺んちに来いよ」って(笑)

出水:会ってすぐですか?! エエ~!

立川:音楽の趣味も面白くて、並んでるアナログが僕の好きなやつばっかり、ジャズだけじゃないしロックだけじゃないし。結局セルジュも歌作って、映画にも出て、映画も作って・・・それでボリス・ヴィアンの話をしたら、「俺はボリス・ヴィアンと会ったことがあるんだ。彼に『曲の作り方が自分と似てる』って言われたのが俺の自慢だ」って(笑)本当にせわしない人で、アルバム1枚聞かないで、1曲ずつかけるんだよ!

JK:あの当時だから、レコードよね。

立川:そうそう。それもAC/DCの後にビリー・ホリデーをかける(笑)その落差がすっごい好きで! 僕が「これもいいじゃない?」っていうと、「お前、知ってるのか!」とか(笑)レコードの選び方で人間のセンスってわかる。

JK:ああ~なるほどね。音楽の影響って大きいわね! でもアメリカに流行ったものって当時フランスではあんまり受け入れられなかったわね。

立川:そうそう。全然ヒットチャートが違ってた。だからフランスですっごく売れてても、日本では売れてなかったり。

JK:なんか独特だった。日本では映画と関係あるのがヒットしたりね。

立川:基本的に60~70年代って、日本人ってイタリア映画とフランス映画がすごく好きだった。『太陽がいっぱい』とか『男と女』とか、フェリーニとか。

JK:アラン・ドロンも今はいい伯父さんになってるわよ~! なんか永遠の美男子ってイメージがあるから、伯父様になってほしくないけど(^^;)

立川:でもアラン・ドロンって、去年ぐらいにTVでラストインタビューっていうのをやってたんだけど、すごくカッコよかった! 1人でふらっと来て、タキシードの蝶ネクタイをぶら下げて・・・作りこみだからね(笑)

JK:ケンゾーさんと一緒にホテルでばったり会って、写真撮った。でも素敵よね、やっぱり粋。

立川:美意識がある人がいいなあ、と思ってて。セルジュもお茶目で、アバウトな感じなんだけど繊細だし。ジェーン・バーキンとも会いましたよ。セルジュが亡くなった後、セルジュの曲でコンサートやったときに楽屋で会ったり。家の番号も知ってた。パリに来たらごはん食べましょうって。

JK:あの人もフランクな人よね。べちゃーって足を組んで。ヒッピーじゃないんだけど、ヒッピーみたい。いつもカゴ持ってない??

立川:持ってるかも。要は、カゴだと何でも入るからね。Tシャツでも何でも。

出水:ピエール・バルーとも日本でアルバムを制作しましたよね。

立川:取材でパリに行ったときは、ちょうど隠遁してて。僕も直感的に、この人を復活させたい、と思ったんです。レコード作りたいんだけどって言ったら、「俺はいまマージナル(はじかれ者)だから、パリでは誰も俺とやろうなんて思わない」って。じゃあ日本でやればいいじゃないですか、って。

JK:なんで? 『男と女』ですっごいカッコよかったのに。

立川:要はすっごいわがままだった。すごいマイペースで、商業主義では生きていけない人。まだフランスの芸能界って、日本よりもずっとコンサバだったからね。それで日本に呼んで『ル・ポレン』ってアルバムを作って復活したんです。

=OA楽曲=

M1. Le Pollen (à Jean Cormier) /  Pierre Barouh

「コシノジュンコ MASACA」
TBSラジオで、毎週日曜17:00-17:30放送中です。ラジオは、AM954kHz、FM90.5MHz。パソコンやスマートフォンでは「radiko」でもお聴きいただけます。