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常磐線全線開通で、原発事故被災地の公共交通について考える▼人権TODAY(2020年3月28日放送分)

人権TODAY

毎週土曜日「蓮見孝之 まとめて!土曜日」内で放送している「人権トゥデイ」。様々な人権をめぐるホットな話題をお伝えしています。

今回のテーマは・・・常磐線全線開通で、原発事故被災地の公共交通について考える

 

担当:崎山敏也

 

3月14日、JR常磐線の富岡と浪江の間、約21キロが運転を再開しました。常磐線は東日本大震災で津波の被害があった区域と、原発事故で避難指示が出た区域で運転ができなくなり、その後、徐々に開通区間を延ばし、9年ぶりの全線開通です。開通区間には、廃炉作業中の福島第一原発がある大熊町、双葉町があり、双葉町の双葉駅では午前11時過ぎ、東京からの特急列車の到着に合わせて、簡単な式典が行われました。

あいさつする双葉町の伊澤町長

 

伊澤史朗町長は「このように整備いただいたインフラを上手に利活用することが重要であり、二次交通の確保により、公共交通によって移動しやすい街づくりを目指し、環境にやさしく、かつ、便利な街として双葉町の新たな魅力を発信します」とあいさつしました。

双葉町は現在、ほとんど全域が原発事故で「帰還困難区域」になっています。今回、駅や国道に通じる道路は避難指示が解除され、駅周辺も日中立ち入りができるようになりました。ただ、生活のための様々なインフラは未整備で、住んでいる人は一人もいません。住み始めるのは早くても2年後です。

双葉駅周辺

福島県内に避難しているという高齢の女性に駅で聞くと「今までは双葉に来れなかったでしょ、電車で。来れるようになったので、お墓参りにも。駅に近いところに家もあったから、来れるようになってよかったです。息子に車に乗せてもらって来ていたんだけど、埼玉に家作っているから、お母さん電車で行ってきてください、と言われました。自分の足で来れるのがいいですよね。誰かに頼らなくても、来れるからね」と話します。この方の家のお墓は駅から歩いて15分ぐらい、解体待ちの状況の自宅も駅近くということで、自分で様子を見に来たりすることができるようになったということです。

双葉町は、駅から歩くには少し遠いところに、避難指示が解除されている地区があります。その地区には、今年の7月、県の震災、原発事故のアーカイブ施設がオープンするほか、産業団地も造成中です。鉄道で双葉町に来る、見学者や通勤者の足の確保がこれから必要となります。ただ、2019年の町の調査に、回答者の6割が「町に戻る気はない」と答えており、そういう状況の中で、どういう町にしていくのか、その中で公共交通をどうするか、これからの課題です。

一方、すでに鉄道が開通していた南相馬市小高区は、住民登録している人のおよそ52%が戻っています。小高は今回の開通で、県内のいわき市や、水戸、東京と一本で結ばれたことになります。

小高駅近くに去年、オープンした「故郷喫茶 カミツレ」のスタッフに話を聞くと、「学生さん中心なんですよね。学生さんが仙台に行ったりとか、いわきに行ったりとか。子供たちが外に出るための玄関口が駅だと思います。 親に頼るのではなく、子供たちだけで出かける時はやっぱり、電車が一番の交通手段だったので」と答えました。また震災の時は小高にはいなかったという店主は「帰省してくる人とか、お子様連れだと、 関東から戻ってくるとなると高速は長い時間だったりするので、 電車だったら、ゆっくり家族みんなで会話しながら、帰ってこれるので」と話していました。避難した先での仕事の事情や、家族の状況などで、戻るかどうかわからないけど、故郷とはつながっていたい人たちの足にもなりそうです。

一方、再開した大野駅は福島第一原発に一番近い駅です。ただ、避難指示が解除されたのは駅と広場だけで、周囲の住宅や商店はフェンスで封鎖されています。駅には人影があまりなく、避難指示が解除された地域へ向かうための中継拠点という感じです。

大野駅周辺

また、富岡町の夜ノ森駅は西側に少し住民がいますが、東側は今も帰還困難区域です。それでも、西側の地区に住む男性は、駅を眺めながら「ここらへん、ないでしょ。コンビニとか。医者はいわきだけど。でも、こっちのほうがいいよ。おら。おふくろの地元だから。親戚もみんな来てるから。だから顔見て、手をあげるし、知っている人みれば、おおっというし」と話します。駅が、安心できる、元気になれる場になっているようです。

沿線の町は、戻った人の多少に関わらず、高齢化率は30%を超え、一人暮らしの人も多いのが現状です。医療や買い物などが不十分で、賑わいには程遠いですが、人のつながりを確認できる場になっているようです。ただ、除染が困難な区域もまだあり、9年も経ったため、地域がどうなるかは、まだ先が読めません。そこが、宮城や岩手の津波の被災地とは異なるところです。

取材した崎山記者は、たまたま近くに旅行に来ていて、鉄道が開通したから、と、初めてこの地域を訪れた若い人たちにも会いました。震災と原発事故の現状を観て考えたり、記憶するためにも鉄道は大事な足になる、と感じました。