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宇多丸、『37seconds』を語る!【映画評書き起こし 2020.2.21放送】

アフター6ジャンクション

  TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『37セカンズ』2020年2月7日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……37セカンズ』。出生時に37秒間呼吸ができなかったために身体に障害を負った女性の、成長と自立を描いた人間ドラマ。主人公のユマを演じる佳山明さんは、役柄と同じ理由で脳性麻痺を抱えながらも……これ、要するに佳山さんをオーディションでキャスティングしてから、この設定に脚本が書き換えられた、ってことなんですね。

脳性麻痺を抱えながらも社会福祉士として活動していたところ、オーディションで見出され、主演に抜擢された、という方です。その他の出演は神野三鈴さん、大東駿介さん、渡辺真起子さん、奥野瑛太くん、尾美としのりさん、板谷由夏さんなど。監督・脚本は、ロサンゼルスを拠点に活動し、本作が長編デビュー作となるHIKARIさん、ということになっております。

ということで、この『37セカンズ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多め」です。意外とね、東京だとたとえば新宿ピカデリーとかでドンとやっていたり、意外と見やすいというのもあるのかもしれませんが。そして賛否の比率は、「褒め」が8割以上。映画の性格上、障害を持っている方、周りに障害を持った方がいるという方からの感想も多かったです。

褒めてる人の主な意見は、「とにかく泣かされた。母子の物語としてグッと来た」「障害者のことをここまでまっすぐ描いた作品を初めて」「主役の佳山明さんの体当たり演技が素晴らしい」などがございました。一方、主な否定的な意見は、「前半はいいが、後半に失速。展開が唐突すぎるし無理がある」とか、「ユマをサポートする周りの人たちが親切すぎる」とか、「主人公が原稿を持ち込みに行った青年コミック雑誌の描き方が最悪。偏見を無くすための作品のはずなのに成年コミックへの偏見を助長しているのでは?」というような意見もございました。

■「障がい者を扱う上で今作のアプローチはとても誠実だったと思います」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。「ダーデン二郎」さん。「本作が非常に好きです。主人公ユマちゃんとは違いますが、私も生まれつき足に障害があり、主人公と同様に障がい者です。小学生の頃に手術をしたことがあります。車椅子に乗る生活を半年ほどしたことがあります。街中の何気ない段差につまづくシーンは痛いほど胸に刺されました。障がい者を扱う上で今作のアプローチはとても誠実だったと思います。何気ない日常に不自由があるだけで普通の人となんら変わらない人間なのです。普通に恋もするし、仕事もするし、友人と酒を飲んで騒いだりするごく普通の人間なのです」。

それでいろいろとあって……「ある人との別れのシーンで『怖かった』と言われて返す言葉(『もう怖くないですか?』)、このシークエンスに全てが詰まっていたと思います。障がいが原因でできないことを周りの方に手助けしてもらう必要がありますが、その点を除けばどこにでもいるような人間なのです。街の描写や主人公が成長して自分が描きたい作品を作ることで、周りに認められる最高のカタルシス、たまらなかったです。本作やアトロクの視覚障害者の方の特集、ビヨンド・ザ・パラスポーツなどの知らない世界を広める活動、素晴らしいと思います。大好きです」。いやいやいや、それは恐縮です。ありがとうございます。という方でした。

一方、ダメだったよという方。「たくや・かんだ」さん。「『37セカンズ』、見てきました。主人公とユマと母親の関係はとてもリアルに見えて所々でドキュメンタリー映像かと錯覚するほどでした。ユマを演じた佳山明さんは良かったですが、全体的に見て私は否定的な印象を持ちました。ユマが出版社に原稿を持ち込んだ時に編集長から『性経験がないといい漫画が描けない』と言われます。このセリフで物語が大きく動き出すのですが、あまりに問題のあるセリフだと思います。こういうセリフを言わせないでストーリーを動かせるかどうかというところに力量が問われるのではないでしょうか? 表現やクリエイターについて、あまりにも浅はかな見方だと感じました。

また前半の面白さに比べて後半部分は急にリアリティがなく退屈になってしまいました。障がい者=天使という図式からはたしかに抜け出しているかもしれませんが、細部の杜撰さのせいで最終的には結局は障がい者を主人公としてお涙頂戴な映画になってしまったと思います」という厳しめの意見もございました。はい。

 

■世界的な評価を得てきたHIKARI監督、満を持しての長編作品が『37セカンズ』

といったあたりで皆さん、メールありがとうございます。私も『37セカンズ』、新宿ピカデリーで2回、見てまいりました。平日昼の回だったんですけどね、ほぼ満席だったですね。めちゃめちゃ入ってました。ということで先週、リスナー推薦枠で史上最多級のメールをいただき、見事ガチャが当たった本作です。ベルリン国際映画祭のパノラマ部門で観客賞……そのパノラマ部門の最高賞にあたるようなやつと、国際アートシアター連盟賞とのダブル受賞というのを、ベルリン映画祭史上初めて成し遂げたということで。すでに世界でも非常に高く評価をされつつあるという作品です。

今週水曜日に番組にお越しいただいた元映画秘宝の編集長・岩田和明さんも大絶賛をしていて、僕へのお土産として、先にNHKで放送された74分のテレビ編集版というのがあるんですね。劇場版は115分なんですけど、74分版。これ、要はあのイ・チャンドン監督の『バーニング』。これ、2019215日に評しましたが、あれに近いパターンで。要はアメリカのサンダンス映画祭とNHKがやっている脚本ワークショップの日本代表作品ということで、元々NHKがサポートしている作品だったということで、国際共同制作バリバラドラマという枠で、昨年12月にNHKで放送されたバージョン。

今回の劇場版とどう違うかは後ほど、時間があれば少し触れると思いますが。まあそれの録画したやつを岩田さんからいただいたりとか。あと宣伝会社さんのご厚意で、本作の製作・脚本・監督を務められましたHIKARIさん。これが長編第一作で、当然、僕も今回初めて作品を拝見したわけですけど。そのHIKARIさんがこれまで撮られて、やはり世界的に高く評価されてきた短編も、いくつか拝見することができました。このHIKARIさん、そっちの短編ではご本名なんですかね。MIYAZAKI MITSUKOさんという風にクレジットされていましたが。とにかく大阪の方で。

10代でアメリカに留学されて、途中ですね、名だたるヒップホップアーティストのカメラマンなどもやっていた、というね。これ、それはそれで別個にお話をうかがいたいな、というぐらいの感じですけども。とにかくアメリカでいろいろやって、最終的にUSC(南カリフォルニア大学)……まあジョージ・ルーカスとかが出た学校として有名ですけど、そこで映画を学ばれて。ちなみにその時のUSCの教えの話もこれ、映画秘宝2月号のインタビューで出ていて、これがまためちゃくちゃ面白いんですけど。

で、その卒業制作として作った短編、2011年の『TSUYAKO』という作品。戦後間もない日本で、非常に抑圧された生き方を強いられている女性が、かつて恋愛関係にあった同性の友人と再会し……というような話。これとか、2015年、やはり、これも時代のせいで成就できなかった人種間恋愛を、これはセリフなし、バレエ的ダンスのみで語り切っていくという、『Where We Begin』という作品とかもそうなんですけども、要はその時代その場所では日陰に追いやられてしまっている存在の想いに、寄り添うような視線という。今回の『37セカンズ』にも完全に連なっていくようなスタンスだと思いますし。

あるいはですね、『A Better Tomorrow』。これは2013年の短編で、車のレクサスの宣伝用の短編みたいですけど、実写からアニメーションに飛躍していくような表現であるとか。あるいは、これは2014年の『キャンとスロちゃん』という、これは自動販売機に恋するインドから来た人っていう話なんだけど、日本の都市の風景そのものを、旅人的な、外からの視点で擬人化して捉えて見せるような視点とか。そういうファンタジックでポップな語り口というのも、持ち味として今回の『37セカンズ』、しっかり入ってます。あのね、ユマちゃんが、街のあのビルの灯りが人の顔に見える、っていうのを、こう実際に絵で見せてみせる、というあたりね。ああいうような感じも元からもあったりすると。

で、まとあにかくですね、そんなキャリアを歩んできたHIKARIさんが、満を持しての長編作品として作り上げたのが、この『37セカンズ』という作品。順を追って話していきますけど。

佳山さん自身のご経験というものを元に、この『37セカンズ』というタイトルをつけた、

まず冒頭ね、なんかこう、お化粧をしている女性のアップ。まあ、これがどんな場面なのかは後ほど明らかになるので、(この時点ではまだ)よくわかんないんですけど。とにかく、まあなんか緊張感と共に、何者かが招き入れられるらというところで、それでタイトルバックになるんですけど。そこで東京の景色が映し出されるんですけど、なんか、すごく撮り方……レンズの選び方とか、そういうことなんですかね? すごくなんかミニチュアみたいに見えるように、箱庭、ミニチュアみたいにとれるように見せていて。まずここで、ちょっとハッとさせられる。

で、そのせせこましい街並み、人ごみの中、電車に乗っている主人公のユマさん。これ、この映画全体に、カメラは彼女の視点に近い、低い位置にやっぱり置かれている。先週のね、『ジョジョ・ラビット』も、ジョジョくんの視点で、って言いましたけども、あれにも近い感じ。ずっと低い視点に置かれているので、この電車の中だと、たとえば周囲の人たちの身体が、やっぱりまるで壁のように彼女を圧迫しているように見えるわけですね。まあこの低い位置のカメラワーク、っていうのは全編に通じてるわけですけど。

で、この時点では彼女自身も、帽子を目深にかぶって、服もなんていうか、ボーイッシュっていうか……まあ性別もちょっと曖昧にしたような感じで。あえて存在感を希薄に、まさしく「世を忍んで」いるかのような風に見える佇まい。で、ホームに出たところで、彼女が車椅子に座っているだよっていうことが、初めて示されるわけですね。まあこれを演じている佳山明さん。まず非常に、声とかしゃべり方がすごい特徴的で。ものすごくか細く、控えめにしゃべる。声自体、声質とかもすごくかわいらしくて。とにかくまあすごく愛らしい感じのしゃべり方をするんだけど、やはりその感じが、世の中で見ると、ちょっと弱々しげ、はかなげに見えて。なんかこう、「大丈夫かな?」って感じに見える、という効果もある。

とにかくですね、この佳山明さんのキャスティングと、そしてその彼女にずっとちゃんと演出をつけたという、ここがまず本作の、何と言っても圧倒的な魅力の部分ですよね。オーディションで選ばれて……で、そのオーディションの様子っていうのも、NHKで別個のドキュメンタリーになっていて。オーディションを受けられた他の車椅子の女性の皆さんも、実は一瞬だけ、今回の『37セカンズ』、よく見てると……ドキュメンタリーを見てから見ると、「あっ、あの人だ!」みたいな。一瞬見えたりするんですけど。とにかくね、この佳山明さんの存在感、キュートさ、イノセンスな存在感みたいなところで、HIKARIさん自身も脚本を書き換えて、設定とかも書き換えて……佳山さん自身のご経験というものを元に、この『37セカンズ』というタイトルをつけた、という経緯があったりしますけども。

「この作品、甘い映画じゃねえぞ」と引き込む序盤の入浴シーン

まあでもとにかくですね、ホームの中というか街中で、彼女が1人ポツンといるとやっぱり、まあカメラもそういう時はやっぱりあえてガッと引いていたりして、とても心細く見えるわけです。で、そんな心細さを見越したかのように、まあ改札に、お母さんが迎えに来ている。これ、神野三鈴さんがですね、娘を思うがゆえのある種の過剰さ、神経質さみたいなのを、本当に見事に、丁寧に演じられてると思いますけど。それで、一緒に帰っていくわけですけども、多くの観客がまずここでギョッとさせられるであろう、作品序盤でグッと引き付けられずにはいられない……「この作品、ヤバい。これはちょっと甘い映画じゃねえぞ」って襟を正さざるをえない場面。

お母さんがですね、帰宅後にこのユマさんを、入浴させる。一緒にお風呂に入るシーンがある。で、そのお母さん、服を脱がせてあげるんだけど、これが本当にですね、まあユマさんを四つんばいにさせて、本当に小さい子にするようにグイグイグイグイ、どんどんどん脱がしていくわけですね。もちろんこれ、2人きりの空間という設定だからそれは気にしなくていいっちゃいいんだけども、やっぱり娘側、ユマさん側も、本当にそれが習慣化しているんでしょうね、まあ、四つんばいになって、されるがままになって、全裸にさせられるわけです。

で、やっぱりこう見てると、「あれ? あっ、ここまで……」って。まず「わっ、裸を見せちゃうんだ」っていう感じと、「親とはいえ、ここまで全てを他の人に委ねなければ生活できないのか」という、要するに軽いショックがある画なわけです。ここは、演技自体が初挑戦だというこの主演の佳山明さんにとっては、なかなかハードな撮影だったに違いないと思うんですが、やはりここ、お母さん側の「この子には自分の庇護が絶対に必要なんだ、心配なんだ」という、もちろん愛情ゆえからではあるんだけど、ちょっと支配欲にも似た思いというのを、観客にもある程度共有させる。

「ああ、やっぱりこれだけ面倒を見なきゃいけないのか」っていう感じがある。それを共有させつつ、「しかしこれ、こうやってかなきゃ生活できないという側はたまったもんじゃないよな」っていう、ユマさん側の、後にお話を動かしていくことになる心情っていうのもすごく、痛いほどわかる、という意味で、非常に有効な、必要なシーンだったという風に思います。

あとはその後で、お母さんと食事してるんだけど、その食事のところで、お母さんがシェイクスピアの読み聞かせをしてあげてるんだけど、読みながら、ハンバーグをわざわざ細かく切ってあげてるわけですよ。「そこはできるだろ?」っていうことまでやってあげてるあたりが、やっぱり、「ああ、ちょっと過剰なんだな」っていうのを、セリフではなく示す。でもユマさんも、それに黙って従っている、というあたり。その親子の関係が、物を言わずに示されている。

そんな感じでHIKARI監督、さすがUSC仕込みというべきか、まず序盤で、非常に的確、簡潔にしてニュアンス豊かに、ユマさんが、要するに脳性麻痺当事者として日本社会の中でどんな立場で、どんな思いを抱えながら生きているかというのを、ポンポンポンと、テンポよく描き出していく。お母さんとの関係を含め。たとえば、親友は親友なんだろうけど……っていうことですよね、サヤカさんっていう、要はたぶん中学、高校とかでまあ実際に彼女のことをちゃんと面倒見てあげたりとか、本当に友達だったのは間違いないと思うんですが、現状は事実上、ユマさんの能力を一方的に搾取しているとしか言いようがない、人気マンガ家にしてYouTuber、というそのサヤカさん。これを演じられてる萩原みのりさん、絶妙に「いそう~!」な感じで、見事に演じられてましたけど。

■「お前は家で大人しくしてろ」という社会の中で、ただひとり「外に出てもっといろいろ経験してこい」と言い放つ

あるいはそのサヤカさんの編集者、宇野祥平さん演じる編集者たちの、結局のところやっぱり、障害者というだけで一線を引いて接している感じ、ニュアンスであるとか。そのね、サヤカさんのサイン会が開かれた時に、ユマさんが要するに思い切って行こうとするくだり。まずお母さんとの、あのワンピースを着る、着ない問答、その帰結ですね。あれもセリフじゃなく、「ワンピース着たいならついて行くけど?」っていうところで、じゃあ彼女がどうするのか、というあたりで、まあ彼女が本当には何を望んでいるのか?っていうのが、物を言わずして示されるし。

あとメールにもありました、路上のちょっとした段差。これは、僕はたった1日、しかもいろんな人にチヤホヤされながらでしたけど、車椅子体験しただけでも、「うわあ、東京の街中、大変だな」っていうあの、路上のちょっとした段差まで……とにかく彼女を取り巻く社会のすべてが、「お前は家でおとなしくしてろ」と言わんばかり、なわけですね。で、まあHIKARI監督のインタビューによれば、要するに東京を舞台にしたのも、人の心のあり方を含めて、バリアフリーが行き届いてない、優しくない社会だから、というようなことをおっしゃっていて。これは正直、東京にこうやって住む我々としては「トホホ……」というかね、「すいません……」っていうあたりなんですけども。そのとおりだと思います、っていう。

ただそんな中、板谷由夏さんが、これまたその微妙に感じ悪くなる手前すれすれの、絶妙な突き放し感と人情味のバランスで演じる、エロ漫画誌の編集長……まあこの編集部にね、ユマさんが電話をかけてきた時の保留音声、からの、あの「はい、藤本です」って変わる時の、あのタイミングのおかしさとか。あと、そのユマさんの脳内で広がる創作世界を、アニメーションで……しかもそのアニメーションで広がる脳内世界というのが、どうやらお父さんからもらったハガキ、お父さんへの想いとこの創作意欲っていうのが繋がっているんだ、というくだりをサラッと示す、本当に語り口のポップさ、そしてスマートさ、というあたりだと思いますけども。

ここあたり、本当にHIKARI監督のたしかな腕を感じるな、というあたりですけども。とにかくそのエロ漫画誌編集長だけが……これね、セリフとしてはたしかに乱暴ですよ。もうこれ、男が言ったら……まあ、あんなこと言ってましたよね、『ブラック・スワン』でね(笑)。「セックスしてこい!」なんて。まあ、乱暴な一言なんだけど。要するに、この言葉そのものがいい言葉かどうかは置いておいて、でも彼女だけがユマさんに、「外に出てもっといろいろ経験してこい」って……彼女だけです。他の人はみんな、「家でおとなしくしろ」って、社会全体がそう言っているのに、この人だけは、「もっといろいろ経験してくりゃいいじゃん」っていう風に、非常にぞんざいに言い放つ。

で、「セックスしてこい」っていう。ただ、これは本当に僕は大事なことだと思っていて。性的なことっていうのは、親の監視、庇護を離れて、自らの行動と責任で学んだり経験するしかない、という意味で、人間が成長、自立していく上で非常に重要な通過儀礼だと、僕自身の考えとしても思ってるので。あるいは、まあお酒というドラッグとどう付き合うのか、みたいなこともそうですけどね。ただ逆に言うとそれは、そのユマのお母さんのように、「娘には自分の庇護は絶対必要だ」と考えるような……それはそれでもちろん理解もできるんだけど、という、いわゆる親心とは、大変に折り合いが悪い件でもあって。

で、まあとにかくユマちゃんは、当然のようにお母さんには内緒で、その世間という大海原へと大冒険に乗り出していく、というあたりになります。ただ、とはいえその性的イニシエーション、僕は非常に大事だって言いましたけど、それすらもすんなりと行かせてくれない、もらえないのがやっぱりその、障害を持つ身である、という、残酷な現実というのもあって。出会い系サイトで次々と男性たちに会うシークエンス、ユーモラスではあるんだけど、特にやっぱり最後の、一見、偏見のない好青年との会話。彼だってきっと、悪い人じゃない。

たぶんあそこで話してる時は本当にそう思ってたんだけど、「いざ……」ってなるとちょっと腰が引けちゃったのかな、ぐらいだと思うんですけど。彼との会話ね、彼とユマさんの切り返しの画面の位置が、彼は真ん中にいて、「うんうん、偏見なんかないよ」って言うんだけど、ユマさんの位置は横にズレていて。なんか「ああ、やっぱりここは噛み合ってないな」っていう風に、画面の……要するに映画的にそれを示すあたりも、やっぱりHIKARI監督、さすが堅実な手腕があるな、という風に思ったします。

■家に帰っておとなしくしていた方がよかったのか?って誰もが思いかけた瞬間……「こんな生き方も普通にあるんだよ」と背中を押すように現れるふたり

で、そこから、必死のおしゃれも虚しくすっぽかされてしまった彼女が、新宿歌舞伎町(と、放送では言ってしまいましたが、実際のロケ地はたぶん新橋ですかね?)のディープゾーンに、どんどんどんどん足を踏み入れていくあたり。このあたりも、もうドキドキハラハラ。正直僕らは、親心ですよ。「えっ、大丈夫かな?」って。ただそこで最初、「どこ行くの~?」「どこに行ったらいいんでしょう?」「それはあなた次第よ~!」って、ある意味ユマさんの背中をさらに押すというのがあの、ドラァグクイーンのね、お三方というのもすごいいいし。あと、あれですね。渋川清彦さんが本当に……あの、要するに「本当にフラットに商売してるだけ」感が逆に渋く好ましい、あの呼び込みのおじさんとか。

そして何より、ここで登場。我らがマイティこと、奥野瑛太演じる男性デリヘル……まあ男娼と言いましょうかね。あの感じ。「ヒデでーす」っていうね。その彼がラブホにやってくるという。まあ、これが要するに冒頭のところだったわけですけど、彼のその、ビジネスライクではあるけど、決して悪い人ではないし、むしろユマに優しく接しようともしているんだけども……というこのくだり。単純にね、夜の都会の裏側を垣間見るドキドキも観客としてはありますし。まあユマさんに100%感情移入してますから、「おい、大丈夫か? 大丈夫か?」と思って見てるからこその、本当に胃がちぎれそうな緊張と気まずさ、っていうね。

あと、またあのラブホテルがちょっとね、古い……鏡があったり、シャワーのガラス張りのところになんか変な浮世絵風の絵が書いてあったり。なんか古いラブホなのがまた、なんともこう、場末感というか、これもまたね、たまんないあたり。奥野くんの名演も相まって、ここ、本当にすさまじいシーンになってると思います。で、そこからさらに、まさに泣きっ面に蜂、的な追い込まれ方をしていくユマさん。もう勘弁してくれ!っていう。それで観客としては、「これ、お母さんの言う通り、やっぱり家でおとなしくしてた方がよかったのか?」とさえ思い始めてしまう、その絶望の淵まで追い込むわけです、HIKARI監督はね。こうやって追い込むわけです。

まさにその時……もうダメだ、家に帰っておとなしくしていた方がよかったのか?っていうその瞬間に、闇になった廊下の奥から、思いもかけなかったカタチの2人が、当たり前のような顔で、やってくる。つまり、「こんな生き方も普通にあるんだよ。だから平気だよ」と、その存在自体でユマさんの背中を押すような、そして観客の背中も押すような2人が、スルスルスルスルッとこういう風にやってくる……ここまでがある意味、現実の厳しさを突きつけるゾーンで。僕の解釈ではここから先は、こういう生き方、こういう社会のあり方、こういう現実のあり方という、「可能性の提示」が、ここから先だと思います。この構成、演出、キャスティングの妙。

■我々全てに「37セカンズ」はある。これは「障害者の映画」ではなかったんだ!

今回の企画のきっかけとなったというそのクマさんこと熊篠慶彦さんの、飄々とした、すっとぼけた、洒脱なたたずまいもいいですし。そして渡辺真起子さん演じる、本当に涙が出るほどの頼りがいと誠実さを感じさせる、あの障害者対応のセックスワーカー役。そしてさらに、大東駿介さんがこれまた絶妙な温度感、距離感で、ごくごく自然に横にいる、寄り添う、というスタンスを体現してみせる、あの介護士の俊哉くん役。

これ、さっき言ったテレビ版では、そちら側の人々の描写の比重が大きかったんです。彼らのバックストーリーがむしろ多めに割かれていたりするんですが、この映画版はあくまで、そのユマさんの視点に絞って。ユマさんが彼らの存在を知るという、それ自体によって、彼女が世間、世界にどんどん踏み出していくし、世界の可能性を信じていく。その変化と成長のプロセスというものを、シンプルに描き出している。ここまでが全体の、それでも1/3くらいなんですね。

で、当然その結果、お母さんの過保護主義との対決は避けられないようになってゆき……からの、ミニマルながらスリリングな、スリル満点な脱出劇ありの、テレビ版にはない、自分とは何かを改めて知るための、ロードムービーへと発展してくわけですね。あのお父さんを訪ねていくが……のところで出てくるベテラン俳優、尾美としのりさんの意外な存在感とかもいいですし。まあ、とにかくここから先は、ちょっと時間もないのでぜひご自分の目でたしかめていただきたいんですが。

旅の終わりに、彼女が語り始める37秒」……37セカンズ』の意味。それはもちろん彼女に障害をもたらした原因なわけだけど、そこで彼女が最後に言う一言。これはつまり、『37セカンズ』っていうのは、「自分が自分である」理由、「自分」になったこと、そのものの話であって、つまり我々全てにそれぞれの『37セカンズ』はある、あとは自分がどう生きるかなんだという、そういうおそろしく普遍的なメッセージを語っていた話で……これは「障害者の映画」ではなかったんだ、ということが、そこでついに、ガンと突きつけられるわけです。

とにかく……あえて言えば僕、あのサヤカさん。彼女を搾取していたサヤカさんとの決着。要するに現状だとあのサヤカさんが、単なる悪役になっちゃっているのがちょっと、もうひと押しできたのでは?っていうのは、小骨のようには刺さっていますが。

まあ、なんにせよHIKARIさん、これからマイケル・マン製作のテレビシリーズとか、いろんなオファーが決まっているようですし、世界的に活躍されることは間違いないでしょう。そして佳山明さん。今年の主演女優賞決定でしょう! これはもう間違いなく、本当に。はい。脚本、演出、画作りなども見事でしたし、メッセージと、そしてその伝えるべき飛躍とか、そういうところでも本当に見事な一作でございまして。私は文句なしにノックアウトされた一作でした。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『チャーリーズ・エンジェル』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

(ガチャ回しパートにて)はい。『37セカンズ』。それこそ「見ると社会の見え方がちょっと変わる」、かも……という意味でも、絶対に見る価値はある作品なので、ぜひ劇場に行っていただきたいと思います。

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