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宇多丸、『リチャード・ジュエル』を語る!【映画評書き起こし 2020.1.31放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『リチャード・ジュエル』(2020年1月17日公開)。

オンエア音声はこちら↓

 

宇多丸:
さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞して評論する週刊映画時評「ムービーウォッチメン」。今夜扱うのはこの作品……『リチャード・ジュエル』。1996年にアトランタで起きた爆破テロ事件をクリント・イーストウッド監督が映画化。オリンピック開催で沸くアトランタで警備員として働くリチャード・ジュエルは、公園に仕掛けられた爆弾を発見し多くの命を救ったが、事件の容疑者にされてしてしまう。

主人公リチャード・ジュエルを演じるのは、『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』や『ブラック・クランズマン』などのポール・ウォルター・ハウザー。その他の出演は、リチャード・ジュエルを助ける弁護士ブライアント役のサム・ロックウェルや母親ボビ役のキャシー・ベイツなど、といったところでございます。

ということで、この『リチャード・ジュエル』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多め」。やはりね、イーストウッドの最新作となるとまあ、かならず見るという方も多いでしょう。賛否の比率はほぼ8割のメールが「褒め」。

褒めている人の主な意見は、「横暴な司法やメディアリンチによって犯人が創り出されていく。その構図に、これは他所の国の話ではないとゾッとした」「主人公を全面的なヒーローとして描かない、そのバランス感に唸った」「近年のクリント・イーストウッド監督作品の中でも一番出来がいい」とかですね、「ポール・ウォルター・ハウザーもよかったが、サム・ロックウェルがとにかく見事」などがございました。一方、主な否定的な意見は「淡白で平坦。盛り上がらないまま終わってしまった」「女性記者の脚色(描き方)は大問題。作品のテーマと相反するし、エピソードとしても陳腐」などといったご意見がございました。

■「一言では表わせない『正しさ』をイーストウッドならではの絶妙なバランスで描いている」(byリスナー)

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「ペイ・ザ・サーティーン」さん。「感想は『それは面白いでしょ!』です。本作の特徴としては、ポール・ウォルター・ハウザーという異端の俳優を主演におき、まさに今のメディアのあり方、偏向報道やフェイクニュースに対する現代的問題を見事に描ききった点にあると思います。もちろんポール・ウォルター・ハウザー演じるリチャード・ジュエル自身も過剰に正義を重んじるがゆえに歪んで見える言動や、その言動があったからこそ救われた命があるという、非常に多層的な構造になっている。一言では表わせない『正しさ』をイーストウッドならではの絶妙なバランスで描いている点も見事でした。そして脇を固めるサム・ロックウェル、キャシー・ベイツ。こちらも素晴らしい演技でアンサンブル映画としても見応え抜群でした。今年で90歳となる御大、まだまだ新作を見たいです」といったご意見。

一方、ダメだったという方。「たくや・かんだ」さん。「『リチャード・ジュエル』、見てきました。正直あまり面白くなく、不満が残る映画でした。あまりに平坦で盛り上がりがなく、そのまま最後まで行ってしまった印象です。この映画のテーマであるメディアリンチの怖さ、マスメディアの横暴はこれまでもさまざまな映画で描かれてきましたが、それらを超えるような描写ではなかったと思います。逆に国家権力とメディアに翻弄されるジュエルの人物像の描き方に意図的なものを感じてしまいましたし、話題になっている女性記者の脚色も全く評価できません。イーストウッド自身はインタビューで『彼女について調べた結果、十分あり得ると考えたんだ』と答えていたようですが、作品内のエピソードとして女性記者が権力者から情報を得る手段として、余りに陳腐でステレオタイプです。過去のイーストウッドの名作に比べたら本作は数段落ちる作品と言えるでしょう」というようなご意見がございました。ということで、皆さんメールありがとうございます。

 

■この人の名前だけでも覚えて帰ってね! その名は「ポール・ウォルター・ハウザー」さん

私も『リチャード・ジュエル』、バルト9とTOHOシネマズ六本木で2回、見てまいりました。どちらも正直、入りがちょっと寂しい感じだったのは、残念でしたけどね。ということで、今回はとにかくですね、皆さん、ポール・ウォルター・ハウザー、ポール・ウォルター・ハウザー、ポール・ウォルター・ハウザーさん! この人の名前だけでもぜひ、覚えて帰ってね、といった感じでございます。我々が彼のことを知ったのはですね、なんと言っても『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』、2017年の作品。僕は2018年5月11日にこのコーナーで評しました。公式書き起こしも読めますので、そちらも参照してください。

その『アイ,トーニャ』に出てくる、トーニャ・ハーディングの自称ボディーガード。要は、悪名高きナンシー・ケリガン襲撃事件の計画者の1人でもある、ショーン・エッカートという人。彼のですね、誰の目にも明らかな虚言癖……しかもそれは、彼にとっては、あまりにも救いがなさすぎる現実の自分の人生からの逃避でもあるっぽい、というあたりがまた、おもしろうてやがてかなしき、という感じでね、非常に味わい深かったんですが。

とにかくそのショーン・エッカートという男の、底なしのダメダメ感、ボンクラ感を、そこはかとないキュートさ、憎めなさ込みで、これ以上ないほど見事に体現していた俳優さん。それが今回、『リチャード・ジュエル』で主演を張っております、ポール・ウォルター・ハウザーさんなんですね。ちなみに1996年、本作で描かれたように、リチャード・ジュエルさんが爆破テロの容疑者としてアメリカのメディア中で袋叩きにあっていた時にですね、当時の人気司会者、ジェイ・レノという人が、まさにさっき言ったショーン・エッカートとそのジュエルさんを重ねてからかったりしていた、という事実があるわけです。

また実際、イーストウッドも、『アイ,トーニャ』を人から勧められて見て、リチャード・ジュエル役、まさにポール・ウォルター・ハウザーさん、この役を演じるために生まれてきたようなぐらいだ。そっくりだ、みたいなことをおっしゃったりしている。そんなリチャード・ジュエルさん、本人の姿は、実は今回の映画でも、爆弾の第一発見者として最初に好意的なインタビューを受ける番組がありますよね? あそこの番組の映像は、実はあそこだけ、本人映像です。はい。だから、そこがシームレスに見えちゃうぐらい、やっぱりそっくりだ、っていうことですね。

元はね、ジョナ・ヒルが映画化に動いたりしてたようですけどね。やっぱりポール・ウォルター・ハウザーさん、ぴったりということで。とにかくまあその『アイ,トーニャ』での大好演で一気に注目されていった結果ですね、それ以降も、たとえばスパイク・リーの『ブラック・クランズマン』、2019年3月24日に僕は評しました。これも公式書き起こしがありますが……それのKKKメンバーだとかね、あるいは、あの『Cobra Kai』ですね。当番組でも何度も話しました、『ベスト・キッド』の最高の続編ドラマシリーズ。こちらにも出ていたりとか。

要は、だいたい同じ役ですよね。実人生、実社会では明らかにダメダメのボンクラ。太った冴えないおじさん。ゆえに、やたらとデカい口を叩いたり、そういうまあ要するに逃避的な思考に陥りがち、というですね、『アイ,トーニャ』で確立した、いわゆるホワイトトラッシュ的キャラクターを、繰り返し演じてきた。そういうところにキャスティングされてきた、という方ですね。で、僕とかはやっぱり、「あっ! またポール・ウォルター・ハウザーが十八番のダメ人間役で出てきた!」って大喜びしたりしてたんですけど。

その意味ではですね、この今回の『リチャード・ジュエル』は、1月に町山智浩さんがご出演された時にもおっしゃられていましたが、そういうポール・ウォルター・ハウザーさんがこれまで演じてきたような役柄のイメージを、逆手にとったキャスティングでもあると。要は、「どうせ、こういうやつなんでしょう?」っていう先入観、決めつけが招いた最低の事態、というのをこちらに突きつけてくる作品でもあるわけですね。だから、『アイ,トーニャ』以降のその彼の演じる役柄を、まあゲラゲラとね、笑いながら見ていた僕のような……ファンなんですよ? ファンなんだけど、ちょっと襟を正さざるを得ないというか、そういう感じもある作品です。

■御年89歳のイーストウッド監督のさらりとした名人芸

原作はですね、事件の翌年、1997年に雑誌『ヴァニティ・フェア』に載った『AMERICAN NIGHTMARE: The Ballad of RICHARD JEWELL』という記事が元になっています。これ、今でもWEBで全部読めます。で、監督やキャスト、いろんな話が浮かんでは消え……という中で、ずっと映画化への意欲を見せ続けていたのがイーストウッドだった、という。それでここに行き着いたということなんですけども、たしかにこれ、ものすごくイーストウッド好みの題材ですよね。近年、まあ実話ベース物ばっかりを撮っている御年89歳。今年90歳になるイーストウッドですけども。

たとえば、信じていた国家や政府……まあアメリカですね。アメリカという国家や政府に裏切られたり幻滅したり、っていう。愛国者だったのに……というのもね、すごくイーストウッドに多いテーマですし。あと、冤罪物もイーストウッド、非常に多いですよね。特に、本来多くの人命を救った英雄として称えられるべき人が、あらぬ疑いをかけられて……という構図は、『ハドソン川の奇跡』、かなり近いですよね。これも僕、2016年10月15日に評しました。公式書き起こし、あります。

あと、一方では、そのへんにいるようなごくごく普通の人、なんならボンクラめな人……ただし正義感とか使命感というのは人一倍強い人が、なすべき時になすべきことをなす。その尊さ、みたいなところでは、『15時17分、パリ行き』。大変に変わった映画でしたけどね、あれね。僕の評は2018年3月3日にやりました。こちらも公式書き起こし、あります。まあ、あれとも連なるものでもあって。だからその、『ハドソン川の奇跡』と『15時17分、パリ行き』のちょうど中間というか、ミックスしたような感じの映画ですね。今回はね。

で、実際に本作『リチャード・ジュエル』の企画は、まさに『ハドソン川の奇跡』と『15時17分、パリ行き』の間に始まった企画だということなので、まあ、なるほど納得だな、という感じの話ですよね。ということで、まあそうしたイーストウッドの近作同様ですね、この『リチャード・ジュエル』も、あくまで淡々と……まあ今時の映画と比べるとちょっと素っ気ない程の淡白さ、簡潔さで、サクサクと話が進んでいく、という。なので、「淡白だった」とか「引っ掛かりが少なかった」というのはまあ、近年のイーストウッドの作風ではありますね。そういう味わいではある、というかね。

まず序盤。リチャード・ジュエルという男の、その不器用な真面目さ。ちょっとどうかと思うほどまっすぐな、その「社会に貢献したい!」という気持ち。あるいはその規範意識、道徳意識、っていうのを、サム・ロックウェル演じるワトソン・ブライアントという弁護士……これ、サム・ロックウェルが終始、非常に上品な温度感でさらりと演じている、このワトソン弁護士は、その彼のそういう真面目さっていうのを、非常に好ましく感じ、それで2人の距離がちょっとだけ縮まっていく、というその過程。それをですね、たとえばスニッカーズだとか、あとはゲーセンのガンシューティングゲームだとか、あと100ドル札という、そういう日常的小道具を通じて、やっぱりさらりと上品に描いていく、という手際。

このなんかあんまり味が濃すぎない感じも含めて、でもきっちり2人の距離が縮まった感じ、しかもその露骨なセリフとかではなく……っていう感じが、非常に名人芸!といった感じだと思いますし。同時にですね、まさにそのさっき言った、彼、リチャード・ジュエルの不器用な真面目さ、ちょっとどうかと思うほどまっすぐな「社会に貢献したい」という気持ち、規範意識、道徳意識が、しかし一般社会からはやっぱり、煙たがられたり、あるいは奇異の目というか、「あいつ、ちょっと変わってるよな」っていう……まあバカにされてたりもする、という、そのきしみのようなものも、その序盤でしっかり印象付けられていくという。

なので、平たく言えばこの主人公リチャード・ジュエルさんがですね、あまりにもピュアすぎて……かわいいんだけど危なっかしい!っていうね(笑)。この「ピュアすぎて、かわいいんだけど危なっかしい!」、こここそが本作『リチャード・ジュエル』特有のハラハラ感、面白みみたいところ……つまり、イーストウッドの他の作品はもちろん、過去の無数にある冤罪物と大きく異なるというところ。ピュアすぎる。だから本人が一番危なっかしい!っていうね。本人がしっかりしていないんですよ、というあたりだと思います。

■リチャード・ジュエルの危なっかしさから生まれた「いろいろ心配エンターテイメント」

で、それは間違いなく、ポール・ウォルター・ハウザーという俳優の持ち味によって、さらにきっちり成立してるものでもある、っていうことですね。かわいすぎて危なっかしい、というね。考えてみればですね、彼がその『アイ,トーニャ』とか『ブラック・クランズマン』などで演じていた役柄も、その、自分の身の丈を越した何か大きなイズムっていうのを、疑いなく信奉してしまう。そこに、自分の実人生の救われなさに対する救いを求めてしまう。そういうピュアさ、あるいはその反面としての弱さ、みたいなところ。これ、パンフレットで映画評論家の森直人さんが「底抜けのイノセンス(無垢さ)」という風に表現してるものも、まさにそこだと思うんですけど。

まあ今回のリチャード・ジュエルさんと、完全にその表裏一体なものですよね。その『ブラック・クランズマン』のKKKと『アイ,トーニャ』のあいつは、犯罪者とか差別主義者ですけど、実はやっぱり表裏一体のものが、リチャード・ジュエルさんにもちゃんとあったりする。なので、我々観客はその危うさを、先ほど言った序盤のセッティングですでにしっかりともう叩き込まれているので、後にその爆破テロが起こる記念公園でですね、彼が警備員を、例によって若干張り切りすぎなテンションで……まあ実際のところ、すごく嬉々としてですね。

「おい、危ねえぞ、気をつけろ!」みたいなのを、実際に嬉々としてやっている様子。その一挙手一投足が、「ああ、だからこういうのが追い追い、疑わしく見えたりしてしまうんじゃないか、お前。気をつけろよ……」みたいな感じで。本当にまさしくひとり息子を見守るキャシー・ベイツのお母さんよろしくですね、もうとにかくいろいろ心配! 全体として、「いろいろ心配エンターテイメント」っていうか(笑)。「お前、ちょっとこれ、そこが……」っていう、心配エンターテイメントな感じなんですよね。

で、しかもこの記念公園の場面。無造作にその記念コンサートの様子を見せているだけのようにも見えてですね……あの『マカレナ』、当時、流行っていた「ヘーイ、マカレナ♪」っていう、あの振り付けのダサさに悶絶しましたけどね(笑)。びっくりするダサさ。まあ、それはいいんだけど、とにかくコンサートの様子を無造作に見せているだけに見えて、実はここ、すごく段取りが周到で。1日目、まだその爆発が起こる前日ですね。彼がまず、ベンチの下に置いたクーラーボックスから、妊婦さんに水をあげたりとか、すごく親切なんですけど、そのクーラーボックスから、同僚たちにコーラを持っていってあげる、というくだりがあります。

そうすると、そこに怪しげなリュックを背負った男が……で、ジュエルは目ざとく彼を見つけてですね、追っかけていく。結局その男は、怪しく見えたんだけど、まさに先ほどジュエルがしてたのと全く同じようなことをしてるだけなんですね。缶ビールを出して、仲間に分けている。要するにここで、まずジュエルとその怪しげに見えた男が重なる、っていう段取りがひとつあります。

そして翌日、本当に爆弾が入ってることが後に分かるリュック。これがまさに前日疑わしく見えたあの男のリュックとほぼ同じミリタリー、軍のリュックであると。で、なおかつそれがさっき、クーラーボックスからコーラを出しましたけど、そのクーラーボックスを置いてあったのと同じく、ベンチの下に置かれている。つまり、疑わしさとリチャード・ジュエル本人の行動が、いわば、ちょっとずらして重ね合わせられている、というか。だから我々観客も、この後にジュエルが疑われることになってしまうことに、一定の合理性をも感じてしまうっていうか。

というのは、ジュエル自身が、結局自分と同じことをしていただけの人を、間違って疑わしく見てしまっていた、っていう段取りがあるからなわけですね。なので、ということで今度こそ、彼の不器用なまでの真面目さ、規範意識が功を奏して、爆発物をいち早く、しかも安全に発見することができた。要するに迂闊にガシャン!とかやらずに、ちゃんと爆発処理班を待って。「プロトコル通り、決まり通りやれ!」みたいな感じでやったら、実際にそれが功を奏した。

で、被害を少なめにとどめることにも貢献したというその後も、まあ「心配エンターテイメント」と言いましたけど、その翌日ね。その現場でなんか、その爆発の破片を拾って、ポケットに入れたりしてるわけですよ。「お前! だからそういうことをすなーっ!」っていう風に(笑)、親心目線で、こっちはまあハラハラしているわけですね。

でも同時に、その親心目線。やっぱりキャシー・ベイツ、本当に見事な演技でしたね。彼女が演じるお母さんが、テレビでインタビューされる息子を見て、本当に誇らしげなところとか。「お母さん、よかったね! 息子さんの育て方、間違ってなかったよ!」ってね、ウルッと来てしまう。それで『15時17分、パリ行き』ならここで終わっていたところなんだけど、だからこそ後半で、それが最悪の反転を見せるという展開が、本当に胸をえぐる、っていう感じなんだけど。

 

■これまでポール・ウォルター・ハウザーが演じてきたような役柄たちが感じてきた「痛み」や「悲しみ」に我々も気づかされる

あの、お母さんがファンだって言ってた人気司会者のトム・ブロコウさんが、ファンだったブロコウさんがよりにもよって……これ、原作の『ヴァニティ・フェア』の記事にもあるんですけど。本当にあったくだりなんですね。そのお母さんが、自分がファンだった司会者が、よりにもよって息子をテロリスト、犯罪者扱いしている、というところで、「ブロコウさんは、なんでこんなことを言うの……?」って。それを見て、息子もいたたまれない気持ちになる、という。あれ、本当にあったことです。

あと、本当にあったと言えば、クソ野郎役には定評のある、ジョン・ハムさん演じる……あのね、『ブライズメイズ』の「おい、しゃぶれ」(的な無言の仕草)でおなじみ(笑)ジョン・ハムさん演じる、FBI捜査官。役名は架空だけどFBI捜査官たちが、リチャード・ジュエルをもう、はっきり騙してビデオを撮ろうとするところ。そしてジュエルが、「これはマズいだろう……?」と思って、それをなんとか突っぱねて、ワトソン弁護士に連絡を取ろうとするところ。

これも信じ難いことに、そして最悪なことに、本当にあったことなんですね。で、このジョン・ハム演じるFBIチームがですね、とにかく手を変え品を変え、ジュエルをはっきりと、陥れようとする展開が続くわけですね。後の方でも、「ちょっと爆弾を仕掛ける音声、言ってみて?」って。そしたらジュエルがまたそこで、「ああ、そうですか。わかりました。俺もね、法の執行官なんで。もう協力しますんで……」って。「だから、お前は!」みたいなところがあるんだけど(笑)。

そこの要するに、はっきりですね、早い話がジュエルを、心底バカにしているからこその卑劣な手段なわけなんですけどね。それを途中でですね、実はジュエル自身も、「痛いほど分かってるよ!」と。「お前は何であんなことされて平気なんだ?」って言われて、「平気じゃないよ!」って言って。しかもそれは、今回の事件がなくたって、これまでの彼の人生で、ずっと彼が感じてきたことだったんだ、っていうことを、初めて本人が吐露する一連のくだりがあるわけです。

で、要は彼の言動にずっとね、見ながら……さっきね、「心配エンターテイメント」って言いましたけども。ハラハラとかイライラを繰り返してきたワトソン弁護士、そして我々観客も、そこではっとさせられるわけですよね。その彼の……つまりポール・ウォルター・ハウザーさんが演じてきたような役柄全てにも通じるだろう、そういう人たちが実はやっぱり人として当然感じてきた、抱えてきた痛み、悲しみっていうところに気づかされて、はっとする。

でも、やっぱりその一連の『アイ,トーニャ』のあいつとか『ブラック・クランズマン』のKKKと違うのは、しかしやはりそれを超えて、それでも善き人であろうと努力している、ジュエルさんの人格というのの本質的な高潔さ、っていうのが見えてくるあたりを含めて……だからやっぱりあそこで、初めてに近い感じで、ワトソンは彼のことを「尊敬」するんですよね。なのでやはりここ、涙なしには見られない、本作の本当に白眉だという風に思います。はい。とはいえ途中ね、FBIの家宅捜索に備えてですね、そのワトソン弁護士が、「お前、銃とか持っている?」「ああ、ジョージアだから持っているよ」「持ってる銃、一応全部出しといて」って言ったら、「お前さ……なに? ゾンビ対策?」みたいな(笑)。

私、ちょっと身につまされるところがありました。「銃、出しといて」って言ったら、「嘘でしょう?」っていう量が出てくる、とかね。あるいはですね、「黙ってろ」って言っているのについ、「あの、本当にオレも法の執行者なんで。捜査、本当に協力しますんで」って。とにかく何か余計なことを言い出す。それで「あっ、その本ね! その本、警察の手口がわかって本当にいい本だよね!」とか言って。その本の、「よりによって……あちゃー!」という感じとか(笑)。

とにかくね、「この男、しょうもなさすぎである」っていうね(笑)。そういうまあ、その軽やかなユーモア感。その人間のダメさっていうのに対する、生あたたかい視線というのかな。それはやっぱりね、イーストウッド映画ならでは。特にイーストウッドの近作のね、たとえば『運び屋』とかにもあった、「このジジイ……」っていう。すごく楽しいあたりだし。あと終盤、喜びを噛みしめながら、同時にハンバーガーを頬張り、噛みしめるっていう(笑)。「かわいい……かわゆいのう!」っていう、本当にいとおしい姿。素晴らしかったですけどね。

 

■女性新聞記者の脚色は本作のメッセージを損なってしまっている

ただですね、ちょっとどうしてもここは言及しなきゃいけないところだと思います。「生あたたかい」ではちょっと済まされない、たしかになるほど引っ掛かるな、という要素も、あるにはあって。要はですね、先ほどのメールにもありましたけど、FBIがジュエルを疑っているという報道を最初にした、アトランタ・ジャーナル・コンスティテューションという新聞の記者、キャシー・スクラッグスさん。この方、2001年に亡くなってしまっているんですが。映画ではオリビア・ワイルドが演じていますけども。彼女が、FBI捜査官からセックスと引き換えに情報を得る、という描写がこの映画にはあるわけです。

で、「これは事実ではないし、もう死んでしまっているその故人の名誉を傷つけるものだ」という反論をアトランタ・ジャーナル・コンスティテューション側が出している、という。まあ当然、アトランタ・ジャーナル・コンスティテューションはこの映画における最大の悪役のひとつでもあるから、当然、「こんな映画!」っていう感じでね、反論が出るのもまあ分かるんですけども。で、それに対してワーナー側は、「ちゃんと情報源に基づいている」と主張して。あるいはイーストウッドも、パンフレットのインタビューでも、「この件に関して、彼女がどうやったかについて、私たちは私たちなりの推論を示したんだ」なんてことを言ってますけど。

これに関して、僕の個人的な意見はですね、事実がどうだったかとは別に、やはり先ほどメールにもありましたけども、これまでもいろんな映画などで繰り返し描かれてきた、「ネタのためなら自分のセックスも使う女性ジャーナリスト」という、要は現実の女性ジャーナリストの皆さんの活動を阻害しかねない、偏見を助長するステレオタイプなイメージを、2019年、2020年の今、わざわざ強調して描く必要は……少なくとも本作は、テーマと関係ないどころか、問題はそこじゃないじゃないですか。彼女がどうやって情報を得たかが問題なんじゃなくて、その情報を精査して、どの程度、どの段階でどう出すのか?っていうのが問題なのであって。

なおかつ本作のテーマ、「人をステレオタイプなイメージで裁く危険性」っていうところも、少なからず損なってしまっている、という風に僕は思います。だし、その彼女、キャシーさんのキャラクターが、終盤で改心するくだりも、ちょっとだから、いきなり感が強くてですね。なんか要は彼女のキャラクターが、妙に薄っぺらな感じに見える。彼女も含め、彼女やFBIなど悪役側が、やや類型的、記号的というか。僕はですね、本当にこの事態が怖いのは、彼らとて、彼らなりに良かれと思ってやったこと、職業意識の強さでやったこととかがこの事態を招いてしまう、ということこそが、本当に恐ろしいことだと思うので。テーマ的意義をちょっと損なっているんじゃないかなという風に(思います)。そっちの方がよりテーマ的意義が際立つことになったんじゃないかな、という風に思います。

なんか久しぶりにポール・ニューマンの『スクープ 悪意の不在』とかを見てみたくなりましたけどね。ということで、だからちょっとそこはね、もったいないな、と思いました。僕も今回の、それこそね、いろんな方の批判とか問題提起で、「そうだよな。そういう描写って結構問題あるよな」とか。『ハウス・オブ・カード』とかにも出てきましたけど。改めて目を開かされたという。だから有意義な議論だと思います。とはいえ、だからといって、アメリカで一時起こったという作品ボイコットのように、全てを……「全てかゼロか」思考でこの作品を切り捨ててしまうというのは、僕はそれもあまりにも、それもちょっともったいない作品だと思います。

 

■とは言え有意義な問題提起。なによりポール・ウォルター・ハウザー一世一代の主演作!

リチャード・ジュエルさん、すでに亡くなっていますが、結局彼の名誉が、生前十分に回復されきったとは言えない、という事実に対して、やっぱり非常に有意義な問題提起をちゃんとしている作品なのは間違いないし。冤罪、報道被害、日本も他人事ではないどころか、よりひょっとしたら根が深い悪質さがあるわけで。そういう意味でも見られるべき作品ですね。そしてやはり、映画ファンとしてはですね、ポール・ウォルター・ハウザーが、一世一代の主演作ですよ。

彼の主演作なんてそう何度も……ねえ。次、いつあるかなんて分からないんだから。そういう意味でも、なので前述したような問題点があるとか、問題提起がある。議論があるってことを踏まえながら、ぜひ劇場でウォッチしていただきたい。ポール・ウォルター・ハウザーのかわいさにとにかくぜひ萌え狂っていただきたい、と思います。ぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『キャッツ』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンでした!

 

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