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宇多丸、『フォードvsフェラーリ』を語る!【映画評書き起こし 2020.1.17放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『フォードvsフェラーリ』(2020年1月10日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評「ムービーウォッチメン」。今夜扱うのはこの作品……『フォードvsフェラーリ』。1966年のル・マン24時間耐久レースで絶対王者のフェラーリに挑んだ男たちの実話を映画化。フォードモーター社から依頼を受けた元レーサーのカーデザイナー、キャロル・シェルビーと破天荒なイギリス人レーサーのケン・マイルズの2人は様々な困難を乗り越えてル・マンに挑む。

キャロル・シェルビーをマット・デイモン。ケン・マイルズをクリスチャン・ベールがそれぞれ演じる。監督は『LOGAN/ローガン』などのジェームズ・マンゴールド。第92回アカデミー賞で、レース映画としては初めて作品賞にノミネートされたほか、全4部門にノミネートされているというね。町山智浩さんがいらした時にも、町山さんが去年見た映画で、アメリカ映画ではベスト、ということをおっしゃっていましたね。

ということで、この『フォードvsフェラーリ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「とても多い」。ありがとうございます。賛否の比率は。8割が褒め。しかも、今年ベスト、などの絶賛が多い。褒めてる人の主な意見は「主人公2人の挑戦と友情に胸が熱くなった。勇気とやる気をもらえた」「迫力のレースシーンに興奮。画面もすごいが音もすごい。見ながらずっと右足を踏みっぱなしだった」「クリスチャン・ベールがすごかった」などなどがありました。一方、否定的な意見は「タイトルに偽りあり。全然『フォードvsフェラーリ』ではない。全然スカッとしない」などがございました。はい、まあね(笑)。

■「大迫力のレースとともに、答えのない宿題を渡される。力作でした」(byリスナー)

では、代表的なところをご紹介しますね。ラジオネーム「インターステラーのあいつ」さん……ああ、なるほどね、そういうことか(笑)。まあ、キャスティングに絡めて、っていうことですね。「『フォードvsフェラーリ』を見てきました。見終わってしばらくはエンジンの高鳴りが耳に残っていました。他のカーレースを題材にした映画と違うのは『組織と人』という現代社会の永遠のテーマを前面に押し出していることだと思いました。

主人公たちが属するフォードが敵のように見え、それは最後まで変わらないのも印象的。カリスマのもと、手作りで丁寧に早く美しいマシンを作る小さな会社フェラーリ。二代目社長のもと、大量の人が調和することなく機械的に大量消費の車を作る巨大企業フォード。車を売るためにもたらされたレースの結末に、この映画の中で一体誰が勝者なのかが分からなくなりました。続く大迫力のレースとともに、答えのない宿題を渡される。力作でした」というね、メールでございます。

あとですね、じゃあね、これにしようかな。ラジオネーム「ダンボルギーニ」さん。「今年から自動車メーカーで働く予定の大学生です。私もモータースポーツの世界に憧れてこの道を選んだため、『フォードvsフェラーリ』はかなり前から楽しみにしていました。モータースポーツは他のスポーツと違い、選手同士の競争に企業同士の競争が組み合わさるのが大きな特徴です」。特にル・マンは、メーカー同士の戦いという色が強い、ということらしいですね。

「……だからこそ多面的な楽しみ方ができ、後世まで語り継がるような熱い物語が生まれるのですが、同時に、様々なしがらみが存在するのも事実です。この映画はそんなモータースポーツの両側面を万人に分かるように描けてると思います。この映画をきっかけに車やモータースポーツに興味を持つ人がちょっとでも増えたらいいなと期待しています」というお手紙。

あとはですね、「紅のハーロック」さん。この方はちょっと否定的。「やたらと会話が多い上、その会話の内容がつまらないとか、レーシングカー開発の過程がつまらないとか、人間関係の描き込みが足りなくてキャラが立っていないとか数多い欠点のある映画ですが、最大の不満は敵であるフェラーリ側の描写がおざなりすぎることです。スーパーカーブームの洗礼を受けた僕らの世代は当然、フェラーリの味方なんですよ! ところがフェラーリ側がどんなに強くて素晴らしいかがきちんと描かれていない。何のカタルシスもありませんでした。ぶっちゃけ過去のアメリカやフォードの歴史が好きな人(アカデミー賞選考委員の老いぼれとか)以外、誰が面白いんでしょうか?」。すごい極端な意見だな(笑)。すごいな。はい。

ということで皆さん、メールありがとうございます。

「今どきの映画の流行りがどうだか知らねえけど、そういうのをやらせたければ、オレに頼まない方がいいぜ!」

『フォードvsフェラーリ』、私もですね、TOHOシネマズ日比谷でIMAX字幕、そしてTOHOシネマズ六本木で普通の字幕で、見てきました。特にIMAX字幕の方はですね、成人の日だったこともあるけど、ほぼ満席で。すげえ入ってましたね。ということで、1963年、フォードとフェラーリという非常に対照的な自動車メーカー間で、買収話が決裂した結果、確執が生まれて。そのヘンリー・フォード二世社長がですね、ル・マン24時間耐久レースへの参戦を決意して。

最初はいろいろうまく行かなかったんだけど、1966年に見事フェラーリを打ち負かして優勝を果たす、というモータースポーツ界の伝説的実話の映画化。これ、ちなみにA・J・ベイムという方のノンフィクション本が日本でも出てるんですけど、もう絶版で。それで、今回の期間中に入手できず、こちらは未読です。これはちょっと申し訳ございません。これを読めば、さらにその事実との違いとかをいろいろお話しできたと思うんですけど。ちょっとすいません、今回、そちらには手が回らなくて。

で、この映画化の企画自体は、結構前、2011年頃から動いていたもので。今回最終的にその製作総指揮という形でクレジットされている、マイケル・マンが監督、ということで話が始まって、まあいろいろと紆余曲折があった果てに、今の座組になったんですけど。パンフレットに載ってるマット・デイモンのインタビューによればですね、今回その実際に映画化されたバージョンのこの脚本の特徴は、彼が演じたキャロル・シェルビーと、クリスチャン・ベールが演じたそのドライバーのケン・マイルズ。その2人の関係、友情に、今回のバージョンは焦点を絞ってるところが特徴で。

それまでの……要するにマット・デイモンはかなり前からキャスティングに名前が挙がっていて。なんかもうちょっと別な役だったということもあるみたいなんですけど、まあ、(途中段階の)脚本を読んでいると。で、それまでの脚本のバージョンの中には……で、たしかに実際はたぶんそっちの方が事実に近いんだろうけど、要するに、エンジニアたちの働きをもっとドライバーと同等に、要するに「チーム」として、実際にそのフォードの優勝にはエンジニアたちの働き、活躍の部分が非常に大きかったということらしいんで、そっちを全面に描いたものというのもあったようなんですけども。

でも、まあなんにせよ結果として、今回監督を務めた、ジェームズ・マンゴールドさん。このムービーウォッチメンでガチャが当たって評したところで言うと、2017年6月17日の『LOGAN/ローガン』。これは公式書き起こしが残ってますので、そちらもぜひ読んでいただきたいんですが。その時の評の中でも言った通りですね、このジェームズ・マンゴールドさん、フィルモグラフィー的には本当に多岐に渡る。いろんなジャンルを職人監督的に手がけて。しかもそれがわりとどれも高打率、いい作品が多いという。僕的には非常に信頼感がある監督ですね。

『17歳のカルテ』とか、『ウォーク・ザ・ライン』とかもいいんですけども。中でもやはり、1997年、スタローンがシリアス演技に挑戦、『コップランド』であるとか、2007年、これはもう傑作、リメイク西部劇ですけど、傑作だと思います、『3時10分、決断のとき』。そして『LOGAN/ローガン』もここに加えていいでしょうけど、要は、骨太で泥臭く男臭い、リアルなアクション物で一際輝くものがある、ということを私、評の中で言いました。で、さらに加えて言うなら、その作風っていうのは、『LOGAN/ローガン』評の時にも引用した様々なそのインタビュー発言からもうかがえる、ジェームズ・マンゴールドさんの、キャラクターというか、気骨。

要はですね、「今時のウケる映画の流行りがどうだか知らねえけど、そういうのがやらせたければ、オレに頼まない方がいいぜ!」みたいな。カッコいいんですよ、なんか。一種反時代的な、反骨精神の反映でもあるように思える。たとえばですね、さっき挙げたようなジェームズ・マンゴールド監督作に見られる、世間的な成功とか称賛とかの影に隠れがちな人物の、もがきとか挑戦、達成にこそ、真の偉大さを見出す、という。その眼差しみたいなものですね。それは、脚本家はそれぞれ違う。あと、ジャンルとかトーンもそれぞれ違う。職人監督的なスタンスで関わった作品たちであるにもかかわらず、やっぱりジェームズ・マンゴールドのフィルモグラフィーを見ていて、やっぱりある種の一貫性、作家性のようなものとして、はっきりと刻印されている、という風に僕は思うわけです。

■迫力のカメラワークや編集のリズム感など、プロドライバーの感覚をアナログ的ストレートさで見事に表現しきっている

で、実際に映画の作り自体も、60年代、70年代的な風格、あるいはザラつき、ひりつき、アナログ感を感じさせるタッチだったりもしてですね。まあ『LOGAN/ローガン』とかもそうでしたよね。ということで、ともあれさっき言ったように、最終的な脚本では、そのシェルビーとマイルズという、言わばそれぞれにタイプの異なるはぐれ者、反逆児コンビと、その会社としてのフォードが振りかざす世俗的な論理や価値観との対立、というところに焦点を絞ったストーリー。そして、1966年の『グラン・プリ』であるとか1971年の『栄光のル・マン』……これね、今回の劇中でもサラッと、ル・マン映画のパイセンとしてのスティーブ・マックイーン、名前が触れられていましたけども。

『グラン・プリ』とか『栄光のル・マン』あたりの、60年代、70年代のレース映画、あるいはアメリカ映画感、みたいなものも思い起こさせるような、アナログな、奇を衒わない、地に足のついた、骨太な映画としてのタッチ。「ああ、昔はこういう映画がたくさんあったし、やってたな」としみじみ思わされるような、そんな感じ。そんな諸々が、まさにジェームズ・マンゴールド監督の、僕がさっき言ったような資質にどんぴしゃでハマった、という。それはよくなるに決まってるな、っていう1本に仕上がってるなと思いますね。

で、もちろん肝心のレースシーン。これね、町山さんもおっしゃってましたけど、車両はすべて本物の車を走らせ、そして当時のル・マンのコース……ル・マンの今のコースは当時と全然景観が変わっちゃってるということで、ジョージアのあたりにそのコースを再現して。それで実際に走らせてですね。それで、やたらとカメラがダイナミックな動きまくるような……たとえばドローンを使ったり、あるいはVFXを使ったりとかっていうような、今時っぽい、トリッキーなショットなどは入れずに、地面スレスレにセッティングされたカメラ、そして何よりドライバーたちの表情に肉迫するクローズアップ……これね、撮影監督のフェドン・パパマイケルさんという方。これはジェームズ・マンゴールドさんと何作も組んでいる方ですけど、そういうカメラワークであるとか。

そして、ブーンとやっていて、すごい迫力、すごいスピードで走ってるというそのスピード感でワーッと圧倒されるんだけど、時折挟み込まれる、ドライバーが「ゾーン」に入った時の静寂……からの、また突然の事態がまたブワーッと来る、みたいな。そういう、編集による緩急のリズムなどによってですね、常人には普通想像もつかない、危険で孤独なそのプロドライバーの感覚というのを、そのアナログ的ストレートさで見事に表現しきっている、という感じ。ちなみにその「常人には想像もつかない」っていう世界を、初めて実際に垣間見てしまったその社長のフォード二世が……というこの中盤のシーン。

これ、演じるトレイシー・レッツさんの見事な演技も相まって、本当に爆笑もの、かつ、でもしっかりと味わい深い……つまりあの社長はビビって「うわっ!」ってなっているんだけど、同時にやっぱり、車会社、そのお爺さんから受け継いだ会社の誇りもあって、感激もしている、という。すごくやっぱりニュアンス豊かなシーンになっていて。非常に印象的な場面にもなっていましたよね。

■さりげなくも研ぎ澄まされた演出と俳優陣の演技

そんな感じで、事程左様にですね、レースシーンが本当に、全身に力が入って、思わず身を乗り出してしまうド迫力に満ちているのはもちろんのことなんですが、たとえばその社長のくだりのようにですね、主人公2人を囲む周囲の人々のリアクション。その繊細な演技とか、さりげなくも研ぎ澄まされた演出とかがですね、実に実に堂々と見事、味わいがいがある作品でもありまして。細かいところなんですよね。

たとえば、あのリー・アイアコッカですよ。あのクライスラーを建て直したとか、いろいろな逸話を持つ名経営者、リー・アイアコッカを演じる、ジョン・バーンサルね。ジョン・バーンサルは元々、本当にいい役者ですけども、ジョン・バーンサルが今回、リー・アイアコッカとして出ていて。基本的にはそのフォード側の人間、つまり会社のビジネスマンとしての立場でそこにいながら、セリフじゃなくてあくまでちょっとした表情の微細な変化、ニュアンス一発で、「本当は主人公たち側に共感してるんだ」みたいなのを、これは全体に通じる視線として示しているんです。

彼が見る目線によって、その主人公たちへの共感というのを、観客たちも共有できるようになっている。という非常に重要な役柄を、しかもセリフではなく……セリフ上では会社側を代表して「わかってくれよ……」みたいなことしか言わないのに、こうやってちょっとした表情とか目の輝きとかでら「ああ、こいつやっぱり本当は主人公たちのチームでいたいんだ!」みたいなのがわかるという。まさにいぶし銀の名演。助演とはこれ! という名演ですね。

あと、そのリー・アイアコッカとか、本作におけるわりとはっきりした「悪役」である副社長を演じるジョシュ・ルーカス。このジョシュ・ルーカスも上手いね。彼が演じるレオ・ビーブさんという、先ほどから話題に出ている憎き副社長……でもね、こういう人は社会のあらゆるところに本当にいるよねっていう。要は、「自分、ちゃんと仕事してますから」感を出すためだけに、余計な横槍を入れてきて。で、誰得な事態を招いて。でもその誰得な事態には責任を取らない、というね。何なら人のせいにもしてくる、みたいな。そういう人、めっちゃいますよね? アハハハハハハハハッ!

まあ、とにかくその悪役たる副社長と、さっき言ったそのトレイシー・レッツさんが本当に、尊大さと、あとは若干の人のよさっていうか、甘さみたいなところを……要するにお坊ちゃん感も絶妙にブレンドした按配で演じてみせる、その社長のフォード二世。そしてマット・デイモンのシェルビー……この、リー・アイアコッカと、社長と、副社長と、シェルビーと、それからその向こう側に別のスタッフもいるんですけども、とにかくその社長室で一堂に会する中盤のシーン。最初のル・マンで成績をうまく出せなかったっていうので、シェルビーが呼び出されるシーンがありますよね?

ジェームズ・マンゴールド監督、本当に腕がある! 「これが映画の演出というものだ」という瞬間が多々現出する

ここね、彼らの位置関係……誰がどっちを向いているか、そしてどのタイミングでどう動くのか、どの方向を見るか、あるいは画面内でどう切り取られているかによって、この社長室内の力関係、パワーバランスが、シーンの中で少しずつ変化していくのが、絶妙に示されていく。たとえばですね、最終的にシェルビーが、その副社長……最初は場を仕切っていた、「もうあいつ外しましょうよ。レースとか、よくないですよ」とか言ってた副社長のいる場所を越えて、社長側に呼び出されて。そして、部屋にいる他の誰も見えない景色を、2人で共有する、っていうくだりであるとかね。

あるいはその手前。ずっと座ってそっぽを向いて、内側に怒りをため込んでいると思しきその社長が、ここぞというタイミングで、シェルビーの方に向き直る。その時の、「風向きが今、変わった!」感であるとかですね。あるいは他の連中は、車の模型が置かれた、四角に囲われた台の向こう側にいるわけですね。彼らはやっぱり、その枠から出れない、っていう切り取られ方であるとかですね。で、その中間にアイアコッカがいて、その両側の成り行きをハラハラしながら見ている、とかですね。とにかくこういう、一見地味な会話だけのシーンに見えるけど、人物の置き方、動かし方、目線の移動の仕方で諸々を語っていく、という。これ、こういう一見地味な会話だけのシーンでこそ、僕は映画監督の技量というのが出るものだと思うんですが。これはまさにお手本のような、見事な、複数による会話シーンだと思います。ジェームズ・マンゴールド、本当に腕があるな!っていう感じだと思います。

あるいはですね、デイトナでの勝利というので打ち上げっていうのをした後の夜にですね、ノア・ジュプくんという、『ワンダー 君は太陽』のちょっと最初に意地悪だった子、あとは『クワイエット・プレイス』などにも出ていました、非常にもはやおなじみのノア・ジュプくん演じるケン・マイルズの息子ピーターがですね、ル・マンのコースの絵を書いている。で、クリスチャン・ベール演じるそのお父さんが、コース各所の説明をしてあげる、というシーンがありますよね。

あそこはもちろんですね、後に来るクライマックスの、ル・マンでの実際のレースシーンで、コースごとのですね、その地理的状況っていうのを観客に理解させる、そのイメージを観客に先にインストールしておく、という、そういうわりと実際的な役割を当然、果たしているわけなんですけども。お父さんがですね、「じゃあ説明するよ」ってコーナーを指でなぞって説明を始めると、その瞬間から、遠くからうっすらと、自動車の走行音が、わざとらしくない音量で流れ出す。それによって観客も、未来のレースシーンをイメージしやすくなるよう、さりげなく音を入れている、とかですね。

似たようなところで言うと、途中で、フォードの最初のル・マン参戦でチームから外されてしまったマイルズが、倉庫の中で1人、レースの様子をラジオで聞いているという、非常に切ないシーンがありますね。あそこで、会場の音、実況が鳴り続ける中ですね、倉庫の表のところを、キャリアカー、車両運搬車みたいのが通るわけですね。要するに上に車を積んでる車が通るわけです。で、その影が、壁に映っている。

ケン・マイルズの向こう側の壁に映っていて……つまりこれ、実況されていて「ウォン、ウォン、ウォーン!」って、さっきと逆ですね、だから実際のレースの音が流れてる向こうに、あたかもマイルズが脳内に思い浮かべているイメージとしての車たちっていうのが投影されているように見える、というショットで。非常にショットとして美しいし、演出として品がいい、というあたりだと思います。見事だなっていう風に思いますね。

あるいは、レースが終わったその直後。マイルズに向けて、そのエンツォ・フェラーリ社長が示す、無言の敬意の仕草であるとか。実際には、1966年のル・マン会場に、エンツォ・フェラーリさんは来ていなかった、ということらしいんですけどね(笑)。なのであれは完全に映画向けのアレンジだそうですけども。とにかくここも……要するに最後のところです。レースが終わった後、誰が誰を見ていて、見ていないのか?っていうところに、物語的なテーマ、メッセージが、スマートに示されているわけですよ。要するにエンツォさんは、自分でやっぱり汗を流す人だから、分かるわけですね。なんていうか、「これが映画の演出というものだ」という瞬間が、多々現出する映画だ、という風に僕は思いますね。

うっとりするような美しい車や60年代末ならではのディテールのリッチさで眼福

もちろん主演の2人……特にやはりですね、こういう世を拗ねた変わり者の天才みたいなものを演じさせたら、まあクリスチャン・ベール、よくないわけがないよね。それはもう当然、ハマっていますよ。それはね。ですし、対照的に、常に一歩引いた立場から……つまり、本当は自分の手でハンドルを今でも握りたいだろうに、もう身体が悪いから握れない、その情熱をマイルズのドライビングにシンクロさせることで昇華させていく、という、ある意味要は、相対的にマイルズに対して地味というか、役柄的にはちょっと損ともいえるシェルビー役。これはやっぱりマット・デイモンの、「優等生型天才」感。まあこれ、当然ハマらないわけがない。

ちなみにですね、かつてのいろんなキャスティング案であった、トム・クルーズ版シェルビー。これはハマりそうですね。これはこれで超ハマりそう。たぶん、もうちょっと感じが悪いんだと思いますよね(笑)。トム・クルーズ版のシェルビーも超ハマっていただろうな、と思うけど、マット・デイモンは見事なもんでした。個人的にいいなと思ったのは、カトリーナ・バルフさんが演じるマイルズの奥さん。これ、特に立ち姿のシルエットが、さすが元モデルっていう感じで、素晴らしく美しい方でしたけど。

彼女がそのね、あきれ顔で見守る中、マイルズとシェルビーが……これは予告でもやってますけど、まあ喧嘩をするわけです。ただ喧嘩なんだけど、明らかにこれは言わば「仲直りのための喧嘩」を始めるわけです。要するに、シェルビーが謝った途端に、始まるじゃないですか。だからつまり、もう仲直りするよ、というための喧嘩が始まると。で、そこの中で、途中でですね、いろんな面白いところがあるんだけど、散らばったものを使って反撃しようとするっていうね。買い物帰りなので。

それで反撃しようとする時、そのマット・デイモン演じるシェルビーが、一瞬、ビール缶を手に取るんだけど。たぶん「これじゃ危ない」っていう風に判断したのか、すぐにそれは捨てて。それで、そこにあったポップコーンかなんかの袋に持ち替えて、マイルズの頭にバーンと叩き込むわけですよ。つまり一瞬で……一瞬の甘噛み仕草?(笑)とかね、細かいんですよ。すごい細かいところにも豊かな機微っていうか、そのキャラクターの気持ちとか、そういうのが入っている、っていうことで。

だからね、ちょっとした表情の変化とか、ちょっとした仕草とかに、チャームとか、あるいはさっき言ったような物語上の意味とか(が込められている)。あと、本当に視線のやり場みたいなのがすごく重要な意味を示していたりね。これが本当に僕は、映画の演出だ! というような感じがしましたね。あと、もちろん免許を持っていない僕が見てもね――これ、免許を持ってないので、たとえばいろんなその中の部品のこととか分かってない、というところはあるんですけど――免許を持ってない僕が見ても、うっとりするような美しい車たち。

もちろんその、フェラーリとかフォードGT40といったレースカーももちろんなんですけど、たとえばシェルビーが前半で、プライベートで乗っているあのポルシェとか、あと最後の方で出てくるアストンマーチンとか。あの美しい……なんていうかもう、画面に出てくる車とか、あるいはちょっとしたもの、あるいは服装とかも含めてですね、60年代末ならではのディテールのリッチさ、それを眺めるだけでも、もう本当に眼福!っていう感じもございました。

■「かつてあったアメリカらしいアメリカ映画」として万人にオススメ!

で、まあ先ほどから言ってるように、テーマ的にも実は、ものすごく万人向けだと思います。もちろんその、天才ドライバーと元天才ドライバーかつカーデザイナー、という立場ではありますけども、要は「現場 vs トップ」とかね、あるいは「実際に汗をかいてる側 vs 金を出して彼らを使う側」とかですね、非常に普遍的な……資本という論理の中で、我々はどっちにしろ生きてるわけで。何らかの組織と関わって、あるいは何らかの資本の中で動く以上は、大人であれば特に誰もが、どこか思い当たるところがあるはずの話でもあるわけですよ。

ということで、だから非常にコミットしやすい話に落とし込んでもいる、というあたり。なのでさっきから言っているように、演技よし、演出よし、そしてもちろん手に汗握るレースシーンよし、普遍性のあるストーリーよし。今どき珍しいほどはっきりと色分けされた悪役……今どきあんな最初から最後まで悪い奴っていうのも、なかなか珍しいぐらいだと思うんだけど、そのはっきり色分けされた悪役、とかの分かりやすさももちろんあって。

なんかストレートに、いわゆるかつてあったアメリカ映画らしいアメリカ映画、みたいなところ……殴り合いで仲良くなるとか、そういうとこも含めてですね、いわゆる「かつてあったアメリカらしいアメリカ映画」という中で、非常に高い打点を生み出してるというかですね。ジェームズ・マンゴールド、やっぱり本当に本当本当に、何気に腕がある人だな、ということを実感させるような。本当にストレートにいい映画でございました。わりと万人に、ストレートにおすすめでございます!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『パラサイト 半地下の家族』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

(ガチャパートにて)

『フォードvsフェラーリ』、ちょっとひとつだけ、おまけ的に。個人的な、すごく個人的な話なんですけども。僕自身、免許とか持っていないんだけど、おじいちゃんとおじさんがですね、自動車整備工場をやっていて。なので、特におじさんの方の佇まいが、今回のクリスチャン・ベールのケン・マイルズの、あのつなぎを着て……で、ちょっと猫背で。ちょっと世を斜めに見ているようなこのムードとかがね、すごく僕のおじさんに似ていて。それもすごいね、「あっ! そういえばうちって、実は自動車ラインもあったな」っていう。ケン・マイルズのあの感じ、特に自動車整備工場で働いている感じが、「あっ、おじさん、こんな感じだった!」っていう。それも個人的にすごく思い出したような感じでございました。

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