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宇多丸、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』を語る!【映画評書き起こし 2019.12.27放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(2019年12月20日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』。(BGMを聞いて)これ、今回の『スカイウォーカーの夜明け』の「♪ドジャーン」ですか? ああ、そうですか。高橋ヨシキさんの(特集)「スターウォーズひとり総選挙」にちなみましてね……なんて、こんなことをやってると時間が伸びてしょうがない。

2015年の『フォースの覚醒』、2017年の『最後のジェダイ』に続く新三部作(シークエル・Sequel)の三作目にして、1977年の第一作『新たなる希望』から始まった物語の完結編、ということになっております。反乱軍とファースト・オーダーの戦いの黒幕がついに明らかになる。主な出演は、過去二作に続きデイジー・リドリー、ジョン・ボイエガ、アダム・ドライバー、オスカー・アイザック。

また、ランド・カルリジアン役のビリー・ディー・ウィリアムズや、2016年に亡くなってしまったレイア役のキャリー・フィッシャーが『フォースの覚醒』未使用映像を用いて出演するなど、旧シリーズのキャストも集結しております。監督は『フォースの覚醒』のJ・J・エイブラムスが再登板となりました。本当はね、コリン・トレボロウさんがやる予定だったのが降板して、J・Jが戻ってきた、という形になっております。

ということで、この『スカイウォーカーの夜明け』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、ここに来て今年最多クラス。やはり『スター・ウォーズ』ですからね、そりゃあそうでしょう。 賛否の比率は、褒めの意見と、ダメという意見と、「悪いところもあるが良いところもあった」という意見がそれぞれがほぼ同数。三つ巴の状態です。

褒めてる人の主な意見は、「私たちの見たかった『スター・ウォーズ』が帰ってきた!」とか、「アダム・ドライバーやデイジー・リドリーの演技が見事。特にアダム・ドライバーはすべてのシーンが素晴らしかった」とか、「未消化な部分はあるにせよ、前作『最後のジェダイ』の後を引き継いでよく完結させてくれた。J・J・エイブラムス、ありがとう」とお礼を言う意見。出来はともかく、『スター・ウォーズ』サーガが完結したことに感動してる人が多かった、ということでございます。

一方、否定的な意見は、「後付けの設定が多すぎる。テンポもひどい。単純に一映画としてとして面白くない」とか「前作で与えられた重要な設定がいくつかひっくり返されていてびっくり。結局シークエル、今回の三部作全体が失敗だったのでは?」「これならまだ新しいことに挑戦しようとした前作の方がましだった」などなどございました。

■「J・J・エイブラムスさん、ありがとうございました!」(byリスナー)

というところで代表的なところをご紹介しましょう。褒めている方。「ジャイアントあつひこ」さん。「『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』、東宝シネマズ日本橋のほぼ最速回で見てきました。端的に言って『J・J・エイブラムスさん、ありがとうございました!』と伝えたいです。エピソード8の、何も話が進まず、本筋と関係ない話を撒き散らかした状態からよくぞここまで持ち直してくれました。

今、巷では『過去作ファンへのサービスばっかりだ』とか『話に意外性がない』という話になってるみたいですが、僕からしてみればあのエピソード8の状態から納得のいく形で物語を完結させてくれたことは偉業だと思うし、『スター・ウォーズ』サーガにちゃんとフォースを宿してくれたJ・Jに感謝の気持ちでいっぱいです」と。まあ、いろいろと書いていただいて。

「……あと本作で絶対に言及したいのがアダム・ドライバーです。マジで彼は何者ですか? すごすぎます。僕のエピソード9の振り返りたい名シーン全てがもうアダム・ドライバーの場面ばかりです。この映画はアダム・ドライバーありきの映画だったようにも感じます。正直、巻き返しかのように話がガンガン進んでいく感じや、都合のいいフォースやサプライズもいっぱい出てきますが、それがエピソード9の祝祭感を演出する作りになっていて、これでこそ大団円だと思えるとても幸福度の高い1本でした。3人の青春群像劇、これにて完結!」ということでございます。

一方、ダメだったという方。「皇帝ハギパティーン」さん。「私は平成3年生まれ、『ファントム・メナス』どんぴしゃ世代です」と。で、いろいろ書いていただいて。「20世紀フォックス、そしてルーカスを引っ剥がしててまで、半ば強引に制作されたこの新『スター・ウォーズ』シリーズ、はっきり言って嫌いです。というより今作『スカイウォーカーの夜明け』を経て、エピソード7から9がまるっと嫌いになってしまいました。

エピソード7は、ファン感謝祭。これからの『スター・ウォーズ』の門出を祝うお祭りでした。そして続編のエピソード8。退屈な映画ではありましたが、ファンに媚びるのは潔く止め、新しいことをやってやるという心意気はありました。しかし今作はどうでしょうか? エピソード8の悪評を受け、再び媚びはじめてどっち付かず。シリーズ全体が統一性のない、ものすごくいびつな形になってしまった印象が拭えません。こんな中途半端でダサい作品が『スター・ウォーズ』の正史(カノン)になることが悔しくて、エンドロールを見ている間、悲しくて涙が出てきました」という。

「……今作最大の問題はシンプルに映画としてつまらないこと。全体的に話の進むテンポが速く、内容はおろか感情がついていかない。乗れない。途中でどうでもよくなる。こんなどうでもいい『スター・ウォーズ』は初めて。何か見つけたら次の場所へ。何か見つけたら次の場所へ。まるでテレビゲームのような単調なストーリー展開にも飽き飽きしてしまった。最後の最後までグッと来ない。すべてが記号でしかない」ということで。「……キャスリーン・ケネディ、俺をあんたを許さない!」と。要するにルーカスから製作のバトンを渡された、一応最高責任者、シュプリームリーダー(Supreme Leader)こと(笑)キャスリーン・ケネディさんにちょっと恨み言、というメールでございました。

 

■「次作に投げっぱなし」を繰り返してきたエピソード7、そして8

さあ、ということで私も『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』、TOHOシネマズ六本木と、バルト9で2回、これ、ちょっとすいません、吹き替えでは見られておりませんが、見てまいりました。ということで、位置付けはもう省きましょうかね。今日、ちなみに。決定的なネタバレみたいなことはしないつもりですけども、もちろん内容にはいろいろ触れますし、もちろん私のテンションそのものが一種のネタバレだということもあるかもしれませんから、情報を入れたくない方はね、もうぜひぜひね、30分後にお会いしましょう、ということで結構でございます。あとは見た後に聞いていただくとかね。

はい。ということで、ディズニー体制下でのシークエル、三部作完結編にして、九部作の締めくくり、という位置づけとされている本作。ご存知の通り『スター・ウォーズ』というのは、既にまあ長い歴史を持つ、非常に広い世界観を持つシリーズになっているので、人それぞれ、どの作品からどのようにして『スター・ウォーズ』に触れてきたか、などによって、その『スター・ウォーズ』観、当然その作品評価も、大きく異なってくるわけですね。特に、賛否が激しく分かれた、問題作と言っていいでしょう。前作にあたるエピソード8『最後のジェダイ』以降は、『スター・ウォーズ』ファンを自認している人たちの中でも、小さくない分断、断絶が生じていて……というのが現状だと思います。

なぜそうなってしまったかと言えば、まあいろいろあるけども、大きく言えばやっぱりそれはひとえに、創造主たるジョージ・ルーカスの手をシリーズが離れたことで、『スター・ウォーズ』というシリーズの正統性を担保してきた「軸」が、一旦なくなったわけですよね。で、その意味ではだから、個々の作品に、たとえばそのプリクエル(Prequel)にファンが文句を言うとしても、構図としてはまだシンプルだったんですよ。「ジョージ・ルーカスさん、ちょっとちょっと!」みたいな感じで、まだシンプルだったんですけど。その文句を言う「軸」すらなくなっちゃった、という状態。

で、そのルーカスから製作のバトンを渡されたはずの、そのキャスリーン・ケネディさん。先ほどのメールにもありましたけど、どうも仕切りきれていない、というかですね、実はその、確固たる全体的なビジョンや計画がないままここまで来ちゃってるんじゃないか、とすら見えるような感じになっている、ってことですね。少なくともシークエル、長編の三部作に関しては、という感じですね。まあ時に本当に、ブレブレのグダグダになってしまっていると。

もちろんでもね、たとえば、早くも非常に評判の高いテレビシリーズ『マンダロリアン』とか、あとはもちろん『ローグ・ワン』とか『ハン・ソロ』とかも入れてもいいですけど、そういうスピンオフ作品だったら、いろいろとたくさん作る中で、玉石混交いろいろとある中で、たとえばそれこそ『マンダロリアン』みたいに、文句なしにすごくいいものも中からは出てきたりもする、という感じで、ディズニー傘下で『スター・ウォーズ』世界が拡張していくこと自体が、一概に悪いとは言い切れないところもあるんだけど。

ともあれ、問題はやっぱり、肝心要のメインストーリー。やっぱりルーカスの手を離れて軸が一旦なくなったところで、キャスリーン・ケネディさんもなんか、軸にあんまりなってくれていない。なんなら、全体のプランを立てないまま進めちゃっているようにも見える、という状態。これは非常にマズいですよね。という中での本作、ということですね。まあ、言っちゃえば、エピソード7もエピソード8もそうなんですけども、「次作に投げっぱなし」を繰り返してきたわけですよ、このシークエルというのは。さあ、それにどう落とし前をつけるのか? お手並み拝見、というのが今回のエピソード9、ここまでの前提なわけですね。

■前作前々作から先送りしてきた「敵、どうすんだ問題」

で、ですね、あまりにもいろんな側面、見方ができますし、僕自身も正直、いろんな気持ちが錯綜していて、瞬間瞬間でそれは変わります。「『スター・ウォーズ』シリーズ完結編」っていう風にさっき、(TBSアナウンサーの)篠原梨菜さんが読んだじゃないですか。その瞬間にちょっと涙が出そうになるぐらい、そういう気持ちもあるんですよ。なので、ちょっと整理する意味でも、先に僕、大枠での結論から言ってしまいます。はい。それは……決して嫌いにはなれないですよ。

僕のこのね、最初見た時の、終わった後の印象ね……いろいろ強引にドカ盛りして、もう汗びっしょりで幕を引いている感じ。「はいもうこれで! これで、こうやってもう、これでこれでこれで、はいっ、わー終わったー! ほらどうですか? ほらはーい、終わったーっ!」みたいな感じ。そうやって幕を引いてみせた感じは、嫌いにはなれない。めちゃめちゃ頑張ったんだとは思うんですよ。嫌いではないんです。

でもそれ、よく考えたら……自分たちで蒔いた種だろ!っていうところもあって。つまり、やっぱり結局ですね、そもそも実は一旦、完全に終わってる話なわけですよね。エピソード6『ジェダイの帰還』で完全に終わった話を、無理やり続けただけの話に、結局はなっちゃった、っていうことなんですよね。そしてそのことで、過去シリーズの物語の重みを、相対的に、ものすごく軽いものにしてしまった。でもそれは実は、ディズニー体制的には都合のいいことかもしれない、っていうところもあったりして。

とにかくそういうところにしか、結局着地していかなかった。まあ今のところ僕としては、そう結論せざるをえない、という状態なんですね。もうちょっと具体的に言いますと、エピソード7『フォースの覚醒』は、公開当時から僕も評で言いましたけど、「新しい、魅力的な主人公たちの創造」っていう、これはなかなか難しいことを達成しているわけです。素晴らしいキャスティング、実力もすごくある演者たちの力もあって、見事に成し遂げていた。それだけで、実は相当偉い一作だと思うんですよ。新しいキャラクターが……しかも旧三部作の、たとえば「これはルークだね」「これはハン・ソロだね」っていう置き換えがあんまりできない感じの主要キャラクター、という感じ。

だから僕は、評の中でも言いましたけど、「これからは彼らの物語をこそ見たいと思わせてくれた」と。だからもう十分ハードルはクリアしたよ、ありがとう、なんならオヤジ接待(旧三部作ファンへの目配せ)のところは余計だよ、もういいから! ぐらいの感じでいたわけですね。ただ同時に、そのエピソード7は、さまざまな謎要素を、ちりばめるだけてちりばめて、次作以降に丸投げした、ある種大変にズルい、まあ「風呂敷を広げるのは上手いけど……」っていう、J・J・エイブラムスさんらしい作品でもありまして。

特にやっぱり、最大の問題はこれですね。「敵、どうすんだ?」っていう。「敵」っていうのはつまり、ラスボス、真の絶対的な悪、的な存在ですね。エピソード6でですね、そのアナキンが命を賭して、あるいはルークが人生をかけて取り戻したはずのフォースのバランス……まあ「宇宙の平和」と思ってください。で、それに対して、また新たな敵を出す、っていうのがね、下手なことすると、そこまでの話が台無しになる。つまり「アナキンは無駄死にだし、ルークの努力も意味がありませんでした」っていうことになってしまいかねないし。

かといって、ただの「相対的に悪い」キャラクターなんか出しても、スケールダウンじゃないですか、そんなのは。あのエピソード6までのシスの皇帝に対しては。で、カイロ・レンがいるじゃないかっていうけども、カイロ・レンことベン・ソロさんは、もちろん明らかに、いずれは何らかの形で改心するであろうキャラクター造型なわけだから、これがラスボスということははありえない、という感じなので。『スター・ウォーズ』シリーズをエピソード6から受けるにあたって、一番の難題、「敵、どうすんだ問題」というのがあったわけですよ。

で、エピソード7を見た時点でもう、「うーん、これ、どうするんだろうな? まだ作品内で答えが出てないぞ」と思ったわけですよね。エピソード7では、そこに関してぼやかしたまま。エピソード8『最後のジェダイ』でも、少なくともあのスノークっていうのを一作目よりは随分ちっぽけな存在に見せて、ラスボスではないという……まあエピソード7から予見はできた範囲のこと、「シスじゃない」って言っていたわけだから、予見できていた範囲のことしか明かされなかった。

■引っ張りに引っ張った結果、「ラスボス、こいつかーい!」

それが、今回のエピソード9『スカイウォーカーの夜明け』ではなんと、恒例のオープニングロール、最初でこれまでの経緯みたいなのを説明するオープニングロール、その一段落目で、いきなり答えを出してくる!ということですね。で、私は「ドジャーン! ダララララー♪ テレーレーレレーレー♪」って流れてきた一段落を見た瞬間に……もう、ズコーッ!って、今年一番ずっこけましたね。まあ、もちろん予告編でも、思いっきり匂わせていたっちゃあ匂わせてましたけども。

「ああ、本当にこうなんだ……」っていう。引っ張りに引っ張った結果、結局こいつかーい! ラスボス、こいつかーい!っていう。なんなら作り手側もある種、いきなり最初に言っちゃうことで、開き直って見える感じですよね。「あーそうですよ結局やっぱりラスボスは、はーい! この人ですが何か? これしか結局思いつきませんでしたーっ! すみませんっしたーっ! でも、こうしないと話、進められないし、終わらせられないんで! まあそういうことで、話、進めていいっすか!?」みたいな。そういう居直りのような……まあ、ある意味「あっ、思い切りがいい……大変に思い切りがよろしい!」っていう感じもしましたね(笑)。

で、あのラスボス、一応伏せておきますけども、ラスボスの◯◯が率いる、ファースト・オーダーに対するもっとすげえ軍団! 「◯◯オーダー」!っていう。こんなバカなネーミング……って、もう震えてきましたけどね(笑)。そんな感じで……もちろん今回のような「◯◯は、実は△△していた」っていう展開は、過去にもたとえばコミックの『ダーク・エンパイア』とか、そういうスピンオフ作品、『スター・ウォーズ』の拡張世界作品では、全然あったものなんですけど。

ただ、やっぱり本編の長編作品でこれをやられちゃうとですね、さっき言ったようにまず、そのエピソード6までの話が、相対的にすごい、ひどく軽いものになってしまう。もっと言えば台無しになってしまう。僕はやっぱりですね……僕個人ですよ? どういう『スター・ウォーズ』ファンかっていうと、とにかく徹底的なルーク派なんですよ。圧倒的にルーク・スカイウォーカーに思い入れて見てる人なので。個人的にはちょっと、本当に許せない! ぐらいの感じなんです。本当はね。ただですね、これね、さっきも言ったように、ディズニー的には、この相対的に軽くしちゃうっていうのは、ひょっとしたら都合がいいことかもしれない。

というのは、これは高橋ヨシキさんとやり取りしていて教えてもらって、「ああっ!」ってなったことなんですけど、『スター・ウォーズ』の年表というか、『スター・ウォーズ』の年号の数え方があって。今まではヤヴィンの戦い、要するにエピソード4のデス・スター攻略、あの事件を基準にして「Before Battle of Yavin(BBY)/After Battle of Yavin(ABY)」っていう風にやっていたのが、今回のディズニーの公式のプログラムでは、しれっと年号の数え方が、「Starkiller Incident」っていう。つまりエピソード7から数えるっていう、「BSI(Before Starkiller Incident)/ASI (After Starkiller Incident)」っていういう新しい年号の数え方に、しれっと変えてるんですよ。

ディズニーがだから、そのシークエル中心の歴史観に、しれっと歴史改変してるんですよ。だから「ああ、旧作の扱いを軽くするのは意図的でもあるんだ……また腹が立つわ!」っていう感じもするっていうね。

■三部作なのにそれぞれ内容的連携がまったくとれていない

でね、まあいいよ。それはじゃあ、それはこれから話を続けるんで、必要だったとしよう。5億歩譲る。5億歩譲って、◯◯がラスボスで行くにしても……だったらもっと手前から、そこに向けた話づくりをちゃんとしようか?っていう。たとえばですね、主人公のレイの出自に関する話。真実を知ってガーン!とかは、本来、三部作なら真ん中の二作目、エピソード8とか、もうちょっと手前の方で済ませておくべきところですよね。だからこそ、その葛藤の乗り越えが完結編になり得るわけで。

この『スカイウォーカーの夜明け』だとその話、レイの出自云々とか、「お前は◯◯だ!」って知らされてガーン!→それを乗り越えます、っていうのが、一作の中で、ものすごい短いタイムスパンの中で、ネタの振りと回収を大慌てでやってるので、後出し感が半端ない。マッチポンプ感が。事程左様にこのシークエル、今回の新三部作、始める時点で、まさかとは思うけど、「大筋でこうしましょう」ぐらいすらも考えていなかったのか?としか見えないぐらい、三部作と言いながら……これはエピソード8支持派だろうが何だろうが事実として、それぞれの内容的連携が、明らかに全くと言っていいほど取れてない。だからこんな完成度の低い三部作になってしまったわけですよね。

だから、エピソード8で何かやるにしたって、そこはコンセンサスを取ってやっておけよ、っていうことじゃないですか。で、やるならやり切れよ!っていうことじゃないですか。それゆえ、一作内で一気に、全て幕引きをしなければならないこのエピソード9……もちろんそのエピソード8が話の進み的にものすごく停滞した、足踏みしてた作品だったってこともあるけど、でも同時に、エピソード7の時点から持ち越しのものでもあるわけで。要するに、ある種自業自得なんですよ。

この『スカイウォーカーの夜明け』は、エピソード8もそういうところがあったけども、「えっ、なにその話? 初めて出てきたんだけど?」的なことが、持ち出されては回収、というマッチポンプの連発になっていて。たとえばフォースの便利機能の大幅追加(笑)とかも相まって……「こんなこともできます、こんなこともできます」がどんどんどんどん追加されるのとも相まって、いくらなんでもご都合主義的すぎなところが、どんどん目立ってきちゃって。元々あったご都合主義が、どんどんひどいことになっちゃった。

特に途中、ラスボス◯◯がいると思われる惑星エクセゴルというのを探す、ためにシス・ウェイファインダーというのを探す、ためにシスの短剣を探す、ために△△に行って……って、ああ、まどろっこしいな! その宝探しの段取りが、端的にこれ、宝探し活劇として単調でつまんない。どうせ宝探しやるなら、それ自体が面白くしてくれればいいのに、すごく単調でつまらないし、展開もグダグダすぎて。

たとえば、カイロ・レンを迎え撃つために外にで出ていったレイを探しに行った、様子を見に行ったチューバッカさんが、えっ?っていうぐらい迂闊に、あっさりと捕虜になって。しかもその彼が運ばれていく宇宙船をですね、ゲーム『フォース・アンリーシュド』でそういう場面が出てきましたけど、地上からのフォース引っ張り……からの(フォース電撃)ビリビリで、「あっ、壊しちゃった!(ガーン!)」って。でも、「実はこうでした!」とか「間違えてました!」とか(後からすぐ安易なオチがつく)。

「C-3POのメモリーを消さなきゃならない。ああ、悲しい!」って思ったら、わりとすぐ「こうでした!」みたいなのとか。とにかく、今の時間は何だったんだ?っていうグダグダな展開が続き……みたいな感じですね。あえて言えば、その惑星キジーミでね、あれはちょっとクリスタル・ナハト(「水晶の夜」事件)を思わせる、雪が降る中でのファースト・オーダー軍の弾圧のシーンとか、あとポー・ダメロンの元カノっぽいあのゾーリさんとか、キャラクターとしては魅力的だと思うし。ただ、ポーに、今更のようにハン・ソロに寄せた設定を足してくるのとか、何だかなー、って思ったりするんだけども。まあ、いいや。それはね。

■ルーカスの手を離れたことで、旧シリーズの呪縛が強まってしまった

とにかくシークエルの三部作、これはそのポー・ダメロンに関してもそうですけど、シークエル三部作を通して僕が一番残念に思ってる、もったいないなと思うのは、エピソード7でせっかくあれだけ魅力的に立てた新しい主人公たちのキャラクター、演者のアンサンブルの魅力を、結局その後にあまり活かしきれなかったということ。これが一番もったいない。今回改めて、たとえば序盤でレイとフィンとポーの3人のわちゃわちゃ会話みたいなのをやってみせてるんだけど……エピソード8でそういう彼らの絆の積み重ねみたいなのが全く描かれていないので、今更なにを急にやっているんですか? お前ら、そんな仲が良かったっけ? みたいな感じが否めないんですよね。もったいない。

やっぱり後出し感、というね。で、なぜ彼らを活かしきれなかったのかというと、これはいろいろな原因があるにせよ、最大の要因はやはりですね、旧シリーズの磁場に引っ張られすぎてしまったから、ということですよね。まあエピソード7のその旧シリーズの磁場、オマージュみたいなのは、新シリーズへのスムーズな移行のために必要とされた、ある種の形式、必要悪としての形式、というところもあったと思うんですけど。

たとえばね、みんな「新しいことをやった」って言っているエピソード8も、僕からすると、ひたすら「旧シリーズに対する逆張り」っていう、つまり旧シリーズへのいびつなカウンター意識が強いっていうことだから、それで要するに旧シリーズとの……つまり、それ単体で成り立つ新しい『スター・ウォーズ』の可能性をエピソード8が示したわけではない、と僕は思っているので。むしろ旧シリーズを意識しすぎだって!っていうぐらいの感じだと思ったんですよね。カウンター、逆張り、逆張りなので。

一番象徴的なのは音楽の使い方ですね。エピソード7では、旧シリーズのいわゆるライトモチーフ使いっていうのは、非常に限定的なんです。最後の最後、ここぞっていうところでジェダイのテーマを流す、っていうところに抑えている。あくまでも新キャラクターのライトモチーフを中心に、「スカベンジャーのテーマ」とかを中心に構成してたのに対して、エピソード8と9は、ほぼダダ漏れ。今回は特に、たとえばXウィングを引き上げるところとかもう、エピソード5まんま風の場面にして、それと同じ音楽を流すという。

ちなみにですね、ジェダイが霊体になってもね……死んだ後に、霊体っていうあの透明な感じになって。霊体になっても、あんな現実世界に力を及ぼすフォースが使えるなら、あのー、ジェダイのパイセン方……普通に加勢をせんかい!(笑) 普通に力を貸さんかい! そんなんだったら! とにかく結局、ルーカスの手を離れた分、余計に『スター・ウォーズ』としての正統性の担保が必要になった……と作り手たちが過剰に考えた結果、旧シリーズの呪縛、磁力がむしろ強くなってしまった、という風にシークエル、結果的になってしまったな、という風に思います。

特に今回は、エピソード8での逆張りのさらにカウンターということで、後出しの保守化、というぐらいの感じが増えちゃってて。本当にそういうことになっちゃってる。その極めつけがやっぱり、「ラスボスが◯◯でした」みたいな。で、そのわりに、せっかくナイン・ナンがいてランド・カルリジアンがいるのに、そこの再会とかは描かないのか、とかあったりするんですけども。まあいいや。で、結果とにかく旧シリーズ、話的に、相対的に軽くなった。一方で今回のシークエルも、独自性があまり打ち出せずに終わってしまって、誰も得しないことになってしまった、というのがあると思います。

支持していたエピソード7を遡って下方修正するしかない、残念な三部作になってしまった

ただもちろん、新しいそのキャラクターたち、演者たちの魅力が、演技力も含めて素晴らしいというのはもちろん、今回のだってそうなんです。特にやっぱり、皆さんおっしゃる通り、アダム・ドライバー。もちろん役柄上、最も複雑かつ劇的な変化を重ねていく美味しいキャラクターなのもあるけど、とにかくずば抜けて光ってるし。何なら今回のエピソード9のカイロ・レン、ベン・ソロさんのキャラクター的な大きな展開、変化も、彼の演技力あってこそ……展開としてはある程度読める展開だけど、陳腐に見えないで、ちゃんと感動的なものに見えるのはアダム・ドライバー力、ということだと思います。

前半と終盤、同じ人なのに、全く違う人にちゃんと見えますよね。あれは本当に素晴らしいことだと思います。とか、いろいろと……まあデイジー・リドリーも、何て言うか、シリーズ史上こんだけ、全てを背負わされる役で。はっきりってむちゃくちゃじゃないですか。でも、全てを背負った人物、っていうのがある程度、説得力があるように見える、「主役」をやり切った、ということで。他の皆さんもすごくちゃんとやり切ったと思います。もちろん最終決戦ね、あまりにも多勢に無勢で、「ああ、もうダメロン……」からの、ドーン!とか。

あと、クライマックスで、レイとあの人との連携プレー。フォース機能でそんなこともできるのか!っていうのも含めて(笑)、そこもグッと来るし。何箇所か、それは落涙もしましたけども。でも、たとえば「歴代ジェダイが応援してるぜ!」みたいなのも、「お前、エピソード8で、リスペクトゼロだったじゃねえか!」とか……あとは、本来ならもう泣き死にしたっておかしくなかったはずのあのラストも「それ、エピソード8で1回、無駄撃ちしちゃってるし……あと、お前も“あの人”もここ、そんなに縁があったっけ? 結局、この絵面を見せれば自動的に感動すると思ってるんだろ?」みたいな風になって、なんか、醒めてしまう自分がいる。

あと、やっぱりレイとカイロ・レンのあの関係性で、「あの一線」を超えるのは、本当に粋じゃない!とかね。ということで、結論としては、あれだけ支持していたエピソード7を遡って下方修正するしかない、残念な三部作になってしまった。だけでなく、ディズニー体制下での歴史改変によって旧シリーズが軽くなってしまったということで、自分としては非常に残念な結果に終わってしまったなと……あ、時間です。はい、すいません。オモシロイヨ〜 劇場デ観テクダサーイ。

 

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週は、山本匠晃アナウンサーのベストを発表。再来週の課題映画は『家族を想うとき』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

 

 

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