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宇多丸、『アイリッシュマン』を語る!【映画評書き起こし 2019.12.13放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『アイリッシュマン』(2019年11月15日公開)。

オンエア音声はこちら↓

 

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品、『アイリッシュマン』『タクシードライバー』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などの巨匠マーティン・スコセッシ監督によるNetflixオリジナル映画。

第二次大戦後のアメリカ裏社会に生きた男たちの姿を描く。実在の殺し屋フランク・シーランを演じるのはロバート・デ・ニーロ。また、伝説的マフィアのラッセル・バッファリーノ役のジョー・ペシ、全米トラック運転組合委員長ジミー・ホッファ役のアル・パチーノなど、ハリウッドのベテラン俳優が揃って演じ、まさにオールスター映画という感じでございます。

ということで、この『アイリッシュマン』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量なんですが……「少なめ」。これはちょっと私、信じられませんね。だって、ねえ? もちろん劇場でかかっているのはちょっと少なめですけどね。アップリンクとかでしかやっていなくて。でもNetflixではいつだってどこででも見れるわけですから。まあ……Netflixの加入者っていうのがそんなに多くない? ……ええ〜。そんなわけないだろう?

いやー、このためにNetflixに入る、っていうぐらいでもいいぐらいだと思うんですけど。うん。いやー、これはちょっと私……その他のね、やれMCUだ、ゴジラだ、アニメだっていう時の数の感じからすると、うーん……。だからやっぱりね、(スコセッシらが映画界の近況に)ちょっと苦言を呈したくなる気持ちも分かるわよ、っていう気がしちゃうな。まあいいや。

賛否の比率は、褒める意見が8割。概ね好評でございます。褒めてる人の主な意見は「冒頭のカメラワークからしてすでに超一流」。たしかに、最初のね、あの介護施設みたいなところを、グーッと長いワンショットで、カメラがグーッとゆっくり進んでいくところで、前もちょろっと言いましたけども、「ああ、スコセッシの映画が始まった!」っていう感じがしますよね。

「スコセッシ監督らしいスピード感はなく、そのかわりずっしりとした人間ドラマ、歴史ドラマ、宗教性が味わえる」。たしかに『グッドフェローズ』とか『カジノ』みたいなスピード感というよりは、かなりどっしりした……まあカメラとかもね、わりとどっしりした置き方をしてたりしますね。「ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、アル・パチーノら名優たちの競演にしびれた」「過去の名作を総括するような、マフィア映画総決算的な一作」などなどがございました。一方、否定的な意見は「長い。ので冗長」「テンポが悪い」「説明不足」などといった不満が多かったという感じでございます。

■「体感としては1秒だったので、2回見ても実質2秒でした」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。「インターネット・ウミウシ」さん。「『アイリッシュマン』、Netflixで本編3時間半と『監督・出演陣が語るアイリッシュマン』約30分の、合計4時間を2回ウォッチしました。しかし体感としては1秒だったので、実質2回見ても2秒でした。宇多丸さんが今年評論されたクリント・イーストウッド監督の『運び屋』同様、いやそれ以上にパワフルな“老害かわいい映画”」。そうですね。たしかに。『運び屋』で、「老害かわいい」という言葉を使いました(笑)。

「……わがままかわいいアルパチーノと穏やか物騒なジョー・ペシの間に板挟みになりながら、ひたすら困り顔で(隠語で言うところの)“ペンキを塗り続ける”ロバート・デ・ニーロという、見ている間中、脳内から幸福な汁がとめどなく出続けてしまうほどに、贅沢ここに極まれりな1本でした。そしてこの映画はセリフや小道具を差し置いて、なによりも“目”で語る映画でした。特に娘・ペギー(アンナ・パキン)の目は一言も発さなくても何よりも雄弁に怒りや恐怖を訴えておりました。

ジミーやラッセルの言葉を受けた時のフランクの目も同様で、表情は大きく変わっていないのに目で動揺や落胆、悲しみを伝えており、世界を代表する役者ってすげえな! と思いました。まるでジェットコースターに乗せられているかのように序盤は音楽に継ぐ音楽でノリノリで見ておりました。しかし後半では人生の最盛期が過ぎたことを示すかのようにグッと静かなシーンが増えるのもたまりませんでした」。

あのクライマックスの1975年7月30日のくだりは、ほぼ音楽がないですからね。結構長く続きますけども、そこはずーっと音楽が流れない。あと、今回は既存の音楽使い……『グッドフェローズ』的な、サンプリング的な、そこはちょっと抑えめで。いま、後ろで流れているロビー・ロバートソンの、この渋いブルージーな、このサウンドトラックがわりと印象的でしたね。はい。で、ごめんなさいね。インターネット・ウミウシさん。

「……最後には、もう死にたいのに死ねない『火の鳥 未来編』のようなリンボー感がありました。家のペンキを塗る、ドアを少し開けておく、最後にフランクに話を聞きに来る男たちの前でかぶっていた帽子のロゴなど、細部に至るまで気が利いており、何度も見返して味わい尽くしたくなる映画でした」ということでございます。

一方、ダメだったという方、ラジオネーム「劇場版テンペスト4DX」さん。「長い。つまんないです。作品が冗長なのはNetflix作品全般に言える気がしますが、デニーロ、パチーノ、ジョー・ペシ、カイテルが共演して動いてること以外に価値が見いだせない。それら俳優に興味がない私はきつかった。どのようなテクノロジーが使用されているのか分かりませんが、俳優陣の若作りがうまくいってない。どう見ても成立していない。ただただきつい。悪いジョークにしか思えない。これだけ長い映画であるにも関わらず、たとえばホッファがいかに大物で影響力があったのか、映画的に説明できていない」というようなことでした。結構親切に説明してたと思いますけどね。

あと、この方。ラジオネーム「マフィアグッズ専門店」。「私はマフィアグッズ専門店というものをしていることもあり、『アイリッシュマン』をずっと楽しみしていました。2015年の制作発表から待っていたのでハードルはかなり上がっていましたが、結果的に期待を上回る完成度でした。大満足です。史実に詳しくなれば『うん?』となるところもあるのかなとも思いましたが、予備知識なしでも十分楽しめます。スコセッシ監督が関わった『ボードウォーク・エンパイア 欲望の街』(テレビシリーズ)、『グッドフェローズ』『カジノ』を見ていたら、改めて同じタイムテーブルの物語なのだなと感じさせる部分が多かったです。

コパカバーナが登場する点や、冒頭で語られるマイヤー・ランスキー、『グッドフェローズ』で語られるクレイジー・ジョーの話、カジノに出資するくだりなどなど。私は北海道の映画館にて鑑賞しましたが、時折笑いが起こり、最後には泣く人もいてとても良い雰囲気でした。私の年齢(26歳)的に初めて大作マフィア映画を映画館で鑑賞できたので、とても思い出深い一作になりました。これまでのギャング映画の落とし前とも、アンサーとも言える作品になっていると思います」というね。そうか、今やそういうことになってしまっているんですね、26歳の若者にとってはね。

■オレらにとっての『アベンジャーズ』、アメリカ映画史的にも集大成

はい、ということで行ってみましょう。私も『アイリッシュマン』、Netflixで2回、それからアップリンク吉祥寺、劇場でも1回、見てまいりました。アップリンク吉祥寺は、Netflixとか使っていなさそうな年配の夫婦客とかが多かったということで、やっぱりちゃんとこういうの(大人向け大作)の需要は(映画館にも)あるんだぞ、という感じもしましたけどね。ということで、巨匠マーティン・スコセッシ最新作。

まあ歴史的名作『グッドフェローズ』『カジノ』に連なる、彼の真骨頂たる「実録マフィア物」。しかも、ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、さらにはハーヴェイ・カイテルといった、言わば生え抜きのスコセッシ組の面々に加えてですね、スコセッシとはこれが初顔合わせになる、アル・パチーノ……なんと言っても、特に『ゴッドファーザー』『スカーフェイス』という説明不要のギャングスタームービー・クラシックスに出演という、そんなアル・パチーノまで参加しての、まさに「俺らにとっての『アベンジャーズ』」。映画ファンにとっての夢の競演、オールスター大集合作品で。

なおかつこの本作は、フランク・シーランという、アメリカ裏社会で暗躍してきた実在の殺し屋の告白を元にした、チャールズ・ブラントさんによるノンフィクション小説、これはハヤカワ・ノンフィクション文庫から上下巻で出ておりますが、これを原作に、ジミー・ホッファ失踪事件……これね、ジャックニコルソン主演の1992年の映画もありました。あれはまあ推測で、その真相というのを描いたりしてましたけど。そのジミー・ホッファ失踪事件の真相というのを中心にして、彼が率いたその全米トラック運転組合(チームスターズ)とマフィアの癒着……これはたとえば、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』でも出てきた話。あれでね、ホッファを思わせる人物が出てきたりしましたよね。そんなのでも描かれてましたし。

あるいは、キューバ革命後のCIAの暗躍……キューバ革命といえばね、当然『ゴッドファーザーPart2』でそこが大きな事件として描かれていたりしましたし。あとはその後、バラキ公聴会ことマクラレン委員会……チャールズ・ブロンソンがバラキを演じた『バラキ』という作品がありました。そのバラキ公聴会とか。あとはそこから先の、ケネディ暗殺からウォーターゲート事件などなどまで、要はマフィア物、ギャング物を中心に、これまでアメリカ映画が何度となく、様々な角度から描いてきた、アメリカ近現代史の影の部分を、言ってみれば「闇の『フォレスト・ガンプ』」的に、横断的に駆け抜けていく。

フランク・シーランさん、本作ではそこは比較的サラリと流していますけども、ケネディ暗殺にまつわる諸々とか、「ここにも関わっている!」「ここにも関係している!」みたいな感じ。その意味でもまさに、アメリカ映画史的にも一種集大成的な一作でもあって、ということですね。あとは、さりげない『ゴッドファーザー』オマージュとかも、あちこちに散りばめられていたりしますけども。

■正統派ながら、Netflixならではの「今」の映画でもある

そんな、当然のごとくこれは35ミリフィルムで撮影された、まさしく昔ながらの、堂々たる正統派の「映画」がですね、同時に、たとえばその主要キャラクターたちの年齢を、デジタル的にコントロールする、言わばスコセッシの言葉によると「CGによる特殊メイク」。

とは言っても、あの『ジェミニマン』的なですね、まんまそれをガッツリ再現する、というよりは、あくまでもちろんメイクレベル、雰囲気……要するに、「それ自体が見世物になるような感じとまではいかない」感じなんですけどね。それは僕、一種スコセッシの矜持でもあると思うんですけど。まあ、そのデジタルメイク……なんだけどそれは、名優たちの演技の邪魔にならないよう、最小限の目印・ドットだけつければすむ、その代わり、カメラを違う角度から同時にいくつも回さなければいけないという、新開発の、まさに最先端の映像技術が大幅に導入された、つまり2010年代末の現在でなければ創られえなかった、紛れもない「今」の映画でもあるわけです。

ものすごい昔ながらの映画の流儀だけど、今じゃなきゃ無理だった、っていう映画でもある。で、そのせいで莫大な額に膨れ上がった製作費を、最終的に請け負った、配信サービスの雄・Netflix。で、先ほどの方がおっしゃられた、その『アイリッシュマン』を語る座談会(『監督・出演陣が語るアイリッシュマン』)の中で、スコセッシ自らも、いま、その「映画」の見られ方、あり方っていうのは、トーキーの導入以来の変化の時を迎えているという、そういう認識のもと、どこでどう見られるか……つまり、昔だったら劇場での回転数がありますから、上映回数の関係で、長尺、3時間半なんていうのはまあ、嫌われるわけですね。

で、いまだったらもう、シネコンとかでも、そんなのはいろいろと回転が狂っちゃうから嫌だ、ってことになるんですけど、「そういうのを意識せずに、ただただ純粋に作品を作ることに専念した」みたいなことをスコセッシは言ってるわけですけど。だからたとえば、この3時間半という長尺も、実はですね、Netflix作品だからこそ可能になった、「今の映画」の形のひとつかもしれないわけですよ。だってそのNetflixで、ドラマシリーズ一気観、とかに比べれば、3時間半なんか全然別に長くないんですよ。そういう、だから逆に3時間半っていうところは、今っぽい、Netflixならでは、ってことも言える。

つまり、本作の語り口と同様ですね。過去と現在、伝統と今、古さと新しさが、混然一体に、等価に機能している。スコセッシ流の、映画そのものによる時代への回答。それがこの『アイリッシュマン』というとてつもない作品なのではないか、と私は思うわけですね。

■「今(1990年代末)」「1975年」「1950年代」という3つのタイムライン

ひょっとしたらスコセッシの過去の作品──特にやっぱり『グッドフェローズ』ですね。『グッドフェローズ』とかを見慣れていない人にはですね、序盤、何の説明もなく飛び交う固有名詞とか、隠語。もちろんね、あの「家にペンキを塗る」っていう……つまり、殺しなわけですけど。これはどういうことなのか、見てください。冒頭で語られます。

それをはじめとして……あとあるいは、その時点では真の意味が不明な、諸々の展開やディテールが続くので、序盤は何がなにやら、困惑が先に立ってしまう、「なんだかよくわかんないな」ってなるかもしれません。ただ、それは完全に意図的なものなので、ぜひご安心いただきたい。映画の中で描かれる時制。大きく言って3つ、時制がありますね。タイムラインがある。

まずはこのロバート・デ・ニーロ演じる主人公のフランク・シーランが、介護施設で、過去を振り返っている、(作品内における)「現在」というところにあたる、いちばん時制的には後にあたる──これは、恐らくは原作ノンフィクションの取材に答えている、という構造を持っている。まあ、ちょうどコソボ紛争最中というね、ニュースの映像が出ますから、90年代末でしょう。そのタイムラインと、1975年。フランクと、その彼のボスである、ジョー・ペシ演じるラッセル・バッファリーノという方。

この方は、原作によればですね、このフランク・シーラン曰く、面識のある犯罪組織のボスのうち、『ゴッドファーザー』でマーロン・ブランドが演じたドン・コルレオーネの特徴や流儀を誰よりも想起させるのは、ラッセル・バッファリーノだった、っていう。そんぐらいの大物なわけですよ。それとその妻たちが、まあとある結婚式に出席するため、道すがら、いろいろと集金なんかもしながら、のんびりドライブ旅行をしている、というライン。これが実は、クライマックスとなる1975年7月30日……これはもう歴史的な事件ですね。ジミー・ホッファ失踪事件へとつながっていくわけなんですけど。

これね、たとえば『グッドフェローズ』クライマックスの、主人公が逮捕される1日と同じでですね。あれも、料理したり、家族を送り迎えしたり……という風に、本題にあえて最初に触れずに進んでいくわけですよ。何をやってるのかよく分からないわけですよね。最初は、何の話をしようとしてるのか、何でこんな日常描写に尺を割いているのか、わかんない。でも実は、それは隠語と同じなんですよ。暗に恐ろしい事態が進行している、ということなんですよね。

要するに彼らにとっては、日々の日常的な生活も犯罪行為も、同列なわけですよ。それも全て日常であるという、そういう語り口。スコセッシ一流の実録犯罪物ノンフィクション。なんなら、ドキュメンタリー的でもあるような語り口、ストーリーテリング術なわけですね。で、まあとにかく、その1975年7月30日に集約されていくタイムライン、というのがある。そのドライブしているタイムラインね。ロードムービー的なというか。

それと、1950年代。これ、いちばん古い時代ですね。一介のトラック運転手にすぎなかった主人公フランクが、闇社会で一目置かれ、最終的にはその、当時のスーパースター的存在、ジミー・ホッファさん。これ、劇中でもちゃんと「今の世代の人は知らないだろうけど……」って前置きした上で、結構親切に説明していると思うんだけどな。僕は「そういう風に説明してくれているので、(ジミー・ホッファが何者かを)知らない人も安心です」だと思いますけどね。まあ彼の信頼を得るまでに至る、メインストーリー。それが、さっき言った1975年7月のドライブの時点に追いつくまで、っていうタイムライン。これがメインストーリーとしてあるわけです。この3つの時制を交互に見せていく、という。主にその1950年代から、彼が成り上がっていく過程というのを見せていく。

■こまごましたエピソードが絶妙なタイミングでカットイン

で、そこにさらに、こまごましたエピソードが、それこそこれは本当にスコセッシが『グッドフェローズ』で確立した手法ですけど、ヒップホップDJ的に、細かい挿話がカットインされていく。たとえば、二度、一瞬カットインされる、「もう1人のウィスパーズ」さんの車が爆発するイメージ。2回、出てきますよね。1回目はギャグとして、2回目は、『グッドフェローズ』終盤同様の見えない恐怖として、疑心暗鬼の象徴として描かれる。こんなのもありますし。

あるいは先ほどね、ちょっと(番組の)オープニングでもチラッと話しましたけど、ラッセル夫婦の、あまりにも肝が座りすぎていてユーモアさえ醸し出す、根っからのマフィア体質家族っぷりを示す短い挿話であるとか。などなどが、絶妙なテンポで挟み込まれていく。しかもそのひとつひとつがですね、たとえば単なる言い争いのシーン、くだらない言い争いのシーンだとしても、演者たちの圧倒的力量、そして魅力もあって、とにかく引き込まれるし、1個1個のセリフっていうのもうまくできていて、端的に、面白い! ということですね。なので、3時間半という風にイメージされるものよりは、はるかにスイスイと見やすい。ただまあ『グッドフェローズ』とか『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の情報量に比べると、ゆったりした語り口ではありますけども。はい。

■原作の要素をスコセッシ的なテーマにまとめた素晴らしい脚色

で、ですね、これね、まず脚本のスティーブン・ザイリアンさんという方。これ、『シンドラーのリスト』とか、スコセッシだと『ギャング・オブ・ニューヨーク』とかをやってますけど、この方の脚本。先ほど言った、大きく言って3つの時制を行き来するこの構成によってですね、原作にあった様々な要素を、うまくストーリーの流れや、キャラクターの心情の動きに合わせて再配置……場合によってはちょっとだけ、本質をねじ曲げない範囲で、劇的に盛って。要はいくらでも複雑怪奇になってしまいかねないこの話を、しっかりと1本筋の通った、それも、いかにもスコセッシ的なテーマが際だったドラマにまとめていて、実に見事だ、という風に思います。

たとえばですね、物語全体を通して非常に重要な、重い意味を持つ、フランクの次女・ペギーの視点。成長してからはアンナ・パキンがね(演じていますが)、本当、セリフ数はほとんどないんです。ほとんどしゃべらないんだけど。セリフ数こそごくわずかながら、最終的には、フランクの人生全体を根本から問い直す、否定するような鋭い眼差しが強烈に印象に残る、このペギーという役柄。原作でも、この『アイリッシュマン』で語られるのと同様、1975年の8月3日以来、彼女はお父さん、フランクを完全に拒絶する。「もう二度と会ってはくれなくなった」という、これは本当なんですね。

要はジミー・ホッファ失踪に父が関与しているのを察知して……という、この悲しい話は本当なんだけども。映画と違って、原作によると、お父さんとペギーは、別に幼い頃からずっと仲が良かったし、ラッセルにも全然なついていた、っていうことなんですよね。カタギではないおじさんたちともそれなりに仲良くしていた、という風に書いてある。でも、それを今回の映画では、フランク・シーランという男の暴力的人生……本人的にはそれは「家族を守るため」という意識なんだけども、それを劇中、終始相対化し、批判的に見つめる視点として、そのペギーの視点を、アレンジしているわけですね。まさに物言わぬ目線、というところに、物語的に置き換えてみせている。これも非常に見事ですし。

あと、原作にもある、これはまた別の娘さんでドロレスさんという方の述懐を、フランクに直接、面と向かって伝える形にして。要は彼の「家族を守る」という大義名分による暴力的行為みたいなものが、いかに自分勝手かつ、むしろ有害な影響を家族に与えてきたか、っていうのを、そのドロレスさんを演じているこれ、マリン・アイルランドさんという方、これも見事としか言いようがない、「泣き笑い演技」……彼女が、ちょっと笑ってるような泣いてるような顔で「何をいまさら言っているの?」っていう風にやる、あれを込みでしっかりと、つまり終盤の重要な、フランク自身が自らの人生の本質を悟ってしまうシーンとして置いている。これも素晴らしい脚色だと思います。

あるいは原作では、「俺は今、介護施設の狭い部屋で暮らしている。ドアはいつも開けっ放しだ。自分で立って閉めに行けないからな」とだけある、非常にさらっとした描写を、ご覧になった方はお分かりの通り、この「閉じきらないドア」ということそのものを巨大な映画的キーワード、映画的モチーフとして……もちろんジミー・ホッファが、初めてフランクをホテルの同じ部屋に泊めた、つまり初めて「お前のことを信頼したよ」という証としての、その夜の、半開きのドアですよね。

あるいは少女時代のペギーが、その閉じきらないドアの隙間から垣間見てしまう、暴力的仕事人としての父の姿、とか。それら繰り返される「閉じきらないドア」というモチーフ。これの繰り返しの果てに、ホッファと娘、同じ写真に写った2人を、ある意味同時に失った……しかも自分のせいで! というフランクが、「ドアを開けておいてくれ」と言う。この切なさ、この構成の妙、っていうことですよね。本当に鳥肌が立つ。

しかもね、そのドアの隙間から……彼のことを積極的に訪ねてくる、彼が会いたい人っていうのは、もう二度と来ないでしょう。なんだけど、そのドアの隙間から、彼の心の虚しさ、孤独を唯一眺めることができるのは、我々観客なんですよね。つまりこれこそが、敗れ去った者の、それでも最後に実は残っていたハートの熱さとか、尊厳とかいったものをヒリヒリと突きつけてくる、まさにそのスコセッシ映画の味わい。もっと言えば、映画というものができること、その存在意義ですよね。そういうラストですよね。

■役者陣の演技は、まさに極上ディナーのフルコース

他にもですね、その第二次大戦中イタリアでのね、従軍経験中に、捕虜に自ら墓穴を掘らせる、というそのエピソードも、物語全体のテーマに合わせてアレンジしてたりとか、っていうことですよね。ある意味、この作品の登場人物は全員、自ら墓穴を掘ってる。しかも、言い草としては「俺たちを守るためだ。家族を守るためだ」と言いながら、というね、このあたりも本当に見事な置き換えですし。あとはやはり、原作だとさらりと流されている──これはちょっとギャグ的な部分ですけど──ビッグイヤーズ(大きな耳)っていうあだ名がついているハントっていう男の件を、これも原作だとさらっと触れているだけなんだけど、何とも知れないオフビートな笑いが漏れる、ちょっとした1エピソードにちゃんと仕立ててたり、とかですね。

とにかく、いちいち脚色が気が利いてますし。たとえばあの、デカいメガネをしたサリーという男の殺人描写を前の方で見せておいているからこそ、後半、フランクが、なぜか彼の前に座るのを嫌がる。助手席に座るの嫌がる。席が魚のせいで濡れてるっていうのに……しかもこれ、魚で濡れてたのは本当なんですよっていう(笑)。それでも言外に、やっぱり彼、フランクは、「いや、俺が危ないかもしれない。俺がやらなきゃ、俺が逆に危ないんだ」という……彼の警戒、不安を、セリフではなく見せている。これも上手いですね。「助手席に絶対座らない」っていうことで示していたり。これも非常に上手いですし。

上手いと言えば、もちろん役者陣の演技、競演はですね、まさに極上ディナーのフルコース、といったところで。あのね、非常に押しが強くて人懐っこい、っていうこのホッファ役は、まあ、アル・パチーノの演技にはまらないわけがない。似てる度で言ったらジャック・ニコルソンの方が上だけど、やっぱり愛され男、愛されおじさんというか、「愛され老害かわいいおじさん」(笑)、そういう意味ではアル・パチーノ、すごいはまらないわけがないし。これまでとは打って変わって落ち着いた、でも直接的ではない威圧感で場を制圧する、ジョー・ペシももちろんそうですし。

あと、たとえばほぼ原作通りの手順……引き目のカメラで、時にワンショットで、実にそっけなく遂行される殺人シーンを含めですね、いかにもアイリッシュ的な、ブルーカラーギャングの無骨さ、あるいはそれと対照的に、まあよれよれになった老境までを、余裕の貫禄で演じ切るデ・ニーロ。あと、あそことかすごいですね。「事後」に、ホッファの奥さんに……ホッファの奥さんはあれ、『グッドフェローズ』でベビーシッターやってたあの人(ウェルカー・ホワイト)ですよね。あの人に電話するところの、モゴモゴ具合の切なさとか。たとえばあとね、終盤近くで、「そんな電話、かけるかよ……」っていう。つまり、間接的に……だからこそ痛恨の深さをうかがわせる、名ゼリフですよね。

「そんな電話、かけれるかよ、俺に……」って。あれはデ・ニーロの発案、アレンジによる名ゼリフ。つまり、物語の理解度がただ事じゃない!ってことですよね。脇では特に、トニー・プロ役、スティーヴン・グレアムさん。これね、あの『ボードウォーク・エンパイア』でアル・カポネ役をやってましたけど。が、とにかくあのアル・パチーノ演じるホッファと、異常に低レベルな「オマエが先に謝れ」合戦を繰り広げるくだりなど(笑)、本当に、「人懐っこい強面」感。これ、すごい良かったですし。

他も、名もなきマフィアの面々も、要はね、例によって「どこから連れてきたんですか、このホンモノ?」っていう人たち(笑)。イイ顔揃いで、見飽きないですし。家族・ファミリーが裏切りによって崩壊していく、断絶していく、というのは、実にスコセッシ的テーマでありつつ、「家族のためにやったことが、家族を遠ざけ、失うことにもつながっていく」というのは、まさに『ゴッドファーザー』三部作のテーマそのものでもありますし。

■やはり圧倒的な一作。できればぜひ劇場で!

そしてその、崩壊が決定的になる一夜。ラテンカジノでのその「フランク・シーラン感謝の夕べ」のシーン。主要人物たちが一堂に会し、思惑と視線が交錯する。まさに名匠の、名優の技が堪能できる、極上シークエンスですけど。ここでさ、満を持してって感じで、アル・パチーノが、ダンスを踊り出すじゃないですか。これはやっぱり、『ゴッドファーザー』がこだまするわけですよね。あるいは彼が湖畔に座っている姿とかも含めて、やはり『ゴッドファーザー』もこだまする、ということです。

まあ、ちょっとさまざまな要素がありますから……いろんな意味で僕はやはりこれ、圧倒的だと思います。つまり、これぞ映画だ!っていうことを、今の時代に突きつけるような1本であると同時に、これからの映画のあり方っていうのをスコセッシなりに模索して、スコセッシなりの回答を全力で返した1本でもある、ということで。そして何よりもやっぱり、面白いし味わい深いし、というあたりで。まさにこれね、『グッドフェローズ』が生涯ベストな私のような映画ファンにとって……俺らにとっての『エンドゲーム』。

いや、これでエンドと言わず、こういうのをもっと!(笑) ねえ。おじさんたち、生きている限り、よろしくお願いします、という感じでございます。来年に開催される賞レースも、席巻間違いなしの一作ではないでしょうか。といったあたりで、とにかくNetflixでもいいですし……劇場で見るのがやはり僕は極上でございましたから、ぜひぜひ劇場で。今、このタイミングでご覧ください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』の予定でしたが、宇多丸さん体調不良のため、次週以降に持ち越し)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

(ガチャ回しパートで)しかし『アイリッシュマン』、つくづくスコセッシは本当に、「板挟み物」がね(笑)。本当に「板挟み物」ですよね、スコセッシの真骨頂はね。『沈黙 -サイレンス-』だってある意味、「板挟み物」ですからね。

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