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宇多丸、『殺さない彼と死なない彼女』を語る!【映画評書き起こし 2019.11.29放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『殺さない彼と死なない彼女』(2019年11月15日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞して評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『殺さない彼と死なない彼女』

(BGMを聞いて)ああそうか。奥華子さんが主題歌をやられていますからね。劇中の音楽も奥華子さん、やられているんですよね。ということで、SNS漫画家・「世紀末」さんによるTwitter発の人気コミックを『全員死刑』の間宮祥太朗さんと、実写版『ママレード・ボーイ』の桜井日奈子さん主演で実写映画化。

何も興味が持てず退屈な日々を送る男子高校生と、周囲から変わり者扱いされているネガティブな女子高生の奇妙な関係を中心に、10代の少年少女の不器用な青春を描く。監督・脚本を務めたのは『逆光の頃』などなどの小林啓一さん、ということでございます。

ということで、この『殺さない彼と死なない彼女』、なかなか物騒なタイトルですけど、この作品をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「やや少なめ」。まあ公開規模の問題もあるんでしょうか。で、賛否の比率は8割の人が褒め。非常に評価が高いということです。

褒めてる人の主な意見は「単なる高校生の胸キュンラブストーリーかと思いきや、ラストでまさかの大号泣。完全にナーメテーター案件でした」「3つの別々のストーリーが実は関係があるとわかった瞬間、涙腺決壊しました」「それぞれの俳優たちの演技も素晴らしい。全キャラクターに『幸せになってくれ』と思いました」などなどがございました。一方、否定的な意見としては「わざとらしいセリフ回しや思わせぶりな長回しが鼻につく」「登場人物たちにリアリティがなく、全く映画の中に入っていけなかった」などがございました。

■「孤独な魂同士が呼応しあって紡がれていく素晴らしい物語」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう……「愛媛のムービーウォッチメンR」さん。この方、初メールということで。ありがとうございます。「ムービーウォッチメンの課題作である『殺さない彼と死なない彼女』を見てまいりました。結論から申し上げますと大傑作でした。一見、パッケージだけ見るとスルーしてしまいがちなキラキラ映画かと思いきや、完全にナーメテーター案件でございました。普段、聞き慣れないような独特のセリフ回しがだんだんと現実味を帯び、キャラクターたちのツーショット長回しが正確に心情を捉え、『ああ、たしかにこのキャラクターたちは生きているんだなあ』という実在感がありました。

そしてこの物語に出てくるキャラクター全員に、『未来の話をしましょう』というセリフの通り、前向きな視点が備わってるのもグッドポイントでした。孤独な魂同士が呼応しあって紡がれていく素晴らしい物語にとても胸打たれました。とにかく各キャラクターが全員愛おしいですし、この作品から放たれる、愛おしくも切なく、温かい空気感がすごく好みで。見終わった後も余韻が抜けず、何日もこの作品のことを考えてしまうぐらい大好きな作品になりました。課題作でなければ見ていなかったと思うので、こういう思いもよらない映画体験のチャンスを与えてくれるムービーウォッチメンには心底感謝しています」。

まあこちらもね、僕自身も、このコーナーのガチャとか、前はサイコロとか、そういうシステムで思いもよらないところに当たるのこそが、やっぱり本当にね、ありがたいなと思ってるところなんでね。本当に全く私も同じだし、見ていただいてありがとうございます。

一方、ダメだったという方。ラジオネーム「たくみん」さん。「いつも楽しく拝聴しています。あからさまなティーン向けなものは普段、食指が動かないのですが評判がよいので思い切って鑑賞してきました。しかし、開始10分程度で『ああ、キツい。苦しい。なんだ、この白いソフトフォーカスな感じ……もう出たい。でも、我慢してればこれだけの評判、いい感じになるはず。1900円、もったいないし……』と思い、耐えてなんとか最後まで見ましたが本当にがっかりでした。変な人たちの変なエピソードで彩られたゆるい青春群像劇を押し付けられてる感じが絶えずして、『死ね』『殺す』『大好き』といったパワーワードには全く心が動かされません。普段なら使われない大切な言葉を平気で口にするので登場人物に奥行きが全く感じられませんでした。

作中で描かれてるような苦しみを実際に味わった人に全く寄り添っていない不誠実さすら感じて、少し腹立たしかったです。人の苦しみとか矛盾に向き合わず、幸せな人の立場から作られた都合のよい映画にしか思いませんでした。ただ、演技は素敵でした」というようなことでした。

 

ということで、みなさんメールありがとうございました。『殺さない彼と死なない彼女』、私もバルト9で深夜回を2回、見てまいりました。はい。まあね、先ほど「キラキラ映画」っていうね、そういうワードに一応なっているらしいですね。地味めな女子校生が、やたらと強気なイケメン男子に突如見初められて……なんかいきなり「行くぞ!」なんて言われてね。振り回され、戸惑いつつも、まんまと恋に落ちていく、というような現代日本映画型、主にティーンエイジャー女子向けのシンデレラストーリー。近年最も量産され、ヒットもしている、一大ジャンルと言えると思います……ま、ヒットしているやつもあればそうでないやつもあるんですが、とにかく量産されてるという時点で、一大巨大ジャンルですね。

で、今回のこの『殺さない彼と死なない彼女』も、まあそうしたうちの1本かな、という風に思いきや……もちろん、「その内の1本」という言い方もできるんですよね。さっき言ったような、地味め女子を強気なイケメンが見初めて、という構造は本作にも一応ありますし。僕も、何も知らずに初めて見た時、最初のうちはそれこそ否定的メールと同じで、「高校生のホレたハレたなんか、おじさん興味ないよ〜!」っつって(笑)。「もうちょっと陰影の濃い画はないの〜?」みたいなことになりかけていたんですけど。全部がね、オール自然光で撮られたという、ちょっとソフトフォーカスめの画というのがこれ、ひとつの文法としてあるわけですけど。

まあ、そんな感じになりかけた私もいたんですが、見進めていくうちにだんだんと、「ああ、そういう話だったのか」と。ティーンエイジャーのキラキラした恋愛模様にキュン!とか以上に――もちろんそういう面もあるし、そういう見方もできるんですけど――それ以上に実はこれ、人と人との関わり合い、コミュニケーションの可能性、もしくは不可能性というものについての、とても根源的な問いを含む、なんならほとんど哲学的でさえある、という作品だなということが、だんだんとわかってきて。要は、僕なりの整理の仕方をすると、こういうことですね……「人の想いや気持ちというものは、本質として常に、“一方通行”なものなんだ」ということですね。

誰でも常に……要するに、テレパシーを使うわけじゃないですから。で、言葉を使ったところで、それが常にちゃんと伝わるとも限らない、ということで、常に誰でも、その想いというものは一方通行なものなんだ、というこの前提、問題意識があるわけです。で、一歩間違うとそれは、ただただ手前勝手でハタ迷惑な、独善的な気持ちの押し付けにもなりかねないわけですよね。で、ご覧になった方はおわかりの通り、その最悪の例が、劇中で出てくる。

たとえば劇中ずっと影を落としている、ある非常に重大な犯罪だったりする、要するに、気持ちの一方通行性というものがある。それを勝手に運用すると、そういう最悪のことにもなったりする。逆にその「気持ちの一方通行性」っていうものを、痛いほど理解しているからこそ、それが他人や、なんなら自分にエフェクトを及ぼす、一歩手前で引き返してばかり、というような、劇中で言うと、あの愛おしい「きゃぴ子」さんのような、孤独や悲しみを密かに抱えたような人もいたりして……という。とにかくそんな人の気持ち、想い、心の一方通行性をめぐる諸相、さまざまな喜びとか悲しみの場面、局面というものを、大きく3つのパートに分けて、並行して語っていって。

その果てに、ある意味究極の気持ちの一方通行……つまり、気持ちを伝えたい、もしくは伝えてほしい当の相手がいなくなってしまう、という局面で、それでもなお、一方通行かもしれないけども、伝えたかった、もしくは伝えようとしていたその気持ちというものは、我々の人生を未来に向けて救っていく、ということもあるんだよ──というような、そんな話になっている。ということで、なかなか、なかなかすごい射程の話に最終的にはなってゆくと僕は思っています。で、それがあくまでも淡々とした、噛み合っているんだか噛み合っていないんだかな、日常的な会話を通して描かれていく、という。でも、最終的に目指している射程は、「人と人とは基本的にはコミュニケーションの不可能性というものを常に抱えている。それでも……」という話になる感じなんですね。

ということで、要はラブストーリーというのはひとつのメタファーとして語られているだけ、という見方も全然できるぐらいなんですね。恋愛っていうのは、それこそ知らない他者同士が、気持ちをどうやって寄せていくか……でも「本当に通じ合う」とか言うけども、それは錯覚かもしれないし、とかね。そういう、恋愛というものがいちばん気持ちの一方通行性というものを際立たせるところだからこそ使われている、という、そういう読み方すらできる話だと思っています。なので、ラブストーリーで止まる話ではない、ということですね。

■映画を見た人は、ぜひ原作マンガを。弩弓の傑作かもしれない

ということで僕は、初めて見るときはいつものことなんですけども、あえて何も情報を入れずに最初、第1回目を見たので。後から知って、遅まきながら読んだんですけども、原作は、先ほどから言っているように最初はTwitterで話題になった、四コママンガなんですね。「世紀末」っていう方。これ、ちなみに今回の映画版だと、映画館のチケット売り場のシーンでカメオ出演されているそうですけども。作者の方、女性の方ですね。

で、まずこの原作マンガが、読んでみたらなるほど……まず、非常にかわいらしい絵柄。この人、絵が非常に上手いと思います。だし、四コママンガならではのテンポの良いギャグの連発、とかもあるんだけども、それらと並行して、腹にドスンと来る、なんならそしてわりと強烈に涙腺を刺激されるような、なるほどなかなかにこれは……読み終わるとこれはちょっとドスンと来る。これはなかなか弩級の傑作かもしれない、というような1冊でした。これもこのタイミングで読めて本当によかったです。

僕がいままで読んできたマンガの中でいちばん近いものというと、やっぱり業田良家さんの言わずとしれた名作『自虐の詩』……マンガですよ、マンガの方ね。みたいな感じ。たとえばこの原作マンガ『殺さない彼と死なない彼女』、KADOKAWAから出ていますけども、さっき言った3つのパートが、並行ではなく順番で語られていくんですけども。最初の「きゃぴ子」編、本当に数ページで……要はきゃぴ子っていうのは、いわゆる「ぶりっ子」ですね。この表現、古いですかね?(笑) ぶりっ子として、嫌われる人には嫌われがちな女性という。

揶揄されがちな女性ですけども、しかしその「ただただ愛されたい、好かれたい」という気持ちの切実さ、そのバックボーンにあるものなどなどを、このマンガだと、本当に冒頭の数エピソード、ほんの数ページで、異常に手際よく、しかもしっかりと笑い込みで、この彼女の「愛されたい」っていうだけの、その傍から見ればぶりっ子行動、「嫌な女」って思われかねない行動の裏にある切実さ、みたいなものを、ほんの数ページで手際よく……だから、笑いながらホロッとさせられるというか。俺、前からね、そういうぶりっ子的な人を一方的に揶揄したりするの、なんか嫌で。

だからそれをすごく、「ああっ、そうだよね! なにが悪いんだよ? 人から愛されたくてがんばることが?」っていう、なんかそれをね、すごく手際よく叩き込んでくる、という感じ。なので読者も、きゃぴ子、ひいてはその現実にもいるであろうきゃぴ子のような人、というのが愛おしくなってくる、というような。そういう漫画ということですね。ということで、今回の映画版を見てグッと来た人も、逆にちょっとピンと来なかったという人も、まずはこの原作マンガを一度読んでみていただくと、よりこの物語が伝えたかった本質とキャラクターたちへの理解が深まるんじゃないかな、と思いますので。ぜひこちらも読んでいただきたい。おすすめでございます。

で、さっきから言っているように、大きく分けて3つのパートに分かれたこのお話。いま言ったそのきゃぴ子と、その親友の「地味子ちゃん」のパート。それと、それから原作マンガでは「君が代ちゃん」っていうネーミングだったのが、さすがにこれはいくらなんでも、っていうことだったのか、今回の映画版では原作者が自らもう1回改めて命名した、「撫子ちゃん」っていう風になっていますけども、その彼女が、ひたすら「八千代くん」という男の子に、一方的な愛の告白を重ねていくという、このパート。

そこから原作マンガでは、これもさっき言った、物語全体に大きな影をうっすらと落とし続けている、とある重大犯罪者の断片的エピソードなどを含む、インターミッション、間が入って。そのインターミッションは最初、漫画を読んでいると、なにも関係がないように見えるんだけど、実は関係している、というようなね。(そういうインターミッションパートが)入ってからの、最後にその、リスカ癖があるネガティブ女子と、「殺すぞ」が口癖のぶっきらぼうなイケメン男子との、恐ろしく不器用だけど……実はでも、その「不器用」っていうのはつまり、一生懸命に、手探りでコミュニケーションを取ろうとしているわけですよね。

手探りだからこそ、ある意味これはどストレート、真っ当……つまり、さっき言った「コミュニケーションの一歩通行性」っていうのを意識せずに、「オレがこの気持を抱いているからいいんだ!」「オレがこういう気持ちを抱いているから、何をやってもいいんだ!」みたいなやつはとんでもないことになったりするけども、でも、その気持ちっていうものが伝わらないことが分かってる者同士が、探り探りでやるコミュニケーション。これ、いちばん真っ当なコミュニケーションなわけですよね。

なので、いちばんある意味、最もコミュニケーションが……コミュニケーションが取れているかどうかは別としても、コミュニケーションへの「意志」ですね。その積み重ねが描かれていくパート、という、メインのパートがある。で、原作はいま言ったこの順番で、「きゃぴ子の話」と、「撫子ちゃんと八千代くんの話」と、「死なない彼女と殺さない彼の話」の、この3つのパートが順番に並んでいる。しかも、各パート同士は基本、無関係に並んでいます。原作は。

なんですけども、それをこの映画版では、元にある展開、細かいセリフなども結構、その細かい吹き出しじゃないセリフとかもしっかりと引き継ぎつつ、非常にエッセンスを忠実に引き継ぎつつ、3パートが、並行して語られていく、という形になっている。さらに細かく言えば、画面の……これは映画を見慣れている人だったらわりとわかると思うんですけども、画面のトーンが、明らかにひとつのパートだけ違うわけですよね。

それによってさり気なく示されているように、メインストーリーである「殺されない彼・死なない彼女」組カップルのエピソードだけ、どうやら時制が他の2つのパートとは違うようだ、ということが、それとなく伝わってくるという。で、きゃぴ子と地味子パートと、撫子ちゃんと八千代くんパートというのは同じ時制、同一時空であることが、早い段階で示されるという。要するに八千代くんと地味子ちゃんが姉と弟だっていうことが示される。ただ、僕はちょっとあえてこの作品にひとつ言うならば――細かいことですけども、先に言っちゃいますけども――あれが姉と弟であるっていうことが、その同一時空にいる人たちのパートですよっていうことを示す以外に、特に何も設定として生かされないので。なのでなんか「こんな設定、いるかな?」みたいに思っちゃいましたね。

別に、職員室で一緒のところにいた、っていうだけでいいんじゃないの? ぐらいに思いましたけども。まあ、それはいいや。で、しかもそちら2つにだけはですね、非常に不穏な過去の出来事、っていうものがほのめかされるわけですね。ということで、否応なく観客は、ある不吉な予感とともに映画を見進めることになるわけです。つまり、物語的な影の推進力とも言えるもの、エンジンが実は働いています。なのでこの構成、実は非常に巧みな映画的再構成。そんな感じで、原作漫画のエッセンスを忠実に引き継ぎつつも、長編映画向けに、見事に再構成してみせた、ということですね。

■手がけたのは、かつてモーヲタがお世話になった小林啓一監督

たとえば、あるパートのストーリーが進んで、あるカップルが部屋にいるシーン。その次のシーンは、また別のカップルが同じように部屋に一緒にいるシーンにつながっていく。つまり、シーンとシーンとが、僕の言葉で言う「韻を踏むように」つながっていく、というそのつなぎのスムースさもありますし。そしてそのつなぎを、順でつなげて見せることで、この2つのカップルの、同じように部屋に2人でいるのに、そのニュアンスの違い、というものも巧みに浮き上がらせる。より際立たせることにもなっていて、非常に巧みな構成になっている。

脚本・監督を手がけられたのは、小林啓一さんという方。この番組で扱うのはもちろん初めてなんですけども、昔はテレビ東京の『ASAYAN』のディレクターで。あとはPVなんかもいっぱい撮られていて、「ミニモニ。ジャンケンぴょん!」とか「ミニモニ。テレフォン! リンリンリン」とかですね、あとはごっちん、後藤真希さんの「手を握って歩きたい」のミュージックビデオなども手がけられていた、ということで。おそらく我々、初期ハロプロファン、モーヲタとしては、既にかなりお世話になった方、という小林啓一さん(笑)。その節はいろいろと楽しませていただいてありがとうございました!っていうような感じだと思うんですけども。

で、映画監督としては、2011年に『ももいろそらを』という作品。これは今回の『殺さない彼と死なない彼女』の劇中でも、映画館に行く場面がありますが、その映画館で上映されている、音声で流れているのが、この『ももいろそらを』の音声だったりしますね。それとか、2014年の『ぼんとリンちゃん』っていう。これはいわゆる腐女子をド正面から扱った……これだけ若い女子が「アナル、アナル」と連発する映画もなかなかないという、ちょっとカネジュン(BL研究家の金田淳子さん)的なものを思い出す一作で(笑)。「アナルは出口じゃなくて入り口だ!」っていう名ゼリフで終わる、というのがありましたけども。

後は、タナカカツキさんの漫画が原作の中編『逆光の頃』という2017年の作品など……とにかく、ティーンエージャーの飾らない日常会話みたいな、なんなら傍から聞いているとかなり乱暴にも聞こえるような会話みたいなのも使って、それをじっくりした、まったりした長回しなども多用して、みずみずしく、時にヒリヒリと切り取るのが非常に上手い方、という感じです。とはいえでも、美しいポップな画作りのセンスなんかもあるので、さっき言ったようにすごくソフトフォーカス気味な、全体に白っぽいような画作りの特徴なんかもあって、本作にはまさにうってつけな人材だったのかな、という感じがいたします。

■ギャグ的なセリフも一切茶化さず真っ直ぐに描き出す

特に原作マンガ、四コマらしく、非常にデフォルメされたキャラクター造形や言い回しをしているわけですね。役名からして「きゃぴ子」とか「撫子」とかついているわけでね。デフォルメされたキャラクター造形や言い回しをしている。たとえばその撫子ちゃん。原作では君が代ちゃんですけども。「◯◯だわ」とか「◯◯かしら」みたいな感じの、今時の女の子としてはたぶんあまり使わないような、かなり古風な言い回し、美しい言い回しをするわけですね。

で、それらのような、たとえばデフォルメされた部分を、「ここは笑いどころですよ」っていう風に、わざとらしく誇張したりはしない。あるいは、この原作マンガだとはっきりとギャグ的に使われているセリフも、そこを「ギャグですよ!」っていう感じではあまり演出していない。むしろ一切茶化さずに、「そういう人間が、そこにいるもの」として、真っ直ぐに描き出そうとしているわけですよね。そのトーンでずっと通しているので、劇中内のリアリティとして、それがだんだんと成り立ってくるわけですよ。

たとえばその撫子ちゃんの描写で言えば、演じているこの箭内夢菜さんという方。たぶん本当にご本人の育ちがいいのか、全く嫌味を感じさせない、本当に真ーっ直ぐな佇まいと演技込みで……この撫子ちゃんというキャラクターは、やっていることが一方的に「好き」を言ってくるということで、ともすれば押しつけがましく見えかねない、あるいは非常に単に戯画的で、「こんなやつ、いるか?」っていう風に見えかねない、というようなキャラクターを、これ以上ないほどの、いわば「作品内実在感」をもって、最高にかわいらしい、素敵なその人の個性として体現してみせている、というね。これは、受け側の八千代くんという役を演じているゆうたろうくん。(撫子ちゃん役を演じる箭内夢菜さんに)惚れずにいるのは大変だったでしょうね、本当にね(笑)。まあ、このゆうたろうくんの、ちょっと現実から遊離したような美しさも、非常にナイスな対比になっていてよかったですし。

あるいは、同じくデフォルメされたキャラクターである、さっきから言っているきゃぴ子ですね。これを演じている堀田真由さん。これも、どこか10代の頃の石原真理子もちょっと連想させるような美しさと自然なアンニュイさで、観客もごくごく自然に、彼女と彼女の立場に感情移入していくことになる。で、なおかつそれを受ける側。これは恒松祐里さん。『凪待ち』での好演も本当に記憶に新しい、おそらく次世代女優のトップグループにかならず入ってくるであろうこの恒松祐里の、落ち着いた上手さというものももちろんあるし……というね。

個人的にはきゃぴ子絡みで言うと、野球部のキャプテンなんですかね? あの、ボウズ頭のイケメン気取りの壁ドン気味男。あれがすげえ……「ああ……きゃぴ子……」ってね、あれ、ウケましたけどね(笑)。

そしてもちろん、メインのカップル。「殺さない彼」こと小坂を演じる、『全員死刑』ではあんなにおっかなかった間宮祥太朗さん。もちろん本当にドハンサムで、あの、整いすぎているがゆえに、時にむしろ間抜けさも絶妙に醸し出す、というあの佇まいに対して、CMなどを見ていても僕は、笑顔よりもあのキョトンとしたような表情こそが実は印象的だった、桜井日奈子さん。いわば仏頂面系ファニーフェイス。

この両者の、並ぶだけで醸し出されてくるその特別な親密さ、相性のよさ、というものが……会話の字面上、言葉上は荒っぽいにもほどがあるこの2人のやり取りというものが、実はさっきも言ったように、本質的には一方通行でしかありえない人の想い同士が、それでも必死で手を伸ばしている、こんな言い方しかできないやつら同士が、声をかけ合うことでなんとかつながり合おうとしてる、というその切実さ、その微笑ましさ、コミュニケーションへの希求というものを感じさせていて。さっきからちょいちょい言っている物語上の仕掛けも込みで、最終的には激しく涙腺を刺激されてしまう、というわけですね。

しかも、その物語上の仕掛けというものが、やっぱりただの唐突なギミックではなくて、さっきから言っているようにコミュニケーションの一方通行性というものの最悪の例……でも、実際に、現実にいっぱいある例ですよね。程度の差こそあれ、そういう(危うさを含む)ものでもある、ということも、やっぱりちゃんと(示そうと)しているな、という風に思います。

 

■「ヒリヒリ」「ほんわか」「ふわふわ」が同時に機能しているような独特の世界観

ということでね、さっきも言ったように、四コマ漫画的な原作のデフォルメ、エッセンスを忠実に引き継ぎつつも、茶化すことなく、そこに生きている人間のひとつのあり方として、真っ直ぐに捉えてみせるこの映画版のタッチというものは、それゆえ、まああまりコメディ的ではないわけです。

かと言って、単にその「リアルな」今どきティーンエイジャー物、っていうのとも、またちょっと違う。独特の……ヒリヒリと、ほんわかと、ちょっとふわふわ遊離した感じが、同時に機能しているような、ちょっと本当に独特の世界観。それはまさに、小林啓一さんの過去作ともはっきりと連なるテイストなんですけども。それを醸し出している。で、要は結果として、キラキラティーンエイジャーラブストーリー物的な、そのジャンルムービー的な枠組みも借りてはいるんだけども、かなり味わいとしては異なる、結構僕は変わった映画だな、と思ったわけです。むしろこれは、『WE ARE LITTLE ZOMBIES』とかと並べて見て、語るべき作品だな、という風に思ったりもしました。

ということで、本当に食わず嫌いは間違いなくもったいない、不思議と心に残る……ひょっとすると後年、もっと大きな扱いをすべき1本ということになってるかもしれない、日本若者青春映画の、ちょっとまた新たな潮流というか、新たな一歩、新たなフェイズの始まりなのかというのも思わせるような1本で。僕は本当に見てよかったですし、原作もこのタイミングで読めてよかったですし。なによりも、小林啓一さんという才能を遅まきながら知れたのもよかったですし。まあ、好みが分かれる部分はたしかにあるとは思いますが。

さっきも言ったように序盤、「おじさんは、(若者の恋愛模様など)知らんがな! 70年代後半から80年代前半の荒れたニューヨークとかの方が見たいわ!」って(笑)思っていたようなおじさんも、油断をしていたら、大変なところに連れて行かれる作品でございました。ぜひぜひ、好き嫌いもあるとは思いますが、劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は(1万円を課金して回避を試みたものの)『アナと雪の女王2』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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