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宇多丸、『ひとよ』を語る!【映画評書き起こし 2019.11.22放送】

アフター6ジャンクション

 

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『ひとよ』(2019年11月8日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『ひとよ』女優で劇作家、演出家の桑原裕子さんが主宰する劇団KAKUTAが2011年に初演した舞台を映画化。3人の子供たちを守るため、暴力を振るう夫を殺害し、姿を消した母親が15年ぶりに三兄妹の元に戻ってくる。果たして4人は以前のような「家族」に戻れるのか?

出演は佐藤健、鈴木亮平、松岡茉優、田中裕子、佐々木蔵之介、音尾琢真、筒井真理子など。監督は『孤狼の血』『凪待ち』『日本で一番悪い奴ら』『凶悪』などなど、みんな大好き白石和彌監督でございます。ということで、この『ひとよ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」。でも、公開規模がそこまでドカンというわけじゃないので。僕も回数がなかなか限られている中で見たりしたんで、これは健闘した方じゃないかなと思いますけどね。

賛否の比率は、「褒め」の意見が9割。非常に評価が高い、ということでございます。褒めている人の主な意見は、「今年の邦画で一番! 白石和彌監督の最高傑作」「演技はもちろん、美術や衣装なども見事でリアリティがある」「佐藤健、松岡茉優、鈴木亮平、そして田中裕子。主演陣の演技は全員見事」「家族というもののままならなさや厄介さを見事に描き出している。見終わった後、自分も家族と連絡を取り合いたくなった」などなどがございました。

一方、否定的な意見は「脚本が散漫。掘り下げ不足の登場人物がいた」とかですね、「わざとらしさが鼻につき、キャラクターも実は類型的で全然乗れなかった」などというご意見もございました。代表的なところをご紹介いたしましょう。

■「家族を扱った映画ですが、同時に、なりたい自分になれなくてもがく人たちの物語でもある」(byリスナー)

「愛媛のムービーウォッチメンD」さん。「白石和彌最新作『ひとよ』を見てきました。僕は白石和彌が日本人でいちばん好きな監督で『彼女がその名を知らない鳥たち』以降の作品はリアルタイムで全て劇場で鑑賞しています。これまでの作品のほとんどで疑似家族のようなキャラクター、話を扱ってきた白石監督が、今回初めて正真正銘の家族を描くということで期待値はかなり上がった状態で鑑賞。

感想としては、白石作品の中でも屈指のクオリティになったのではないかと思います。この作品を見た人のほとんどが言及するところかと思いますが、登場人物たちがこの世界で生活をしているという実在感がすさまじいです。役者たちの演技、何気ない掛け合い、つぶやきが自然で、美術・衣装にまで力が入ってるので映画としてのリアリティが格別なものになっています。この映画は家族を扱った映画ですが、同時に、なりたい自分になれなくてもがく人たちの物語でもあると感じました」。

だからこそ、あのスナックでね、佐藤健さんの後ろで松岡茉優さん、長女が歌っている歌が、「あれ」っていうところもね……だから一見、ちょっとこうコミカルな場面にも見えるけど、実はちょっとピリッとしている、チクッと胸に刺さるような演出でもありましたよね。

「……なりたい自分になれなくてもがく人たちの物語でもあると感じました。稲村家以外に稲村タクシーの人たちのエピソードを描くとこで、テーマがより深くなってると思います。母親が与えてくれた自由なのに、知らず知らずのうちに父親や家族の存在に縛られているという脚本も見事で、ムダなシーンがありませんでした。

ラスト付近のエンタメ的飛躍と少し突き放したようで希望が見えてくるラストも見事な落としどころだと思います。白石監督によくある、真似したくなるようなセリフは今回も健在で、『まだ吐くよ』『母さんは母さんだ』はクセになりそうです。ただのホームドラマではなく、そこにしっかりと白石監督のエッセンスが入っており、今年の邦画ではダントツでトップの作品でした」ということでございます。

一方、いまいちだったという方もご紹介しましょう。「スナッチ」さん。「『ひとよ』をウォッチしてきました。老いた母親を中心とした家族愛の話ということで、けなしたら人でなしみたいな空気が生まれそうですが、白石監督の『凪待ち』が傑作だったのではっきりと言います。この『ひとよ』は駄作とまでは言いませんが、凡作だと思います。役者陣の演技はいいのですが、まず何より脚本が弱い。佐々木蔵之介親子の話が尻切れトンボで消化不良感が残りましたし、予告編から『こういう話かな?』と考えた予想を何ひとつ裏切っていきません。

それはおそらくこの映画に出てくるキャラクターがリアルな人間を描いてるように見せて、実は類型かつ単純化されているからだと思います。この『ひとよ』に出てくるキャラクターはひとつの側面しか持ち合わせていません。キャラクターに序盤で抱いた印象が覆ることがありません。それが最後、きれいにまとまってもなんだか予定調和だなという感じでした」という。で、いろいろと書いていただいて……。「とにかく自分にはいまいちな映画でした」ということでございます。

■今、乗りに乗っている白石和彌監督の最新作

ということで『ひとよ』、私もTOHOシネマズ日本橋で、2回見てまいりました。この番組では、7月5日に香取慎吾さん主演『凪待ち』を取り上げたばかりの白石和彌監督、の、早くも最新作。今年に入って『麻雀放浪記2020』『凪待ち』、そして今回の『ひとよ』と、3つも監督作が公開。ちなみに昨年、2018年も、『サニー/32』『孤狼の血』『止められるか、俺たちを』と3本ペースで公開されてるので。3本ペースが2年続いているわけですからね。もちろんいまの日本映画界で最も売れっ子、乗りに乗っている作り手、ということですよね。白石和彌さん。

特に『凪待ち』は、個人的には白石和彌さん、いまのところの最高傑作では、というくらいガツンと来た一作でございました。詳しくは私の評がホームページの方にみやーんさんの公式書き起こしでありますので、是非ご参照くださいませ。そんな流れの中できた最新作『ひとよ』。原作は、桑原裕子さんの戯曲。桑原裕子さんは、実はこの番組にも今年の4月19日、「ゴールデンウィークに見るべきNetflixのオススメ作品」ということでご出演いただきました。

とにかくその桑原裕子さんが作・演出・出演もされている劇団KAKUTAの、2011年初演の舞台『ひとよ』が元になっているという。ちなみに桑原さん、今回の映画版でも、あのスナックのママの役でね、出てらっしゃいましたね。ともあれ、その元の舞台の『ひとよ』。これは「一夜」でもありながら「人よ」っていう感じでもあるし、いろんな読み替えもできるような、なかなか素敵なタイトルだと思いますが。この舞台版の『ひとよ』は、ソフト化とかもされていなくて、申し訳ありませんが僕は、このタイミングでは見ることができなかったんですね。

かろうじて、このパンフレットに載ってる映画ジャーナリスト金原由佳さんの文にある、「舞台の主な芝居場は、ある地方のタクシー会社の営業所の待合室で、ステージの後方部に、運転中のタクシーが現れる仕掛けになっている」という、なるほどその、演劇ならではの演出スタイル、描写ですね。あとは集英社e文庫というところから出てる、長尾徳子さんという方による舞台版のノベライズ、小説化版が出ていますね。これで、今回の映画化版が元の戯曲をどう翻案(アダプテーション)したのか?っていうのを透かし見る、という感じになるんですけどね。舞台をちょっと見れていなくて申し訳ないです。

要は元のお芝居は、お話が展開していく舞台を1ヶ所にあえて絞っていた、群像劇なんですね。で、その外の世界っていうのは観客の想像に委ねる、という、非常に演劇ならではの表現を使っている、という感じなんですけど。

これがまあ今回の映画版では、クライマックスのわりと派手な見せ場を含めてですね、やっぱり映画ですから、具体的な画として、いろんな場面を見せている。その一方で、登場人物を削ったりとか、役割を減らしたりとかして、群像劇感をやや後退させて、メインとなる稲村家の4人……特にやっぱり、佐藤健さん演じるやさぐれた次男の視点、心情に、比較的寄り添った語り口にしている、ということですね。これ、脚本を手がけられているのは、白石和弥監督作では『ロストパラダイス・イン・トーキョー』とか『凶悪』とか『サニー/32』とかを手がけられている、高橋泉さんという方ですけども。

■いずれ劣らぬ演技巧者たちのセッションが極上!

まあ、順を追って話していきます。まず、発端となる一夜。すごい大雨が降っていて、車が停まる、あの始まりのショットからして、すごい白石和彌監督、毎回ワクワクさせてくれるな!っていう。ファーストショットからして。で、その大雨の夜にですね、どうもこれまですさまじいDVを繰り返していたらしい一家の父親を、タクシー運転手の母親自ら、轢き殺してきたという報告を、子供たちにラストおにぎりを食べさせながらする、というアバンタイトル。

しかもそこでの、あの田中裕子さん。もともとお若い頃はもちろん、色気たっぷりの美人女優、っていう感じでしたけども。やっぱりタクシーの制服を着て、くたびれきった感じで、ちょっとなんかこう……元の(戯曲の)ノベライズ版にあった表現ですけども、性別がちょっと分からないぐらいのくたびれ感、みたいなね。あれもすごいよかったですね。で、そのアバンタイトルから、タイトルが出た後、15年経って成長した子供たちの現在。でもその現在っていうのも、そこかしこに……セリフの端々とか、あるいは表情とか、ちょっとした振る舞いの端々にですね、父親のDVの被害者であったと同時に、母親が殺人者である、という加害者性をも背負う羽目になってしまったがゆえの、この15年間の、蓄積された痛みや歪み、みたいなものが垣間見える。

それを垣間見せていく……そのセリフの端々に、それを配していく。もしくは演技の端々に、それを見せていく。それも非常に見事なあたりだと思いますね。この「被害者なんだけど、同時に加害者性も背負わされている」という構図がまず、この作品のすごく面白いところですね。面白いところであり、普遍的なところでもあると思いますね。つまり、親子関係……親子、家族という業、っていうのを示す、メタファーなんですよね、これはね。で、その15年後の稲村家にですね、まさにその「一夜(ひとよ)」、あの夜の約束通り、田中裕子さんが、なんとも真意が掴みづらい佇まいで演じる――この「真意が掴みづらい感じ」がまあキモなわけですけど――真意が掴みづらい佇まいで演じる母親・こはるさんが帰ってくる。

で、この序盤のですね、家族同士がまさしく手探りで……一応、再び家族たろうとする。みんな集まってくるし、たとえば松岡茉優さん演じる長女は、娘らしく振る舞おうと、できるだけ努力はしているんだけども……っていうくだりの、ヒリヒリ、ピリピリするようなお互いの距離感の表現が、まず素晴らしいですね。特にやはり、稲村家の子供たち3人を演じる、いずれ劣らぬ演技巧者たち。このお三方の演技アンサンブルが、程よい緊張感とチームプレイの妙が堪能できる、まさに、極上のセッションですね。このお三方の、セッションですよ。

3人が見事なパス回しをしてるっていうか、もしくは見事なセッションを聞かせてくれているような、どの場面も本当にグイグイ、その3人の表情の変化とか、いろんなセリフのやりとりのテンポ感とかを見るだけでも、めちゃくちゃ引き込まれるし、端的にやっぱりここは、面白いですよね。

■佐藤健・鈴木亮平・松浦茉優、三者のトライアングルがどう変化するかかが見物

たとえばこれ、原作と違って東京に出て、ものすごくですね、ものすごーく昔のコアマガジンっぽい編集部で(笑)、しかも本当の『映画秘宝』編集長の岩田さんにダメ出しをされている、まあ風俗やギャンブルの記事を書いている、ライターをしている次男。それを演じている、佐藤健さんですね。「ああ、たしかにこういう感じの人、ライター業界にいるな! しかもアングラ系ライター業界にいるな!」みたいな感じの、本当に根っから染みついた感じのやさぐれ感。

常に、何事に対しても距離を置いて見ているっていう感じの。それで目がすごく冷たくてっていう。でも、それには何かいろいろあったんだろうな、っていうような感じの佇まい。これは本当に見事なものですね。佐藤健さんのやさぐれ演技というか、ダーク演技は本当にすごいですよね。あの美形でそれをやられるから、またキツいんですよね。こんなきれいな顔をしてるのに、なんでこんなに感じ悪いんだろう?っていうのがまた、キツいんですけどね。(※宇多丸補足:放送時にはうっかり言い忘れてしまったのですが、ここで、映画オリジナルの小道具として出てくるICレコーダーが、本来は次男を未来へ送り出すためのものだったはずが、逆に彼を過去に縛りつけるシンボルにもなってしまっている、という仕掛けも、実によく出来ていると思います!)

で、それに対してですね、同じくやさぐれているようでいて、きょうだいの中では……この3人の中ではわりと大人な、要はその、母親に寄り添おうとしてあげましょうよ、っていう態度だけで、これは大人とも言える、まあ「回し役」ですね。3人の中での回し役、長女の園子さんを演じる、松岡茉優さん。この達者ぶりはもはや言うまでもない。しかもついこの間、『蜜蜂と遠雷』を見たばっかりの我々は、「なんなの、このカメレオン女優?」っていうね。「女優、俳優ってすげえな!」って思いますよね。

特にですね、松岡さんの得意技ですね、「カジュアルな言い回しでのツッコミ」。あれ、絶品ですよね。「お前、◯◯かよ?」とかっていうのを、やっぱり絶妙な、ちょっとだけ……たぶん普通の人よりもちょっとだけ早いテンポ感での、カジュアルな言い回しでのツッコミ。もう本当に絶品ですし。あと、最も手堅く生きているようで、実は最も不器用に生きている長男を演じる、この鈴木亮平さん。鈴木亮平さん自身の生真面目さ、みたいなものも上手くシンクロしているような感じで。とにかくこの三者三様、ベストポジションのこの三兄妹のトライアングル、この3人のやり取りを見てるだけでも楽しい上に、そこに……まあそのトライアングルに絡んでくる第三者によって、そのトライアングルがどう変化するか?っていう。これが、はっきり言って今回の『ひとよ』の最大の見所だ、っていう風に、僕は言い切ってしまいたいと思うんですけども。

■ある意味もっとも重要な役割を演じているのは、意外なあの俳優さん!

第一にはもちろん、不意に帰ってきた、さっき言ったように真意を掴みづらい母親。つまり、もう絶対的に自分の母親で、待ち焦がれた母親でありながら、ある意味最大の「他者」なわけですよ。「何を考えてるんだかまったくわからん」っていう人として帰ってくるわけですよね。この15年間の歳月もあるし。特にですね、4人揃って最初の朝食を迎える食卓での、どこか妙にポジティブな物言いの母親ね。「お母さん、しびれちゃったねぇ」とか。それに対して子供たちの、三者三様の「はあ?」っていう……松岡茉優さんは松岡茉優さんで、寄り添おうとしているのに、やっぱり一瞬、「ええっ? なに、その呑気な物言い?」っていう、一瞬、その表情だけを見せる。

あるいは、鈴木亮平さんはずっとiPadをいじっている、とか。そして特にやはり佐藤健さん。この次男の、まさしく人が「鼻白む」とはこの瞬間なのか!っていう(笑)、その「鼻白む」表情と、目線のちょっとした動かし方と、あと箸でのつつき方とかが、もう絶妙に「うわあ……」っていう。食卓上で交わされる会話は、「うん、いいんじゃんない?」とかって言っているんだけども、この冷え冷えとした会話、この食卓の感じね。しかもこの食卓が、結局、最初は4人揃ってたのに、だんだんだんだんと、急速に寂しいことになっていく、という。まさにこのフード演出も、非常に味わい深いあたりですし。

一方で、フード演出と言えば、その帰ってきたお母さんの歓迎に、バーベキューかよ?っていう(笑)、この能天気さがまた微笑ましい、タクシー会社の面々。ある種、まさに白石和彌監督作らしい、疑似家族っぷり。こっちこそがむしろ、家族っぽいわけですね。コメディリリーフとしての音尾琢真さん、音尾琢真さんのあの、「電話の出方」とかですね(笑)。浅利陽介さんのあの、ビールの飲み方。「オレは行けないよーん」っていうあのビールの飲み方も(笑)、コメディリリーフとしてもう、完璧な役割を果たしていますし。

あとは、このタクシー会社の面々の中でも、あの『よこがお』で一気に持っていった筒井真理子さん。もうこの、圧倒的吸引力。ちょっとした……役割・役柄として、セリフとか場面がそんなに多いわけではないのに、その圧倒的吸引力はもちろんのことですし。あるいは僕、実は大ファンなんですけども、韓英恵さん。『大和(カリフォルニア)』も素晴らしかったですけどね。韓英恵さん演じる通称モーさんの、あのサバサバとした美人の感じとかですね。

やはりこういう面々がワチャワチャしている様を描く時、やっぱり白石さんの映画は、一段と生き生きしだすな、っていう感じもあって、すごく楽しいですしね。そしてですね、忘れちゃいけない。ある種、今作で最も印象的な演技を見せているのは、その鈴木亮平さん演じる長男の別居中の妻を演じる、MEGUMIさん。これ、原作だと、もうちょっとこの二三子さんというキャラクターは、「わかっていない」方向のキャラクターだったのを、アレンジして。今回の映画版では、ある意味ですね、この稲村家という家族のあり方の歪みを、客観的に見て、困惑し、引いて、怒りつつも、改めて家族とは何か?っていうのを問い直して……。

「それでも家族なんだから、やってくしかないじゃないの!」っていうのを問いかける、重要な……ものすごく、ある意味最重要な役割を、MEGUMIさんが演じている。このMEGUMIさんが、本当に微細な演技……たとえば、怒りを押さえ込みながらの、娘への、一応表面上はにこやかな呼びかけとか。あと「はい、行くよー」みたいな時の、あの「行くよー」の感じとか込みで、微細な演技込みで、本当に堂々たる実在感で演じている。MEGUMIさんってこんなにすげえ役者さんだったのか!って、本当に舌を巻きました。素晴らしかったですね。MEGUMIさんね。

■ショット内でシームレスに回想シーンに移行する、白石監督十八番の語り口

と、まあそんな感じで、先程言った稲村三兄妹の、それだけで見ていたくなるようなトライアングルに、こうした様々な第三者の介入があって、要はこのトライアングルが、毎度異なる響きを、しかもセッション的に、化学反応込みで奏でていく、という。これがやっぱり非常に、グイグイグイグイと引きつけられていく吸引力になるわけですね。で、そこに最大の不協和音を最終的に持ち込むのが、佐々木蔵之介さんが演じる……しかも佐々木蔵之介さん、序盤では非の打ち所がない善人としか見えないテンションで、これも見事に演じる堂下さんという人の、やはりその家族との、危ういバランスで成り立ってる関係、というのがある。

これがもちろん、稲村家の過去との対比になっているわけですよね。しかもその、稲村家の過去の出来事っていうのが……その発端となる父殺しの一夜とか、その父親の苛烈な暴力などを、単純なフラッシュバック形式で描くのではなくて。これはもう本当に白石和彌監督の十八番ですね、たとえば『凶悪』中盤での、あの時制の転換ポイントで、どういう演出をしていたか……山田孝之さん演じる記者がずっと追っていたところが、時制が転換する瞬間で、どういう演出をしていたか、思い出してみてください。あれと同じような感じで、シーン内、ショット内で、シームレスに、その回想シーンに移行してみせる。まさに白石和彌監督の十八番の語り口。

そんな感じで稲村ファミリーも、過去のトラウマに立ち向かって、それに対決するかのように、映画オリジナルのわりと派手目な見せ場へと、その佐々木蔵之介さんのサブストーリーとの対比で突入していく、ということですね。で、ここのクライマックスも、たとえば車内の視点でドーン!ってなる大きなクラッシュが起こって、からの、(車の)表に出て、港でのすったもんだ……これ、佐藤健さんの見事な美しい飛び蹴り含む(笑)っていうまでを、やはりワンカットで見せてしまうあたり。さすがの白石和彌作品的な、ホントの生々しさっていうね。ここの表現もすごかったですね。

で、そこでまあ、エンディングに向けて……僕はちょっとイ・チャンドン監督の『シークレット・サンシャイン』を連想しましたけども。要は、「木漏れ日が射す中庭でのヘアカット」という、これはあの『シークレット・サンシャイン』のエンディングも彷彿とさせていましたけども……要は、もっと舞台版の方はなかなかわかりやすく激したりするんですけども、そういうんじゃなくて、もうちょっと映画的な感慨表現とか情緒表現のところに落とし込んでいるのも、すごい好ましかったですし。あと、中庭といえば、この中庭を挟んで、タクシーの営業所とみんなが住んでいる母屋を行き来する、というその空間的な演出もやはり、実に映画的に、その人物の関係性の変化っていうものを物語っていて、これも見事な映画的な翻案じゃないかな、という風に思ったあたりでございます。

殺人という題材を扱うなら、<他者>をもうちょっと具体的に描くべきだったのでは?

ただ、あえて言えば私、舞台版は、その舞台、場所を一点に絞ることで、群像劇としてのまとまりを見せていたわけですね。それを映画版はですね、群像劇色をだいぶ後退はさせているんですけども、まあちょっとは残っているわけです。ちょっとは残っている群像劇性が、ややその語り口の焦点を、僕はボケさせてるように感じるとこもありました。特にですね、稲村家ファミリー以外の人、だけの視点になる場面。まあ、佐々木蔵之介さん家族の話は、こっちの対比のサブストーリーなんでまだいいんですけど。

筒井真理子さんがね、要するにちょっと認知症になりつつあるおばあちゃんの話、っていうのを営業所で語る。ここはいいとして、(営業所の外側の)表の場面が1個だけあるじゃないですか。こっちもやるんだったら、もうちょっとこっちも継続して語りを続けないと。なんでこの一場面だけこれがあるの?っていう感じがして。ちょっとそこが、だったらもっと群像劇として外に話を広げてくのか、どっちかじゃないかな、って思ったりとかしましたし。

そこともちょっと関係する話ですけど、タクシー会社の外側に視点を、当然映画ですから広げていくわけですけども。そういう風に広げていくんだったらやっぱり、そのタクシー会社およびその稲村家を、良く思っていない人々……つまり外部、他者。他者というものを、もうちょっと具体的に見せるべきじゃないかな、って思ったんですね。つまり、殺人という、否応なしにその社会というものと……本来は家族の話なんだけど、殺人ということをしたことによって、社会と強制的に接せられるし、社会からもアプローチされるわけじゃないですか。

にもかかわらず、全てが内部で自己完結、という話のように、その舞台版の限定感を残してるけども、(語りの視点は)外にも広がる。けども、外にも行っているけども、そういう<外>からの視点というものを、具体的に見せない。(中傷の)チラシという形での間接的な形でしか見せないので、その、殺人という外部と否応なく軋轢を起こす題材を扱いながら、内部で自己完結する話にも見えかねないバランスになっちゃっている、というころが、うーん……もう1個、これは行けたんじゃないのか? もうちょっとここは、ヒリヒリさせなきゃいけなかったんじゃないのか? 何なら、じゃあ殺人そのものは……たとえDV男だったとしても、殺人そのものは肯定される感じにしちゃっていいのか? みたいな問いもちょっと浮かんでしまうバランスに……見えてしまうバランスでもある、みたいな感じがしたんですよね。

「親という呪い、子という呪い」を扱った普遍的な話になっている

しかし、極上の演技アンサンブルもありますし。あと何よりもこれ、さっきから「殺人の話」って言ってますけど、ただそういう特殊な事例を扱ってるように見えて、やはりこれはですね、「親という呪い、子という呪い」と言いましょうか。親としては良かれと思ってやったことが、子にとっては重しとなってしまう、一生の呪いとなってしまうこともあるし。子は子で、その親の期待に応えようとするということそのものが、呪いになってしまうこともある、という。どんな親子でもある、普遍的な話のメタファーとしてちゃんと語れていると思いますんで。話としても本当に素晴らしかったですし。

ということで、またまた白石和彌さん、素晴らしいお話をお撮りになりました。文句なしのいい映画でございました。普遍的なホームドラマにもなっていると思いました。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『殺さない彼と死なない彼女』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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