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作曲からピアノ、そして合唱へ~辻志朗さん

コシノジュンコ MASACA

2019年11月24日(日)放送
辻志朗さん(part 2)
合唱指揮者、ピアニスト。1960年東京生まれ。武蔵野音楽大学音楽学科ピアノ科を卒業後、同大学院音楽研究科ピアノ科を修了。1998年から2年間、ウィーン国立音楽大学で聴講生として在籍しました。現在は洗足学園音楽大学の教員として合唱と合唱指導法を教える一方、コンクールや講習会の講師として活動しています。

出水:辻先生のお父さまも合唱の指揮者の第一人者、辻正行さんです。小さいころから音楽へは自然に誘われる感じだったんですか?

辻:そうですね、引っ張られるとかいうのは感じず。兄が小さいころからバイオリンをやったりピアノをやったりしていたので、何となく自分もいつの間にかやっていた、という。

JK:何しろ辻一家は音楽一家ですもんね。全員で合唱じゃなくても、コンサートができますよね。

辻:コンサートもしていましたよ。兄が50歳の誕生日から60歳までの10年間、毎年1回6人でやっていました。兄嫁がソプラノで、兄がテノール、僕がピアノで、家内もピアノ、弟もテノールで、弟の嫁のなかにしあかねが作曲した曲をみんなで発表する、という。

JK:私、一度行ったことありますよ(^^)本当に音楽一家ですよ! お父さまの時代は何か一緒にやりました?

辻:そうですね、父が指揮者をして僕がピアノを弾いて、兄や兄嫁、弟がソロをするという機会はありました。父の還暦のコンサートとか。

JK:すごく優しい素敵なお父さまでしたね。それでうちの母も一目ぼれで! 短かったけど出会ってるんですよね。

辻:とっても厳しい人なんですけど、神楽坂合唱団は楽しいといっていました。「すごいぞ、あそこは!」って言ってました(笑)

出水:ご家族でひとつの演目をやるとなったとき、喧嘩になったりしないんですか?(^^)

辻:リーダーというか、企画とかは兄がやるんですけど、リードをすると言うか全部をまとめるのは弟の嫁の作曲家。頭の構造が違うんですかね? すごく頭のいい子なんですよ。ピアニストはただもうそれに付いていく。僕は一言も文句は言いません!

JK:でもお兄さん面白い人よね。楽しいの! 和やか。もっと太っちょなんだけど(笑)

辻:あの人は笑いを取りに行くのでね(笑)彼も合唱の指揮をしているんですけど、生徒さんが「笑ったことしか覚えてない」っていうぐらい。まぁ目立ちすぎますけどね(^^;)

出水:音楽家として生きて行こうと思ったのはいくつぐらいなんでしょう?

辻:生きて行こうというか・・・音楽高校に入った時に覚悟したっていう感じでしょうね。本当はピアノ科に入るはずではなく、作曲科に行きたくて、高田三郎先生という有名な作曲家の先生についていたんです。でも結局「お前は作曲に向かん」と言われたんですね。それでピアノに転向して。そこからピアニストとして・・・

JK:合唱は? どっちが専門なんですか?

辻:今は合唱ですね。それこそいろいろ途中で変わってるんです。

JK:でも女性たちを相手に、やりにくいでしょう?

辻:でも、音楽高校は120人中男は4人だけだったので。

出水:ええっ! 4人でしたか?!

辻:そこでちょっと女性慣れしてしまったというか、どれだけ囲まれても平気になりました。でなきゃ今は・・・はい。神楽坂女声団はその点トップクラスですからね(^^)

出水:ウィーン音楽大学にはどのような経緯で聴講生になったんですか?

辻:19だったか20だったか、父がウィーンの夏期講習会に行ったらどうだと言って。とにかく海外を見るのは若いほうがいい、と言われて行ったんです。そこですごく刺激を受けまして、街のすばらしさ・・・ベートーベンがいた街ですから! そういうところの空気を吸うことに感動しまして。それから割と毎年のようにウィーンに行くようになりまして、大学院を出た時点で、ここでしばらく勉強したいなと思いました。

JK:どのぐらい行ってたんですか?

辻:2年半・・・ほぼ3年なんですけど。聴講生だった時期が2年半。

JK:学生として? 実際に演奏するとか?

辻:僕がウィーンにいる間に父が何度も演奏旅行に来てまして、そこでピアノを弾いたりはしていました。北欧のほうに行ってみたりとか。

出水:ウィーン国立音楽大学というところでは、学生は毎日音楽に関する実技を受ける感じなんですか?

辻:聴講生なので、どこに行ってもいいんです。一応専科は伴奏科だったんですけど、歌曲の伴奏はプライベートについたり、オペラ伴奏では指揮者の人が練習で振るときにオーケストラのパートを弾いたり。こっちもスコアを読む練習になりましたし。楽器の音を出すタッチの練習だとか、そういうようなことを国立歌劇場のプロのおじいちゃま先生に直接習えるという! 先生が弾くと、オーケストラが直接鳴っているような音がするんです!ピアノなんですよ!

JK:オーケストラの音! ピアノででしょう?

辻:でも僕が弾くと、「お前はこのオペラを知らないだろ」って言われてしまう。始めは訳が分からなかったんですけど、先生が弾くとそういう音がするんです。だからとにかくイメージをするっていうことを学びました。

出水:でもそこから合唱へ・・・合唱とはどのようなご縁で?

辻:本当のことを申し上げますと・・・僕はアンサンブルが好きだったので、ずーっと父の合唱団のピアニストを務めていました。兄の合唱団もやっていました。そうしますと、言われたように弾かなきゃいけない。それがストレスを感じるようになったのと、同じように仕事をしているのに、指揮者のほうがギャラが高いんです(^^;)

出水:な・る・ほ・ど!!

辻:そういうちょっと生臭い動機もあったんです(^^;)やっぱり自分も生きていかなければならなかったので。それが留学のきっかけにもなったんです。それで向こうで指揮法を学んで、発声法を学んで。

JK:でもこれって、耳が良くないといけないですよね。

辻:でもその辺は小さいころから作曲家になろうと思っていたので、そういう早い勉強はさせてもらっていました。・・・みんなやってると思ってたんですよ。でも友達がやっていないことに気が付いて。それは後で親に感謝しました(笑)

出水:・・・そうです、そのころみんなはビデオゲームに夢中でした!

辻:いや、ビデオゲームもない時代でしたから(笑)

JK:私も絵をずっとやってたから、東京に来てみんなマルを描いても、元の位置に戻らないのをみて、なんでできないの?って。誰でもできるもんだと思ってました。

辻:フリーハンドですか? 僕もできないです。ト音記号を描くのがやっとです(^^)

出水:ははは!

JK:辻先生のマサカ、過去にこんな失敗をした!とか・・・何か思い出してください。

辻:そうですね、さっきも申し上げましたけれど、作曲家になるはずだったのにマサカの展開になって。中学3年生の時でしたから、高校に入るときの落ち込みから立ち直るのは、人生のマサカだったのではないかと思います。副科ピアノ・・・ってわかりますかね?

JK:いや、わからない。

辻:ピアノ科に入るためには主科のピアノ科で、もっと上手に弾けないといけないんです。声楽でもなんでもみんなピアノを弾けないと大学に入れないんですけど、「副科」といって主科ほど弾けなくてもいいよ、という試験があった。そのレベルから主科に追いつこうと思ったときはかなりの決意が要ったかな、と思いますね。

出水:辻先生は追いつくまでにどのようなタイムスケジュールで、何をやられたんでしょう?

辻:とにかく高校のときのピアノの先生に練習曲ばっかりやらされまして、チェルニーっていう練習曲・・・みんな嫌がるんですけど、100番から30番、40番、50番・・・私60番までやらされました! そのぐらい「お前は指が動かない、テクニックがなさすぎる」って言われました。

出水:もう毎日、何時間も?

辻:まぁ浪人しましたので、浪人のときは鬼のようにさらってました。

JK:それで・・・認められなかったんですか?

辻:いや、認められて(苦笑) 僕にダメ出しをした高田三郎先生が、院生になったころから僕をピアニストとしてくださったんです。それで合同演奏のピアノに使ってくださったり、初演で使ってくださったり。ですからその時、先生の器の大きさを感じましたね。

JK:合唱もピアノがあっての演奏だからね。聞きほれちゃって、歌うの忘れそうになるくらい(笑)

=OA楽曲=

M1. 麦の歌 / 中島みゆき

「コシノジュンコ MASACA」
TBSラジオで、毎週日曜17:00-17:30放送中です。ラジオは、AM954kHz、FM90.5MHz。パソコンやスマートフォンでは「radiko」でもお聴きいただけます。