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宇多丸、『ガリーボーイ』を語る!【映画評書き起こし 2019.10.25放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『ガリーボーイ』(2019年10月18日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

 

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞して評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品、『ガリーボーイ』

(BGMを聞いて)やっぱり曲がかかると乗っちゃいますね。はい。インドで活躍するアーティスト「Naezy」の実話をもとに、ムンバイのスラムで生まれ育った青年がラッパーを目指す姿を描く。主人公のムラドを演じるのは次世代のキング・オブ・ボリウッドと称されるランビール・シンさん。監督はゾーヤー・アクタルさん。また、字幕監修をいとうせいこうさんが務めてらっしゃいました。

ということで、この『ガリーボーイ』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」。まあ、公開規模がそこまで大きくないですからね。普通ということは健闘しているっていうことだと思うんだけど。賛否の比率は「褒め」が8割。全面的に否定してるような方はいませんでした。

褒めてる人の主な意見は、「主人公のムラドがラップに目覚め、成功していく姿が痛快」「ヒップホップやラップの門外漢でもその魅力がよく伝わった」「インドの厳しい格差社会や家父長制が伝わってきた」「ヒロインを始め、女性たちが皆たくましい」。女性たちが強いですよね。全然女性の方が強いですよね。とか、ありましたね。一方で否定的な意見は「主人公がそこまで悲惨な状況に見えなかった。成功までの道筋も平板で、あまり盛り上がらず」というような声がございました。

■「そうか、これがヒップホップか」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。「夢見る気体」さん。「ヒップホップに明るくない自分が見ても、『そうか、これがヒップホップか』と感じられる映画でした。言葉が分からずとも音が心地よく、かつその歌の内容が主人公の現状をなによりも表現しており、『インド映画ってむやみに歌うよね(笑)』的な風にいまだ軽んじている輩にこそ見せたいと思いました。いとうせいこうの訳もいいですね。個人的に主人公の彼女のキャラクターが好きです。『ムスリム(イスラム教徒)といえば控えめな女性』という私の勝手なイメージを酒瓶で木っ端微塵にするチンピラ娘。こんな外科医は嫌だ!

しかし、差別的な家父長制に縛られ、自由のない生き方を強いられる姿にはどうしたって同情しか持てないです」。あの主人公のお母さんもかわいそうでしたからね。ひどい話ですよ。「……今年は『ヒンディー・ミディアム』といい『シークレット・スーパースター』といい、好みのインド映画が次々と公開されて嬉しいです」。非常にお詳しいんですね。ちょっと僕はそういう意味ではまだまだ不勉強なところでございまして。こういうタイミングにね、勉強をさせていただいているという感じでございます。

一方ですね、イマイチだったという方。「ドロップ・ダ・ボム」さん。「『ガリーボーイ』、いや、いい映画でしたよ。実在のインド・ストリートラッパーの半生という実に興味深い題材がボリウッド流に実に巧みに料理されていたんじゃないですか。登場するキャラクターも良い人ばかりではなく、それぞれ煩悩の塊で人間臭くて。ただ、両手を上げて『5億点!』とまではいかなかったかなと。

まず主人公ムラドの状況に充分感情移入できなかった。キャラクターがはみ出しものであればあるほど成功を手にした時の盛り上がりがあると思うのですが、下位カースト(貧乏)×ムスリム(インドでは一応少数派)だけでは充分ではないのかな? 猟奇的だけれども(すごく扱いづらいけれども)、すごい美人の彼女はいるし、だいたいこの主人公は誰かがそばにいてくれているよね(だから、孤独でもない)。あと、ヒップホップ映画なのに、犯罪シーンも結構あるのにあんまりRAW(生)な感覚じゃない感じ」とか。

あとはこの方、ミュージックビデオも元のオリジナルのミュージックビデオ、NaezyさんとDIVINEさんという方のビデオクリップも見たんだけど、それのチープな感じの良さに比べるとモロにボリウッド化されすぎているんじゃないか、というようなことも書いていただきつつ。「……もっとストリートのざらつきを感じて、ヒリヒリさせてもらいたかったかなと。以上、贅沢な物言いでした」というね。要するに昔ながらのヒップホップファンとしての要望、という感じの方です。ただ、全否定みたいな方は1人もいらっしゃらなかったということでございます。

■「この光景……親しみやすい〜!」

ということで『ガリーボーイ』、私もヒューマントラストシネマ渋谷で2回、見てまいりました。平日昼の回にもかかわらず、どっちもまあまあ入っていましたね。非常に評判が高いというのをうかがわせました。まず結論から言ってしまえば、評判通り、すごく面白かったです! ものすごく真面目に誠実にラップ/ヒップホップという文化に向き合った、正統派音楽サクセスストーリー物としても面白かったですし、またここ日本で、私事ではありますが、長年、ラップ/ヒップホップ・シーンを成り立たせ盛り上げるためにこそいろいろ活動してきた身からするとですね、それこそ本当に「思っていた以上に」というやつですね(※前週の『抽象概念警察』コーナーで取り上げられた言い回し)。事前に予想をしていた以上に、すごい身近に感じられる、「ああ、こういうところ、まったく日本と同じだな!」っていう風に感じさせられる内容でもありました。

というのも、劇中で主人公たちが憧れ、最終的にはそのフロントアクトを目指してオーディションバトルに参加することになるというその存在が、もうヒップホップ・ヘッズには説明不要、言わずと知れた──いまやもう超ベテランラッパーの部類ですが──ナズというラッパー。ナズが、そういう主人公たちの憧れの存在として劇中、非常に重要な存在で置かれていることにも象徴的なように、この映画におけるそのラップ/ヒップホップ観っていうのがですね、とても「90年代的」なんですね。

で、おそらくそれは、インドのアンダーグラウンド・ヒップホップ・シーンの成長段階が、ちょうど90年代段階っていうことじゃないかな、と思うんですよね。ということでもあると思うんですけど、日本の90年代アンダーグラウンド・ヒップホップ・シーンの興隆とも、非常に近い雰囲気がある作品でした。音楽像とか、ラップスタイル的にもそうだし、そのアンチポップな、「リアルヒップホップ」的な……「リアル」であること(が重要視される)、みたいなね。アンチポップ的なアティチュード、精神性も、実に90年代的。

で、僕はまさにその時代、そういうシーンのど真ん中を生きてきた人間なので。そういう意味では、「親しみやすい~! この光景、親しみやすい~! 通ってきた光景〜!」みたいな感じでございました。本当にラップ/ヒップホップに関する場面はすべて、全部通ってきた場面、という感じがします。と同時にもちろん、世界各地でその土地その土地の色がついたラップ/ヒップホップ文化が根付き、花開いたように、やはりこの場合も、インド社会特有の事情というのがそこに反映されている。

と言っても、それはやっぱり格差であるとか差別、要は「社会的な抑圧」というユニバーサルな問題とも必ず結局は接続してくるわけなんですけども。とにかく、海外のラップ/ヒップホップを聞く時のこういう気持ち……「ああ、そっちはそういう感じなのか。こういうところは同じだし、こういうところはお前らも大変だな」みたいな。そういう、要するに他国の事情、他国の若者の事情とかが、切実なものとして伝わってきたりもする。

とにかく、私はその、インドの人とは全く生まれも育ちも、縁は全く無いに等しいですよ。生まれも育ちも全く違うはずの若者の物語が、やっぱりラップ/ヒップホップというプラットフォームを通すと、一気に身近なものに、切実なものに感じられる、という。まさにこの文化ならではのマジックというものが、この映画には確実に込められているし、確実にそれが機能しているな、という風に思いました。

ワルでも真面目でもない、「宙吊り」な人間が言葉を見つけた時こそ……

ちょっと順を追っていきますけどもね。まずオープニング、やはり90年代、90’sチックな、ちょいジャジーなヒップホップのインストビートに乗せて、主人公の友達のワルめのやつが街を闊歩するという。このオープニングの画作りとかテンポからして、「ああ、これはなかなか良さそうな映画が始まりますぞ」と期待させる感じなんですけども。で、彼の車泥棒に巻き込まれる形……最初はこれが主人公なのかな?って思っていると、後ろから、その主人公のムラドが登場する。後ろから、地味な感じで登場するわけです、最初は。

なんか脇のやつ、みたいな感じで登場をするわけですけども。僕ね、本当に申し訳ない、インド映画、まったく詳しくなくて。このタイミングで諸々、慌てて勉強させてさせていただいたという……その結果、この主人公ムラドを演じているこのランビール・シンさんという方。まあ現在のボリウッドでもトップクラスのスーパースター。めちゃめちゃ稼いでいる人でもあるという。しかもこのランビール・シンさん、この『ガリーボーイ』だけを見て……インド映画に詳しくない人には信じられないと思いますが。

僕も1回目見て、後から調べて愕然としたんですけども。このランビール・シンさんはこれまで、わりと派手めのチャラめのちょいワルめ。筋肉美をセクシーに見せびらかす。でも、陽性キャラなので親しみやすい、憎めない、みたいな感じ。とにかくそういう「陽性チャラ・ちょいワル」イメージで知られた方なんですね。これ、画像検索していただくと一発でわかりますし、歌い踊る姿なんかを見ると本当に華やかで、みたいな感じなんですよね。

いままでの出演作とかも、そういうようなちょいワルイメージ、ちょい派手イメージみたいなのがあったりとかしますし。あと、何度か共演されてるディーピカー・パードゥコーンさん。『トリプルX:再起動』とかに起用されていた方ですけども。いま、ご結婚されたお相手の方とかもスーパースター女優で、めちゃめちゃに美人だったりとかして。とにかくめっちゃ華やかな人なわけですよ。だから、とにかくそういう人が演じる人としては、今回の主人公ムラド役、完全に彼のパブリックイメージとは正反対なわけですね。

だから知らないで見たら……でも、これは本当に演技が見事で。知らないで見たら、本当にこういう人だとしか思えない。元のパブリック・イメージが信じられないぐらいの、見事な演技なんですけども。内気で真面目。それで服装とかもどっちかっていうと垢抜けないタイプという。スクエアなタイプっていう感じですね。なおかつ、性格的にも完全に非マッチョ型というか。おそらく体型も、普段のランビール・シンさんの100%の状態からは、かなりフワッとした身体にしている。非マッチョ的な存在感でもあるという。

で、僕はここが本作『ガリーボーイ』、面白いところだなって。で、個人的にまた身近に感じたあたりでもあるんだけど。要はこの主人公ですね、ラップ・ヒップホップに憧れて、後にその道で成功をしていく才能がある。しかも、ムンバイのダラヴィという、ダニー・ボイルの『スラムドッグ$ミリオネア』でも舞台になった、スラム街で生まれ育っている。ザ・ストリート育ち。まさに「ガリー(路地裏)ボーイ」なんだけども……いわゆるストリートの不良タイプでは、まったくない、むしろ、そういう友達を真面目に諌めたりしている、という。

で、あまつさえ、親から学費を出してもらって、しっかり大学にも通っている、っていう感じなんですね。なので、だから「スラムが舞台」っていう時に想像されるような、もう激貧の暮らしとは、ちょっと違うわけです。で、ちなみにこれ、監督曰く、『スラムドッグ$ミリオネア』でのダラヴィというスラム描写は、ちょっと誇張しすぎだ、という。とにかくダークな面とか汚い面を強調しすぎで、もちろん汚い面とか超貧しい部分もあるけど、人々の暮らしそのものは、結構小ぎれいに暮らしてたりもするもんなんだ、みたいなことをおっしゃってましたけどね。

まあとにかく、しっかり大学にも通っていたりする、ということなんですね。ただ、同時に彼は、学費を出している彼の父親が歩んできたような、「身分相応の人生」にも、やっぱり飽き足らないものを抱えていて……っていうことで。つまり彼はですね、いわゆる「ラッパーらしさ」からも微妙にずれるキャラクターだし、かといって、親のような人生、その社会的階層におとなしく甘んじることもよしとできない、という。つまり、そういう社会的に位置付けが宙吊りな、ワルにもなれないし、でも真面目にもなりきれないっていう、宙吊りなところにいるキャラクターを、あえて主人公にしている。

だからこそ、彼が「自分が自分であることを誇る」©️K DUB SHINE──素晴らしい言葉だと思います──自分が自分であることを誇るための言葉を手にしていくプロセスが感動的だし、それがまさにラップ/ヒップホップの本質そのものをえぐり出している、っていう。そういう風に語ってみせる、この映画の作り手の視点がですね、非常に鋭いし、的確だ、という風に思います。これ、だから結局彼は、いわゆるラッパーらしい言動を取るだけでもダメ。親が言うとおりの「らしさ」に従うだけでもダメ。「自分の言葉」を見つけないとダメ。で、自分の言葉を見つけたものこそが、でも実はいちばんハードコアなラッパーたりうる、という。

で、彼はだから、自分が中途半端なところにいるという意識があるから、「オレにはなにもない」なんてことを言って、バトルで罵倒されると気圧されちゃうんだけども。そうじゃない。「なんにもない」人間なんていないんだ、っていう。ここに設定したところが、非常に鋭いし、的確だと思いますね。

■監督&脚本家のテーマは「「らしさ」の抑圧からの解放、そして社会格差の問題」

で、監督のゾーヤー・アクタルさん、あるいは脚本のリーマー・カーグティーさんはですね、どちらも女性で。たとえばそのゾーヤー・アクタルさんの過去の監督作。これ、僕は本当にすいません、インド映画に明るくなくて、このタイミングで見られたのはこの2つだけで本当に申し訳ないんですが、2つ、Netflixで見られるオムニバス映画があって。2013年の『ボンベイ・トーキーズ』と、それの続編的な扱いなんですかね、2018年の『慕情のアンソロジー』という。どちらもNetflixで見られますが。

たとえばその前者『ボンベイ・トーキーズ』のゾーヤー・アクタル編はですね、いわゆる昔ながらの家父長制的な、怖いお父さん。「男は男らしく」が当然だと思ってる、完全にそこに囚われている、怖いお父さん。今回の『ガリーボーイ』に出てくるお父さんしかり、インド社会におけるこの家父長制の強さというのは、ちょっと我々が見てもびっくりしちゃうレベルな感じ、しますよね。とにかくそういう、いわゆる昔ながらの怖いお父さんの元で育つ男の子が、実は、歌って踊る「女性」エンターテイナーに憧れていて……っていうような話。つまり、要は「“らしさ”の抑圧と、そこからの解放」がテーマだったりするんですね。

あるいは後者、『慕情のアンソロジー』という作品のゾーヤー・アクタルさん編はですね、雇われ先の息子と実は性的関係にある家政婦の女性の視点を通じて、ちょっとね、酷薄なまでの社会格差と性差別の構造っていうのが、すごく嫌な感じで浮かび上がってくるような、そういう一編だったりもする。ということで、明らかに今回の『ガリーボーイ』とも通底する問題意識を、以前から持っていたつくり手だ、ということは言えると思いますね。要するに、「らしさ」の抑圧からの解放、そして社会格差の問題……今回もね、性差別の問題も当然入ってきますからね。

■見ているこっちが悔し泣き。「本当にこの文化を愛しているのは、オレの方なのに!」

で、そんなこんなで『ガリーボーイ』の話を……「順を追っていきます」って言ってまだ冒頭数分の話しかしていませんけども(笑)。冒頭の話に戻しますけども。そういう感じで、基本真面目なムラドくん。「車泥棒なんて聞いてねえよ!」って真面目に怒っているかと思いきや、ラジオから流れる「ラップ入りポップソング」に、「脳が腐る!」とさらにご憤慨、っていう感じなんですよね(笑)。で、実はこれ、さっき言った、その非常に真面目な子なんだけど、この一言で、さっき言った90年代的な「リアルでアンダーグラウンドでハーコー」なヒップホップ原理主義者でもあることが、早くも示される、というね。

ただのおとなしいやつじゃない、っていうことが、ここで分かるわけですよね。で、タイトル……『ガリーボーイ』っていう、その後の彼のMCネームになる、「路地裏少年」っていうような意味のタイトルが出て、そこから人物・設定紹介シークエンスがしばらく続くんですけども、これが実にテンポよく、手際もスマート。たとえば、アーリヤー・バットさん演じるサフィナという恋人と、実はこの主人公が密かな恋仲である、ということを、セリフを全く使わずに示してみせる、あのバス内のシーンのキュートなこと。お互いに見入っているかと思ったら、距離をつめて、やおらイヤホンをつける。『ラ・ブーム』オマージュと言っていいんでしょうか?(笑) わかりませんけどね。あれのキュートなこと、っていうのもありますし。

と、同時に、彼女がまとっているヒジャブとか諸々から、彼らがインドの中のイスラム教徒である、っていうことも伝わってくる。インド国内、イスラム教徒は結構いて。3億人だか、世界第何位っていうぐらいのムスリムの方がいるんだけども。ただ、インドという国の中ではやっぱり少数派で、劇中でもそこは軽く触れられていますけども、やっぱり社会的に差別される局面も多々ある。就職とかなかなかできないような局面がやっぱりあるらしい、という。で、一方で、でも彼女は歯科医の娘で、そこまで貧乏ではなさそう。なんだけど、やっぱり女らしさの抑圧……「こういう風に生きろ」っていう抑圧は非常に強く受けている。そこの不満を、押し隠しながら生きている。

で、その彼女から見るとまだ自由な存在に見える、そのムラドというのは……でもそのムラド家は、大変なことになっていて。お父さんが、あれ、若い第二夫人ですか? それを家に住まわせるという。これはさすがに我々の常識ではちょっと考えづらい、非常に気まずさマックスな状態に家がなっている、という。で、ここで泣かせるのは、主人公ムラドくんが、そのやりきれない状態、家庭の事情から心を守るため、その心を守る鎧として、ラップ/ヒップホップを聞いているわけですよ。あそこで聞いているのは、エイサップ・ロッキーの「Everyday」というですね、あの曲を、ボリュームを上げて聞いている。ちょうど『シング・ストリート』のあの子供たちが、両親の言い争いから耳を塞ぐためにロックを聞いていたのと、まったく同じ、ということなんですよね。

で、さらにここ、個人的にちょっと涙腺を直撃されてしまったところなんですが、そんな彼らのそのスラムの住まいに、ロンドンから「スラム観光ツアー」の御一行が、ズカズカと家に上がり込んでくる。これ、本当に『スラムドッグ$ミリオネア』のヒット以降、こういうツアーが増えたらしいんです。で、その中の1人……その、来る人たちには悪気はないんですけども。「ナマステ」とか言っているんだけども、その中の1人に、ムラドは「Nice T shirt.(いいTシャツだね)」と英語で話しかける。それは、さっき言ったラッパーのナズの顔がプリントされたTシャツを着ている。そしたら、その白人男性が、「当然お前はこれが誰だかは知らんだろうが、教えてやろう」っていう調子で、ナズの説明をする。

そこにムラドは、「知ってるよ」と言わんばかりに、かぶせるように、ナズの名曲「N.Y. State of Mind」──『Illmatic』の1曲目です──「N.Y. State of Mind」の一節をキックしてみせるわけですね(「Rappers I monkey flip em with the funky rhythm I be kickin/Musician, inflictin composition/of pain,I’m like Scarface sniffin cocaine/Holdin a M-16,see with the pen I’m extreme,now」)。「ああ、知ってるんだ。へー、すごいね。写真を撮らせて」って。で、顔をこうやって隠して、写真を撮られるムラド。ここ、思い出すだけで、オレが悔し涙が出てきちゃう。要するに、ラップ/ヒップホップに親しんでいて当然に思える国、場所でないところ……当然、アメリカ本国というものがありますから。まあ、「日本でラッパーをやるなんて」っていうことで、内外の人々に奇異に思われる。まったく同じように、たぶんインドの若者もいまだにそうなんでしょう。

でも、かの文化を愛してきた、そして救われてきた者ならではの、疎外感や屈辱。「本当にこの文化を愛しているのは、オレの方なのに!」っていう、その屈辱と疎外感、悔しさ。「でも、オレは好きなんだ!」っていうこの感じ。すべてが、この短いやり取りの中に見事に集約されている。素晴らしい場面だと思いましたね。

■ラッパーとしての成長がそのまま主人公・ムラドの人間的成長になっている

で、まあそんな鬱屈を抱えた主人公ムラドさんが、大学構内でのライブパフォーマンス……ここも面白いなと思ったのは、聴衆の手拍子が、オンビートなんですよ。「パン、パン、パン、パン……」って。「ウン、パン」じゃなくて、「パン、パン、パン……」って。日本とかの音頭などのように、昔ながらのオンビートで手拍子をしていて、興味深いなと思いましたけどね。

で、その大学の中でのライブパフォーマンスで、後に盟友となるMCシェールというね、これを演じているシッダーント・チャトゥルベーディーさんはこれですごく大抜擢をされたらしいですけども、彼に感化されて、主人公は自分でもライム、本格的にリリックを書いてみよう、という風にするわけなんですが。このあたりも結構僕は、涙なしには見れなかったくだりで。まず、お父さんがケガをしちゃった代わりに入ることになる、金持ちの使用人の仕事。で、お父さんは「これぐらいがお前の一生の仕事なんだ。オレもお前もさ。オレだって辛い思いをしてるんだよ」みたいなことを言っている。そういう使用人の仕事をする。

で、そのムラドが運転手をしながら……そこの金持ちのオヤジに、オール英語で「見ろよ! 大学を出ただけじゃこいつレベルだぞ?」って、露骨に見下されるという。で、その娘たち、富裕層の未来ある若者たちがおそらく大学卒業パーティーですかね、楽しんでる間、駐車場で待つその主人公が……そこの駐車場のイルミネーションが、彼が乗っているベンツに星々のように反射して、とても美しい。これがまた、その美しい世界からは阻害されている彼、っていうものを映像的に際立てていて、本当に素晴らしい場面なんですけど。

そこで彼が絞り出す、「オレの時代が来るんだ!」っていう。「全然お前の時代なんか来る気配、ないぞ?」っていう、そういう場面だけども、「オレの時代が来るんだ!」って……せめてもの尊厳を守るための、ギリギリの場所で、自分を鼓舞するような言葉を絞り出す。それが彼にとっての、最初のライムになるんです。そして、本作におけるクライマックス、ここ一番での勝負所でのライム、リリック、ラップになっていく、というあたりだと思います。

で、この映画は、さらにそこからのプロセスというものも、非常に丁寧で。たとえば、サイファーという、輪になってフリースタイルをするという、日本でもやっている子、たくさんいますけども、あのサイファーの場で、MCシェールに自作の詞を渡そうとして、断られる。つまり、「自分の詞は自分の立場で、自分の言葉で歌うんだ」っていう、ラッパーとしての基本スタンス、これを一般の観客も同時に学んでいける、っていうことになっているし。「中身がよくても、リズムがよくなきゃダメ。音楽的によくなきゃ意味がないぜ」とか。「ラップがよくても、トラックがダサけりゃ意味がないぜ」とか。そういう感じでね。あとは「バトルで相手が言うことをいちいち真に受けちゃダメだぞ。おまえ、傷ついているんじゃねえぞ」みたいな。

あのバトルシーンがアカペラなのもね、最近のアメリカの主流はあれらしいですけどね。僕、個人的には、ビートの解釈が入った方がバトルは面白くなるとは思うけど。でも、劇的にはそっちでもいいでしょう。「相手の言うことを真に受けちゃダメだぞ」とか。なにより、「『オレにはなにもない』なんてことはない。誰にでも語るべき物語があって、それこそをラップとして吐き出せ!」とか。とにかくラッパーとしての心得というものを、ひとつひとつ丁寧に、この映画はレクチャーをしてもくれる。

そしてそのプロセスが、そのままムラドの成長にもなる、という。一段階、一段階、人から認められる体験を重ねていく、その根源的な歓び。もちろん僕もかつて、そしていまも味わっているものを、とてもみずみずしく追体験させてくる。これが今作、この映画の、最大の美点だと思うんですけどもね。はじめて人前でラップをして、褒められる歓び。はじめて、それっぽいデモテープ、デモ曲が作れたワクワク、とか。あと、はじめてミュージックビデオを撮った時の「いっぱし感」。たしかに、不満メールにもあったけども、あのミュージックビデオ、ちょっとボリウッド的によく出来すぎだし、あと、振り付けがついているのがちょっと、90年代ヒップホップ的ではないんですけどね。

まあでも、それらすべてをひっくるめて、憧れ続けたものに、はじめてタッチする感覚。まさに『桐島、部活やめるってよ』の、あの神木隆之介くんが言うセリフそのままですね。で、その意味で、本作で作劇上の目標となるアーティストとして設定されて……それで、脚本を読んで感動をして、エンドロールで流れる曲も一緒につくろう、エグゼクティブ・プロデューサーにもなろう、と言ったナズ。これやっぱり、本人が登場!というくだりはあってもよかったかな、っていうのは、一ヒップホップファンとしては思うあたりでございます。

そこからさらにね、「ナズに冷たくされる」っていうようなくだりがあると……ここからそうなると、『ハッスル&フロウ』的な方向にも行きますけどね。ぜひみなさん、『ハッスル&フロウ』も名作なんで、見てください。そこがあるからあの映画はすごいんだけどね。

■ラップ/ヒップホップ映画でまた新たな忘れがたい作品が生まれた

あえて本気の難をいえば、インド映画らしく154分。内容のわりには長尺。ジャンル的な内容の割には長尺なんですが、正直、彼女の嫉妬とムラドの浮気で揉めるくだりに、こんな尺を割く必要、あるかな? その時間があったら、ムラドがアーティストとして、なにか壁にちゃんとぶち当たる……それこそ憧れていた人に拒絶されるとか、そういったくだりが必要だったんじゃないかな、って思うあたりではございますが。

ただ、さっきから言っているように90年代ヒップホップ・イズムあふれる楽曲の数々、楽しいですし。インドのラッパーたちも、すごい上手いなと思う人もいっぱいいました。音を聴いているだけでも楽しいし、いとうせいこうさん監修の字幕、がんばってライミング感も表現していて。本作の重要な要素である、ラップそのものの楽しさ、面白さも、日本語脳に直接リアルタイムで叩き込んでくれる。こういうのがあるので、まあ長尺ではありますが、情報量多めで、退屈はもちろんしません。ラップ/ヒップホップをテーマにした映画で、またまた楽しい作品、重要な忘れがたい作品が生まれてしまった、と思います。あと、インド映画をもっと勉強しなきゃな、とも思いました。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパートにて)『ガリーボーイ』のね、インドのラッパーたちの上手い人の話とかもすごいしたかったですね……(以下略。来週の課題映画は『ジェミニマン』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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