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宇多丸、『蜜蜂と遠雷』を語る!【映画評書き起こし 2019.10.11放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『蜜蜂と遠雷』(2019年10月4日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

:(森崎ウィンさんのラジオ・ジングルを聞いて)フーッ! 俺たちの森崎ウィン!っていうことですね。はい。ということでここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品、『蜜蜂と遠雷』直木賞と本屋大賞をダブル受賞した恩田陸さんの同名小説を松岡茉優、松坂桃李、森崎ウィン、鈴鹿央士などの共演で実写映画化。若手の登竜門とされるピアノコンクールを舞台に、才能あふれる4人のピアニストの挑戦と成長を描く。監督・脚本・編集を務めたのは『愚行録』の石川慶さんでございます。

さあ、ということでこの『蜜蜂と遠雷』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」。あら、そうですか。なんですが、賛否の比率は「褒め」が9割。絶賛評が多いです。褒めている人の主な意見は、「予想を上回る出来栄え。文句なしに今年ベストワン」「映像化不可能と思えた原作を見事に映像に置き換えていて、見事な映画にしてみせた」「松岡茉優の演技はもちろん、森崎ウィン、松坂桃李、そして新人の鈴鹿央士と全員の持ち味が生きた演技も見応えあり」など、かなり熱量の高いメールが多かったです。

一方、否定的な意見は「主人公たちの成長がよく伝わってこない。上っ面だけの印象」「原作ファンだが、小説からの改変ポイントに納得がいかなかった」などなどがございました。まあ、原作小説が非常に人気ですからね。思い入れが強い方もいらっしゃるでしょうからね。

「これこそが映画を見る歓び!」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介しましょう……ラジオネーム「切れ目はない」さんです。「『蜜蜂と遠雷』、原作未読・なにも知らないまっさらな状態でウォッチしてまいりました。結論から申しますと、自分でもびっくりするほど食らってしまい、我ながら『それはさすがにどうか』と思いながらも、いろんな名作傑作をぶち抜いて、いきなり年間ベストというところに置いてしまいました。

今作はとにかく『浴びる映画』であり、またその浴びせられ方が尋常ではない上、言うなれば五感を開いて世界を感じる、世界に向き合うという作品の主題が、この映画の『浴びる』感覚と完全に一致しているため、この作品に描かれる世界、そして我々の生きる現実の世界を全肯定したくなるような感慨に襲われました。そしてそれを実現している圧倒的に豊かな音と映像の表現。ありとあらゆる演出と撮影の手法の組み合わせで非言語的部分で満たされてる今作は、これこそが映画を見る歓びなんだ、という深い感動を味あわせてくれます。

これがまさか小説が原作だなんて全く信じられません。さらにその豊かな作品世界を体現する役者陣も絶品なら、その生き生きした人物たちがそれぞれ響き合うストーリーもまさに絶品。ラストの引きと余韻も完璧とくれば、それはもう褒めちぎるしかできません。私の本来の好みとは違う映画ですし、なんなら後回しにしてしまうようなところだったのですが、やはりこういう衝撃的な嬉しい出会いがあるからこそ、特定の何かだけでなく、様々なものに触れてみるという楽しみ方はやめられませんね」。

全くその通りでございます……! 本当にガチャシステムとかさ、「宇多丸が見たいのを見ればいいじゃん」っていう意見があるのはわかります。それもわかります。でも、やっぱりこういうことなんですよね。その「見れば(出来が)いいのだろう、けども後回しにしがちなやつを見たら……思ったよりもすげえ!」みたいなのがあるからなんですよね。はい。ありがとうございます。

一方、イマイチだったという方もいらっしゃいます。「きんぴかごぼう」さん。「原作を読んでいた作品だったので、やはりあの臨場感を体感できるのかと思いながら見ました。演奏のシーンは迫力があり、クラシックに明るくない私でも息を呑んで入り込みました。ちょっと物足りなかったのは、主人公・亜夜の苦悩や(鈴鹿央士さん演じる天才児)風間塵の型破りな人物像、カデンツァ(自由演奏)を生み出すまでの4人の心の動きの描写です。映画の2時間ではやはり厳しいかと思います。演技は新人の鈴鹿央士さんと松坂桃李さんの自然な感じが良かったですね」というようなご意見でございます。

あと、こんなのもいただいております。音楽ライターの小室敬幸さん。『「私たちはまだ本当の第九を知らない! ベートーヴェンの交響曲第九番を徹底的に味わいつくそう」特集』でお越しいただいて解説いただいて。非常に楽しい、深い特集でございました。僕もね、実はあの特集を思い出していました。「クラシックってめっちゃ面白い! みたいな勉強したっけなー」って。

で、「クラシックの音楽ライターや音楽評論家の間では映画の内容に賛否あるようなのですが、私自身としてはあまりに心に響きすぎて、一次予選から涙なしには見られませんでした。ただただ最高。生涯における特別な映画のひとつになりました」。で、いろいろと書いていただいて。「……登場人物全てが『いるいる! こういう人!』と感じられるばかりではなく、たとえば出場者として貼られた写真も実は実在の若手演奏家ばかり」。あの、最後に「コンテスト写真提供」っていう風にクレジットが出てきましたもんね。

……私が学生時代から日常的に接していた世界と映画の中が地続きになってるので、たまたま私がまだ知らないだけで、実際にこの映画の中に登場するエキストラを含む全ての登場人物が実在するように思えてならないのです。たとえば平田満さん演じるステージマネージャーは、この業界では知らぬ者はいない伝説的な宮崎隆男さんという方を思い起こさせますし、片桐はいりさん演じるクロークのおばちゃんは実際にホールのクロークやチケットもぎりでバイトしていたとしても、私にとっては全然悪目立ちせず、多少戯画化されていたとしてもかなりリアル。そのおばちゃんにもちゃんとストーリーがあったりと、脇役であっても映画本編で描かれてない人生の奥行きを感じさせてくれるのが素晴らしかったです」。

片桐はいりさんはまたね、キネカ大森のもぎりの姿とも相まって、まさに片桐はいりそのもの!って感じもする、素晴らしいキャメオ出演でしたけどもね。はい。ということでみなさん、メールありがとうございました。私も『蜜蜂と遠雷』、バルト92回、見てまいりました。ちょっとこの2回ともね、深夜回とはいえ、もうちょっと入っててもいいんじゃないかな、というような感じはいたしましたが。

明らかに映像化に向かない原作に挑んだ制作陣

とにかくですね、今日はとりあえずみなさんですね、本作の監督・脚本・編集の石川慶さんという方。名前をもしご存知なかった方はぜひ、この名前をしっかり覚えて帰っていただきたいなと思います。この石川慶さん、2017年の長編映画デビュー作『愚行録』というね、貫井徳郎さんの小説の映画化。これがまずは、本当に素晴らしくてですね。並みいるキャストから「最高の最低人間演技」を引き出しきる、というその演出手腕。

冒頭、ツカミのあの妻夫木聡さんからしてもう、「最低! つまり、最高!」っていう感じで(笑)。全員が「最低! つまり、最高!」っていうね。あと、ちょっと日本映画ばなれしたようなルックというか、日本映画ばなれしたようなスタイリッシュな画面構築センス……と、思っていたら、実際にこの方、ポーランドのウッチ映画大学という名門中の名門で学び、撮影監督もその同窓のピオトル・ニエミイスキさんという方を呼んできてやっていたりする、ということでね。だからか、っていう感じもあるんですけどね。ちなみにこの石川さん、その前は、東北大で物理学を修められていたという方で、非常に変わり種でございます。ともあれ、明らかにこれはすごい才能が出てきたな、という風な感じだった長編デビュー作『愚行録』。その後いろんな映画賞も獲られましたし、僕もこのムービーウォッチメンではガチャがどうしても当たらなかったんですが、『映画秘宝』のその年のベストには入れたはずでございます。はい。

ちなみにこの石川さん、ちょっと奥ゆかしい方ということなんでしょうか、その『愚行録』も今回の『蜜蜂と遠雷』も、エンドロールでですね、ご自分のクレジットが、なぜかものすごい中途半端な、途中のところに出てくるんですね。ご自分のが。今回なんか脚本・監督・編集なんですよ? だから結構珍しいタイプですよね。(自分のクレジットを)ドーン!っていうことをやらないっていうね。ともあれ、長編二作目となる今回の『蜜蜂と遠雷』。そもそも恩田陸さんによるその原作小説が、直木賞と本屋大賞をダブル受賞という、非常に評価も人気も高い作品で。読んだことがある方も非常に多かったと思いますが。

小説としてのボリュームもかなりあるし。僕もこの機会にがんばって読破、という……めちゃめちゃ面白かったですが。なにより、そのピアノコンクールに出場する天才たちの天才的演奏というのを、文学的表現によって読者に想像させることで成り立っている。言ってみれば文学表現ならではの強み、っていうのを全面的に活かして書かれている小説なわけですね。恩田さん自身が「小説でしかできないことをやろうと思って書いた小説だ」っていう風に明言をされているわけですね。

それを、わざわざ改めて、具体的な音、音楽、そしてそれを演奏してる姿として聞かせ、見せなければならない映画化、というのはですね……ぶっちゃけ難しい部類の原作というか、まあはっきり言えば、普通なら明らかにやらない方がいいタイプの原作ですね。無茶なわけですね。なんですけど、むしろそのハードルの高さにこそ発奮したというプロデューサー陣が、その『愚行録』、一作目の力量もさることながら、それまでドキュメンタリーなんかも撮ってきたという経歴も含めて評価して、白羽の矢を立てたのが、先ほどから言っている石川慶さんだった。これはパンフの解説に書いてあることですけども。

■「前後編はやめてくれ」という原作者の要望に応える見事な映画的脚色

じゃあ、さっき言ったような原作小説からの映画化、そのとてつもないハードルの高さ。これを作り手たちは、どのようにクリアしようとしたのか? ということなんですけど。まずですね、非常にボリュームがあって、そのまま全ては、もちろん劇場用映画に置き換えることはできない。もし置き換えたとしても、ものすごい説明的になっちゃいますね。言葉で全部を説明しているわけですから、当然のことながら。

そのまま映画にはできない原作のストーリーを、どう脚色、翻案、アダプテーションしていくか?っていう部分なんですけど。これに関しては、まず原作者の恩田陸さんから強い要望があったと。これ、近年日本映画では非常に多いパターンですけども、「とにかく前後編にするのはやめてくれ」という。「どうせ全ての話を映像化するのは無理なんだから、独自の形にしてください。前後編はやめてくれ。それよりも小説の中でみんなが見たいと思っている見せ場をまとめて、ちゃんとした映画化にしてください」というリクエストがあったという。で、それを踏まえて石川慶さん自ら脚本化をした、という。

で、まず、その見せ場を、分かりやすく絞ってますね。2つに絞っている。ひとつは、宮沢賢治の詩集『春と修羅』というのをテーマにした新作の課題曲。特にその後半に用意された、さっきもメールにあったカデンツァという、要するに即興も含めた自由演奏の部分で、メインキャラクターたちの個性がそれぞれ際立つ、というくだり。これがまず最初の大きな見せ場になってます。これ、現代音楽の世界的な作曲家である藤倉大さんがですね、「原作小説にこう書いてある」っていう描写を、忠実に音楽に置き換えてみせた。忠実に具現化してみせた、という曲になっている。

だから、具体的な「すごい曲」として実際に聞かせている、っていうこと。まずこれが半端ないと思うんですけど。で、ともあれその『春と修羅』シークエンス、そこがひとつの見せ場。

もうひとつはクライマックス、鹿賀丈史さん演じる、やはり世界的な指揮者が率いるオーケストラとの演奏を、どう乗り切るか、というところで。この2つに大きく見せ場を絞っている。絞りつつ……登場人物や描写は当然のように大幅に刈り込む一方で、特に松坂桃李さん演じる高島明石という、言ってみれば「市井の人」寄り視点のキャラクター。仕事もしてるし家族もいるという。「生活者視点の音楽をやりたい」なんて言っていましたけども。

彼の果たす役割、その意味を、大きく、実は映画版の方は広げているんですね。そうすることで、より登場人物同士、展開同士が、有機的に響きあうような劇的効果、そしてテーマ的な掘り下げ、っていうのが、より増していたりするような効果を出している。ということで、まずはこの、監督の石川慶さんご自身による映画用脚色が、非常にお見事な仕上がりだと思います。

■「ミュージックファースト」な体制で始まった撮影

ただ、これはまだハードルの、まず第一歩にしかすぎない。もうひとつのハードル、こっちこそが真の難題なわけですけど。まあ、さっきから言ってる、「文学ならではの天才的音楽”“天才的演奏。ねえ。もうだって、「ものすげえ」わけですから。「ものすげえ演奏」とか、これをどうするんだ?っていう話じゃないですか。

で、ここで安易な映画だったらまあ、1人の音楽担当、それもまあ普段は映画音楽専門でやってるような人、1人に任せてやったりとかっていうような、そういういちばん安易なやり方っていうのも、いくらでもできたはずなんですが。今回この映画では、つくり手たちは明らかに、その音楽というものに対して、実に本気な姿勢で臨んでおりまして。まず、俳優側のキャスティングが決まる前に、主要4人のキャラクターに合った、実際のトップピアニストたちをそれぞれキャスティングしている。この順番でやっているわけですね。

主人公の栄伝亜夜は、河村尚子さん(訂正:放送では「かわむらなおこ」と言ってしまいましたが、正しくは「かわむらひさこ」でした。お詫びして訂正いたします)。マサルという世界的に活躍しているアーティストは、金子三勇士さん。高島明石はら福間洸太朗さん。そして風間塵という天才的な少年は、まさにその似たような感じもある藤田真央さん、という。これ、今回それぞれのキャラクター、各々のインスパイアアルバムを出したりしているぐらいですけども。で、もうそれぞれが実在するトップピアニストで……その、それぞれのキャラクターに合ったピアノを、本当にいるピアニストたちを使って、撮影が始まる前に、先にそれぞれのキャラクターの演奏の録音を済ませて、という。

で、俳優たちは、そこから演技を膨らませていった。実際のその人たちが弾いている姿とか、あとはたとえば亜夜さんだったら、河村尚子さんが水筒を持ち歩いている、ということを元にして、あの水筒を持ち歩くというディテールを膨らませたり。まあ、いろんなジェスチャーとかも膨らませていったりした。まさにミュージックファースト、音楽ファーストな体制でつくられた作品、っていうことなんですね。さっき言ったように、藤倉大さんによるオリジナル曲も、原作のその文学的描写っていうものを、執拗なまでの忠実さで具現化、具体化してみせたものになったりしてる、ということですね。

■物語の中で“凄さ”を伝えるために重要なのは、「目撃」する側の演技

ただ、これもまだハードルの、第二段階目ですよね。それらの素晴らしい演奏を、映像の中で説得力あるものとして見せられなければ、何の意味もないわけですね。で、これは当然キャスティングの話になってくるわけです。これ、演奏をする側が重要なのは言うまでもないことですけど、映画の場合は、その物語的な意味合いを観客に伝える役割を果たす……つまり、いまの演奏が物語的にどういう意味を持っているのかを伝えるのは、実はリアクションをする側、それを「目撃」する側なんですね。ホラー映画に近いです。「怖い」ということを示すのは、「怖い」っていうリアクションを取る側が大事なんです。ここの演技にかかっている。

で、結論から言いますと、本作のキャスト。その演奏者側、リアクション側を含めて、全員隅から隅まで、ほとんど最高の成果を出している、という風に思います。細かいところまで。

まあ、まずは何より、言うまでもないことですが、主演の松岡茉優さんですね。まあ演技スキルということに関してね、若手女優トップクラスなのは言うまでもないことです。「本当は天才なんだけど、時に自信なさげだったり情緒不安定に見えることもある」というこの感じが、松岡さんにハマるっていうのはまあ、予想もつくわけですけども。

ただ実はこの物語、『蜜蜂と遠雷』という話はですね、亜夜という主人公が、周囲のいろんな出来事から学び、感化されて、改めて目覚めていく、という話なので、要はさっき言った、主人公なんだけど、実はいちばんリアクションを取る側、の主人公でもあるわけですよ。リアクション側の要素もすごく大きい主人公。そして、本作での松岡茉優さんの、周囲に対するそれぞれの反応。まさしく絶品ですね。これは絶品。意外な問いかけをされた時の、首をかしげる一瞬の間であったりとか。誰かを眩しく見やりつつ、「自分は……」って振り返っている。「ああ、眩しい。わたしは……」っていうこの見やり方とか。そしてもちろん、音楽の喜びを改めて実感して、「ああ、わたし……音楽、楽しい!」っていう、この瞬間の表情であるとか。

そうした微細な心理の揺れ動きを、ほとんどセリフ、言葉に頼らず、表情とか諸々で表現しきった、繊細な演技。その先にあるクライマックスで、まさに『ブラック・スワン』ばりのですね、自信に満ちきった覚醒!っていうのが来るから、非常にカタルシスも生まれる、というわけですね。

あと、これはその石川慶さんの演出の部分ですけど、これは『愚行録』でも活かされてたんですけど、非常にリアリズムに基づいた話でありながら、時々ものすごく、超現実的な光景が出てくる。非常に幻想的な場面というのが出てくる。今回で言うと、あの馬の描写ですね。これ、本当にすごいですよ。原作にある「馬の蹄、ギャロップのような雨音に聞こえる」というのを、まさか、馬そのもので……普通だったら「えっ、それ、ちょっとバカっぽくなりかねなくない?」っていうのを、見事に、映画に出てくる馬描写の中でもトップクラスにかっこいい馬映像で見せてみせたと、いうあたり。これも見事な石川慶さんの演出でございました。

■森崎ウィンの品の良さ、松坂桃李の生真面目さの中に滲む狂気

また、松岡さんだけではなく、これね、『レディ・プレイヤー1』での名ゼリフ「ガンダムで行く!」でおなじみ、森崎ウィンさんの好演ぶり。非常に強く印象に残ります。本当に素晴らしい演技でした。役柄の、その国際感覚の豊かさゆえの、スケールの大きい華やかさ。これ、森崎ウィンさんにぴったりな役柄であるというのはもちろんそうですし。何よりもですね、先ほどから言っている、いろんなリアクションの時に出てくる、滲み出る品の良さ、人の良さが、本作におけるひとつの特徴とも言える、要は「勝ち負けではない」という感じ。

「アーティスト同士は蹴落とし合うもの、足を引っ張ったりするものではなくて、高め合うものなんだ」っていうこのテーマ、物語を、この森崎さんの佇まい、演技がですね、ナチュラルに体現していて。実はやっぱり、本作に対する貢献度がものすごく高いキャスティングではないかな、と思います。「ああ、森崎さん、本当にいい役者さんだな!」っていう風に思うキャスティングでございました。

また、さっき言った一般人寄り目線、高島明石役。これ、松坂桃李さん。めきめきね、松坂さんは良くなってますけどね。ただ、もちろん真面目な役なんですけど、真面目すぎてちょっと狂気を孕んでる感じというか……これ、あの『日本のいちばん長い日』での役柄とかでもあったように、目にはちょっと狂気を溜め込んでる感じ。ちゃんとそのバランスも演じていますし。あと、この明石のエピソード、彼周りのエピソードは、原作よりもむしろ膨らませている、ってさっき言いましたけども。

たとえば、『春と修羅』のカデンツァの練習シーンで、『愚行録』でも本当にいい仕事をしまくっていた臼田あさ美さん演じる、奥さんですね。奥さんの、やはり非常に絶妙なリアクションの良さもあってですね、この「生活者の音楽を作り上げていく」ということの重みっていうのが、ストーリー上、大変に増していますし。そしてこれ、それが結局は、「あっち側」の人たち……「あっち側のことは俺はわからない」っていう風に彼がついに吐露するところまで行くわけですけども、結局、彼が作ったカデンツァが、その天才たちにもポジティブな影響を与え、主人公の亜夜さんの開花にもつながっていく、という構図が、より際立ったことになっている。これ、脚色、演技、演出が、見事に功を奏した部分だと思いますね。

■広瀬すずに見出された逸材・鈴鹿央士の演技

そして、本作最大の驚きはですね、何しろこの新人ですね。まさに役柄そのままの、天使的で、非常にかわいらしいんだけど、でも異物感もある……あのね、顔はめちゃめちゃ童顔なのに、意外とデカいんですよ(笑)。この、なんかアンバランスさ。「えっ、なんか変……」っていう感じも含めてですね、トータルでちょっと、悪魔的な怖さも漂わせてるような、まさに天才的な存在感。風間塵役の、鈴鹿央士さんという方。これがね、本格デビューとなります。

広瀬すずさんがね、エキストラの中から見出した逸材、という風に知られておりますが。彼がですね、その『春と修羅』のカデンツァ、自由演奏を弾くくだり。本作の白眉のひとつだと思います。これ、藤倉大さんも、さっき言ったように原作の描写、「おぞましいトレモロ」とか「執拗な低音部の和音」っていうのを、実際に音楽で再現してみせて。そしてカメラワークも、ここだけは斜めになったり、いきなり真横になったり、下から撮ったり、非常に異様な位置から撮ってみせる。まさに彼の、悪魔的側面が全開になるシーンなんですけども。

で、ですね。もちろんその鈴鹿さんの佇まいも素晴らしいんだけど、ここは極めつけはやっぱりね、それを目撃する者たち。なにか異様なものを見てしまった者たちのリアクションが、絶品です。全編素晴らしいですが、ここでの斉藤由貴さんの、あの表情。完全にホラーの表情ですね。完全に、恐怖に凍り付いてる表情。だから「おぞましくすらある何か」っていうのを、言葉でなく、あれがもう表現している。あと、その後ろで、作曲者役の光石研さんがもう、身じろぎもできていない感じ。これもセットで、あれを見る我々も、「うわっ、怖い……」って。それで流れる曲も怖い。「うわっ、怖い怖い怖い……」っていう感じがするというね。見事でございます。

■音楽のユニバーサル性を描いた「純音楽映画」

こんな感じで、リアクション側も、セリフによる説明は最低限にしながら、どんどんとその世界を深めてくる。調律師たちのいちいちのリアクションもそうですしね。先ほどから出ている、片桐はいりさんのあのちょっと置かれている役もそうですし……という感じです。それでいて演奏シーンは、まるでアクション映画のように、その「動きそのもの」に語らせようとしているわけです。俳優自ら運指、指を運んでいるところも、巧みなカメラワークでちゃんとワンショットの中に収められているんで、嘘ついている感もそんなにしないですし。

特にやっぱりクライマックスの松岡茉優さんは、まさに格闘ですね! 女性ですから、やっぱりちゃんと強く弾く時の、力強く弾かないと音がデカくならない、という感じを、こうやって(全身に力を込めて)やるっていう。まさに格闘シーンのごとき動きに、こちらも見ながら力が入る、という。これはもう、映画ならではの力ですしね。あと、ステージのこちらとあちら、ドアを隔てて、照明の当たり方からして、こっちとあっちでは世界が違うんだ、俺たちとは世界が違うんだ、っていうのを示すという映像の見せ方。

これは、デイミアン・チャゼルの『セッション』もちょっと思い出させるような演出ですが。ただこの映画は、実はちょっと……要は、結局のところ勝ち負けの話というか、スポ根映画でもある『セッション』とは実は対照的に、なんなら『セッション』に対するひとつのアンサーでもあるかのように、「いやいや、音楽って、勝ち負けの問題じゃないでしょ?」っていうところに、着地していく。

『セッション』で言えばあの鬼コーチにあたるような、鹿賀丈史さん演じる指揮者も、別に意地悪でやってるわけじゃない。勝ち負けじゃない。トータルで素晴らしい音楽が産まれたんだったらそれでいいんだ、っていうところに着地していく。そして、その良さっていうのは世界に波及していって……で、世界が元々持っていた美しさに呼応するかのように、音楽の美しさが世界の美しさも際立てるし、という。なんか音楽って、もっとユニバーサルなものだよね、と。だからさっきの明石の存在もより活きてくるし……というところに着地していくのが、非常に本作の、音楽映画としての特徴でもあり、面白さでもあるという。

なかなかね、ありそうでなかったタイプの、音楽そのものの力っていう……「音楽の力」みたいなことって、よく言いますけど。やっぱり結局は、文字的、物語的な良さ、というところに転換していく映画が多い中で、音楽それ自体の恐ろしさ、パワー、波及力、みたいなところ「だけ」に焦点を当てた……それ以外の人間関係っていうのは、ほとんど描かれていないわけだから。そういう、なかなか珍しいタイプの、「純音楽映画」が誕生した、という感じじゃないでしょうかね。

作り手の志の高さ、そしてそれに見合った技術の高さ。全てが高いレベル。しかもこれが恐ろしいことに、万人に通じるエンターテイメントでもある……という一方で、さっき言ったその馬表現のところとか、エキセントリックな、尖ったところもある。変な三角形の階段を下から映す、あのなんか飲み込まれていくような感じとか、エキセントリックさもちゃんとある。なんなんすか、これ! このレベルの高さ。みなさん、石川慶さんという名前、ぜひ覚えてください。そして石川慶さん、あんたもっと名前をドーンと出していいと思うよ(笑)、この才能!

ぜひぜひ、劇場の音響で、きっちりと見た方がいい。コンサートホールの細かい音響なんかもね、これはADの山添くんも言っている通り、コンサートホールの細かい音響の感じなんかも見事に再現されていますので。劇場の大音量でこそ、見るのがおすすめです!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ジョーカー』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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