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初海外でマサカの危機一髪! ~生島ヒロシさん

コシノジュンコ MASACA

2019年10月13日(日)放送
生島ヒロシさん(part 2)
1950年、宮城県気仙沼市出身。法政大学経営学部に入学後、20歳のときに単身渡米。カリフォルニア州立大学ロングビーチ校ジャーナリズム科を卒業語、1976年4月にTBSアナウンサー16期生として入社します。1989年3月に代謝してからは、フリーアナウンサーとして活躍。古巣のTBSラジオでも平日朝の番組『生島ヒロシのおはよう定食』『生島ヒロシのおはよう一直線』を担当していらっしゃいます。

生島:この番組、聞いてるときはゆったり聞けるんですけど、ゲストで出るとしゃべらなくちゃいけないことが多くて(笑)

JK:全部出し切ってください!

生島:でも、僕はジュンコ先生の話を聞いてるのが好きだな。こんな世界もあるんだって。順調に行ってていきなり会社がダメになって、借金を背負ったときなんかハートが落ち込むじゃないですか。そういうときはどうやって奮い立たせるんですか?

JK:どうにでもなれ!って一旦捨てると、どうにかなりますよね(笑)意地汚くグ~ッってするんじゃなくて、どうでもいいやって捨てると、答えがすぐ出てくる。たいていそうですよ。仕事でもなんでも。

出水:ジュ、ジュンコさん、『生島ヒロシのMASACA』になっちゃってるので、『コシノジュンコのMASACA』に戻してもよろしいですか(^^;)

JK:あっ失礼!

生島:今度は僕の番組にコシノジュンコさんに来ていただいて、たくさんマサカを語ってもらいましょう! 5分コーナーのレギュラーになっちゃったりして(^^)

JK:喜んで! ・・・・・でも朝早いんでしょう?!

生島:録音で録りますよ!

JK:あら、それ聞いて安心した。ヨカッタワ~(;´∀`)

出水:あははは! では生島さんの幼少期のお話を伺おうと思います。小さいころはどんな少年だったんですか?

生島:とにかく運動ばっかりしてて、あんまり勉強は好きじゃなくて、女の子の前で話すのが苦手だった。教室の中で先生に当てられると、赤面症で「また赤くなってる!」っていじられて(笑)人前で話すのが苦手だった。

JK:でもそういう人が逆になるのね! それで努力するんじゃない? コンプレックスって自分のテコみたいなもんだから。私もコンプレックスの塊だったな。

生島:えっ、そうですか?!

JK:そうよ! 比べられるわけ、姉と。それが嫌なの。いくとこいくとこ同じ方向でしょ。違う方向に行っても比べられる。なんとか勝たなきゃ、なんとかハミでなきゃって。

生島:お母さんがまた豪快な人ですからね!……ついつい僕はコシノさんの話を聞きたくなっちゃうなー(^^;)

出水:聞き上手でらっしゃるから(笑)

生島:とにかく、赤面症でスポーツは好き。目立ちたいんだけど、恥ずかしい。そういうアンビバレントな雰囲気のなかで育ってきた。祖父は頭が良くて、京都大学を出て官僚になった人なんですよ。正義漢が強い人で、あの頃は袖の下とか多かったみたいですけど、それを糾弾してクビになっちゃったんです。それで英語が得意だったから、高校の英語の先生として全国を回って。

JK:あの時代の英語の先生ってすごいわね。

生島:親父は9人兄弟の3番目で、僕には叔母さんが2人いるんですけど、ジミーさんと結婚して今はメリーランドに住んでるんですよ。だから中学時代に、それこそハーフの従妹が気仙沼にやってきて、町中大騒ぎになっちゃった!

JK:気仙沼ですもんね! そこまでよく来ましたね。

生島:フランキーっていうんですけど、水族館に連れて行って。そこで僕が生まれて初めて言った英語が「This is fish」!

JK:はははは! 見りゃわかる!

生島:僕は中学1年でThis is fishを学んだわけですよ! Fishはsがつかないんだって! 今考えると恥ずかしいですよね(^^;)

出水:そういう縁もあるんでしょうか、のちにアメリカに渡っていらっしゃいますよね。

生島:親父は子供のころから「これからは海外の時代だから、長男だからって気仙沼に残って跡を継ぐ必要はないんだ、世界中どこでも行ってこい」って言って。どうせなら一人で行ってみろって。それで小田誠さんとか五木寛之さんの本を読んで、やってやろうって気になって、一人で行ったんです。勝負するんだったら一人でなきゃだめだって思って。生まれて初めての飛行機でハワイ。あの頃のキャビンアテンダントはみんなアメリカ人ですから、ブロンドを見ただけで緊張しちゃって! シートベルトの締め方もわからなかったから、結んでたんですよ(笑)

JK:結んでたの?! カワイイ~!

生島:トイレ入ってもスイッチがない! ほら、飛行機のトイレって鍵を閉めたら明かりがつくでしょう? でもスイッチがないからどうするんだろう……でも英語で聞けない。それでドアを開けながら用を足した(笑)そしたらお客さんがドア開けようとして! Wait、wait!(笑)そのぐらい初めての飛行機体験でした。

生島:それでハワイに着いたら、さて学校に行かなきゃいけない。でも語学学校は高い。たまたまホテルで出会った飛行機のパーサーの人が「サンフランシスコに無料のスクールがあるよ」ってadult schoolを教えてくれた。それで彼にくっついて飛行機に乗ったんですよ。ほら、サンフランシスコってゲイタウンで有名でしょ? 多分その人もそうだったんですねぇ。いまでいうLGBTQだったんですよ。僕はたまたま隣に座った人に下手な英語でしゃべったんですけど、飛行機降りたらパーサーが怒り出して。怒りながら寝てたらカバンがばぁっと開いて、中から白い粉が……! 人生で一番怖いなと思ったのはあの瞬間でした。

JK:怒り出したっていうのはどうして?

生島:やきもちでしょうね。隣の白人としゃべってたから。そのころ僕、可愛かったんですよ(笑)このままサンフランシスコにいたら僕は多分大変なことに巻き込まれるような直感がしたんです。それで、その人が寝てる間に荷物をまとめて、抜き足差し足忍び足で……

JK:怖い思いしたわね!

生島:あの瞬間は僕もいまだに覚えてる! もし今見つかったらどうなるんだろう、って。それでフロントに降りて行って、その時も英語が下手なんで「アー、My friend、sleeping. I go, bye bye. I pay half, half!」なんて言って。逃げるみたいで嫌だから、ホテル代も半分だけ払って。どのバスに乗ったか覚えてないですけど、空港行きのバスに乗って、なんとかロサンゼルスまで着いた。いやぁ~よくやりましたね(^^;)

出水:生島さんはたくさんの資格をお持ちでらっしゃいますよね。取り始めたきっかけはんですか?

生島:TVの番組がほとんどなくなってしまってね。フリーになって10~12年目ですかね? 月~金の番組をやりつつ、週1ゴールデンの番組も4~5本やってましたから、平成になってからはTVに出ずっぱりの状態が続いたんですけど、大きな番組で問題が起きたりして、責任を取る形で辞めざるを得なかった。自分では意識してなかったんですけど、毎日帯で出るってすごいことなんですよね。その番組が終わったことでいろんな番組にも影響が出て、となると当然収入も減る。フリーにとっては、仕事がなくなれば一銭も入ってこないわけですから。バブルのころって永遠に続くと思うじゃないですか?

JK:だからバブルの被害って大きいですよ。

生島:ぼくも調子ぶっこいて、奉りが延々続くと思ってたわけですよ。それが一気に弾けてしまった。投資もしましたね、10億ぐらい。それでいろんなことがあるんですけど、本当にありがたかったのはTBS時代にラジオで番組をやっていた戦友がいたんです。彼とはぶつかりましたけど、腹を割って喧嘩ができた。そんな彼が「朝の番組やらないか」って言ってくれて。最初は正直、朝の5時からラジオなんて誰が聞いてるんだろう? TVにあれだけ出た後で、俺も都落ちだな~って思いました。俺もこれで終わりかな、なんて思いながらコツコツやっていたら、これがまたラジオって僕にジャストフィットなんですよ!

JK:口から生まれてきたみたいな人だからね! それで22年ってすごいじゃない。

生島:リスナーさんが全国ネットだからすごく多くて、ラジオの力を感じましたね。そんな中オリジナルコンテンツを出さなくちゃいけないってことで、資格を取ろうと。そしたら新聞も深読みできるようになった。最初はファイナンシャルプランナーを取ってお金の勉強を改めてしたんですけど、そうするとお金の仕事がくるんですよ! 資格を取り出してからラジオや放送以外の仕事が増えてきて、それがすごく助かった。一時期はラジオをやりながら170回ぐらい講演会の仕事をやってましたから。

JK:170回! それは儲かりますね(笑)

生島:やっぱり従業員もいるし、家族もいるから。必死になるとなんとか道は開けると思うので、諦めてはいけないです。

出水:他にも、福祉住環境コーディネーターですとか、ヘルスケアアドバイザー、防災士の資格、食育インストラクターの資格などもお持ちです。生島さんは常々「人生100年時代」とおっしゃってますけれど、これからご自身がやってみたいことは何ですか?

生島:そうですね、息子たちが早く一人前になってほしいなと思うと同時に、次男坊と組んで、海外で何かやりたいなって。独立して間もないころ、それこそケビン・コスナーとかトム・クルーズとインタビューしたことがあるので、彼らのCMをなんとか一手に握りたいと思って、ハリウッドに行って向こうの弁護士とビジネス契約したりしたんです。メル・ギブソンとギャラ1億の交渉をしたりとか。でも結局あのころはTVが忙しくて、片手間ではできないってことが分かったんですけど。向こうのエージェンシーの方とそれからも連絡を取り合ってて。そういう海外のいろんなことをやってみたいなと思っています。

JK:息子さんが力になるわね。やりたいことはいろいろあるわね。でもラジオはつづけていくでしょう?

生島:ラジオは続けたいですね! ベースなんで。ただ、生番組だから海外に行けないんですよ。そこがちょっとねぇ~。だから海外の仕事もしてみたいし、スクールをやってみたいとか、いくつになってもやってみたいことはまだまだあります。

=OA楽曲=

M1. Só Danço Samba (Jazz Samba) / Stan Getz & João Gilberto

「コシノジュンコ MASACA」
TBSラジオで、毎週日曜17:00-17:30放送中です。ラジオは、AM954kHz、FM90.5MHz。パソコンやスマートフォンでは「radiko」でもお聴きいただけます。