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宇多丸 『ディストラクション・ベイビーズ』を語る! by「週刊映画時評ムービーウォッチメン」2016年5月28日放送

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

20160529_ディストラクション・ベイビーズ

 

宇多丸:「映画館では、今も新作映画が公開されている。
     一体、誰が映画を見張るのか?
     一体、誰が映画をウォッチするのか?
     映画ウォッチ超人、シネマンディアス宇多丸がいま立ち上がる——
     その名も、週刊映画時評ムービーウォッチメン!」

TBSラジオで毎週土曜日、夜10時から2時間の生放送『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』。
その中の名物コーナー、ライムスター宇多丸が毎週ランダムで決まった映画を自腹で観に行き、評論する「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ここではその文字起こしを掲載しています。

今回評論する映画は、『ディストラクション・ベイビーズ』(2016年5月21日公開)です。

▼ポッドキャストもお聞きいただけます。

 

 

宇多丸:
今夜扱う映画は、先週「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して当たったこの映画、『ディストラクション・ベイビーズ』。

(BGM:エンディングテーマ、向井秀徳『約束』が流れる)

柳楽優弥、菅田将暉、小松菜奈、村上虹郎ら若手実力派キャストが集結。

……ちなみにね、菅田さんはPUNPEEが指導で(ファンタのCMで)ラップして。村上虹郎さんはMummy-D指導で(文部科学省のWEBムービー『Dear Father』で)ラップして、というね、若手二大ラップ俳優揃い踏みというのがありますけどね。と、いうのはおいといて。

……若者の無軌道な暴力とそこから始まる暴走を描く青春群像劇。監督は、インディー映画出身の新鋭・真利子哲也監督。今回がメジャー長編はじめてというね。でも、インディー業界では「最後のビッグネーム」なんて言われてますけども。小さな港町でケンカに明け暮れていた青年・泰良(たいら)は、繁華街で裕也という男と出会い、少女・那奈も巻き込んで行き場のない暴力の旅へと向かう……ということでございます。

この『ディストラクション・ベイビーズ』を見たリスナーのみなさま、通称<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は普段よりは量としてはちょっと少なめなんですけど、現在は都内はテアトル新宿1館のみでの公開ということを考えると、これは多めと言っていいんじゃないでしょうか。拡大公開も決まったらしいですけどね。

その内訳なんですが、賛、つまり褒めている方が6割。惜しい、明確な否定的意見が残り2割ずつ。最近このコーナーで取り上げた映画の中では賛否が分かれた方です。褒める意見としては、「主役の泰良が振るう暴力には理由もなく、意味もない。そこがすごい」「主演の柳楽優弥がとにかくすごすぎ」などなど。一方、いまいち派の意見としては「登場人物全員感情移入できない」「暴力によるダメージが描かれないのでリアリティーがいまいち伝わってこない」などなどがございました。代表的なところをご紹介いたしましょう……。

ラジオネーム、メザシのユウジさん。「宇多丸さん、こんばんは。東京に住んでいるメザシのユウジと言います。『ディストラクション・ベイビーズ』、見てきました。冒頭の町をうろつく柳楽優弥さん演じる泰良がくるりと振り向いた瞬間の『あ、こいつはヤバい』という表情が最高……」。あ、全く実は僕、同じ表現をしようとしていた(笑)。「柳楽優弥の顔を見ているだけでも楽しい作品でした。この映画では祭が重要なポイントだと思います。人々が祭に夢中になるのは日常や常識を離れた非日常だから。この映画の泰良は行動や暴力が非日常そのもので、その非日常的な暴力性に惹かれてしまったのが菅田将暉さん演じる裕也なのだと思いました。

『ディストラクション・ベイビーズ』というタイトルのベイビーズは、子供は創造するより壊す方が好きで、子供の純粋さは決して善ではないということだと思います。純粋さ故の破壊衝動。大人になれば自制するその衝動を、いつまでも全開で周りにぶちまける泰良は、まさに純粋な暴力そのものでした。自分や他者を破壊することが楽しくて、その極みを目指すからこそ、最後に自分自身に対して『まだいけるだろ?』と語りかけたのでしょう。見終わった後にスカッとするような映画ではありませんが、心に強く残る作品になりました」ということでございます。

(メール紹介、中略)

……ということで、いってみましょうかね。『ディストラクション・ベイビーズ』。テアトル新宿で私も二度、見てまいりましたけど。まず、菅田将暉さんファンってことなんですかね? 結構若い人たち中心に、単館っていうのもあるんだけど、結構入っていて。で、いいなと思ったのは途中、はっきりと大爆笑に劇場が包まれる瞬間とかがあってですね。具体的には劇中、途中で主人公がケンカを無差別に売りまくるんだけど、その被害者的な人ですよね。3人組がケンカを売られる場面があって、真ん中の、実際には殴られたりはまだしていない、割と背が低めの男性がいて。で、その横の友達2人がいきなり殴りかかられて倒れちゃっているわけですよ。

で、「おい、大丈夫か!?」って言いながら、その男性があまりの理不尽な事態に思わず、「な、なんでこんなことになるんだ〜!?」って口走って。その瞬間、たぶん劇場全体が「そりゃそうだ」っていう感じで、ドーッと爆笑に包まれて。すごいいい雰囲気。ちなみにこれ、脚本にはないセリフなので、たぶんあの方がアドリブでパッと言ったセリフでしょう。たまんないですね。あの方の佇まいとかも含めてもう、爆笑の瞬間でした。ただ、その後の……後ほど言いますけど、爆笑に包まれたその直後に、最大のドン引き展開があったりとか。褒めてますけど、ちゃんと引くところはしっかり引く雰囲気ができていて、なかなかいい雰囲気の劇場だったという感じでございます。

で、いま言いましたけど、いい意味でというか、意図して……要するに先ほど、「不快だった」って感想がありましたけど、意図的に引かせるタイプの映画です。だから好き嫌いが分かれたとしても、そもそも引かせること、ある程度不快に感じさせることを意図したタイプの映画ですよね。まずもう、主人公が、外側からは理解し難い、ほとんど理解不能な存在っていうね。で、まさにその「分からなさ」っていうことが狙いでもあるタイプの作品ですからね。ほとんどセリフもないし、動機だの、内面的葛藤だのも、まあ全く明快には示されないまま、ただひたすらケンカ、暴力の対象を求めていく、ということでございます。

要するに、完全に社会規範の枠組みの外側、いわゆる「基地の外側」という表現が相応しい。アウトサイダーってよく言ったもんで、社会の枠組みの本当に外側にいる男。で、その理解し難い存在っていうのが巨大な中心として真ん中にドンって置かれていて、その周りを、主人公とは対称的に、暴力イコール支配関係、権力構造、あるいは、暴力がコミュニティーへの忠誠度を測る、通過儀礼としての暴力であるとかね。さっきのメールでもあったとおり、祭っていうのもそうですけど。とにかく、言ってみれば、これら「社会化された暴力」、我々が生きているこの社会の中に暴力は当然あるんだけど、そこで我々は社会化された暴力の中に生きている。もしくは、その社会化された暴力の磁場に否応なく引き寄せられる、もしくは、社会化された暴力から離れて非社会の暴力の方に引っ張られていってしまう存在。

とにかく、ドーンと真ん中にある、“理解し難い巨大な存在”としての主人公の周りを、社会化された暴力の磁場にいる、より身近で、言っちゃえば“小さい”キャラクターたち、小さい人物たちが右往左往するという、そういう作りなわけですよ。で、この分からなさとか異物感っていうのをそのままでゴロンと投げ出すこの感じ。あとは各自それぞれが考えてくださいね、というような作りは、真利子哲也監督の出自であるところの、自主制作映画とかインディー映画のテイストだと思うんですよね。決して分かりやすい作りではないけど、それ自体がある種の狙いであり、価値であるというのは。

ただですね、同時にこの『ディストラクション・ベイビーズ』、題材とかタッチは非常に荒々しく生々しいものなんだけど、同時に、僕はこう思うんですよね。異常に華があるスター映画でもあると。要するに、荒々しく生々しい、よく分からないゴロンと投げ出されるようなインディー映画のテイストなんだけど、同時にものすごいメジャー感があるスター映画でもあって。実際に、若手実力派のオールスターキャスト状態ですよね、はっきり言って。池松壮亮さんの使い方とか、めっちゃ贅沢じゃないですか。でも、あんなチョロっと出るだけでも、いいですよね。やっぱりね。

で、まあそんな豪華な状態だし、加えてですね、真利子哲也監督の過去作をぶっちゃけ僕、『NINIFUNI』ぐらいしかちゃんと見たことがなかったんだけど……ぶっちゃけ、もう言っちゃいますけども、監督ご本人のご厚意で滅多に見られない8ミリ時代の『極東のマンション』とか『マリコ三十騎』の映像を拝見することができまして。で、ずっとそのキャリアを順に追っていくことができたんですけど。まあでも、言っておくけど自腹で買っている分の資料は自分で買っていますよ。特に『イエローキッド』は藝大大学院の修了作品のDVDだから、すげー高かった(笑)。

それを買ったりなんかしてますけども、とにかく全作品を見て宇多丸が思ったのは、真利子哲也監督の過去作全部と比べても平たく言っちゃえば、要は鬱屈したものを溜めこんだ<個>から見た、対世間の関係っていうかね。だいたい、鬱屈したものを溜めこんだ人と対世間の関係性っていうのが描かれてきているんだけど。今回の『ディストラクション・ベイビーズ』は、より鬱屈の溜めこんだ個と対世間の関係が、外向きっていうか。要は、対世間に対して直接的に攻撃を仕掛ける内容なため、ひょっとしたらそれは、まさにこれからメジャー映画界という<外>に打って出る真利子哲也監督自身のスタンスが無意識的にでもシンクロしたのかもしれないですけども。

とにかく、鬱屈したものを内側に溜めこむんじゃなくて、本当に外にストレートに……これ以上ないぐらいストレートにぶつけていく内容のため、言っちゃえばめちゃめちゃ過去作に比べて抜けがいいというか。もともと全作品に、どれだけ鬱屈したものを描いていても、毎回ユーモアみたいなものが、毎回笑っちゃう感じっていうのが絶対にあるんだけど。今回は特にやっぱり抜けがいいので、一種のキャッチーさを獲得しているというか。いままでと比べて圧倒的に、非常にキャッチーになっているなと。つまり、俗っぽい表現をしてすみませんが、インディー映画ならではの異物感みたいなもの、分からなさ感みたいなもの、不親切感みたいなものと、メジャー映画ならではの華とかキャッチーさっていうのがちょうどいいバランスの一作だなという風に僕は思いました。

すごく見やすいし、ちゃんとある種の深みもある、みたいな。すいませんね。俗っぽい言い方でね。で、まあまずはなにしろ、とにかく柳楽優弥ですよ。これ、主演が誰か違ったらまた全然評価が違ったんじゃないかな? とにかく、柳楽優弥ですね。もともとね、天才子役として『誰も知らない』で登場しましたけど。彼の本当に、演技っていうか佇まいっていうか……たとえば目つきとか体つきとか、あと服のね、服もなにか物体感がある、なんか湿り気と不潔さを帯びて、服さえも肉体の一部として物体感があるような、あの服の着方とか。もちろん、ケンカのアクション、ファイティングスタイルも含めて、つまるところもう彼の映っている存在感全体が、とにかく得体が知れない、理解し難いけど圧倒的であることがわかる。

なんかわかんねえけど、すげーことはわかる、みたいな圧倒的感っていうのが、とにかく今回の『ディストラクション・ベイビーズ』の最大の魅力であることに異論を唱える人はいないんじゃないかなと思います。とにかく柳楽くんが圧倒的だし、ある意味柳楽くんで成功しているっていうかね。だからひょっとしたら、他の人が中途半端にやっていたら目も当てられない映画になっている可能性はあると思うんですけどね。とりあえず、この映画の前半は彼が、劇中で名前は呼ばれないんだけど、主人公。一応役名は「泰良(たいら)」っていうね。「たいら」、それはどうしても、『ファイト・クラブ』のタイラー・ダーデンを連想したくもなるようなネーミングなんだけど、まあ泰良っていうこの男がですね、とにかくひたすら前半はもうしつこくしつこくケンカを重ねていくわけです。

この「しつこく」っていうところがポイントなんだけど。ここは正直、実人生で怖い目にあった時のこと……僕が、私、宇多丸個人が実人生で、街中で怖い人から怖い目にあった時のことを何度か思い出して、背中からゾワゾワゾワ〜ッと全身に鳥肌が走るぐらい、恐怖を思い出してしまう瞬間が何度もあって。たとえばですね、向井秀徳さん。いま、ZAZEN BOYSですけども、の、ノイジーな音楽。もちろん、『Destruction Baby』っていう曲がナンバーガールの曲にあって、そこから(映画のタイトルが)来ているわけです。それで向井さんを呼んできて、オリジナルで曲を作っていて。向井秀徳さんのあの、ちょっとフリーなドラムと、ギャギャーン♪っていうノイジーなギターのあの音楽に乗せて、舞台は松山市ですよね。松山の町中を、要は獲物を求めて主人公が徘徊している。

その主人公の背中からずっとカメラが1ショットで、長回しで追っていくという非常に不穏な1ショット1カットがあるんですけど。これ、真利子監督がインタビューで、「登場人物の背中を追うショットを前の作品、ももクロ出演の『NINIFUNI』でその撮り方をして、その感覚を掴んだので、その手法を……」というようなことをおっしゃっているんだけど。だとしたら、これはちょっと余談ですけど、『NINIFUNI』の共同脚本は竹馬靖具さんなんですよ。竹馬靖具さんはこの番組で『今、僕は』という作品をシネマハスラーで2009年3月に扱っていますけども。『今、僕は』のカメラワークが、まさに後ろから登場人物をずーっと追っていくっていうものなんで。結構、『今、僕は』の竹馬監督の影響も大きかったりするのかな?っていうあたりは真利子さん、いずれ話を聞く機会があったら聞いてみたいあたりですけど。

とにかく、その背中からずーっと追っていく1ショットから、先ほどのメールに本当にあった通りです。ずーっと1ショット、背中で追っていく。なんだなんだなんだ? と、不穏な感じがする。そこでふっと振り返った瞬間に、フッとギターの音が止まって……もう、そのツラ一発。その顔一発で、もうさっきのメールのとおりです。「あ、こいつヤバい。あ、こいつヤバい。ヤバい……」って。やっぱね、映画は顔だな!って改めて思う。もう、この顔一発で「うわー、ヤバい」って。「ヤバい」っていうのはだから、こいつの役柄上危険っていうのもあるけど、フィルム上に映っているなにか特別なものっていう意味での「ヤバい」ですよね。映画は顔だっていう意味で、こいつはヤバいって思ったりもしたんですけど、とにかくヤバいやつが振り返って、獲物をずっと物色している。

で、ギターを持ったそこそこタッパがあるような人と……要は、そこそこ戦って手応えがあるような相手を選んでいたんでしょうね。振り返った時に柳楽くんの「こいつに決めた」っていう。「今日、こいつにするか」っていう、この決めた瞬間。あの決めた瞬間のあの顔が、僕は町とかクラブで面倒くさい人に目をつけられてしまった、「あ……み、見られちゃった……」っていう。あん時の感じを思い出してもう、ゾゾゾゾゾ〜ッて来るしですね。で、もっとゾゾゾゾゾッてされたのは……すいませんね。やっぱり個人の暴力に対する感触っていうのがすごく喚起される作品なので、ちょっと個人の話をさせていただきますけども。

もっとゾゾゾゾゾッて鳥肌が立っちゃったのは、今回の映画だと、劇中で彼が松山市に行ってから最初のストリートファイトがあって。で、一旦決着がついた。もう観客が、「もう相当やられちゃっているし、まあこれは一旦終わりでしょう」と誰もが思う。相手も思う。我々も思い込んでいる。その場所へ……「いやー、変なやつに絡まれちゃって災難でしたね」って言っているそこへ、まだしつこく乗り込んでくる、あのくだり。要は、「えっ、まさか? ま、まだやるの!?」っていう。このしつこさこそが本当に大事で。要は常軌を逸したしつこさに、こっちはちょっと戦意を喪失しちゃうっていうか。「えっ、いつまでやるの、これ?」みたいな感じがしちゃう。

で、一旦戦意を半分喪失しちゃうと、もう絶対に負けるしかないっていうこの感じ。私ですね、とにかくいろんな怖い場面を思い出したんだけど。昔、渋谷のセンター街の入り口で変なおじさんに因縁をつけられて、渋谷の通りを延々と追い回された時のことを……で、やっぱりそのおじさんも、「もう大丈夫だろ。もういい加減……」っつったら、後ろからガッシャーン、ガキーン! 「うおっ、まだ来てるーっ!」っていう。怖い思いをしてね、あれを本当に思い出して。ああ、そうなんだよな。こっちのルールと違う追いかけられ方をするんだよなっていう。最終的に僕、パルコのトイレの中に入って、トイレの中に隠れてやり過ごしたんだけど。ホラー映画の定石で言ったら、お前、いちばんそこに隠れちゃダメだからな!っていう(笑)。

ねえ。全然ホラー映画から学んでいない、みたいなのがありましたけど。とにかくそういうのを思い出して怖かった。だから、非常に僕は、ああいう感じのケンカにしつこい人っているなと思って、すごくリアルに怖かったんですけど。で、ですね、そこからしつこくいっぱいファイトシーン、ケンカシーンがあるんですけど。これがまた、すごくケンカしているところを道端で、そばで本当に目撃しているような生々しい撮り方をしている。監督は「YouTubeにあがっているケンカ映像とか、そういう感じにしたかった」って言っているんですけど。

まあ、基本1カットなわけですね。で、やっぱり振り付け然としていないし。あるいは、カットを割ることでなんかリズミカルだったり、要するに一瞬たりともスタイリッシュな戦いじゃない。実際のケンカっていうんは、たとえばやたらと体ごとぶつかっていって、相手をとりあえず倒すでもなんでもいいんですけど。とにかく、あんまりかっこいいもんじゃない。非常に泥臭さいものになりやすいわけね。地べたにゴロゴロゴロゴロなったり、膠着状態になりやすいですしね。非常に泥臭いリアルなケンカシーン。

あと、音。これ、アクション映画でやっぱりバイオレンス度みたいなのを増そうと思うと、基本、音は足すものなんですけど。ドスッ!って。この映画だとやっぱり、パコン、パコン、パコン! みたいな。骨の表面上に当たっている感じの音とかもちゃんと鳴らすので、むしろ、「いや、痛い痛い痛い……」って。あと、殴る側も——柳楽くん途中で拳の骨が出ちゃってましたけど——殴る側もこれは痛いであろうという痛み感も伝わってきて、ああ、痛い。これはリアルだなっていう感じにちゃんとなっていると。

で、主人公がとにかく戦うことを止めないから、前半ですね、結構なテンポでショッキングなファイトシーンが詰めこまれているわけです。だからすっごいテンポが速く見えるんですよ。前半は本当に。10分に1度どころじゃないよね。5分に1回ぐらいはケンカが始まる感じなので、まずはスピード感によってグイグイ見れちゃう。割とすんなりそこは引き込まれちゃうと思います。またですね、このケンカのしつこい繰り返しなんだけど、この主人公はですね、ちゃんと前のファイトから学習をしてですね、次のファイトに生かすんですね。次のケンカに。要は、ファイティングスタイルがどんどん進化していくわけですよ。

なので、見ていて飽きないっていうか。正直、やっぱりちょっと楽しくなってきちゃう。つまり、格闘映画としても見せ方としてフレッシュだし、格闘映画としてまず前半部、単純にそういう意味でも面白いという風に思ってしまいました。たとえばね、フットワーク、間合いの取り方。最初はやみくもにぶつかっていくだけだったんだけど、フットワークで間合いを取る相手が登場して。次からはちゃんとフットワークを使って。で、間合いを十分に取った上で、相手の隙をついての、チン(顎)への先制ワンパンチでボンッて。要するにゴンッて、顎をポーン!っていかれると、クラッ、ステーン!ってね。『クリード』のあそこのところでストーン!っていきましたよね。頭からストーン!って倒れるような、ああいう感じになっちゃう。

で、チンへのワンパンチノックアウトの必殺技を身に付ける、みたいな感じでね。結構進歩がある。ということで、こう言っていると、まるで少年漫画の主人公みたい。「オラ、もっと強い相手と戦いてぇ!」みたいな。でも実際、スポーツ的な意味で何かが好きで好きで、目をキラキラさせて、より強い敵に挑んでいって、負けてもちゃんと学習して、訓練して、次には勝つ!っていうね。しかも、ストイックですからね。「あと3回はやらないと……」って。3回やるって決めているとか。ということで、純粋で向上心に満ちた人は、やっぱりどこか見ていて清々しいっていうところは実際にあるわけです。

で、どんな相手、どんな状況でも暴力を振るい続ける主人公っていう、その行くところまで行っちゃう感じにむしろどんどんワクワクしてきちゃうっていう話で言うと、タッチとか内容は全然違うんですけど、ニコラス・ウィンディング・レフンの『ブロンソン』。トム・ハーディが出ていますけども、『ブロンソン』をちょっと思い出したりしましたね。で、あの『ブロンソン』もやっぱり国家権力に立ち向かっていっちゃうから、めちゃくちゃなんだけどすごいっていう風にだんだんなってくる。本作の場合も、途中から当然のように出てくる相手が、暴力のプロたちになってくる。暴力団たちが出てくるので、こっちもやっぱり暴力を振るっていても、ちょっと気が楽になってくるわけですね。見ているとね。

そういえばね、あの暴力団もいいですよね。チンピラ2人いて、ちゃんとそこのチンピラの上下感。下っ端の方が戦って……で、下っ端もやっぱりいままでのやつよりは明らかに格上の、一旦鼻をやられても、そんなに油断しない感じとか。で、兄貴分の方はずっと電話を続けている余裕感とか。で、さらにその後出てくる、三浦誠己さんですか。スーツを着た兄貴分がね、明らかに格が違う。「ああ、ボクシングとかやってたんだ」っていうあの感じとか。あと、倒れている人の胸にキックを入れるっていうのはあれ、ケンカ強い人、よくやるみたいですよ。胸を心臓の上からドーン!っていくみたいなの、聞いたことがありますけどね。

まあ、とにかくそんなのも込みで、そういう意味では前半、ある意味楽しく見れるんですね。なんだけど、前半いっぱい、要するにさんざん主人公の暴力のエスカレートを言っちゃえばエンターテイメント的に、私がさっきからはしゃいで言っちゃってますよ。傍観者として楽しんでしまっていると、後半、菅田将暉さん演じる、『そこのみにて光輝く』とはまた違った「犬キャラ」ですね。あっちも犬だったけど、今回はまさに「弱い犬ほどキャンキャン吠える」の典型の犬キャラがですね、まさに主人公の暴力をある種、上から目線で楽しんでいる気になっている。その嫌な感じを、ドン引き必至の一線を越えちゃった感で見せつけてくる。しかも、それがさっき言った爆笑ポイントの直後にやってくる、考えられた構成なんですね。

つまり、暴力を我々が楽しんでしまったその直後に、「暴力ですよ。楽しくないですよ。お前ら、こいつらとそんなに大差ありますか?」ぐらいの感じで突きつけられてくる。我々観客は途端にものすごーく居心地の悪い思いをするという構成になっている。このあたり、非常に対称的なコンビになっていくる、(トルーマン・)カポーティの『冷血』とか。あと、『ヘンリー』もそうでしたけどね。『ヘンリー』なんか、理解不能な実行者と、後から加わったやつが超ゲスな共犯者になってって、ちょっと似ている感じもしましたけど。まあコンビ化してから先、この後半の居心地の悪さ。ここがまた本作『ディストラクション・ベイビーズ』、もうひとつのキモじゃないかなという風に思います。

たとえばね、本来なら完全に同情の対象であるべき、要は拉致されてしまうキャバ嬢。小松菜奈さんが演じてますよ。あのガムテープを剥がすくだりとか、iPhoneにかかってきた電話をとろうとするくだりの熱演とかを含めて僕、小松菜奈さん、いままでのベストアクトだと思います。彼女の決死の逆襲劇っていうのもね、普通に僕、ノワールとしてすごく面白かった展開ですし。で、むしろその彼女が一線を越えていくっていうところに主人公側がむしろ刺激されてしまうというかね。あんだけ他者に興味が無かった男が、唯一劇中で人に質問しますからね。「どんな感じだった? えっ、どう? どう?」って(笑)。

ということで、要は本来なら完全に同情の対象であるべき、被害者であるべきキャバ嬢役でさえ、道義的安全圏には置かれないという作りになっていて、非常に居心地が悪い。実際に「彼女は安全圏へ見事逃げおおせたというわけではないのだ。話の終わりででも」っていう風に監督はインタビューなどでおっしゃってますけども。っていうか、こうしてこの映画について、「いや、暴力が云々で……」と自らは安全圏にいながら言葉を連ねているこの現状、私がやっている行為にまでこの映画は容赦なく指を突きつけてくるわけですよ。だから、「居心地ワル〜い」ってこう、思いながら見るわけですね。

そういう、言わば、さっき社会化された暴力っていう言い方をしましたけど、これは「暴力の社会化」ですね。暴力っていうのを社会的な言葉で飼いならすというか、なにか分かったような気にするっていうようなものを、完全に拒絶する、俺は完全に拒絶する、と。主人公は、要は暴力そのもの。そして暴力そのものは、本当は社会化とかそういうもんじゃないんだぜっていうようなことですよね。だから私がこうやってペラペラペラペラしゃべっているとね……「なんか、ペラペラペラペラ調子こいてしゃべってるけど、なんならお前んちの方、行っちゃうよ?」。この映画のラストショット、ラストシーン、脚本から変えているんですね。この映画のラストはそういう風に僕は思いました。「あ、俺んち来ちゃう……」って(笑)。

画面の下の方に歩いて来るからさ。「こ、来ないで来ないで」っていう(笑)。「あ、すいません、すいません、すいません!」みたいなことだという風に私は解釈いたしました。一方で、ともするとお兄さんのいる非社会的な磁場の方に吸い寄せられていきかねない、村上虹郎さんが演じている弟。その弟が最後の方でケンカをするわけですけど。冒頭、お兄さんが最初にケンカしているのと非常に対になる構図で相手の足にすがりつく構図になっている。

ということで、非常に危ういわけですね。ともすると、お兄さん的になってしまうかもしれないっていうことですけど。そこをなんとか、社会の磁場の方に引きとめようとする、あのでんでんさんのね、非常に幅のある演技っていうのかな。だって、彼だって祭になればね、「関係ねえよ、やっちまおうぜ」っていう話をしているわけだから。彼だって本当は暴力的な人物なのに、社会の側になんとか引きとめようとする。そこには一応誠意もあるということだけど。あそこも非常に素晴らしかったと思いますね。なんか、ある人の指摘で「中上健次っぽい」みたいなことを言われて、ああ、そういえば『火まつり』っぽいところもあるな、なんていう風にも思ったりしました。その祭との絡みとかで。そういう意味では、ちょっと70年代とか……『火まつり』は80年代か。の、日本映画っぽさも、ちょっとあるなと思いました。

あえて言えば、菅田くんの演じるキャラのネット世代、バーチャル世代感みたいなのがやや類型的かな?っていう気もしなくはなかったけど。なんか悪いやつ一方でありすぎるのでは?っていう感じもちょっとしなくもなかったかという感じですが。とは言え、まあさっき言ったように、あんまり構えずに行っても、特にファイトシーンとかフレッシュですし、割とすんなり楽しめるはずですし。後半の居心地の悪さ、インディー的投げっぱなし感。ここを受け入れられるかどうかという差はあるにせよ……だと思います。僕はすっごく面白かったですね。当たり前の話だけど、日本映画、ちゃんとおもしれーなっていう風にばっちり思いました。めちゃくちゃおすすめでございます。劇場でぜひ、ウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 〜 来週の課題映画は『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。