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宇多丸、『よこがお』を語る!【映画評書き起こし 2019.8.16放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。今週評論した映画は、『よこがお』(2019年7月26日公開)。オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞して評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今週扱うのは先週、ガチャが当たって決まったこの映画、『よこがお』。2016年の『淵に立つ』でカンヌ国際映画祭・ある視点部門審査員賞に輝いた深田晃司監督最新作。とある誘拐事件をきっかけに、それまでの人生を奪われた女性の復讐劇を描く。

主演は『淵に立つ』にも出演していた筒井真理子さん。その他、市川実日子さん、池松壮亮さん、吹越満さんなどが脇を固める、ということでございます。ということで、この『よこがお』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、正直いつもよりは「少なめ」。なんですが、公開規模が都内でも2館とかそんな感じなんで、仕方ないかなという感じですけども。

賛否の比率はやはりですね、見に行った方は「褒め」がもう9割。大好評でございます。褒めている人の主な意見は「先の読めない展開と大胆な演出。おそろしくもせつない話で、最後にはドシンとしたものを受け取った」「今年の日本映画を代表する1本にして、深田晃司監督の最高傑作」「筒井真理子、市川実日子、池松壮亮ら俳優陣の演技も素晴らしい」などなど絶賛の声が並びました。

で、ごくわずかな否定的な意見……ただ、否定的な意見といっても比較論で。「カンヌとかでもすごい評価を得た『淵に立つ』が生涯ベスト級に好きで、『淵に立つ』に比べればちょっと僕的には落ちるけど……」ぐらいの意見でございまして、基本的には絶賛メールでございました。

■「今年いちばんドスンと来た1本」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう。「娘から名前はレイチェル」さん。「『よこがお』、見ました。ごくごく平凡な女性が、不幸な偶然によって取り巻く社会全てからスポイルされていく様、主人公が地獄に落ちていく様を主演の筒井真理子の表情の変化に静かに描く、恐ろしくも悲しく切ない傑作だと思います。特に前半部。淡々と二重構造の描写が続きますが、その構造の意味合いに気づいた瞬間にはガチで鳥肌が立ってしまいました。しかもその意味合いに気づくタイミングが観客に委ねられている。見る人によっては最初から気づく人もいるでしょうし、人によっては終盤まで気づかない。その構成の見事さも含めて、今年いちばんドスンと来た1本です」といったあたり。

一方、ラジオネーム「スーパーガンバリゴールキーパーズ梅沢」さん。この方が先ほど言ったね、「とにかく『淵に立つ』が自分の人生ベストテンに入るほどの衝撃を受けた作品。すごく素晴らしかった。非常に期待していましたが、結論から言うとイマイチでした。市川実日子さん演じる基子の裏切りと主人公の復讐の仕方がどちらも記号的で、かつ記号的にしては印象も弱く、『淵に立つ』で死よりも残酷な境遇を観客に見せつけた衝撃度と比べれば物足りなさを感じました。『淵に立つ』ではいかにミラクルが起きていたか。そして浅野忠信や古舘寛治らの存在の大きさに改めて気づきました」というね、『淵に立つ』大好きファンメール、というところはあるかなという感じでございました。みなさん、メールありがとうございます。

■「筒井真理子」という突出した役者ありきで出来た映画

ということで私も『よこがお』、角川シネマ有楽町で2回、見てまいりました。お盆なんですけど、年配のご夫婦とかの観客を中心に、なかなか入ってましたね。ということで、脚本、監督、編集の深田晃司さん。僕はですね、前の番組のウィークエンド・シャッフル時代、2011年5月28日に、『歓待』という、これまた鋭く不穏な、超意地悪なコメディ、こちらを取り上げさせていただいて。それ以降もですね、深田さん、特に海外の映画祭でさらにグイグイ評価を高めていかれた、というような評判は入ってきてました。

特にやはり2016年の、これはなるほどやはりネクストレベルに行ったな、という感が明らかにあった、先ほどから名前が出ている『淵に立つ』という作品。僕の番組ではこれ、(映画評の作品を決めるシステムが)ガチャになってから、何週かガチャ候補に入れてたんだけども、どうしても当たらなくて、取り上げることができなかったんですが。とにかく『淵に立つ』という、まさに恐ろしい傑作で、カンヌ国際映画祭・ある視点部門審査員賞を獲得という快挙。

それでまあ本格的に、もう世界的に注目される作家になった、という感がありますね。でも、ちなみにその後の全作、深田さん作品、もちろん拝見はしております。で、久々にガチャが当たってですね、取り上げさせていただくことになった今回の『よこがお』。まさにその『淵に立つ』でもですね、前半と後半で、それこそ肌のハリ、ツヤからしてもう、別人のようにガラッと雰囲気が変わるような……もちろんそれは劇中で起こるあるひどい出来事の反映でもあるわけですが、すさまじい演技を見せていた、筒井真理子さん。

で、監督のインタビューによれば、その筒井真理子さん主演で……なんでも毎日映画コンクールの授賞式での取材を受けてる時の、その彼女の美しい横顔にインスパイアされてスタートした、という。つまり、完全にその「筒井真理子」という突出した役者ありきでデベロップされていった企画、ということらしいんですけども。で、たしかにですね、これ当初はあくまでも仮タイトルとして付けられていたという、この『よこがお』……『よこがお(仮)』ってついていたんだけども、作っていくうちにどんどん本当に『よこがお』的な内容に寄っていった、っていうことらしいんですけど。このシンプルな題名。実際にできあがったこの作品の内容にふさわしい奥深さを、まずこの『よこがお』という言葉はたたえていますよね。

■強くインスパイアされたのは、ミラン・クンデラの小説『冗談』とうが……

つまり、横顔っていうのは、ある人の一面なわけですね。反対側の面は見えない、ある一面という。「人間には多面性があるよ」というのを暗示するような言葉でもあるし。また、本人は気づいてないけど、別の人から見られている状態……横顔っていうのは、自分では見ることができないわけですね。自分では見ることができない、自分では知らない、他の人からしか見えない自分の顔、自分の一面、というような意味も、特に本編を見た後だと、この『よこがお』というタイトルからより、その意味が鮮烈に浮かび上がってくる。

要は、市川実日子さん演じる基子の目から見た主人公・市子の横顔、というものがあった。まあ実際に、その横顔をうっとりと見る場面があったりするんですけどね。で、ちなみに今回の『よこがお』、深田晃司さんは、インタビューなどでですね、ミラン・クンデラの『冗談』という小説があって、これに強くインスパイアされた、なんてことをインタビューで語られていて。これ、私は不勉強ながら読んだことがなかったので、この機会に改めて読んでみたんです。『冗談』をね。

するとたしかにですね、たとえばなんの気なしにやったこと、言ったことが、後に思わぬ重大な結果を招いてしまうとか、着々と復讐計画を進めていたつもりが、いざ実現の段になってみるとその当の本人は……というような皮肉な展開とか、あるいは、理容室での不穏で一方的な再会から始まって、時制が前後していく構成とか、様々な点で、なるほどこれがベースになってるというのはわかるなという、ミラン・クンデラの『冗談』という小説。なので今回、この『よこがお』という映画が面白かったっていう方はぜひ、こちらの小説も読んでみるとね、「ああ、なるほど、なるほど」と思う部分があると思いますね。どう置き換えたのか、というような部分ね。

さらにちなみにで言えば、深田晃司さんご自身による小説版っていうのが角川書店から出ててですね。ノベライズというか。こっちは逆に、時制が一方向……つまり並行して、異なる時制を前後させて語る、という話法は取ってなくて。時制は一方向になってる……だけじゃなくて、特に後半は、お話の展開そのものも根本から異なっていて。

要はミラン・クンデラの『冗談』インスパイア要素っていうのは、むしろ小説版では、あらかたオミットされている。非常にだから違う印象がある小説版なんだけど、でもこれが物語の本質としてはイコールなんだ、っていう風に提示している深田晃司さん……ということを考えると、この小説も読むと、さらにまた興味深いので。これも見終わった後、面白かったという方は読み比べてみることをおすすめいたします。

じゃあ『よこがお』は実際にどんな映画なのかというあたり、順を追って話してきましょうね。

■計算されつくしたストーリーテリングの妙。「深田晃司さんはやっぱりすごいな!」

まず冒頭ね、池松壮亮さん演じる美容師が勤めている美容室の、ガラスのドア越しに、なんか赤いドレスを着た筒井真理子さんが、いきなり登場して。で、店内に入ってくるんですけど、それが普通に入ってくるんじゃなくて、ドアの向こう側で、一瞬ユラッと揺れ動いてというか、明らかに普通に来店したというのではない、なにか確信を、企みを秘めたような不穏な足取りで、フワーッと滑り込むように店内に入ってくる。で、そこに「筒井真理子」っていうクレジットが出る。

つまり、何よりもこれは彼女の映画なんだ、っていうことが、最初に静かに宣言されるような感じですよね。で、その美容室の中で、池松壮亮さん演じる美容師との、鏡越しの……まず鏡越しの会話っていうところで、ちょっと1個、膜がかかってるし。鏡越しの、しかもそこでの、「どこかでお会いしましたっけ?」っていう、このトーク。その合間合間に彼女が見せる、やはり不穏な、意味ありげなある仕草なども含めてですね、明らかに彼女側は、明確な意図を内に秘めて彼に接近しているな、っていうのが、そこはかとなく伝わってくるわけですね。

そして、彼女が前職で何をしていたのか、「仕事、辞めたのよね」「何やってたんですか?」っていうその彼女の前職への言及から、非常にスムースな編集、つなぎで、今度はその前職時代……つまり、彼女が彼に、おそらくは名前なども諸々偽って接近しようとしているその理由が、おそらくは明らかにされるのであろう、ちょっと前の時制のストーリー。まあ、事実上のメインストーリーというか、本題が始まるわけですけど。

で、ここも、看護師として、市子さんという主人公が、元は画家だったらしい、いまは家族に介護されている老いた女性とかですね、その家族から、特に厚い信頼を得ている、という(情報が的確に示される)のはもちろん、たとえばそのおばあさんが組んでいる、組みかけのジグソーパズル。これによって、この話全体の、ミステリー構造が暗示されてますね。このパズルが、まだ空いている状態、というのもあるし。

そもそも、この元画家だったらしいおばあさんの絵が飾ってあるんですけど、全て湖のほとりをモチーフにした絵が飾ってあるわけです。これは映画を見た方だったら、終盤、まさに市子さんが、この絵の中に入ってしまったかのような場面が出てくる、というあたり。振り返って思いだされるあたりかもしれませんけどね。だったりとか、主人公であるその市子とですね、その彼女を慕うあまり……でもその「慕う」というのが、明らかに単なる尊敬や友情を超えている思いであるがゆえに、危うさを抱えていて、それが結果として主人公・市子さんの人生を決定的に狂わせてしまうことになる、この家族の長女・基子さん、というね。

しかもこの基子さんはどうやら、市子が登場して勉強とか始める前までは、どうやら家族の中ではちょっとはみ出し者というか、手に余る存在だったらしいな、というのもさりげなくちょっと示される、というこの基子。これを市川実日子さんがまた、抜群のドスンとした……やっぱり非常に背なんかも高くて、体格がいいですからね。なんかちょっと持て余してるような存在感で、体現をされている。

まあとにかくこの基子……主人公の市子と基子を挟んで、さっきのその元絵描きのおばあさんの吸いさしのタバコの煙が、フーッと上がって。要するに、後に禍々しいまでの因縁を刻むことになるこの2人の間をですね、危ういその境界線を、煙がフーッと、一線を引いていく、という。で、そこにタイトルが出ている、というようなね、このオープニング。もうこのオープニング、タイトルが出るくだりぐらいに至るまでに、既にもう、セリフの全てとか画面に映るもの全てが、無駄なくさりげなく的確にですね、計算されつくしたストーリーテリングを見せてくれる、っていう感じでね。もうこの時点で、「ああ、深田晃司さんはやっぱりすごいな! 世界的というのは当然だな!」っていうような感じがいたします。

■予想もしなかった事態を隠すため、つい小さな嘘をついてしまった経験が1回もないという人……いますか?

で、そんな感じで、優秀かつ誠実な看護師として、堅実そのものな道を歩んでいるかのように見える主人公の市子さんですよ。普通は道を踏み外しようもないような風に見えるんですけど、ではなぜ……2つ、時制が進んでますけど、後ろの方の時制。いわゆる「現在」に当たる部分では、さっき言ったように、基子へのどうやら強い憎しみを、ほとんど狂気に近いレベルで抱いているらしい。

その「狂気に近いレベルで」っていうのが、深田晃司さんらしい、あるあっと驚く、「なんちゅうことを考えつくんだ?」っていう演出で示されるので、これはぜひ劇場でご覧ください。もう筒井真理子さんが、体当たりで演じてらっしゃいますけども。まあ、なんでこういうことになっちゃったのか? という、その謎の部分が、特に前半部分の、強力な推進力として、このお話を進めていくわけですけども。

ちなみにここですね、その市子さんが、池松壮亮演じる美容師に接近するために、(彼の住まいの)向かいにアパートを借りて、そのアパートの窓から、向かいの池松壮亮のマンションを監視、覗き見してるわけですね。この構図、これはパンフレットで森直人さんが指摘されているように……他の方も映画誌とかで指摘されていましたけども、まあヒッチコックの『裏窓』的な構図、ということですけど。そう考えると、市子が名乗る偽名「リサ」っていうのは、これはひょっとしたらその『裏窓』つながりで言うと、グレース・ケリーが「リザ」っていう役ですから、そこなんかを重ねてるのかな、みたいな感じがしますけど。

とにかくその主人公の市子さんはですね、直接の責任は無いはずの、とある罪というのを前にして……でも、直接の責任はないんだけど、間接的な責任は、まあたしかに感じてもおかしくない、ぐらいの感じ。で、特にこの市子さんというキャラクターは、ちょっと不器用なまでに真面目っていうのが、その前の段でのメールをめぐる会話などから(わかるようになっている)……ちょっと不器用なまでに真面目なので、直接責任はないんだから、普通僕らだったら「いや、俺は悪くねえよ!」ってやるようなところを、「ああ、私もちょっと悪かったのかも」って、間接的な責任を強く感じてしまったがゆえに、人一倍感じてしまっているがゆえに、そこからの逃避という誘惑に、つい乗ってしまう。

で、言うまでもなく、本作で主人公・市子さんが犯す最大の過ちのひとつは、これに尽きるわけですね。

要するに、間接的な罪なんだから、普通だったら悪くないんだから、全部ちゃんと言えばよかったのに……って思うわけだけど。ただですね、みなさん。予想もしなかった気まずい事態を前に、つい、初動の判断を誤ってしまう。自分に甘い方に、つい逃げてしまう。その結果、より悪い事態を招いてしまう……ってこれ、事態の大きい・小さいはありますけど、誰でも覚えがあることでしょう。僕は他人事とは思えないですね。少なくとも、とっさに小嘘をついてしまったことがあるとか、すぐ正直に白状するべきところをつい黙っちゃっていたとかっていう経験が、1回もないっていう人、いますか?っていうことで。

「1回もない!」って言う人がいたら、「お前、それが嘘だろ?」っていうことだから(笑)。で、それがいかによく起こりがちかっていうのは、たとえばですね、それこそ先だっての吉本芸人さんたちの、「最初に本当のことを言ってれば……」っていうのを見ても、明らかですし。と、同時に、「正しさ」を背負った側、たとえばマスコミだったりとか、そこの論調に乗る我々、と言っていいかもしれませんけど、それがいかに容赦なく、そのちょっとした「正しくなさ」を責め立てるか。もう記憶に新しいところですよね。

■本当にこわいのは、人間本来の複雑さにいちいち思いを馳せていられない我々自身

ただ、この『よこがお』という作品が面白いのは……これが凡百の作品だったら、ここでたとえばマスコミ批判、みたいなところに行きがちなんだけど。この『よこがお』が面白いというか鋭いのは、主人公の市子側にも、ギリギリ……要するに、公の場で言ったら、ギリギリ、アウト。内々に溜め込んでおくんだったらまあ、セーフとは言わないけど、問題にはならない、っていうような、この絶妙な……市子側にも罪がゼロとは言えないっていう、絶妙な罪の線引きをしてて。ここが深田さん、本当に巧みですね。

これ、もうちょっと市子がやっていることが悪かったら、もう感情移入できない。「こいつが悪いんじゃん!」ってなっちゃうし。もうちょっと軽かったら、単に市子がかわいそうな人になっちゃうんだけど。「ああー、たしかに、これは表で言ったらダメかな……」っていうぐらいの、ギリギリアウトな線を引いてみせてですね。しかも、なんで市子がそれを告白するかっていうと、ある「共犯関係」の中でそれを告白させてみせる。

するとその後に、その共犯関係が崩壊してしまうことで、要は両側にとって……「えっ、共犯関係だから言ってくれたと思っていたのに、そのつもりがないんだったら、じゃあ私は……」ってなる側もいれば、「えっ、共犯関係だと思ったから言ったのに、なんで外で言っちゃうわけ?」ってなる側もいるという。それで、もっと醜い負の感情の連鎖を生んでしまう、というような流れになってくる。つまり、被害/加害の構造が、幾重にも、複雑に折り重なった作りになっている。ここですね。

で、さっき言った深田晃司さんによる小説版では、このお話のいちばんの明白な被害者であるはずの、とある存在の側にさえ、実は……な面が隠されていたということが、終わりの方で明らかになったりする。ということで、つまりそう簡単に一方的な断罪、もしくは赦し、というところに、お話を落とし込んでくれない。割り切らせてくれない。ここにこそ、やはり深田晃司作品の醍醐味があります。『淵に立つ』ももちろんそうでしたし、あの被害者/加害者は一面ではない、という議論はですね、たとえば2015年の『さようなら』という作品の中でも出てきた議論だったりします。だから、非常に深田さんの中では、大きなテーマなんでしょう。

で、「人間はそう簡単ではない」という話なんだけど、ただ同時に、我々自身を含む「他者」の集まりである世の中というのはですね、他人のそんな事情のヒダなんて……やっぱりみんな、人間本来の複雑さのようなものに、いちいち思いを馳せていられない。いちいち思いを馳せてくれないわけですね。なので、実際の、現実の人間関係の中で、日々の努力の中で、コツコツと築き上げてきたはずの信頼関係さえ、世間的なレッテルの前には、たやすく、完全に無効化してしまう。これこそが恐ろしいあたりなんですね。

つまり、怖いのはマスコミ……もちろんマスコミも恐ろしいっていう描写は出てきますけど、でもやっぱり本当に怖いのは、そこで目の前にいる人を見ようとしない、心をシャットダウンしてしまう我々、っていうことなんですよね。実際我々が、この『よこがお』に出てくるああいう報道を仮にテレビで見たとして、市子さんをどう思うか?っていうのは、もう明白ですよね。「クロ」って思うに決まってる。

で、たとえばこの『よこがお』という映画の中でも、市子さんの職場の人々……福祉に従事する、まあ基本的にはもちろん善意の人たちです(※宇多丸補足:ここ、市子の同僚役のみなさんのキャスティング、演技も最高です!)。ただ、「基本的には善意の人たち」だからこそ、っていうのもあるのか、その市子さんという「他者」、得体の知れない他者の中にある「正しくなさ」を見咎めた途端、目の前にいる人間、市子さんがこれまで誠実に働いてきた行ないとか、「そうじゃないのよ、わかって!」っていう必死の弁明、説得も、もう見てくれなくなってしまう。「いやいやいや、もうアウト、アウト」ってなって、耳を貸さなくなってしまう。ガシャーン!って、シャットアウトしてしまう。

その瞬間を、ゾッとするような間合いの編集と、引きの、クッと一瞬引いたカメラで示す、あのシーンとか。あるいは、最も理解しあってたはずの相手、パートナー。吹越満さん演じる将来を誓い合ったパートナーにさえ、はっきり「警戒」されてしまっているということを目の当たりにせざるをえない、あの一瞬、とかですね。で、まあそんなことになって、世間の悪意っていうのを洗い流そうとするかのように、洗車場の中に入って。「どうやったらこれ、この罪は洗い流せるっていうの?」ってなって。じゃあっていうんで、「弱者に寄り添ってくれるんでしょう?」っていうある場所に行くと、そこでも被害者/加害者の線引きっていうのを、穏やかな「善意」の微笑みとともに、目の前でガシャーンとされる。「あなたは埒外です」って、ガシャーンと線引きされる。その絶望。

しかも、その絶望に抗うために、さしあたっての生きる目的として、復讐の計画をする。ところが、その先にあったものは……という風に、とにかく二重、三重に、絶望が重なっていく。次第に深い沼へとはまり込んでいく。で、その都度、表情・佇まいを変化させていく主人公の市子さん。これを演じる……やっぱり筒井真理子さん、まさに全身全霊で体現されていて。本当にもう、圧巻の演技だと思います。これが今年、さまざまな賞にノミネートされるなり、賞を取るなりしなければ、絶対に嘘だろうっていうような、名演だと思いますね。

笑うに笑えないダークなトラジコメディ

で、彼女がこの負の連鎖から抜け出すには……ここから先、ちょっと若干私の解釈が入ります。深田さんの作品ですから、もちろんいろんな解釈というのはオープンになってますけど、彼女、主人公の市子さんが、この負の連鎖から抜け出すには、おそらくまずは、己の加害者性……その加害者性っていうのがどの程度かは別にしても、一旦その加害者性をちゃんと受け入れる、迎え入れるっていう必要があるんだろうな、と思って見ていると、終わり際、終盤になって、冒頭の美容室のやり取り……ちょっとなまめかしいというか、ちょっとエロチックでさえあったあのやり取りからすると、非常に対照的な終盤。

髪とか、そのあり方からして、非常に対照的な存在感になっている市子さん。一見ね、「ああ、全てを受け入れてなお、前向きに生きようとする、そういうラストなんだな」っていう風に、安心しかけたその瞬間! やはりそんな、安心できる着地もさせてくれない。さすが深田晃司作品というかですね。あの、いい意味で文字通り、その「他者」がひしめくこの世界に、放り出されて終わる、というか。ラスト、まさに筒井真理子さんの美しい横顔が、ずっと鏡越しに映されるんですけども。その表情がね、いかようにも読み取れるニュアンスなんですよね。で、「世界」を示すような、ウワーッていうノイズが流れてくる。この「世界」に、我々観客も放り出されて終わる。

つまり、彼女の終盤に訪れる、あの言わば「絶叫」と、ラストの沈黙、あの表情……それは、いずれ我々一人ひとりに訪れるかもしれない「絶叫」の瞬間であり、沈黙の瞬間かもしれない、というあたり。とにかくですね、ドスンと来る余韻を持ってくる。

ただ、同時にですね、ちょっといろいろと言ってきましたけど、この『よこがお』という作品、社会派サスペンスとして、いわゆる「普通に面白い」という見方も、全然できるんです。本当にハラハラするし、胃がキリキリと締め付けられるような思いをして。「ストレートに面白い」という見方も全然できる。

その上で、人間の危うさ、不気味さ、それでもやっぱり愛らしさ、を見つめるような……まあ見事な悲劇なんだけど、でもちょっとね、皮肉なコメディでもあるな、っていう。笑うに笑えないダークなトラジコメディ、っていう感じかな。そういう案配でございまして。とにかくその、重層性……ストレートな「面白さ」も含めた、重層性。深田晃司さんは、さらにどんどんどんどん高みに行っているなと。さすが、世界的な評価も納得の一作でございました。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ライオン・キング』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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