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マサカのがんから学んだこと~オーボエ奏者:若尾圭介さん

コシノジュンコ MASACA

2019年7月28日(日)放送
若尾圭介さん(part 1)
1962年東京生まれ。1979年タングルウッド・ヤングオーケストラのオーディションに合格し、ラルフ・ゴンバーグに師事。マンハッタン音楽院に入学後、ジョセフ・ロビンソンに師事し、その後同校で教鞭をとっていらっしゃいます。1990年にボストン交響楽団に入団し、全米はもとより日本でも室内楽やオーケストラとの共演で活躍していらっしゃいます。

JK:うちの洋服来てくれて! これ何年前の?

若尾:6年? 8年?

JK:結構前よ。でも全然いい!

出水:いまはもうアメリカと日本を行ったり来たりですか?

若尾:10カ月はアメリカですね。日本に帰ってくるのは、5月、6月のうちの1か月ぐらいですね。

JK:突然電話くるのよ、「いま成田」とか(笑)「痩せたから、洋服どうする?」とかね(笑)

出水:そもそものお二人の出会いは?

若尾:私、覚えてます。東京交響楽団とソロをしたときに、お父様のパーティに呼んでいただいて。ジュンコさんはいつものように1時間ぐらい遅れていらして(笑)私は日本の人を知らないんで、コシノジュンコって誰だかわからなかったんです。最初見たときに、バルタン星人みたいな格好して(笑)で、すぐお話ししていただいて。

JK:あくる日かな、すぐに「洋服の相談があるんだけど」ってね。オーボエ奏者って手を動かして、室内楽みたいなのが多いでしょう? だからきちっとしたスーツよりも、割と軽くてっていうほうがね。

若尾:これもここにポケットがついてて、リードが入れられる。あとは着やすい。うちの音楽監督も欲しがってるんですよ。ボストン交響楽団の音楽監督で、会うたんびに、時間がないから日本には来れないけど、作ってもらいたいって。

JK:こういうのありそうでないんですよ。自分の服がぴしっとすると、吹くときも安定しますよね。どこか気になると、演奏してても気が散りますよね。

若尾:個人的な意見ですけど、ジュンコさんの服を着ているっていうのが嬉しいんです(^^) そこが大事なところ。

出水:若尾さんは、アメリカの五大オーケストラのひとつ、ボストン交響楽団の準主席オーボエ奏者でいらっしゃいますが、どういった楽団なのか教えていただけますか?

若尾:アメリカの中で一番、読売ジャイアンツみたいにメジャーで、お金もあって、タングルウッド音楽祭っていう大きな音楽祭もやってて、全部自分の土地だし、シンフォニーホールも自分のものだし。ものすごく優雅なオケですね。

JK:入団した当時は小澤征爾さんですよね? いくつの時ですか?

若尾:26の時です。学校卒業して2年後ですね。アプライして、オーボエ吹いて。

JK:世界からみんな来るの? 何人ぐらい?

若尾:いまは300人ぐらい。ひとつのポジションを狙ってね。

出水:えーーっ!

若尾:うちのオーケストラのいいのは、小澤征爾さんが音楽監督のとき、例えば100人応募が来たら100人から絞っていって、最後の1人になっても、その人が良くなかったら小澤さんは取らなかった。だからメンバーと対立した部分もあったけど、そのおかげでものすごい厳密に、3年ぐらいかけて1人を取っている。ジュンコ先生もそうだけど、小澤先生も先を見る力があるんですよ。30年後にこの人はどうしているか、謙虚にできるか、とか。だから今のオケでもいいメンバーがたくさん残っている。アメリカの中で一番のオケだと思います。

出水:若尾さんも何度も受けられたんですか?

若尾:1回しか受けてないですけど。1回目で落っこっちゃったら終わりだから。

JK:次はうけられないんですか?

若尾:だって、ひとつ埋まっちゃったら・・・野球の選手だったら、巨人の4番バッターでも3年でクビになっても、また選ばれるかもしれないじゃないですか。うちのオーケストラはポジションをとると、1年後にその仕事を取れる・取れないか天にあがるんですよ。それをパスすると一生いられる。私は1990年に入って、いま30年吹いてるんです。5年後に辞めるとしたら35年。そしたら、35年の間に天才児が現れても、私が辞めるまで取れないんですよ。それが音楽家のつらいところです。はかない。

JK:オーボエってすごく特殊じゃないですか。何人いるんですか?

若尾:2人です。主席と私。だから2人が入っちゃったら、30年間誰も取れない。5年後に私が辞めて、次の人が入ったら、その人は30年いると思うんです。それがつらいところですね。

出水:ボストン交響楽団は20年在籍すると、1年間休暇がもらえるんですよね?

JK:1年やらないでいると、調子が狂わない?

若尾:全然大丈夫(笑)僕はパリにいました。結局、休みの時はオーボエを吹きたくなかったんです。他のことをしたくて。でも結局ね・・・2か月ぐらい吹かないでいたんですけど、妻が「あなた、吹かなくていいの?」って言うことで、CDを作ったんですけど。他のことがやりたくて・・・指揮者になりたかったんです。

JK:でも指揮者のお勉強とは全然違うでしょう?

若尾:レパートリーを増やさなきゃいけないから、この歳だとキツイね。1曲だけばぁっとやるなら何とかなるけど、どこかの音楽監督になって毎週いろんな曲をやるとなると、大変かもしれないですね。でも、これからファッションデザイナーになるよりは、指揮者になるほうが楽ですね(^^)

出水:今日はスタジオに、愛用のオーボエをお持ちいただきました!

若尾:オーボエは・・・チャルメラですよね(^^)楽器としては古いです。300~400年ぐらい。バロック時代からオーボエがありますから。

JK:このお持ちの楽器は何年ぐらいですか?

若尾:私が持っているのは、ジョイントが30年前の楽器。トップジョイントとベルが3年前の楽器です。1988年に買った楽器です。

出水:ボタンのところに・・・コインですか??

若尾:これはアメリカの10セント。

JK:あら本当! 自分で改造したの??

若尾:だんだん歳をとると、手が難しくなってくるんですよ。本当はいけないんだけど・・・溶接して、手が動きやすいようにね。

若尾:私、2年前に中咽頭がんになったんですよ。そこから学んだことは・・・これがマサカなんですけど、放射線治療で最初に言われたのは「命を取り戻すことはできると思うんだけど、ボストン交響楽団に戻ることはできない」って。これが一番つらかったね! 放射線をものすごく当てるから、鼻から息を止める筋肉が焼けちゃうって。オーボエを吹くときにもすごい勢いで息を吸うんだけど、だから鼻から出てきちゃう。副作用がすごいんです。

JK:いやあ、完全に治りましたね!

若尾:すっごいラッキーだった。だから放射線治療が35回終わった後、楽器を持って行って吹いたときに先生がみんな涙ぐんでた。

JK:まぁ~。じゃあ、その2年間苦しかったわねぇ。ボストンに戻れないなんて人生最悪じゃない。

若尾:1年は吹けないって言われたけど、悔しかったから3か月後に日本でコンサートして。その時に服が全部着れなかったんですよ!

JK:痩せちゃってね。でも全部元に戻りましたね(^^)

若尾:戻りすぎちゃった(^^;)

JK:じゃあ、若尾さんのマサカってそれなのね。

若尾:うちの父がよく言っていた言葉で、「成功したら謙虚に生きろ。お金を持っていたら貧乏な気持ちになれ」。貧乏だったら、お金持ちの気持ちで生きていけ、と。やっぱり自分も結構ラッキーなほうだと思うんです。ボストン交響楽団に入ったのはヤンキースに入ったようなものだし、それによってコシノジュンコさんのような、普通だったら会えない人に会えたわけですから。でもガンになった時に思ったのは、治療がつらかったので、表に出て歩くことができたときの喜びは何にも替えられなかった。3か月ずっと味もしなかったので、初めて食べた富士そばの朝のうどんが本当においしかった! そこでやっぱり、いままで勝手に生きてきた自分が、本当の意味で感謝の気持ちを表せるようになったのかな、と。今まできちんと生きてきてなかったから、神様からそういう試練をもらったのかな、と思ったりします。

=OA楽曲=

M1. ルイエ : オーボエソナタ第1楽章 (生演奏)/ 若尾圭介

M2. シューベルト : 冬の旅21番 / クリストフ・ エッシェンバッハ(pf)、若尾圭介(ob)

「コシノジュンコ MASACA」
TBSラジオで、毎週日曜17:00-17:30放送中です。ラジオは、AM954kHz、FM90.5MHz。パソコンやスマートフォンでは「radiko」でもお聴きいただけます。