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「無名の人」を撮り続けて46年 写真家・鬼海弘雄さん

久米宏 ラジオなんですけど

TBSラジオで毎週土曜日、午後1時から放送している「久米宏 ラジオなんですけど」。
7月13日(土)放送のゲストコーナー「今週のスポットライト」では、写真家の鬼海弘雄(きかい・ひろお)さんをお迎えしました。鬼海さんは東京・浅草の町を行き交う無名の人々のポートレイトを46年間、撮り続けています。見る者に何かを感じさせ、考えさせる独特の写真は、海外でも(むしろ海外のほうが)高く評価されています。ちなみに、今年(2019年)1月26日に木下サーカスの4代目社長・木下唯志さんにご出演いただいたときにご紹介した『木下サーカス四代記』という本のカバーになっているのが、鬼海さんの撮り下ろしの写真です。

トラック運転手、造船所工員、マグロ船乗組員と職を転々


鬼海さんは1945年、山形県の醍醐村(現・寒河江市)に生まれ、高校を出たあとは山形県庁の職員として働き始めました。ところが実務的な役所の仕事は長続きせず、上京して法政大学文学部哲学科に入学。ここで鬼海さんは、教授の福田定良さんに「哲学というのは、人を好きになることだ」ということを教わったと言います。

福田さんからは大いに影響を受けた鬼海さんは、人間が生きているうちでいちばんの贅沢は「表現」ではないかと思うようになりました。アンジェイ・ワイダ監督の『灰とダイヤモンド』にも刺激を受け、映像という表現手段は面白いと感じました。大学卒業後はトラック運転手や造船所の工員として働きながら、自分の表現を模索。そして25歳のときに写真を撮り始めました。

「ところが撮った写真を見ても、何も写ってない。何を撮っていいか分からない。それで、写真を撮るためには自分の生きる場所を変えようと思った。それならマグロ船だと(笑)。それが27歳のとき」(鬼海さん)

浅草ポートレイト


マグロ船に乗りながら時折撮っていた写真が『カメラ毎日』の編集長・山岸章二さんに認められました。そして本格的にやってみるように勧められた鬼海さんは、現像所の暗室マンとして働きながら、浅草の町を行き交う人たちのポートレイトを撮るようになったのです。1973年、28歳のときでした。それから半世紀近く、鬼海さんは同じ場所で撮り続けています。デビューとなった『王たちの肖像』(1987年)から始まって、『や・ちまた 王たちの回廊』(1996年)、『Persona』(2003年)、『ぺるそな』(2005年)、『Asakusa Portraits』(2008年)といった写真集はいずれも浅草で撮りためた人たちのポートレイトです。

福田さんは半世紀前に買ったスウェーデン製の中判カメラ「ハッセルブラッド」でずっと撮影しています。当時のお金で30万円という高額なものでしたが、その代金を出してくれたのが、恩師・福田定良さんでした。

「大学を卒業したあとも、先生が亡くなるまでの36年間、お付き合いが続きました。2002年に先生が亡くなって、ぼくはそれまでの先生へのお礼のつもりで翌年2003年に『Persona』を出版したんです」(鬼海さん)

鬼海さんは『Persona』は写真界の直木賞とも言われる土門拳賞を受賞しました。今年3月には、自身の集大成となる『PERSONA 最終章』を出版しました。

すべてモノクロで撮るわけ


鬼海さんの写真を見ていると、不思議といろいろなことを考えます。この人はどこから来たのだろうか、どうして浅草を歩いていたのだろうか、いつもこんな変わった洋服を着ているのだろうか…。それは鬼海さんが撮るポートレイトには「情報」が少ないからです。写真はすべてモノクローム。被写体となった人たちはみなポーズも取らず、その背景は浅草寺の無地の壁。構図も凝っていません。あまりにも飾りがなく、あまりにも情報が少ないので、見ていてどこか不安を覚えます。だからいろいろなことが頭に浮かんでくるのです。

「モノクロじゃないと写真じゃないですよ」(鬼海さん)

「カラーじゃいけませんか」(久米さん)

「カラーは『情報』ですよね。料理写真とかファッションとかヌードとか」(鬼海さん)

「情報…」(堀井さん)

「モノクロは何ですか?」(久米さん)

「モノクロだと、こっちから『見てください』というようなものではなくて、見てくれる人には隙間があるから、その隙間に入っていくもの。自分とどこか似ているという感じで読んでもらわないと、写真は単なる情報になって、1回見たら終わりですよ」(鬼海さん)

想像を掻き立てるキャプション


写真を読んでもらう――。鬼海さんはそう言います。その糸口になるのが、それぞれの写真に鬼海さんが付けたキャプションです。

「髭コンテストでチャンピオンになったという整体師」
「地方都市の商家の主人」
「数日前、前歯がぽろりと抜けたと話す青年」
「『犬は決して裏切らないから……』と話す人」
「ハッカの匂いのする男」
「怪我をした鳩を抱く男」
「銀ヤンマのような娘」
「『もみあげの新』と呼ばれていると語る料理講師」
「『いまだ、ハワイには訪ねたことが無い……』と云うウクレレ奏者」
「喉が弱いという婦人」
「緊張すると、口が動く癖があるという人」
「10年前に追突されたという青年」

たったこれだけの言葉が、一見そっけないモノクロ写真から想像を無限に広げてくれます。そして、心のどこかで感じるのです。「この人、どこかで見たことがあるかも」「これは、自分と似てる…」と。会ったこともない無名の人たちの暮らしや人生に思いを馳せ、自分自身まで重ねてしまうのです。

時の流れも切り取る


半世紀も浅草の同じ場所で声をかけ、ポートレイトを撮り続けている鬼海さんの写真は、ときに思いがけず、時間の流れも切り取り、重ね合わせて見せてくれます。
例えば、野球帽をかぶってくわえタバコの中年の男性の写真があります(上の写真の左側)。これは鬼海さんが、写真を始めて10年が経ったもののまだ身を立てることができず途方に暮れていた頃に撮った1枚。この男性を撮ったことで「ただの人」のポートレイトが作品になると確信させてくれたという、思い入れのある写真なのですが、その右側は、それから13年後の同じ男性の写真。浅草で偶然見かけてまた撮影したそうです。


もっと驚くのはこちらの写真。一見、別人のようですが、実は同一人物。左側は1986年に浅草寺境内で声をかけたときもので、右側は2001年の撮影。顔や体型はまるで違いますが、鬼海さんは体全体の動きや歩き方、目の動きを見て、15年前に撮影したあの男性だと分かったそうです。2枚の写真は15年の月日の流れをまざまざと見せる一方で、首から下げた中国製のカメラ、帽子、ショルダーバッグなどは変わっていないのが面白いですね。

退屈から物事は始まる


「よくこんな人が歩いてるなあって。これ見てね、日本って捨てたもんじゃないなって。こんないろんな人が日本にいるんだ」(久米さん)

「だって、探すのが仕事だもん(笑)」(鬼海さん)

「毎日ほとんど浅草にいて…」(久米さん)

「人間どこか退屈しないと本質的なことは見えないよ。毎日練習していいのはアスリートぐらいで(笑)。ある程度、退屈したところからしか物事は始まらない」(鬼海さん)

撮りたいのは「人間」


鬼海さんが最初にライフワークとして撮り続けようと思ったのはインドでした。でもインドにはそう頻繁には行けません。そこで、日本に住んでいて時間もたっぷりあるのだから日本人を撮ろう、と始めたのが浅草でのポートレイトだそうです。

「だけどぼくにとっては浅草で『下町』だとか『人情』とかって意味がなくて、『人物』を撮ろうと思ったんです。それで人物を撮るなら、海外の人が見ても『あ、これは人間だ』と思うようなものを最初から考えてた」(鬼海さん)

「のちに写真集に文章も寄せてくれているアンジェイ・ワイダさんも、鬼海さんの写真を見て『これは日本人かい? ポーランド人とおんなじだ』って言ったそうですね」(久米さん)

「それが私にとってどれほど嬉しかったか(笑)」(鬼海さん)

鬼海弘雄さんのご感想


今日は放送という感じじゃなくて、普通に話しているって感じで。それは久米さんのパーソナリティですよね。全然、緊張感もなかったし。すごい人ですよね。

見てくれる人によって写真は違ってくると思うんです。写真家がどうこう言うのじゃなくて、見てる人の想像力でないと写真は浮き立ってこないですから。だから今日は久米さんの興味で選んでくれましたけど、堀井さんが選べばそれはまた違ったものになってくると思います。写真の面白さというのはそういうことだと思います。久米さんはぼくのエッセイまで読んでくれて、ありがとうございました。




「今週のスポットライト」ゲスト:鬼海弘雄さん(写真家)を聴く

次回のゲストは、選挙カーレンタル業・若狭侍郎さん

7月20日の「今週のスポットライト」には、選挙カーのレンタル会社「株式会社グリーンオート」の取締役・若狭侍郎(わかさ・じろう)さんをお迎えします。今年は統一地方選挙や参議院選挙で全国からレンタルの注文が殺到しているそうです。中でもガラス張り選挙カーは注目度バツグン!

2019年7月20日(土)放送「久米宏 ラジオなんですけど」http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20190720140000

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)