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宇多丸、『ROMA/ローマ』を語る!【映画評書き起こし 2019.3.1放送】

アフター6ジャンクション

 

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決めた最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜は今夜はこの映画『ROMA/ローマ』。

(曲が流れる)

『ROMA/ローマ』はいわゆる劇伴がないので。一応(うしろで)こんな音楽が流れておりますが、基本的には自然音しか流れません。『ゼロ・グラビティ』のアルフォンソ・キュアロンが監督・撮影・脚本を務めた、Netflixの配信作品ですね。劇場でも部分的には公開されています。政治的混乱に揺れる1970年代のメキシコを舞台に、とある家庭の激動の1年をキュアロン自身の幼少期の体験を交えながら美しいモノクロ映像で描く。

第75回ベネチア国際映画祭で最高賞にあたる金獅子賞を受賞した他、各種映画賞を本当に総なめ、といった感じございます。そして、第91回アカデミー賞では最多ノミネート&外国語映画賞、監督賞、撮影賞の3部門を受賞した。監督賞と撮影賞をひとつの作品で同時受賞した例は初めて、ということみたいでございます。さあ、ということでこの作品、『ROMA/ローマ』。いつもと違って映画館ではございませんので、Netflixに入会するというのがまずは必須にはなってしまうんですが。

この映画をもう見たよというリスナーのみなさま、通称<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。ということでメールの量は、「普通」。まあね、だから作品としてね、どちらかというとアート作品寄りだっていうのもあるんですかね。で、賛否の比率はしかし、褒めている方が9割、その他の方が1割。

主な褒める意見としては「とにかく映像がすさまじく美しい。計算しつくされた画面構成やカメラワークに感動。まるで現実の世界と思ってしまうほど登場人物や街並みが実在感に溢れている」「オープニングやラストなど、水の使い方が見事」「できれば劇場で全国公開してほしかった」。ちなみに日本では昨年の東京国際映画祭で特別招待作品として上映されたということでございます。否定的な意見としては「物語が淡々としすぎて正直退屈だった」ということでございます。しかしみなさん、映像の美しさは認めているということでございます。

 

■「全てのシーンで様々な液体がとても印象的に使われている。“水の作家”キュアロンらしい映画」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。「そーす太郎」さん。「『ROMA/ローマ』、見ました。素晴らしかったです。モノクロで紡がれる70年でのメキシコ。そこで描かれるのはキュアロンの幼少期の記憶を元に再現されたという、ある裕福な中産階級の家庭とそこで働くお手伝いさんクレオの物語。前半は何気ない日常がモノクロで淡々と描かれるんだけど、とにかく撮影がすさまじいんですよね。キュアロン自身が撮影もやってるんですが、『どうやって撮ったの?』という相棒の(エマニュエル・)ルベツキ譲りの長回しとかロングショット、構図全てがとてつもなく美しいのです。

中盤以降は暴動が起きたり、出産からのいろんなことがあって。クソみたいな男たち、強く生きる女性たちという様々な要素がありますが、その全てのシーンで様々な水、液体がとても印象的に使われていて。クライマックスも海が舞台となっていたり、これまでのキュアロンのフィルモグラフィーを思い出してもやはり、キュアロンは水の作家なんだなと思いました」。ねえ。そうですね。『ゼロ・グラビティ』でもなんでもね。「生や死や、精神的に生まれ変わる。そんなシーンにはかならず水がそこにあって、今作のクライマックスなんてものすごくキュアロン的なシーンだなと思いました」ということでどざいます。

あとですね、「まさや」さん。この方はですね、「僕が本作を見ながら強く感じたのは、これはキュアロン版の『フェリーニのアマルコルド』だなということでした。アマルコルドとはフェリー二の故郷である北部イタリアのリミニ地方の言葉で『私は覚えている』という意味。監督の幼少期を描いてることが共通していますし、そもそもフェリーニも『フェリーニのローマ』という作品がある」という。で、この方、その今回の主人公をフェリーニの作品と重ねつつですね。

「……さらにそのイメージは新約聖書に登場するマグダラのマリアにつながっています。映画中盤、年越しホームパーティーの場面でターンテーブルに1970年にリリースされたロイド・ウェバーのロックオペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』のLPレコードが置かれ、そこから流れるのがマグダラのマリアの歌『I Don’t Know How To Love Him(私はイエスがわからない)』であるということからキュアロンの意図を明確に示しています」というね。

ちなみに、明らかに宗教画的な構図みたいなのを狙った部分っていうのもいっぱい出てきた作品ですよね。「……家族でアメリカ映画『宇宙からの脱出』(ジョン・スタージェス監督)を映画館で見る場面は『うわっ! 『ゼロ・グラビティ』の原点はこの体験にあったんだ!』と気づかせる仕掛けになっていって、そういう意味では『ニュー・シネマ・パラダイス』的でもあったりします」ということでございます。

一方、「アチヤリュウ」さん。「『ROMA/ローマ』、鑑賞しました。感想は普通。社会派風味の人間ドラマなんでしょうけど、キュアロン監督だけにサスペンス演出が過剰に滲み出てしまってますね。終始不穏なムードと来そうで来ない、でもやっぱり来る突然の危機。ですが、大半は退屈なので飽きてしまい、3回に分けて見ました」っていうね。それ、ダメだぞ!っていう(笑)。そういう見方をしちゃダメだぞ、っていうタイプの映画だと思うんですけどね。はい。ということで『ROMA/ローマ』、私もNetflixでいつでも見られるというのもありまして、3回見てまいりました。

 

■ハリウッド製のエンターテイメント映画ではない、半自伝的なアート風映画

ということで前作『ゼロ・グラビティ』、2013年。僕は2014年1月4日、『ウィークエンド・シャッフル』時代に評しました。それ以来となる、5年ぶりのアルフォンソ・キュアロンの新作はですね、先ほどからみなさんおっしゃっている通り、劇中エピソードの90%が彼自身の記憶に基づくという、まあ半自伝的な……そして、長年のパートナーである名手エマニュエル・ルベツキさんではなく、自ら撮影監督を務めた白黒のシネマスコープ作品で。なおかつ、いわゆる映画音楽、劇伴がなくて、劇中の自然音とか、劇中で流れる音楽のみが流れるようなタイプの映画。

そして、全編スペイン語、もしくは先住民族が話してるミシュテカ語という言葉。さらに、有名スターは一切キャスティングされておらず、主人公クレオを演じるヤリッツァ・アパリシオさんもこれまで演技経験ゼロ。で、そのクレオ役の元となった、リボさんというキュアロン家で働いていた実在の家政婦さんに……つまり何でこのヤリッツァさんが選ばれたのかっていうと、要するに実際のリボさんというモデルにした家政婦さんに似ていて、なおかつオアハカ州出身の、要するにメキシコ先住民族の家系である、ということから選ばれた人っていうことなんですよね。

ただ、このヤリッツァ・アパリシオさん、今回のね、演技初体験にしてアカデミー賞にもノミネートされてしまうところまで行ってしまいましたけども。ミシュテカ語そのものは本来は全く堪能ではなかった、ということらしいんですけどね。要はとにかくこういうことですね。いわゆるハリウッド製のエンターテイメント映画的では、全くない。商業的には決してキャッチーとは言えない、ということですよね。どっちかといえばヨーロッパの映画祭とかで高く評価されるような、いわゆるアート映画的な作品、っていうことなんですよ。

だから、淡々とした、ゆったりした語り口とか、あとは物語がはっきりと直線的に進まなかったり、いろんなことを明示しない作りだったりとかっていうのを、「退屈」と感じる人はいるのはしょうがないんだけど。それはもう、そもそも行く映画館を間違えちゃってますっていうか。その、シネコンで本当はマーベル映画に行きたい人が、ミニシアターでかかっている映画に行っちゃって、「つまんない」って感じるのはしょうがないんだけど……「いや、それはもう、そういうタイプの映画なんで」って言うしかない感じなんですけどね。

 

■Netflix配信作ながら、とても「映画らしい映画」。鑑賞時にはスマホをOFFで

で、実際にベネチアで金獅子賞を獲得。以降はいろんな賞を総なめで、アカデミー賞でも評価された。ご存知の通りでございます。だけどその一方で、配給がNetflixになった。まあ制作してから、その配給元っていうので手をあげたのが、Netflixだったという。で、さっき言ったように全編白黒、スペイン語の、わりと地味めな作品ということなので、実際に映画館でかけるとしても、非常に限られたかけられ方しかできない、ということで……できるだけ多くの観客に届ける、見てもらうために、最良のチョイスとして『ROMA/ローマ』制作陣はNetflixを選んだ、というようなことを言っていて。で、それはまあ実際にその通りだと思うんですよね。

なんですけど、同時に、やはりその配信映画というのに非常に批判的なカンヌ映画祭は、出品を取りやめた。元々、出品する予定だったのに、「はい、Netflixがやるんだったらうちはお断り」っていうことで。もういま、カンヌはすごいNetflixとモメてますけども。それとか、まあ一部映画業界の反発などもやはり招いてはいるようで……ということで。で、このムービーウォッチメンでもこれまで、ネット配信作品は、扱い始めると本当に線引きが難しくてキリがなくなっちゃうということで、たとえばNetflixオリジナル映画、ポン・ジュノの『Okja/オクジャ』、2017年の作品などは、結局あえてガチャには入れなかったんですけど。ポン・ジュノの新作であるにもかかわらず。

でも、今回はやっぱりアカデミー賞直後というタイミングもあって、あえてイレギュラーに、ちょっと試験的にガチャ候補に入れてみたら、見事に当たってしまった。だから、今後どうするかはちょっとわかんないですけど。ただひとつ言えるのは、この『ROMA/ローマ』という作品そのものはですね、ものすごく――これは「皮肉なことに」と言うべきか――ものすごく映画らしい映画というか、本来はこういう作品こそが、映画館のしっかりした暗闇とか、音響とかを含めた整った上映環境で、じっくり集中して見たい、見られるべき、そういう作品なわけですよ。

なので、みなさんぜひですね、本作を鑑賞する際は、もちろんスマホ、タブレットは論外として、できるだけ映画館での鑑賞条件に近いセッティングを整えるのをお勧めします……というか、そうじゃないと、あまり見たことにならないタイプの映画じゃないかな、と思うんですよね。だからまず、携帯を切ってください。スマホを途中でいじりだしちゃったりしたら元も子もありません。部屋も暗くして、そして途中止め禁止とか、もうそんぐらいのルールを課すべきです、はっきり言って。あと、さっき言ったように、劇伴などがないぶん余計に、微細な音響演出が非常に凝りに凝った作品なので、サラウンドのサウンドシステムとかをそれなりの音響で鳴らしていいような住宅環境でないのなら、もうヘッドホンです。ヘッドホン推奨です、これは。

 

ただの日常描写の中に伏線や象徴性が周到に仕込まれている

というのもこの『ROMA/ローマ』、さっきから言っているように、非常に映画らしい映画というか、アート系映画の作りで、非常にゆったりしたテンポの語り口の中に、実は大変豊かな味わいどころとか味わい深さとか、さりげなく重要な情報などが周到に仕込まれている、というタイプの作品なので。映画館で見る時のようにっていうか、普通の映画館で見る時以上に集中して、能動的に画面や音を読み取るっていう姿勢が、少なくとも本作を十分に理解し楽しむためには必須のスタンスだから、っていうことなんですね。

ということで、まあ順を追って話していきますけども。ちなみに「順を追って」と言えば、アルフォンソ・キュアロン監督はこの『ROMA/ローマ』という作品を、全て順撮りで作っていったと。しかも、出演者たちには脚本を渡さずに、それぞれに異なる演出指示等をしながら、リアルな反応や空気感をつくっていった、ということらしいんですけどね。まあ、とにかく順を追っていきますと、まずは最初に、アルフォンソ・キュアロンのツイッターで出たティーザー映像でも一部が使われていましたけど、あのタイトルバックとなるオープニングショットからして、とても鮮烈ですよね。

床のタイル、四角いタイル、格子状になってるのを、真上から映している。で、そこに、掃除をしてるのでしょう、泡まじりの水がバーッと流れてきて、ゴシゴシゴシゴシとブラシをかける音がする。で、犬がワンワンワンッて鳴いていたりするっていう。で、この水に反射して、建物に四角く囲まれて、まあ切り取られたかのような空が見えるわけですね。地面のところ、地べたにまかれた水に反射する空が、四角く見える。そしてそれをずっと見てると、飛行機がそこをゆっくりと横切る、という。

これは本作『ROMA/ローマ』をすでにご覧になった方はお分かりの通り、これは完全に、ラストショットと対になっているオープニングショットなわけですね。天と地、聖と俗、崇高さと卑近さ。その間を我々は生きてるわけですけど、まさに飛行機がボーダーを飛び越えていくかのようにと言うべきか、主人公クレオさんが、オープニングの地べたのショットから、ラストは空の方へと、階段を彼女は登っていくわけですけど、空の方へと登っていくまでの映画、と言えるということですよね。

そんな風にですね、ボーッとしてたら見流してしまいそうな、一見ただの日常描写の中に、実は周到に伏線や象徴性が仕込まれている。本当にボーッとしてると、何も起こらない映画だな、っていう風に見えちゃうかもしれないということで。本当に集中が必要。

 

部屋の中はパンのショット、表では横移動のショット。白黒なのにエッジが際立っていてクール

ともあれ、その床を真上から撮っていたカメラが、上方向にティルトするとですね、車のガレージとして使われている廊下を掃除してる主人公のクレオ……ここが犬のウンコだらけだ、っつってさっきから(コンバットRECが)話をしてるわけですけど(笑)。

そこから彼女が、家の中を次々に移動しながら家事をこなしていくという様を……これ、全編に渡って繰り返し使われて、非常に大きな印象を残すカメラワークなんですけど、ゆったりしたパン。カメラが、右から左とか左から右に、グーッと回っていく。それをしかも、アルフォンソ・キュアロンのトレードマークとも言ってもよかろう長回しで、グーッとゆっくりゆっくり、部屋の中をじっくり見回すように、丁寧に丁寧に、カメラが横に横に動いていく。

で、室内は大体このゆったりした長回しのパン、っていうので撮っているわけです。あとは戸外、街並みというか、ストリートのショットでは、やっぱりかなり長めの尺で続いてゆく、横移動のショット……だから部屋の中はグルッと回るようなパンのショット、表に出ると横移動のショット。どちらも人物に対してはかなり引き気味の、まあシネマスコープらしい、ちょっとパノラマ的な光景の捉え方、切り取り方っていうかのな、みたいなのをしていて。とにかく大きく言ってこのふたつの撮り方、見せ方を主軸にしている。

あとはまあ、白黒画面なんですけど、65ミリのデジタルで撮ってるので、もちろんそのモノクロゆえのノスタルジックな空気ってのは流れつつも、同時に、細部までクリアなんですよね。非常にエッジが立っているということで、ノスタルジックでありながら、今っぽい。ちょっとクールな温度感をも醸し出すような。これも新鮮だったりします。ということで、なんか懐かしくも新しい、そして自然だけど徹底してコントロールされてもいる、というような、そんな画面の中で、そのメキシコ近郊、コロニアローマという地区……まあ、それがタイトルの「ローマ」ということになっているんですけども。

 

■話は実はシンプル。ふたりの女性の再起の物語

その地区の、ある中産階級家庭で働く家政婦の目を通した、1970年から1971年にかけてのメキシコのある暮らし。そこから垣間見える、当時のメキシコの社会情勢や社会のあり方。ひいては現代、そして世界中に通じる、普遍的な問題や感情っていうのが、そこはかとなく浮き彫りにされていく、みたいな作りなわけですけども。決してお話が直線的に進んでいくわけではないので、最初はなかなか全貌が見てこないんだけど、大きく言って2つ。非常に実は話はシンプルです。2つ、軸となるストーリーがあって。ひとつはそのクレオが働いてるその家庭から、お父さんが、どうやら外に女を作って出て行ってしまうという、そういう話。もうひとつは、クレオさんが妊娠するけど、相手の男は姿を消してしまい……というこの2つの話。

これ、両方とも、要するに社会階層が異なる2人の女性が、しかしどちらも共通して、無責任な男性に傷つけられる、という話。だけども強く生きていこうと再起する、というような。そこで2人が初めて階層差を超えて、改めて家族になる、というような話ということですけども。この映画、まあストーリーラインとしてはそういうことなんですけども、面白いのはやっぱり、そのストーリーラインそのものというよりも、ひとつひとつがとても記憶に残る、シークエンスごとの味わい深いディテール。そのディテールを通してストーリーを語っていくようなスタイル。たとえば最初に、さっきオープニングショットでクレオが掃除をしていた廊下。車を停めるところなんですけど、非常に実は狭いわけですね。

だから決してクソ大金持ちっていうわけじゃないわけですよね。そこに、フォード・ギャラクシーっていうなかなかなデカいアメ車をですね、芸術的な車庫入れ技術で、ギリギリの位置にストンと停めてみせる、この夫のドライブテクニックに対して、奥さんがその同じフォード・ギャラクシーを運転しだすと、非常に不器用な感じになる。ガチャンガチャンって当ててしまう。と、思っていたら後半、その車庫に改めて入ってきた車は……とか。要するに、自動車の種類であるとか、その車庫入れっていうそれが、家族のあり方の変化、変遷っていうのを見事に示す、小道具になっていたりとかですね。

 

■主人公クレオを妊娠させる最低男のフェルミン

あとは、たとえばそのクレオの恋人であるフェルミンという男がですね……まず2人ね、ダブルデートみたいのをして、最初は映画館に行こうとしているんだけど、「天気がいいから映画やめて公園に行く」って言った後に、カットが変わると雨音がして。これも粋ですよね。「天気がいいから」って言っていたのに雨音がして、部屋の中で……まあ、これから性行為をするんでしょう、全裸のフェルミンさんね、シャワーカーテンの棒を使って、武術の演舞的なものを披露する、という場面があるわけですね。ここが、まあフルチンなわけですよ。まあNetflixはもう豪快に、チンがもうボーンと、ブルンブルンする様をしっかりと見せていてですね。

これ、パンツのひとつも履かせてたってよかろう場面なのに、もう明らかにその「棒を振り回す」ということと、その男根主義。つまり彼のマチズモっていうのが……でも同時に、チンチンをブラブラさせながらカッコつけてる、その間抜けさ。つまり、彼のマチズモのちょっとチグハグさみたいなものを、これは後の展開も思えば実に味わい深く、布石を置いてると思います。これ、ちょっと中盤以降の見せ場になりますけど、1971年の6月10日に実際にメキシコで起きた学生運動弾圧、そして虐殺事件。コーパスクリスティの虐殺。

「血の木曜日」なんて言われてる事件らしいですけど。これが描かれるんですよね。途中で舞台の背景として出てくる。そこで、そのフェルミンと再会することになるわけですよ、クレオさんは。そこで彼が……やってることはもうその虐殺に加担というようなね、恐ろしいことに加担してるわけですけど。そこで彼がやってることと、着ているTシャツの柄の、チグハグなギャップ(笑)。「なんちゅうTシャツを着てるんだ、お前は。こういうことをやる時に!」とかですね。まあ彼、フェルミンにまつわるシーンは非常にどれも印象深くって。

2人で一緒に映画見ていちゃついてる。これ、やっているのは『大進撃』という、1966年のフランスの戦争コメディーらしいんですけども。映画を見ている。そうすると、クレオに妊娠を告げられて、最初は「ああ、いいことじゃん」とか言ってるんだけど、「オレ、ちょっとトイレ行ってくるわ。アイスクリーム、いる?」とかなんか言って、トイレに行ったっきり帰ってこない。ずっとその映画をエンディングまで見て、電気がついてしまう、あの長い長い待ちのショットの心もとなさ。で、表に出てくると物売りがいっぱいいて。キョロキョロしてる横で、ガイコツの操り人形を売っている。ガイコツのおもちゃ(のデモンストレーション販売)、これをやっている。そういうのの1個1個が、ものすごく印象に残るんですけど。あの場面とか。

あと、その後にクレオに探し当てられて、フェルミンが逆ギレするくだり。あそこでこの、武術訓練をしてるわけですけど、その武術訓練の指導に来てる謎すぎるオッサン、いますね。あれ、実在した人らしいんですね。なんか「メキシコのフーディーニ」って言われたようなエスケープ・アーティストだったんだけど、後にそういう武術訓練とかにも関わるようになった人、っていうのが本当にいるらしくて。あそこでその、クレオだけが彼のポーズができてる、っていうあたりも含めて、まあ非常に面白いシーンの作り方ですよね。強く印象に残るシーンっていう感じだと思います。

 

■アルフォンソ・キュアロンの記憶を自分の記憶として植えつけられたような映画体験

で、まあそんな感じで基本、淡々としてるように見えて、要所要所で、まあそういうちょっと本当に記憶に残るようなディテール……たとえばあの、犬の首がずらっと並んだ剥製とかですね。あと、これは後ろの方ですけど、「たぶんお父さんと別れることになると思います」みたいな話を家族でする。で、泣く子もいればキョトンとしている子もいる、っていうところでパッと画面が変わると、アイスクリームを座って舐めてるんですけど、横では若いカップルが結婚式を挙げてる。その後ろにある、巨大なカニの模型とか(笑)。あれ、実際にあるらしいんですけど。なんかこう、いちいち印象に残る画面っていうのがあって。

で、要所要所では、ギョッとするようなショックシーンやスペクタクルシーンを挟み込んでくる、というようなね。たとえば途中、さっき言ったその血の木曜日のシーンとかは、本当にショッキングなシーンですし。まあ、先ほどのメールにもあった通り、本当にフェリーニ的な祝祭感も漂わせる、あの山火事のシーンがあったりとか。そしてやっぱり『トゥモロー・ワールド』とか諸々を連想させる、クレオの出産からの……というようなシーンなどなどが挟み込まれる。あと、これもクレオの出産にまつわる……あれは前半で、病院で妊娠を調べに行った時にですね、新生児を見に行くと、そこで地震が起こる。そうすると、その地震が起きた天井のコンクリートが、新生児が入ったプラスチックのケースの上にかぶってる、っていうとても不吉なショット……からの次のショット。十字架が並んでる!っていうね。

もうね、すでに暗示が始まってる、というような並びがあるわけですよ。で、極めつけはクライマックス。やはりね、これはもうこの映画を見た人、誰もが強烈に印象に残る、海水浴に行ったはいいんだけど、子供2人が溺れかけてしまう(という場面)。最初はなんとなく波打ち際で遊んでいて。で、こっち側に、画面が横移動で、左に移っていって。男の子の体を拭いてあげてたら、いっぽうこっちはどうやら溺れちゃっているらしいっていうんで、もう1回、カメラがグーッと右に横移動していって。で、海の中に入っていって……というですね。ここ、本当に溺れかけたように見える2人の子供たちを、クレオが助ける長い長いワンショット。

長い桟橋をつくって、カメラクレーンを設置して、後はデジタル処理なんかを交えつつ……だから本当には危なくなくやっているらしいんだけど、とにかく本当に人が溺れかけてるようにしか見えない。どうやって撮ったんだ?ってびっくりしちゃうような、あのシーン。からの、夕日を逆光に受けて、改めてクレオが階層を越えて本当に家族になる。そして、そこでクレオが初めて、悲痛な告白、懺悔をするというあのショット。あそこも非常に何かこう、なんというか宗教画的なというか、そういう構図で。非常に崇高さ、美しさをたたえたショット、ということでございます。

からの、さっきも言ったオープニングと見事に対になった、円環構造になったエンディング。家の中の様子の、たとえば家具がなくなっている、というあたりからの見せ方とかも、同じカメラワークなんだけども……っていうあたりも、本当に上手い。で、やっぱり終わってみるとですね、なんかまるでアルフォンソ・キュアロンの記憶を、そのまま自分の記憶として植えつけられちゃったかのような感じがする。なんか全然関係ない家族の過去なのに、なんか懐かしい感じがするっていうか。やっぱり映画監督ってすげえ仕事だな、なんて思ってしまいますね。

 

■いま作られた映画として、今これを評価しなきゃいけない。文句なしの名作

だから僕は……二度、三度と見ると、実は非常に後半なんか、ものすごいテンポが早くって。また久しぶりに言いますけども、「この作品の欠点は、短いことだ」ぐらいに思いました。135分は、二度目以降はすごくあっという間に感じます。これ、3時間4時間は見ていたいな、っていう風に思ったりしますね。で、もちろんいま、なにかと世界的には色眼鏡で見られがちなメキシコ人……それこそ我々は、メキシコ麻薬カルテル物は好物ですけど。まあメキシコ人の中にももちろん、当然人間らしい暮らしがあるし。メキシコの中にもその階層があって。その中でやっぱりこう、貧しく暮らしている先住民、っていうのがいたり。ちょっと差別的な対応を受けてたりも本当はするんでしょう、っていうのが見えてくる。

そういう、まあ今日的な題材の切り取り方っていうのもあるし……っていうことですかね。はい。ということで、これはやっぱりですね、Netflix配信・配給という形にはなりましたけど、やっぱり世界中の映画賞的なものが、「その云々は別にして、やっぱりいま作られた映画として、これを評価しなきゃいけない」という……フレッシュさと普遍性をたたえた、これはやっぱりまあ文句なしに、「大したもんだ」としか言いようがない、堂々たる名作というか、「名作」って言いたくなる風格をたたえた一作ではないでしょうか。僕はやっぱりアルフォンソ・キュアロン、最高傑作だな、という風に思いましたということでございます。Netflixで見られますので、ぜひぜひこの機会にご覧ください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は、『移動都市/モータル・エンジン』! ……からの1万円自腹で課金してワンモアガチャ→『女王陛下のお気に入り』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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