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宇多丸、『ヘレディタリー/継承』を語る!【映画評書き起こし 2018.12.7放送】

アフター6ジャンクション

 

宇多丸:

ということで、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこちらの作品! 『ヘレディタリー/継承』

(曲が流れる)

だからー! もう本当に気分が悪くなるから、この感じだけで(笑)。『ルーム ROOM』『ムーンライト』『レディ・バード』などの話題作を次々と作り出すスタジオA24の最新ホラー。家長である祖母を亡くしたグラハム家の4人は、力を合わせ悲しみを乗り越えようとするが、祖母は忌まわしい「何か」を家族に残していった……。主な出演は『リトル・ミス・サンシャイン』などのトニ・コレット、『ユージュアル・サスペクツ』などのガブリエル・バーン、『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』のアレックス・ウルフ、そして新人のミリー・シャピロ。監督・脚本は本作が長編監督デビューとなるアリ・アスター、ということでございます。

ということで、もうこの映画を見たよというリスナーのみなさまからの感想メール、いただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多い」。そうですか。この番組でもね、三宅隆太さんに一押しなんかもしていただきましたからね。そして賛否の比率は「賛が7割」。残りが3割。

主な褒める意見としては、「見終わった後、本当に嫌な気分になる。最悪の映画。※褒めてます」「予想できないストーリー、考え抜かれた画面構成、緊張感と恐怖を煽る音と、欠点がない。映画のことを思い出したり、感想をまとめている時まで怖い気分になるのは初めて」「ホラー映画でありながら、崩壊していく家族ドラマとしても秀逸。家族という呪い映画の新たな傑作」「トニ・コレットの顔がいちばん怖い」ということでございます。

否定的な意見としては、「不気味な映画ではあったが、正直怖くなかった」「全ての謎が明らかになっても、わからないことだらけで消化不良」「どこがフレッシュなのか、よくわからなかった」「キャストはがんばっていたが、ストーリーが脆弱」といった意見をいただきました。

 

■「リアルタイムで追いかけたくなる監督がまたひとり」(byリスナー)

まず、褒めている方。「メザシのゆうじ」さん。「『ヘレディタリー/継承』、見てきました。本当に怖かったのですが、同時にこれほど先の展開が読めずに物語に翻弄される感覚を久しぶりに味わいました。この映画の怖いところは解決すべき問題から目をそらし続けることで、最悪の状況になっていくことではないでしょうか。兄のピーターが起こすある事件をきっかけに、登場人物たちがお互いの本心がわからなくなっていくという家族の崩壊が描いた人間ドラマであると同時に、暗闇の中に何かがいるとか、謎の光の演出等、見る人の想像力に訴えるホラー演出で恐怖を増長させていたと思います」。

あと、音楽がね、いま(BGMで)こうやって盛り上がっているだけで、なんで勝手におれ、怖くなってんだ? もう、怖いから!っていう。「……今作が長編デビュー作のアリ・アスター監督は次回作もホラーらしいですが、リアルタイムで追いかけたくなる監督がまたひとり現れた。今年ベスト級の1本です」という大絶賛メールでございます。

一方、ダメだったという方。「HO」さん。「単純に怖くありませんでした。怖さを求めて見に行って、まったく怖くない。なので『否』です。三宅さんの言っていた『今世紀最高に怖い』を期待したのですが、まったく勃ちませんでした。自分が不感症なのか? 感性が死んでしまったのか? と不安になるぐらいまったく怖くない。童話でも見てる気分でした。ルックもホラーというよりはファンタジーの印象で、登場人物も悪くなる状況に抗うことなく、ただ振り回され流されていくだけ。ゴールに向かって粛々と進むストーリー、そんな印象です」という。まあでも、おっしゃっていることは、印象としては間違ってないんですけどもね。ということで、みなさん、ありがとうございました。

 

■「怖いホームドラマ」の系譜に連なる一本

さあ、ということで私も『ヘレディタリー/継承』、三宅隆太さんおすすめ回の時も言いましたけど、事前に1回拝見することができていて、その後にTOHOシネマズ日比谷でもちゃんと見てまいりました。さあ、このコーナーでも、たまにね、ホラー映画というジャンル、ガチャが当たって取り上げることがちょいちょいありますけども……今回のこれは、それらとはちょっとケタが違う、という風に思っております。怖さの質が全然違うというかね。

たとえばその、モンスター的な存在から生き延びたりとか、なんなら撃退したりして、一件落着!……とはいかない。もう完全に取り返しがつかないというか、観客の我々も、もう世界をかつてと同じようには見られなくなってしまう、というような、そういうレベルのホラーというのが、何年かに一度、出てくるんですね。まあそういうレベルで、おそらく今後も古典・クラシックとして歴史的に位置付けられるような、そういう一作になってくんじゃないか……というぐらいになると、この『ヘレディタリー/継承』については思ってます。

ただ本作ですね、ちょっと厄介なのは、先週脚本家/スクリプトドクター/映画監督の三宅隆太さんにご紹介いただいた時もおっしゃってましたけど、できるだけその予備知識を入れずに、「いったい何を見せられているんだ?」「いったい我々はどこに連れて行かれてしまうんだ?」という初見時ならではの感覚を、ぜひみなさんにも味わっていただきたいので。先ほどのメールにもありましたね。これだけちょっとどこに連れていかれるかもわかんない映画もないと。コンバットRECも本当に、「これだけどこに進んでいるのかわからない映画なのに惹きつけられる。これは相当な演出力だ」とも言っていましたけども。はい。

なので、まあ北島康介ばりに「なんも言えねえ」ということなので……ここから先はですね、もちろんできるだけ決定的な部分とか展開に関してはネタバレしないように話してはいきますが。本当にまったく見る前には何も聞きたくない! という方はですね……20分後ぐらいですかね? またお会いしましょう!っていうね(笑)。

まず、言えるのは、ある家族がもともと抱えていた問題、因子によって、次第にその内側から家族が崩壊していってしまう、というような、言ってみれば「家族という呪い」「家族という地獄」、「血族という呪い」であってもいいんですけど、そういうものを描いた……あるいは、「家庭という逃げ場のない、閉ざされた牢獄」と言ってもいいかな、そういうものを描いたような、要は「怖いホームドラマ」の系譜というか、ダークなホームドラマの系譜ってのが、古今東西を問わず、連綿とあるわけですね。

近年で言えば、僕はパッと思いつくのはやっぱり日本映画の『葛城事件』とかね。あとはまあ、『ラブレス』とかもそうですよね。今回もちょっと『ラブレス』を思わせるような、聞いちゃいけないものを聞く、みたいな、そういうところがありますけど。とにかく枚挙にいとまがなくあるわけですけども。その「家族という地獄」「血族という呪い」「イエや家庭という、逃げ場がない閉ざされた牢獄」っていう言い方を僕、しましたけども、これはあくまでもホームドラマにおいては、その地獄とか呪いとか牢獄っていうのは、比喩なんだけど……それを文字通りの「地獄」「呪い」「閉ざされた魔の空間」として……つまりホラー映画というジャンル的文法、ジャンル的語り口で見せる。

要はやっぱりこれも、「怖いホームドラマ」の変種でもある、というのが、今回の『ヘレディタリー』ということですね。だから、ホームドラマとしても見れる、ということですね。

 

■過去作もエグ過ぎる驚異の新人、アリ・アスター監督

脚本・監督、これがまさかの長編デビューとなる──本当に驚異の新人ですね──アリ・アスターさんという方。彼の過去の短編、『The Strange Thing About the Johnsons』……「ジョンソン家の奇妙な話」っていう感じかな。それとあと、『Munchausen』っていう、これは2013年の短編。この2本を、僕はこのタイミングで、まあYouTubeとかで見れるんで見たんですけど。どっちもまさにですね、「家族という地獄」を描いた、本当にエグい作品で。ちょっとここで詳しく説明するのは憚られるようなやつなんですけど。

特に前者、その『The Strange Thing About the Johnsons』は、母と子の最終対決っていうくだりがあったり、あとは「呪われた書的なものを暖炉で焼こうとする」っていうくだりがあったりなんかで、『ヘレディタリー』ともちょっと通じるところが散見されるような作品でありました。あとその『Munchausen』っていうやつとかも、まあ母親の支配的抑圧というのかな、そういうものを描いている、というような作品でございました。ということで、しかもこの『ヘレディタリー』、アリ・アスターさんは、インタビューなどによれば、ご自身の家族に起こった不幸があり、で、家族が崩壊しかけちゃった大変な時期があって……っていう。

(宇多丸のスマホのメール着信音が鳴る)

あ、「チーン」って。すいません(笑)。携帯が鳴る音、怖いよー。あ、今サイレントにしました。全てが怖い(笑)。そういう不幸が発想のもとになっている、ということなんで。町山智浩さんが監督にインタビューして、そこはあまり詳しく語ってくれなかった、なんていうことを言っていますけども。つまり、要はダークなトラウマホームドラマ、という部分こそが、やはりこのアリ・アスターさん、そしてこの『ヘレディタリー』という作品の核心であるのは間違いない、ということですね。

で、加えて、それをさっき言ったように、ホラー映画というジャンル的な語り口で見せる手際の豊富さ、的確さ、そしてフレッシュさ、というのがなにより素晴らしいところでもあって。要は、ストーリーと脚本だけ読んでも、これがどう怖くなるのか?っていうのが、ちょっとわかんないタイプの作品だと思うんですね。なので、これをやっぱりGOサインを出して制作をさせた、A24という会社。後ほど、最後に言おうと思うけど、A24ヤバし!っていうことですね。そこがまず偉いな、っていうこともあると思います。

 

■タダ事じゃないムード満載のオープニング

で、まず、ネタバレしないようにしますけど、ここだけは説明させてください。まず、誰もが「私はいったい何を見せられようとしているんだ?」っていう、クラックラするような感覚に襲われること間違いなしの、あの鮮烈なオープニングからしてですね、「もうただごとじゃないのが来た!」っていう感じですね。要はですね、トニ・コレットさん演じる一家のお母さん、アニー・グラハムという人が、細部までものすごく精巧に作られたドールハウス、ミニチュアの家とかの、ジオラマを作るアーティストである、という設定なわけですね。

これ、ミニチュアを作っているのは、スティーブ・ニューバーンさんっていう、特殊効果なんかであちこちで活躍されている方ですけど。まあ、そういう設定なんですが、まずこの冒頭で示される、だまし絵的な入れ子構造ですね。最初に……まるでだまし絵ですよね。こう(カメラがミニチュアの家に)グーッと寄っていったら、「あれあれあれ……どうするの? どうなっているんだ? えっ!?」っていう感じで映画が始まりますけども。この物語世界全体がまるでこのドールハウスのように、外側の世界から見つめられ、コントロールされている、閉じた空間のように感じられる。そういう入れ子構造をなんとなく最初に示している。その不気味な閉塞感。そしてずーっと持続する不安感、不吉感、っていう感じですね。

実際に、話が進んでいく、つまりお話の悲劇性が高まっていくに従って……普通の、家の中の場面なんですよ。最初の方では、普通の家の中で、わりと常識的なサイズで人物を撮ったり会話を撮ったりしている場面が多いんですけど、だんだんその……普通の家の中の場面のはずなのに、たとえば、ありえない位置までカメラが引いている。で、フィックスであることによって、まるでそのドールハウスの中を見ているように見える。ドールハウスの断面を見ているように見えるショットであったりとか。あまつさえ、現実では絶対にありえない、部屋と部屋とをまたいだ……ちょっと引いた位置から、グーッとドリーショットで、カメラがずーっと横に移動していく。現実には絶対にありえないカメラワーク、みたいなものがあったりして。

要は、だんだんだんだんそのミニチュアの……現実までがミニチュアのドールハウスのように見える画がどんどん増えてくる、っていう。もう完全に意図的な演出をしてたりするわけですね。しかもこのお母さん、まあ作家としてギャラリーに納品したりするぐらいの人なんだけども、作ってるジオラマっていうのが、どうも実はどれも、ご自分の人生に起こった、実際に起こった、それもちょっと悲劇的なニュアンス、もしくはトラウマ的なニュアンスがあるような場面ばかり作ってる、という。

それこそ彼女自身は、これによってセラピー的な効果、つまり人生を自分でコントロールしてるっていう感覚を取り戻そうとしてるから、こういう作品を作ってしまうのかもしれないけど……そもそも危ういですよね、この感じね。はい。

 

■ウディ・アレンがベルイマン監督にオマージュを捧げた『インテリア』を思わせるところも

ちなみにこのお母さんがミニチュアアーティストで……っていうあたり。これは町山さんがこの間いらした時におっしゃっていて、「あっ」って思っていたんですけど、ウディ・アレンがですね、ベルイマン・オマージュ全開で作った『インテリア』っていう映画があるんですけども。

これはやっぱりお母さん、非常に抑圧的・支配的なお母さんが有名なインテリアデザイナーで……っていう。で、まあ本当によく似た、きれいなインテリアでかたどられた、まるでミニチュアの、それこそドールハウスのようにきれいに作られた部屋の、ちょっと引いたショット、っていうのも印象的な映画なんですけども。「『インテリア』が元ネタだ」みたいなことを町山さんがおっしゃっていて、「ああ、なるほど」と。

前に三宅さんとの話の中でも僕、「ベルイマンっぽいですよね。ベルイマンの家族が崩壊していくような一連の話とかですよね」みたいに言いましたけど。実際にそのアリ・アスターさんは、ベルイマンが大好きで。町山さん曰く、次回作はだから、ベルイマンが好きすぎてスウェーデンの話、みたいなことらしいですけども。で、まあとにかくそんな感じで、そもそも何か拭い去りがたい危うさっていうものをはらんだ、その家族。まだ何も実質起こってはいない段階でも、そういうのを感じさせる。

 

■全てのセリフ、全ての要素が緻密に計算され尽くしていて無駄がない

たとえばそれを演出するのは、バリトンサックス・プレーヤーのコリン・ステットソンさん(ゴトン……と、稗田ディレクターがマイクにぶつかって音を立てる)。だから、やめて! その「ゴトン」とか!(笑) 怖いから。そのコリン・ステットソンさんの、不吉極まりない音楽。音楽、もう1回出そうか。あの「ブオォォォォ~……」っていう、バリトンサックスなんですかね? 音のあれもそうだけど……全編に、聞こえるか聞こえないかのギリギリぐらいの音量で、低音がずっとうねっている。「ウォン、ウォン、ウォン……」って。そんなのがうねっていたり。あとは「トコトコトコトコ……」って、追い立てられるようなビートがずーっと神経を逆なでしてきたりとか。とにかく……(曲が流れる)……はいはい。このコリン・ステットソンさんの音楽だけで、まあすっかり嫌な気分(笑)。

あとですね、さらにはそのミリー・シャピロさん。本当にこの人以外はありえない、っていう存在感の、妹チャーリー役を演じている。そのミリー・シャピロさんの、さっきからやっている「コッ、コッ……」ってこう、舌で上顎を鳴らす、これ。みなさん、子供の時にやったと思いますけども。あれの不気味さ。これがどう怖いのか?っていうのは、たぶん映画を見ていない人にはわからないと思いますけども。後半、特にそれが……この「コッ」っていう音が、また絶妙なタイミングで。「怖い音が鳴っているな」って思ったら、急に「コッ!」って鳴って、音がビシッと止まって、「うおっ!」ってなるみたいな。音だけでも十分に効果的な演出というのが、特に後半に出てきたりしますけど。

あるいは、ふわふわした光の反射を利用したような、なにか霊的なものを表現する演出だったりとか。たとえばその序盤で、アレックス・ウルフさん、『ジュマンジ』のリメイクとかに出ていましたよね、アレックス・ウルフさん演じるお兄さん、ピーターが受けている授業の、暗示的な内容。こんなことを言ってますよ。授業で。「彼に対して示されるすべての兆候を認めるのを拒んでいた」んだけど、実は「避けられない運命」「絶望的な仕組みの中の駒でしかない」、というようなことを、授業で、ヘラクレスの話をしてるんですけども。これ、完全に、後にピーターが歩む道筋そのものなわけですね。そんなことだったりとか。

とにかく、全てのセリフなども、しっかり後で生きてくるような意味が込められたりしてですね、全部の要素が緻密に計算され尽くしていて、無駄がない。だから、一見長いシーンとか長めのショットに見えるところも、単にもったいぶってたり、こけおどしだけだったりするところがなくて。ちゃんと全てに何か意味が込められている、という。これ、二度見ると余計にわかります。で、本当に序盤、まだ何も起こっていないところ。僕、いま説明しているところ、まだ何も起こっていないところですからね……でさえ、こんな感じなんですけどね。

 

■中盤で起こる、見た人全員トラウマ級のある惨劇

で、やがて途中、あるポイントで……ここでは絶対に言いませんけども、ある、本当に筆舌に尽くしがたい、見た人全員の心に一定のトラウマは絶対に残す、傷跡を絶対に残す、あるとんでもない惨劇が、ドーン!と起こるわけですけども。その手前の部分でも……やっていることや話していることは、なんなら普通の、それこそいまどきのティーンムービーと同じようなことをやっているんですよ。たとえばね、その、友人宅でハウスパーティーが開かれる。ちょっと背伸びしたハメ外しもしたいし、なんなら同級生の女の子にこのタイミングで接近したいっていうのがあるから、ちょっとお母さんに嘘ついて、出かけたい。

そしたらお母さんは、それをなんとなくわかっているのか、牽制するかのように、「妹も連れてきなさいよ、あんた!」。「ええーっ? 妹も連れて行くの?」みたいな。これだけ取り出したら、本当にただのティーンムービーみたいなことですよね。本当にね。ただその、普通だったらティーンムービーみたいなやり取りのところにすでに、さっき言った「ウォン、ウォン、ウォン、ウォン……」っていうのが、もう鳴っているわけですよ。

つまり、もうこの時点ですでに、呪いはかかってるんだぞと。いま、このやり取りがもうすでに呪いなんだぞ、っていうことを言っているわけですよ。で、また「ブオォォォォー……♪」みたいなのが鳴り出して、いよいよ不吉なことが起こる(予感が漂い始める)。で、パーティー会場に向けてそのピーターくんが運転する、行きの車。右から左に移動する、ブーンっていう車をカメラが追って、右から左にパンして……そのまま追いかけるかな?って思ったら、なぜかカメラが、真ん中でピタッと止まるわけですね。その真ん中にあるものは何か? というね。後々の惨劇を予告するかのようなその「何か」のところで(右から左にパンしていたカメラが)ピタッと止まるとか、そういうのがある。

そして、ここで起こる惨劇。ある超有名な、ホラー映画クラシック中のクラシック、そのオマージュな場面。タイトルを言うだけでネタバレになってしまうので、言わない。『ホニャラのホニャラララ』(笑)。ホラー映画のクラシック。これのオマージュなことが起こって……後半でもこの(同じ映画の)オマージュが出てきますけど。とにかくとんでもないことが起こるんですけど、それそのものの恐ろしさ、禍々しさっていうのももちろん、ショッキングなんですけど、この映画で恐ろしいのは、その恐ろしいことが起こった「後」の、登場人物たちのリアクション。「ああ、きっとここまでの事態を前にしたら、人間はこうなってしまうのだろう」と思わざるをえないような、リアクションこそが……僕はこここそが、まさにこの世に現出してしまった地獄そのもの(だと思う)。まさに「生き地獄」っていうのが現出するわけです。暗黒ホームドラマとしても本当にすさまじい、っていうことですね。

 

■ラストに向けて「魔」が加速していく暗黒演出

たとえばその、すっかり心がバラバラになってしまった家族、それ自体がもう地獄だと。たとえば、ある惨劇が起こってしまった。でも、誰もその惨劇と自分の責任に向き合うことができないでいる、という状態。だから、家に一瞬でも一緒にいたくないっていう状態になってるのを示す、ある母親の行動があるわけです。その母親のその行動のところにまた、不吉な「ブオォォォォーン……」って……つまりそういう、家族として向き合おうとしていないこの行動、ひとつひとつが後の破壊的なことを生むんだ、ということを、ちゃんと予告しているし、音楽が暗示している。

そして、家族の完全崩壊があらわになる、あの最悪の食卓シーンみたいなのがあって……とにかくホームドラマとしても、かなりヘビーな出来になってくる。で、そんな家族の心の崩れにつけ込むかのように、その日常生活の中に、そして人生の中に、「魔」がどんどん入り込んでくる。魔が入り込む度合い、色合いが、次第に増してくる。たとえば、あちこちで、聞こえるはずのない舌を鳴らす音が聞こえたり。あるいはですね、ピーターが夜中、パッと目を覚ますと、向かいのロッジがあるんですけども。上に吊られたロッジの中で、赤い火が照らされている。あれは、お母さんが中にいて暖房を焚いているから赤いんだけど、その赤い光が、ピーターの目に赤く反射することで何か……何か、悪魔的な何かに見える、みたいなこととかね。

で、だんだん部屋の中の暗がりとか影などが、「何か」に見える、何かの存在を感じさせる、という演出。これはあの、Jホラー表現の祖先でもあります、『回転』というホラー映画のクラシックを思わせるようなホラー演出も、見事にものにしつつ……っていう感じですね。あと、Jホラーでいえば、『女優霊』的な表現、クライマックス近くに一点、出てきたりしました。まあ、とにかくこんな感じでやがて、救いを求めるつもりが、地獄の扉を、比喩的な意味ではなく開いてしまったグラハム家の人々……しかしそれは、はるか前から決まっていた運命のようでもある、という展開になっていく。

 

■あまつさえラストでは妙な祝祭感まで漂いだす

さっき言ったミニチュア風ショットもだんだん増えてきますし、あとはだんだんジャンプカット、同一画角のジャンプカット……人物とか建物が同じ位置にあるままバッと時間や空間が飛ぶ、というジャンプカットとかが出てきて。どんどん時間感覚もおかしなことになっていく。しかもクライマックス手前、パッと夜になった時。さあ、このグラハム家の家の周り、どんなことになってるか? よくスクリーンで見てくださいね。

それまでは、基本的には静的な、静かな感じで……そしてあくまで、「これはでも心理的な歪みの顕れとも解釈出来る」という範囲をギリギリのラインでキープ、絶妙に揺れながらもキープしながら進んできたこの『ヘレディタリー』という映画。それだけに……この、クライマックスから怒涛のようにたたみかけられる異常事態の連続に、本当にもう、「勘弁してくれーっ!」となること必至だと思います。僕、本当にここらあたりで、「これは俳優が演じている映画なんだ! この光も照明で、カメラマンさんがここにいる映画なんだっ!」って思いながら見るので精一杯でした(笑)。

特に、ゆっくりある方向を向くと……というようなね、恐怖演出の使い方のバリエーション、本当に豊かで。毎回、本当にビクついてしまいますし。で、ところがこの映画、さらにすごいのはですね、その怒涛のように恐ろしいクライマックスの先に、「『エクソシスト』のその先」とでも言うべきエンディングで、奇妙な祝祭感まで漂いだす。ヘンデルの『司祭ザドク』という曲が流れ出す。これは『ジョージ2世の戴冠式アンセム』っていう作品の第1曲目なんですけども。ここではじゃあ何の「戴冠式」か?っていうことなんですけども。奇妙な祝祭感さえ漂う。

なんならこれ、ファミリーリユニオンの場でもあるしね!っていうことなのか、妙な祝祭感まで、アゲ感まで漂いだす、みたいな感じ。あるいは、映画が終わりました。そうすると、血を思わせる赤い字が一文字ずつ、脈々と、文字通り「継承」されていくエンドロールで、こんな曲が流れる。ジョニ・ミッチェル作曲、ジュディ・コリンズさんの『Both Sides, Now』という曲。『青春の光と影』っていう邦題がついてますけども。これのやはり、気持ち悪い余韻。

これ、歌っていることはこういうことです。「世界は、私が思っていたのとは違う面を持っていた。私は何もわかっていなかった」っていう歌詞なんですけど。はい。ということで、とにかくこれ、たとえばキリスト教信仰的な恐怖心のあり方とかがなくても……たとえば家族、家系からは、誰も逃げられませんよね。生まれは選べませんよね。つまり、その生まれは選べない、この自分の生の意味。自分では選べない。自分の人生の意味っていうのを選べないとしたら……という。つまり「生」というもの自体にまつわる普遍的な恐怖とか気持ち悪さ、っていうものが込められているから、やっぱり我々が見ても、しっかり嫌な気持ちになる。トラウマになる。

 

■「世界を本当にちゃんと呪ってる人のホラー映画」。はっきり言ってレベルが違う

そしてですね、ベルイマン、キューブリック、あるいはミヒャエル・ハネケ、あとはギャスパー・ノエのテイストもあるかもしれない。そして『エクソシスト』『ローズマリーの赤ちゃん』、さっき言った『ホニャラのホニャラララ』とか(笑)。あとはマイク・リーの一連の作品とか、あとは『普通の人々』でもいいですけど、ダークホームドラマの系譜。そして、『回転』からJホラーに至る現代ホラー表現の数々。果ては新藤兼人の『鬼婆』に至るまで、豊富な映画的語彙……特にホラー映画的な語彙を、完全に自分のものとしてフレッシュに消化して、なおかつ本当に、自分の実人生の痛みを焼き付けるホームドラマにもしてる。

つまり、こういう言い方をさせてください。「世界を本当にちゃんと呪ってる人のホラー映画」。「この映画で世界に呪いをかけてやる! お前ら全員、呪ってやる!」っていう気合いが本当に込められたホラー映画、っていうことです。ということで、消費できるタイプの「面白い」怖さではないです。だからこれを見て、面白いと感じない、面白くないと感じる人もいるかもしれません。でも、これはちょっと本当にそういう意味で、ちょっとレベルが違うタイプのホラー映画だと思ってください。

年末に向けて、ちょっと年間ベスト級の映画がドシャドシャドシャドシャ来ちゃって、私は嬉しい悲鳴です。A24という制作会社の作品、本当に今年はヤバすぎて。『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』からね……ああっ、時間がない! ということで、ぜひぜひ劇場で。これ、絶対に劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『来る』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

 


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