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宇多丸、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』を語る! 〜「週刊映画時評ムービーウォッチメン」テキスト版(2016年4月9日)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

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宇多丸:「映画館では、今も新作映画が公開されている。
     一体、誰が映画を見張るのか?
     一体、誰が映画をウォッチするのか?
     映画ウォッチ超人、シネマンディアス宇多丸がいま立ち上がる−−
     その名も、週刊映画時評ムービーウォッチメン!」

22:00-24:00(土)、TBSラジオ AM954 + FM90.5『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』。当番組の名物コーナー、ライムスター宇多丸の映画評「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。

毎週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)に入った新作映画の中からランダムに選んだ作品を、“シネマンディアス宇多丸”が自腹でウォッチング。その“監視結果”を喋り倒す映画時評コーナーです。

今週評論した映画は、『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』(2016年3月25日公開)です。

Text by みやーん(文字起こし職人)

*  *  *  *  *  *

宇多丸:
今夜扱う映画は、先週ムービーガチャマシンを回して決まったこの映画! 『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』

(BGM:『バットマン vs スーパーマン』テーマ曲が流れる)

アメコミを代表するヒーロー、スーパーマンのリブート作である2013年の映画、『マン・オブ・スティール』の続編。同じくアメコミを代表するヒーロー、バットマンとスーパーマンが対決する。主人公のクラーク・ケントことスーパーマンを演じるのはヘンリー・カビル。ブルース・ウェインことバットマンを演じるのはベン・アフレック。また、イスラエル出身のガル・ガドットがワンダーウーマンに扮している。監督は『マン・オブ・スティール』に続いてザック・スナイダー、ということでございます。この映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』を見たよというリスナーのみなさん、ウォッチメンからの監視報告、メールでいただいております。ありがとうございます。

やはりですね、非常に大作というか注目作でございますので、メールの量は非常に多いです。今年最多クラスでございます。言いたいことがいろいろ出てくるっていうのがあると思いますけどね。賛否で言うと、賛が2割。まあまあが3割。そして残り半分が否定的な意見ということでございます。「とにかく画面がかっこいいし、ヒーローたちの造形もばっちり」「アメコミファンとして大満足」「前作『マン・オブ・スティール』からつながるテーマ設定がいい」などが主な褒める意見。

対して、「いくらなんでも長すぎる」「冗長、退屈」「登場人物全員バカだし暗い」(笑)。「登場人物全員バカだし暗い」って、キレがいいですね(笑)。など、否定的な意見はこんな感じが多数を占めた。ただし、多くの人が「ワンダーウーマンは良かった」という。まあ、正直ね、「ワンダーウーマンを出す」って聞いた時に、「えっ、大丈夫か? ワンダーウーマンなんか出して」って思ったんですけど、そのあたりは非常に好評な意見が多いということでございます。代表的なところをご紹介しましょう……。

(メールの感想読み上げ、中略)
……ということで、いってみましょう。『バットマン vs スーパーマン』、私もTOHOシネマズの2D字幕、あとバルト9の2D字幕と109シネマズ二子玉川のIMAX3Dで見てまいりました。『マン・オブ・スティール』、このコーナーでも2013年9月29日にやったものの直接的な続編にして、いわゆる──こう呼ぶことになったみたいです──「DCエクステンデッド・ユニバース(DC Extended Universe)」。要するに、映画においては──もちろん、コミック界においてはDCの方が先輩なんですけど──映画界においては、マーベルが先に進んだですね、「マーベル・シネマティック・ユニバース(Marvel Cinematic Universe)」が先行して大成功しているのの同種の試み。

要するに、個々のDCコミックスのヒーローたちを個々の単体で映画化するだけではなくて、互いにクロスオーバーさせて、集結・大集合映画とかを作って、『アベンジャーズ』的な作品世界に広がるスケール感を持たせて、さらに大ヒットで大儲けしたいという計画の、今回『ジャスティスの誕生』というぐらいですから、本格的スタートでもあるということですね。もちろん、コミックでは『ジャスティス・リーグ』の方が先なんですよ。DCの方が先輩にあたるわけなんですけど。映画では、ちょっと後塵を拝していると。

で、原題だと、『BATMAN V SUPERMAN: DAWN OF JUSTICE』ですけどね。タイトルがある意味、全部言っちゃっている。要するに、バットマンとスーパーマン、言わずと知れたDCコミックスの二大ヒーローが、あれでしょ? いろいろあって、対峙・対決せざるを得なくなるんでしょ? で、まあ世紀の対決を経て、とは言えお互いヒーロー同士だから、いろいろあって、まあ和解するんでしょうね。なんかあってね、和解するんでしょう。

で、最終的には、後に『ジャスティス・リーグ』。映画界においてはマーベルの『アベンジャーズ』みたいなもんだと思ってください。『ジャスティス・リーグ』というスーパーヒーローチームが結成されるきっかけが生まれるんでしょ? まあ、そういう話なんでしょうね。うん。タイトルがそういうタイトルですからね!って。で、実際に本当にそういうだけの話です、ということなんですね。

もうちょい細かく言うと、こういうことですね。監督のザック・スナイダーさんをはじめ、作り手のみなさんとしてはですね、特にザック・スナイダーの思いとしては、本音を言えば、フランク・ミラーさんという方──ザック・スナイダーは以前、フランク・ミラーのアメコミというか、グラフィック・ノベルの作品化としてひとつの正解みたいなものを見せた『300』という見事な作品がありましたけども──フランク・ミラーによるアメコミ史上最高傑作とも言われている『バットマン:ダークナイト・リターンズ(Batman:The Dark Knight Returns)』という……これ、「ダークナイト」とついているから勘違いしないで欲しいんですけど。クリストファー・ノーランの映画じゃございません。

むしろ、ノーランを含め、ティム・バートン版も含めてですけど、ティム・バートン版以降全ての映像化バットマンに多大な影響を及ぼしているアメコミの名作中の名作、『ダークナイト・リターンズ』を本当は映画化したいはずなんですよ。たぶん、本当は、そのまんましたいんですよ。『ダークナイト・リターンズ』をね。それがおそらく本音なんだけど、ただ超大作商業映画としての企画上マストな条件っていうのがやっぱりありまして。ザック・スナイダーも大人ですから、そこは。「私も大人ですから」っつって。

要は、『マン・オブ・スティール』の続編であることですね。つまり、“『マン・オブ・スティール』に出てきたスーパーマン”が出る話じゃないといけない。『ダークナイト・リターンズ』のスーパーマンをまんまやろうとなると、要するにあのスーパーマンとは同一人物ではいられなくなってしまうという件があるのと、あと、さっき言ったDCエクステンデッド・ユニバース。具体的には『ジャスティス・リーグ パート1』へのブリッジ。そこにつなげるような話にしないといけない。要するにこれからいろんなスーパーヒーローが出てきますよ、というようなことをちゃんと予告するような内容にしておいてね、という、この2つの条件は外せないわけですよ。映画を作るにあたって。

なので、見ていてですね、「ああ、ここはもろに『ダークナイト・リターンズ』のまんまだな」というところを要所要所に残しつつ、たとえば、おなじみのブルース・ウェインがバットマンになるきっかけ。両親を殺されてしまう場面の描き方とか、映画館から出てきて、っていうところ。映画館のポスターが、ゾロのポスターがあるわけですね。ゾロっていうのはもう、まさにバットマンのルーツにあるようなキャラクターで。だからこそ、原作でもゾロのポスターが貼ってある。

今回の映画だと、時代的な設定上、1981年ということですから。「ジョン・ブアマンの『エクスカリバー』が次週水曜日から上映」みたいなのが看板についていたりですね。『エクスカリバー』の映画のラストが今回の『バットマン vs スーパーマン』のラストのとある結末を暗示していたりもするんですけど。とにかく、『ダークナイト・リターンズ』を踏まえた展開。あるいは、お母さんが撃たれて真珠がボーンと散る。あれはもう、「はい、『ダークナイト・リターンズ』、やりたかったのね。よかったね、よかったね〜。ザック・スナイダー、よかったね〜」って。あと、核ミサイルでスーパーマンがしなびちゃうっていう展開とか(笑)。

で、もちろんバットマン vs スーパーマンのあの戦い。特にアーマーをつけたバットマンの戦いっていうのはかなり、流れも含めて結構まんまだったりするんですけど。そもそも、今回のバットスーツのデザイン。後ほど言いますけどね、ちょっと角ばった感じのバットマンのデザインがもうすごく、フランク・ミラーのコミック寄りだなという感じになっているというのがあると。なんだけど、それを要所要所に、元は『ダークナイト・リターンズ』をやりたいんだろうな、ほとんど『ダークナイト・リターンズ』が原作と言ってもいいぐらいな……アルフレッドのセリフとか、まんまのところもありますし、ですね。

なんだけど、同時にさっき言った条件……DCエクステンデッド・ユニバースに向けた布石として、「じゃあワンダーウーマンを出しましょう」と。あと、後の展開を暗示する、正直これはどんだけのファンが見ても明らかに唐突な、幻視シーンというかですね、未来の予言を見てしまうようなシーンがあるわけですね。ダークサイドっていう悪役が出るのかな? ダークサイド軍団のあれなのかな?っていうのが、バシャーッと空からやって来て……とかね。まあ、フラッシュなんでしょうね。「俺、速すぎた?」っていう(笑)。説明的だな!っていうね、「俺、速すぎた?」っていう、フラッシュっていう別のヒーローがタイムリープ能力みたいなのを活かして、みたいな。フラッシュ・ポイント的な展開なのかな? みたいなものを見せつつ……という。

あと、もちろん『マン・オブ・スティール』の続きなので。『マン・オブ・スティール』っていうのはゾッド将軍っていうのを出しちゃっているわけですね。前のリチャード・ドナー版というか、クリストファー・リーブ版だと、2作目でやったゾッド将軍との戦いを1作目でやっちゃっているんで。ゾッド将軍っていうのはスーパーマンと同等の力があるわけですけど、ゾッド将軍より強い敵っつったら、もうこいつぐらいしかいないだろうっていう。で、名前を出すだけでちょっとネタバレになってしまう、ある敵が今回のラスボスとして出るんだけど。

で、このラスボスが出るっていうことは、当然戦いの結果はこうなるしかないという、あるオチがつくわけです。人によってはあれ、衝撃的なオチっていう風に思うかもしれないけど、もうそのキャラクターが出てきた瞬間に、っていうか出るって聞いた瞬間に、「はい、じゃあそういうことになるのね」っていう、ある展開があるわけですね。もう、名前を言うだけでもちょっとネタバレになっちゃうんで言いづらくてすいません、そういう諸々の要素。とにかく、いろんな諸要素をがんばって全部入れ込んでみましたっていう作品なわけですよ。

で、その結果ね、良くも悪くもそういう諸々の事情を改めて汲み取っている、汲み取ることができる、なんなら、汲み取る気満々なアメコミファンとか、アメコミヒーロー映画ファンは、「ああ、まあそういうことがやりたいのね。そう来るのね。次回作以降はこういう流れなのね」っていう風にそこそこ納得したり、今後にそこそこワクワクできたりする要素が多い。そういう要素が多い作品になっていることは間違いないと思います。なので、ある程度満足したっていう人がいるのは当然だと思う。

ただ、本作最大の問題はですね、僕がいま言ったような諸条件、諸要素から事前に予想がつくというような範囲っていうのがあるわけですよ。さっき言った「ラスボスでこの敵が出てくるなら、ケツはこうなるだろう」とか。「バットマンとスーパーマンの戦いが『ダークナイト・リターンズ』に則しているのであれば、っていうかスーパーマンを倒すのであれば、当然クリプトナイトを使うのであろう」とか。そういう予想の範囲を超えるような事態が、1個も起こらないんです。

その割に、まあ良くも悪くも「神話的な」語り口。これね、たぶんね、そこにすごく、「深遠なテーマを語っている」とか言う人、いますけども。いや、違うでしょう。テーマとして深遠なものを語っている風なことと、作品そのものが深遠であることは別なんで。たぶんこれ、ザック・スナイダーとか、特に脚本のデヴィッド・S・ゴイヤーさん。クリストファー・ノーランの『バットマン』シリーズとかですね、コミックの方も手掛けられたりしてますけども。脚本のデヴィッド・S・ゴイヤーさんたちにとって、単純にアメコミ、グラフィック・ノベルにおけるかっこよさっていうので、絵的なかっこよさっていうのがあるわけですね。まあ、ザック・スナイダーがいちばん得意としているところですよね。

グラフィック・ノベルを絵的に完全に映像的に再現しましたというのと同じように、グラフィック・ノベルのかっこよさを示すのの大事な要素として、神話的。なにか重々しい語り口、みたいなのがある。つまり、「超かっこいいキメ画と同レベルでの、神話的な語り口」っていうのが俺はあると思っているんですよ。たとえば、スーパーマンがアメリカの議会の公聴会に呼ばれてくるっていうあの絵面、『キングダム・カム』っぽくね? 『キングダム・カム』っぽくて、かっこよくね? みたいな。そういう割と無邪気な動機から来ていることだと思うんですね。

で、とにかくいちいち語り口が重々しいためですね、ほぼ事前に想像がつくストーリー展開のまま進んでいくだけなのに、やたらと尺は長くなる。つまり、比較的想像通りのことしか起こらないのに、ダラダラ勿体をつけるっていうことで、率直に言えば、やっぱり退屈な場面が多いんですね。というのが最大の問題だと思います。しかもその大仰なテーマ風なことは掘り下げる気があまりないどころかですね、最終的にはものすごくグダグダ、うやむやにされていくというあたりもまあ、「あ〜あ……」というあたりじゃないでしょうかね。

順を追って見ていくとですね、まず『マン・オブ・スティール』の続編ということで。僕もその時、この番組のムービーウォッチメンの時評で言いましたけど、クライマックス、メトロポリスという都市でスーパーマンとゾッド将軍、要するに同じクリプトン星で生まれた人なので、力は同じ。しかも、向こうの方が数は多いというようなね。まあ、ゾッド将軍は仲間たちがみんな死んだ後で、ゾッドと一対一の戦いがあるわけですけども。まあ、スーパーすぎる戦いがあるわけです。もう人間的物理法則、地球の物理法則を完全に無視したすさまじい戦いで。

あんまりスケールがデカすぎて、「この後にバットマンと戦うって、無理でしょ?」って誰もが思うようなすさまじい戦い。で、僕はその時の評論で、「最後に『人命を救うために』みたいなことを言うんだけど、いやいやいや、これはどう考えてもさっきの戦いの背景でむちゃくちゃ人、死んでるでしょ!」って指摘しましたよね。で、実際に多くの観客からそういう指摘や批判が多かったみたいなんですよ。で、明らかにそれを踏まえた作り。今回の物語の発端はまさに、そのドッカンドッカン、ゾッドとスーパーマンが人間なんか関係ないやのレベルの戦いを繰り広げている、その背後ではこんなことがあったという、視点の転換が今回の物語の発端になっている。

で、これ、発想として非常に近いのはですね、ズバリ、1999年の日本映画『ガメラ3 邪神(イリス)覚醒』ですね。要は、ガメラの場合は1作目でガメラがギャオスという怪獣と戦ったその戦い。それは非常にヒーロー的な戦いをするわけですけど、前の作品でのヒーロー的な活躍のその裏側では、こんなに犠牲者が出ていた。で、その犠牲者の視点から、要はこういうことです。ヒーローを<相対化>するという、そういう仕掛けの作品でした。『ガメラ3 邪神(イリス)覚醒』は。

加えてですね、『ガメラ3 邪神(イリス)覚醒』、ここも近いんだけど。後に最大の敵としてガメラに立ちはだかるのがですね、前の作品で倒した宿敵ギャオスの血脈と通じるような化物と、ヒーローであるガメラへの怨念にとらわれた人間とが融合したやつなんですよね。それが邪神(イリス)なんですよ。しかもそいつは、外からの攻撃を吸収してどんどんバージョンアップしていくっていう、そういう設定まであるんですよ。これ、完璧に今回の『バットマン vs スーパーマン』のラスボスのアイツと非常に重なると思いますね。

まあ、作り手が直接的にこの『ガメラ3』を参考にしたという証拠は何もない。そんな発言もないんですが、ただまあこの間のね、ハリウッド版『ゴジラ』が完全に平成『ガメラ』の1作目風だったのを考えると、まあちょっと見比べてみると興味深いものがあったりするかもしれませんね、と思ったりしました。とにかく、いいです、目の付け所自体は悪くないです。ヒーローの相対化。特に、前作でヒーローがやったことの相対化。ただ、こういうヒーローの相対化みたいなのが効果的なのは、ヒーローのヒーローらしさが十分に描かれた後だからこそ、ショッキングだったり問題提起として意味があるテーマであって。『マン・オブ・スティール』は1作目の中ですでに、ヒーローの相対化っていうのをさんざんやっちゃっている作品なんですよ。

なので、僕、ヘンリー・カビルが演じるスーパーマンはすごく好きなんですけど、なんかこの人、相対化ばっかりされていてかわいそうっていう。全く颯爽としたところがない。ようやく今回、中盤である種シンボリックな「神話的な」描かれ方ではあるけども、普通にいわゆる人命救助を──僕はヒーローものはかならずやった方がいいですよという−−要は普遍的善としての人命救助をしている場面が出てきたりするので。まあ、そこは「よかったね。ようやくいいことをしているところが出たね!」みたいな感じなんですけど。

なので、ちゃんとそういうのを描いてから、こういう相対化をやんなきゃいけないのに、『マン・オブ・スティール』ってそういう映画だっけ? と。加えてですね、同じく重々しく語られる「神 対 人間」という、「テーマ」ですね。そのテーマの置き方自体はわかります。スーパーマンっていう存在を突き詰めていくと、当然神にも近い存在と人間っていうテーマになっていくのもわかる。神にも等しい力を持つ存在に対して、知恵を武器に、つまり、人間の存在証明として知恵を武器に、神殺しに挑む人間たち。特にその中でね、ジェシー・アイゼンバーグが今回、現代IT長者風というか、はっきり言ってADHD風というか、のレックス・ルーサーを演じて言う通りですね、「ゼウスとプロメテウスだ」と。

プロメテウスが神の火を手にして、神は怒って雷を……と。で、神はひどいぞという。まあ、プロメテウス的なテーマであるとか。あるいは、アポロ VS オデッセウス的というか。とにかくまあ、いろいろとたとえはできると思うんですけどね。実際にさっきから何度も言っている『ダークナイト・リターンズ』、フランク・ミラーの原作はまさにそういうテーマ。『ウォッチメン』とも通じますけども、要するに、「神にも等しい存在って言うけど、お前を誰が抑止するんだよ?」という問いかけ。この問いかけとかテーマ設定自体は妥当性があると思いますよ。興味深いと思いますよ。

ただ、まずその『マン・オブ・スティール』の続編として真面目に考えていくとですね、僕、『マン・オブ・スティール』も何度も見直しましたけど、前作の結末ってね、神話なりそういう話っていうのと──あ、ちなみにその神話的っていうのだと、今回ご丁寧にロンギヌスの槍とかを出してきてね、結末はモロに完全にキリストっていうような終わりだったりするわけなんですけど──『マン・オブ・スティール』のことを考えてください。じゃあそのキリストって言うならですよ、バイブル、聖書的な話をするならですよ、前作の結末ってあれは要は、じゃあカインとアベルなわけじゃないですか。

要するに、同族殺しなわけですよね。カインがアベルを殺して、人類最初の殺しをしてしまうという原罪。罪を背負ってしまう。つまり、スーパーマンが同族殺しをすることで、むしろ人間的なものに相対化されてしまう。人間的原罪を背負ってしまう。スーパーマンが人間になるという着地の話だと思うんですよ。好き嫌いとか評価するしないは別にして、間違いなくそういう話でしょ? 『マン・オブ・スティール』の結末は。

だし、普通に考えてもですね、スーパーマン単体で地球上でワーッて活躍していたら、それは神のごとく振る舞うものとして、そういう風に置いてもいいかもしれないけど。でも、そういう風なものを一般大衆が目にするはるか手前の時点で、もういきなりあのゾッド将軍の軍団が来ちゃっているわけですよ。つまり、エイリアンがいっぱい来ちゃって。で、エイリアン同士の内輪揉めを始めるわけですよ。人類が見ているのはそれなんですよ。だから、スーパーマンは単にエイリアンの生き残りじゃないですか。だからその、神的な単一性、唯一性みたいなものはもうすでにないわけですよ、普通に考えて。

だから、少なくともさっき言った理由も含めて『マン・オブ・スティール』の流れで考えると、あんまり単一の神性みたいなところの議論に乗せる流れだっけ? みたいな感じはしちゃうわけですね。百歩譲って、本作の中ではそういう、ある意味本来のスーパーマンらしさ、スーパーマンの存在意義にも近い、「神にも等しい男」という存在感に改めて前提を立てなおしての今回の話です、っていうなら、まあ、じゃあわかった。それでもいいけども。

だとしたらですね、ここですよ。たとえば今回、クライマックス。バットマン 対 ホニャララ戦。バットマンが絶体絶命のその瞬間、ハンス・ジマーとジャンキーXL、師弟コンビによるこんな音楽が流れだす!

(BGM:『Is She With You?』が流れる)

これね、シーラ・Eとかいろんな名ドラマーたちを何十人も集めて結集した「ドラムオーケストラ」。ダーンダーンダーン! もう超熱いドラムオーケストラ。これ、前回の『マン・オブ・スティール』でもサントラに使われましたけども。と、ちょっとこのメロディーがレッド・ツェッペリンの『移民の歌』を連想させる、ギターかと思いきや、エレクトリック・チェロという楽器らしいんですけど。この超燃えるテーマ曲に乗ってですね、ワンダーウーマンがバーン!って、助っ人に参戦するわけですよ。これ、演じてるのは、ガル・ガドットさん。

『ワイルド・スピード』に出てましたよね。ハンっていうアジア系のキャラクターと恋仲になる。で、彼女が死んじゃったからハンは東京に隠居するというですね。で、すっごくキレイだなと思っていたんだけれども、今回ももう本当に素晴らしい存在感! キレイな人で、最高なんですよね。イスラエルの人で、兵役行ったことがあって一児の母って、どんだけワンダーウーマンなんだっていうね。で、間違いなくこのワンダーウーマンがバーン!って出てくる。キターッ! まあ、本作の白眉ですよね。間違いなく、誰もがいちばんいいところ、アガるところだと思うんですよ。やったー!って。

でもみなさん、冷静に考えてください。この瞬間、少なくともスーパーマンを巡る「神 対 人間」っていうテーマは全部吹っ飛ぶよね(笑)。なぜなら、ワンダーウーマンもまた神様みたいなもんだからですよ。えっ、さっきまでのあれ、全部じゃあもう、なし? なし!っていうね(笑)。だからすごくアガるんだけど、同時に残念っていう瞬間でもあるっていうね。事実ですね、要はさっきから言っている「抑止不能な力を野放しにしていると危険だ」っていう、それ自体はそれなりに説得力がある、「誰がウォッチメンをウォッチするのか?」という、それなりに説得力のあるバットマン側の当初の言い分。最後は、完全にウヤムヤになってます。

「オレは考え方を変えた」とかも言わない。「オレが間違っていました」とかも言わない。なんか、すげーシレッと方向を180度転換してるんですよ、あいつ(笑)。俺、だからあの、「いや、チームを集めようと思うんだよね」っていうところでワンダーウーマンは蹴っ飛ばしてもいいと思うんだよね。「っていうか、なんでお前が?」っていう(笑)。まあ、要するにね、深遠なテーマ風に見えるものは、さっきも言ったようにかっこよさの一部なんだとしてもですよ、それが結局燃えるヒーロー大集合に吹っ飛ばされるというこの流れも、じゃあそれはそれで痛快でいいじゃねえかってことなんだとしてもですよ。

じゃあ、そうだとしよう。だとしても、今回の『バットマン vs スーパーマン』、ところどころお話や登場人物の行動がいくらなんでもアホらしすぎ。なにこれ?っていうところが多すぎる。たとえば、ブルース・ウェインがレックス・コープから情報を盗むっていうところがあるんですけど。こんなにザルな会社は見たことがない!っていうね。まず、大事なサーバー室みたいなのが厨房横みたいなところにあってですね。で、コネクターみたなのがむき出しであって。そこに雑な装置をくっつけて。しかも、「はい、あんた、はいはい。なにやってんの?」って見咎められているのに、その装置は放置されたまんま。

で、いったん離れて戻ってきたら、「うわー、取られちゃった!」って言うんですよ。で、取ったのはワンダーウーマンなんだけど、ワンダーウーマン側も「いや、でも取ったのはいいんだけど、なんかちょっとファイルがロックかかっていて、見られなかったから返すわ」って。なんだ、お前ら! コンピューター音痴の中学生同士のUSBのやり取りか!? みたいな。まあ、ザック・スナイダーはつくづくですね、コミックを再現することには情熱を燃やしても、スパイ映画とかマジで興味ねえんだなっていうのがわかる雑なシーンでございました。

あと、たとえばね、レックスがスーパーマンを倒すためのクリプトナイトを輸入した。で、それをバットマンが奪おうとするくだり。バットモービル大活躍のシーンなのはいいけど、その車に発信機を取りつけているんですよ。で、その行き先は、いいですか? レックスが輸入したってわかっているものに発信機をつけたその車の行き先は、レックスの研究所なんですよ。で、ああ、そりゃそうだろうねっていうところにしか行かないんですよ。そうだよねっていう。しかも後から、その研究所から強奪するんですよ。石を。っていうことはさ、さっきの途中のカーチェイス、丸ごといらないじゃん? 発信機、意味ねえじゃん! お前、途中でワーッてやってさ(笑)。超警戒するよね。

で、そもそもバットマンとレックスが本来、立場的にも思想的にも非常に近いところにいるところでスーパーマンに反感を抱いているんだから、せっかくその対照が面白い置き方なのに。だから、途中で協力しあうとか、そういうのがあるのかな?って思ったら、お互いにどう思っているのかわからないまま話が進むため、たとえば途中で議会であるテロ事件が起こるんですけど、犯人が誰かもバットマンは知っているのに、まだスーパーマンが悪い、悪いっていう説に取りつかれているのが何か不自然すぎてバカにしか見えないっていう感じにもなっている。

で、肝心の対決シーン。『ダークナイト・リターンズ』に近い感じで、そういうのはいいんだけど。『スーパーマン 冒険編』のオマージュもあったり(※宇多丸訂正:『スーパーマン ディレクターズ・カット版』と言い間違えました、すみません!)。あと、バットマンが、(戦いの途中で)スーパーマンが回復してきて、「あっ、ああー、ちょっと待って、待って!」って。あそこも笑えて。楽しめるんだけど。まず、バットサインを出せばスーパーマンが来る!って雨の中を待っているんだけど……うん、いつ来るかわかんないよ! だし、まあスーパーマンは対話する気だから来るのはいいとして、でも本気で戦う気のバットマンがああやっていたらさ、本当にスーパーマンがやる気だったらさ、上からドーン! でお終いじゃん、みたいなね。なんなの、お前?っていう感じがありますしね。

あと、スーパーマンがレックス。敵にね、屈する理由が「えっ、オマエ、意外とこういうことで簡単に屈するんだ」みたいなのもありますけども。しかもそれはバットマンが後でひとりで解決できる程度のことだった、みたいなのもありますけど。で、その後ね、バットマンがスーパーマンへの怒りを鎮める理由が、「えっ? お母さんの名前、一緒なんだ!?」っていう。これ、みんなずっこけたと思うんですよね。まあ、お前も人の子かっていうのは理由としてはわからないじゃないけど。で、その後にいわゆるロンギヌスの槍。スーパーマンを殺せる槍が捨てたり拾いに行ったり溺れたりのグダグダしたくだりとか、本当にイライラすると思うんですけども。

で、いろいろあるんだけど、はい、よかったところ。バットマンのデザイン。割とコミック寄りというか。最近のヒーローものがなんかみんな似たようになっている、表面がテラテラしたあれじゃない、フランク・ミラー風のデザイン。あれはよかった。トレンチコートのスタイル、あれもよかった。とかですね、ワンダーウーマンもよかったとか。ヘンリー・カビルのスーパーマンはいつも悪くないんだけど、みたいなのもあります。あのクライマックス前にロイスを救出するシーン。で、サーッと一瞬2人で、一瞬のランデブーをしますよね。ああいうところをもうちょっと入れてほしいですよね。あれはすごく美しいショットだったなと思いますね。ということでございます。

あの、ワンダーウーマンの参戦シーンがグッと来るのは、やっぱりアメコミヒーローもの、堂々と、ぬけぬけとこれをやるんだっていう瞬間にグッと来るところがあるんで。やっぱりちゃんとやった方がいいんじゃないかなと思ったりいたします。ストレートに、シンプルに行くのを怖がる最近の映画の……要するに、だから“盛りすぎる”という最近の娯楽映画のいろんな問題点も入っている作品じゃないでしょうか? とはいえ、僕はね、やたらとかっこつけているくせに、結局割とバカっぽいというそのバランスをもかわいく取れる程度にはなってきました。かわいい! ということでございます。ぜひぜひ、劇場でウォッチしてください。
(ガチャ回し前の補足)

 

……あの、悪夢のシーンに出てくるトレンチコート・バットマン、ちょっと『バットマン・アンド・サン(BATMAN AND
SON)』風の、あのバットマンのフィギュアだったら買ってもいいかな〜、というぐらいには、結構楽しみましたよ!
はい、ということで、来週のムービーウォッチメン、候補の6作品を紹介します!

 

(ガチャ回しパート中略 〜 来週の課題映画は『ボーダーライン』に決定!)

 

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

 

 

■追記
(2016年4月16日、コーナー冒頭より)
「ここから夜11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと”シネマンディアス宇多丸”が毎週自腹でウォッチング——そして、先週評論した『バットマン vs スーパーマン』。こうやって大きな地震(2016年4月14日の熊本地震)が起ったりしてみると、やっぱりそれは、たとえばスーパーマンとバットマンが敵対しているんだけど、大きな災害を前に人命救助で力を合わせるとか、そういう感じの、“オレの思いついた『ジャスティスの誕生』”ストーリーを考えたくもなる……なんてことを思いながら、”監視結果”を報告するという映画評論コーナーでございます——)