2017年12月31日(日)放送
ゲスト:佐渡 裕さん(part 1)
日本の指揮者。京都市立芸術大学を卒業後、レナード・バーンスタイン、小澤征爾に師事。1989年にブザンソン指揮者コンクールで優勝。現在、パリ管弦楽団、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団など、ヨーロッパの一流オーケストラで客演を重ねています。2015年9月、オーストリアのトーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督に就任。国内では、兵庫芸術文化センターの芸術監督、シエナウィンドオーケストラの首席指揮者を務めています。
JK:こうしてお話しするのは初めて。いつも「題名のない音楽会」を拝見していて、いつかお目にかかりたいとずっと思っていたんですよ。この絵本は最近出されたんですか?
出水:そう、「初めてのオーケストラ」という絵本を出されたんですが、小学校1年生の女の子が主人公で、パパが指揮者なんですよね? 人生初のオーケストラで第九を聞きに行く1日を描いた絵本。非常にかわいかったですよね♪
佐渡:やっぱりクラシック演奏会に行くって、ひとつの出会いだと思うんです。僕の場合は両親が好きだった、母親が音楽好きだったので、小さいころから演奏会に連れて行ってもらったんだけど。小学生になったら演奏会に行けるので、この絵本でそういう「縁」を作りたかった。楽器を紹介したりとか、女の子のワクワク感とか・・・。僕がとっても大事だと思っているのは、演奏会はいろんな人と一つの時間を過ごすのだということ。オーケストラもいろんな人がいて、客席にもおじいさんやおばあさん、お兄さん、いろんな人が集まってきて、いろんな人が音を通して感動しているところを子供に見せる。僕は、それが音楽をやる一番の理由のような気がしているんです。
JK:私はファッションショウでね、子供に見せたいと思って、リハーサルを見せたんです。見たことのないものを見せようと思って。やっぱり小さいころって初めて見たものは絶対忘れないですから。ですからオーケストラも、リハーサルを見せる機会を作ったらどうですかね?
佐渡:僕はウィーンのオーケストラをやってるんですけど、そこには子供たちも、小学生から高校生まで、オーケストラの中に座らせていて。
出水:えっ、中に??
佐渡:練習でね。だから、自分の好きな楽器、たとえばフルートの横に座らせて、1時間ぐらいオーケストラが練習するのを見る。
JK:やっぱり緊張感のあることって、子供って言わなくても感じ取りますよね。緊張感があったほうがいいのよ。
出水:ちなみに、絵本の中に出てくるみぃちゃんというのは、実際に佐渡さんのお子さんがモデルなんですよね。初めてのオーケストラを見に行った時、お嬢さんはどんなことを言ったんですか?
佐渡:やっぱり一番大事なのは、かわいいドレスを着させたこと(笑)その絵のとおりリボンのある服で、自分でチケットを持たせて、入口で切符を切ってもらい、席まで案内してもらい、自分の席に着く。これがけっこう大事なことだと思うんです。
JK:ちょっと大人気分で、おすましでね。
出水:佐渡さんは小さいころから音楽が身の回りにあったそうですが、どんな環境で育ったんですか?
佐渡:何歳でピアノを習ったのか、始めたのかは覚えていないんですが、母親の膝の上に乗せられて・・・
JK:いつもピアノが横にあった?
佐渡:はい、家でピアノと歌を教えていたんですね。物心ついた時からピアノに触って。3歳かな、他の先生の所にレッスンを受けに行くようになって、4歳のころには発表会で引いてました。
出水:おおー。
JK:足ブラブラ、ペダルが踏めないでしょ(笑)
佐渡:でもね・・・ピアノは好きじゃなかった。
JK:あら! 意外ですね!
佐渡:練習するのが! だんだんやんちゃ坊主になっていくので、本当に無理やり。
JK:小学校三年生のとき、ピアノの練習をしてきなさいと言われたのに行かなくて、「何してたの?」って聞かれたら「作曲してた」って答えたんですって?
佐渡:そうそう(苦笑) ピアノの先生のところにいって、楽譜を全部覚えて弾く「暗譜」の日だったんですけど、全然覚えてなくて。先生の家に着いて「覚えてきた?」って聞かれたので「いや、覚えてないです」「何してきたの?!」「作曲してました」「なんて曲?」「『象のおなら』っていう曲です」って(笑)
出水:象のおなら?どんな曲ですか?
佐渡:おしりで、ピアノの一番低いところへボーン、と座って、ずっと座ったまんま(笑)
JK:その発想がチャーミング!小学生だからできるけど、今だったらピアノが壊れちゃうわね(笑)すごく革命的だと思います!
出水:そうした佐渡少年は、高学年ではすでに、京都市交響楽団の定期公演の会員になっていた!これはご自身の意思で?
佐渡:かなりマセてましたね。小さいころから親が演奏会に連れて行ってくれたのと、京都市というのは音楽の公共的な環境が整っているんです。子供の音楽教室があったり、捷京都市の少年合唱団にも小学校5年生から中学校3年まで在籍してました。僕が卒業した堀川音楽高校、京都市立芸術大学、京都市交響楽団があって・・・
JK:すっごく充実してますね。
佐渡:だから、僕が指揮者になるための勉強の99%はすべて京都。京都の税金で指揮者になった(笑)いまは兵庫県で仕事してるけどね。社会的にみても、これだけ充実しているところはそこまでないと思います。
出水:小学校の卒業文集には、大きくなったら「オペラ歌手になって世界中の歌劇場で歌う」か、「ベルリンフィルの指揮者になる」と書いていたという佐渡さん。独学で指揮を勉強していたのが、小澤征爾さんやバーンスタインさんに直接指導を受ける機会を得たわけですよね? これはどういったきっかけで実現したんですか?
JK:世界のトップですよ!
佐渡:本当に。いろいろ考えた結果、これが一番のMASACAですね。それまで僕はママさんコーラスの指揮、吹奏楽部のコーチ、1回3000円ぐらいのギャラで1日に何団体かやって、というのが大学卒業してからのメインの仕事だったんです。あるとき、少年合唱団時代の先輩で指揮をやっている人が、レナード・バーンスタインと小澤征爾の両方が載っているサイン帳を見せたんです。すごいなー!どうしたの?って聞いたら、アメリカのタングルウッド音楽祭っていうのがあって、そこに行ったらそういう人たちに会える、聴講生として行ってきた、というんです。お前も行ったらええやないかい、と言われて。それが1985年ですね。
佐渡:1985年は原爆から40年、その記念コンサートでバーンスタインは2回も来日しているんですよ。これはとても珍しいことです。ちょうどTVのドキュメンタリーがあって、僕はたまたま定食屋でサバ煮定食を食べながら見てたんですが、広島の原爆資料館を訪ねたバーンスタインが非常にショックを受けて、オーケストラを前にスピーチをするんです。「自分はユダヤ系アメリカ人ですけれど、人類はいまだに人をいかに効率よく殺すかという兵器を作ろうとしている、俺たちはどうすればいいんだ? そういうことを考えながらベートーベンをやろう」、と言って、そこから指揮棒を頭からドーンと振り下ろすんですが、それがもう本当に原爆が落ちたような音がするんです!
JK:それを見るチャンスに恵まれましたね。本当だったら、現場にいきたかっただろうけど。
佐渡:ご飯の上にのったサバ煮がそのまんま残って(笑)
出水:もうクギ付けですか(笑)
佐渡:やっぱりこの人のところに勉強に行きたい、と思いました。
JK:テレビを見て、憧れだけじゃなくて現実化する、っていうのがすごいことですね。
佐渡:今から思えば、タングルウッドのオーディションは、僕がそれまで受けたコンクールの中でも一番難しいコンクールなんです。全世界から若い指揮者が書類を送るんですよ。小澤征爾に勉強したい、バーンスタインに勉強したい、ヨーヨーマも来る、アイザックスターンも来る、っていうすごい音楽祭なので、トンデモナイ数の中から30名ぐらいが選ばれる。書類には推薦状をつけて出すんですけど、僕は指揮の専門教育を受けていないので、推薦状を描いてくれる先生がいない。だけど当時8mmビデオが普及したおかげで、自分の指揮した映像を持っていたんです。大阪大学のオーケストラクラブの練習風景で、もちろん日本語、もちろん関西弁(笑)それをつけて送ったんです。そこの事務局長は、僕の書類には全く興味なかったんだけど、ビデオを見たら「こいつ面白い」と。それですぐにビデオテープをもって、ボストンの空港まで小澤先生を迎えに行って、すぐにビデオを見せた。それで、こいつを取ろうという話になったんです。
出水:それは衝撃的!
佐渡:合格発表は電話できくんですけど、僕は英語が苦手なので、別の指揮者に僕の結果を聞いてもらったんです。通るとはまったく思ってなくて、ボストン観光をして帰ろうかなと思ってたんですけど、電話できいたら合格していた。
JK:本当のMASACAですね!
佐渡:だから聴講生ではなくて、実際にレッスンを受けられた。しかもその中から3人が奨学金をもらえて、演奏会の前半を僕がふって、後半をバーンスタインがふる、という機会を得られたんです。
JK:そこでバーンスタインにもお会いすることができたんですね。
佐渡:はい。2週間滞在して、それが最初の出会いでした。
=OA楽曲=
M1. ベートーベン第9番「歓喜の歌」抜粋 / 小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ
M2. キャンディード序曲 / 佐渡裕指揮 トーンキュンストラー管弦楽団