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【映画評書き起こし】宇多丸、『ブレードランナー2049』を語る!(2017.11.11放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先々週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『ブレードランナー2049』

(曲が流れる)

フィリップ・K・ディックの小説をリドリー・スコット監督が映画化した前作『ブレードランナー』から35年。物語上では前作から30年後の2049年を舞台に、新たな主人公「K」が前作の主人公リック・デッカードを探し始める。Kを演じるのはライアン・ゴズリング。デッカード役のハリソン・フォードもそのまま出演。監督を務めるのは『メッセージ』『ボーダーライン』などの俊英ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督。前作の監督、リドリー・スコットは製作総指揮を務めるということでございます。

■「俺達は奇跡を見たよ! ありがとう、ドゥニ・ヴィルヌーヴ!」

ということで、『ブレードランナー2049』をもう見てきたよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。

メールの量は……めちゃめちゃ多い! 先週の時点でかなり多かったですが、1週間放送が延びたことにより追いかけメールも大量に到着。結果、今年最多クラスということでございます。まあ『ブレードランナー』の続編ともなればね。しかも、やっぱり言いたいことがね。善きにつけ悪きにつけ、言いたいことがいっぱい出てくる映画だと思いますんでね。本当にありがとうございます。

賛否の比率は「賛」が7割。否定的感想、その中間がそれぞれ1.5割ずつ。なので結構褒めている人が多いということですね。「映像の美しさやその風景に圧倒された」「切ないストーリー。続編としても完璧だ」「ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、偉い!」などが主な褒める意見。「最初はピンと来なかったが、あとからジワジワ来た」という意見もよく見られた。否定的意見としては「長い」「テンポが悪い」「前作のインパクトには到底及ばず。続編の宿命か、こじんまりしている」。あと、「Kのストーリーだけ見ていたかった」というものも。要するに今回の新しいキャラクターの方ならよかったんだけど……というような意見がございました。

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「ダース・ティラミス」さん。「『ブレードランナー2049』、字幕2DとIMAXで見てきました。たぶんムービーウォッチメン放送までにもう2回は見ていると思います。これを書いているいま、思い出すだけでも涙があふれて来ちゃいます。35年ぶりの『ブレードランナー』。42才の僕にとっては32年ぶりの『ブレードランナー』。僕はオンタイムで劇場では見れていません。はじめて見たのが小学生の頃。テレビで『ブレードランナー』を見て、『ハン・ソロが出てる!』と興奮し、『これはチューバッカと出会うまでの話なんだ』と勝手に思い込んでワクワクしながら見ました」。アハハハハッ! バカですね~(笑)。

「……結果、ハン・ソロはならず者感皆無の臆病なおっさんにしか見えず、チューバッカはおろか、ミレニアム・ファルコンも……」。厳密にはミレニアム・ファルコンは映ってはいますけどね。ビル群の中にね。有名な話ですけども。「……ジャワも登場しないがっかりした記憶と、やたら敵が怖くて映像が暗い印象しかありませんでした。時を経て中学生になった頃にビデオレンタルで見直し、僕はそこではじめて『ブレードランナー』の素晴らしさを知りました。レプリカントの哀しみ、人間って何様なんだよ? というやるせない思いが当時の僕を打ちのめしました。僕の魂がやっとブレランに追いついたのです。伝説は伝説によって塗り替えられるんですね。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』がそうであったように。文句なし! (撮影監督)ロジャー・ディーキンスの映像美、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の叙情性あふれる魂の演出、本当に素晴らしかった!」ということでね、絶賛。

「本作はブレードランナーであるKのたどる運命、そこに物語の主軸があり、『自分は何者なのか?』というアイデンティティーの探求が描かれた人間ドラマ。人であらざる者が心を持ち、人以上に愛を知って愛を求めるその姿。ジョイにしろKにしろ、サッパーにしろ。ああ、また涙が……」というね、とにかくいろいろとテーマ性にガツンと胸を打たれたということでございます。「……最後に一言。サッパーがKに言い放つ、『お前は奇跡を見たことがないからだ』というセリフにどうしても返事をしたい。『いや、サッパー。俺たちは奇跡を見たよ。ありがとう、ドゥニ・ヴィルヌーヴ。ありがとう、『ブレードランナー』!」というね。

あと、ちょっとダメだったという方。ラジオネーム「こうん」さん。「『ブレードランナー2049』を丸の内ピカデリーの爆音上映で初日に見てきました。その直前に同じ丸の内ピカデリーで『ファイナルカット』を見たブレラン初心者です」という。ああ、そういうことなんだ。いきなり見たんだ。「……僕の見た回はブレラン強者といった風体のおじさんばかりで他人同士の同窓会みたいな熱気があり、かなり盛り上がっていました。その熱気に煽られて僕も超興奮してあっという間の3時間弱。最後には拍手していました。が、時間がたつにつれてなんだかモヤモヤした感情にさいなまれてきました。『ローグ・ワン(/スター・ウォーズ・ストーリー)』を見た後の気持ちに似ています。

その七転八倒する僕の感情を時系列に並べると……ブレランの続編として完璧じゃないか! なおかつ、21世紀の映画、とりわけドゥニ・ヴィルヌーヴ、ロジャー・ディーキンスのSF仕事としてもめちゃめちゃクオリティが高い! しかし、それはどこまでもブレランの延長線上の映画で、想定内と言えば想定内。続編なんだから当たり前なんだけど……。と、言いつつにわかブレランファンとして楽しかったしうれしかった。つまり、この映画の面白さの大部分はオリジナル・ブレランありきの面白さというところに準拠しているのではないか? そういう風に作られているし。それで喜んでいいのだろうか?

もちろん、ヴィルヌーヴ監督ほかスタッフのパワーがみなぎった一本であるには違いないけど、やはりこの映画はブレランから外れていないことが大きい気がするし、なんか納得がいかない。うがった考え方かもしれないけど、この映画を見ていて僕はこの映画の作り手たちに気を使われている気がした。間違いなく世界中のブレランマニアを激怒させないよう、気を使った映画だと思う。そしてそれは映画として退行的ではないのか? そんな静かな怒りが生まれつつある……というのがイマココ」っていうね(笑)。揺れ動いているという。わかります、わかります。すごいアンビバレントな気持ちがわいてくるというのね。

■IMAXだと評価が2割増し

ということで、みなさんそれぞれに熱いメールをいただいております。本当にありがとうございました。私も『ブレードランナー2049』、先週の時点でT・ジョイPRINCE品川のIMAX字幕3Dで2回……これ、両方ともめちゃめちゃ(お客が入っていて)、特にIMAXがすごく入っているらしいですね。非常に入っておりました。それと今週、ちょっと本当は吹き替えでも見ておきたかったんですが、時間が合わなかったので、バルト9で字幕2Dを見てまいりました。今回、後ほども言いますけども、わりと広い空間がドーンと出てくるような画が多い。

たとえば冒頭。地表一面に貼られたソーラーパネルとビニールハウスの上を……要するにオリジナルバージョンのオープニングとは対照的な、白っぽく開けた空間というのかな? そこの上を、スピナー、要は空飛ぶ自動車が、ポツーンと飛んでいく、というような、空間が広がった画が多いので。特にIMAXの、画面の中に丸ごと放り込まれるような感覚にはすごいぴったりで。つい僕、2回ともIMAX字幕3Dで……いつもは違う形式で見ているんですけど、つい「やっぱりIMAXだよな」って思って見ちゃって。追って、やや小さめのスクリーンの字幕2Dで見直したらやっぱり、「IMAXだと評価が2割増しかも……」っていうぐらい、体験としての没入度が違った、ということは言っておきたいと思います。

■難易度最上級プロジェクト、それが『ブレードランナー』の続編

ということで、先週から1週延期となって、改めての『2049』評を行かせていただきます。先々週、町山智浩さん、そして高橋ヨシキさんをお招きしての特集、そして『ブレードランナー』歌謡祭(笑)の中でも何度となく言った通り、後のポップカルチャー全般に巨大な、決定的な影響を与えることとなった、1982年、リドリー・スコット監督作。いまだに色褪せることないSF映画不滅の金字塔である、言わずと知れた『ブレードランナー』。で、今回の『2049』の前作にあたるそのオリジナルが、どのような作品であるのかとか、どのようにすごかったのかということについては、ここでその話をしていたらあと2時間とか3時間必要になっちゃいますんで……本当に山ほど、ぶっちゃけ資料は容易に入手できます。

たとえば、いま出ている『別冊映画秘宝 ブレードランナー究極読本(&近未来SF映画の世界)』。これなんかはまさに、あらゆる角度から『ブレードランナー』の画期性、奥深さを掘り下げまくった……つまり『ブレードランナー』って、非常にいろんな角度から(掘り下げることができて)、間口が広いというか、そこも含めていろんな角度から切りまくった、本当に決定版的な、とりあえず入門書としてはこれ1冊でいいんじゃないか、っていうこの『究極読本』。こちらなんかおすすめですし。あと、たとえばブルーレイの特典映像などに入っています『デンジャラス・デイズ』っていう――これはもともと『ブレードランナー』っていうタイトルが付く前のオリジナルタイトルですね――『デンジャラス・デイズ』というタイトルのメイキングドキュメンタリーがありますね。非常に長くて詳細なメイキングドキュメンタリー。あれなんかも見ていただければ、いろんなことがわかりますので。

 

とにかくまあ、元の『ブレードランナー』に関して、いまからいろんなことを知りたいという方は、いくらでも資料があるんで、そちらを当たってください。で、とにかくそのオリジナル『ブレードランナー』。続編が作られるかも、というような話はだいぶ前から、それこそ90年代末ぐらいかな? から、何度か浮上はしていたんですけども。ただ、元の『ブレードランナー』が、先ほどから言っているように文化史的に非常に巨大な、ドスーンとあるクラシック中のクラシックというか、巨大な作品ですし、それに対してそれぞれ非常に思い入れが強いファンが世界中に無数にいるという、まさにカルト映画そのものの作品でもあるわけですね。いわゆるカルト映画。なので、普通に考えたまず、「『ブレードランナー』の続編は難しいんじゃないか?」「仮に作られたとしても、十中八九ロクなことにならないんじゃないか?」っていうような、そういう風に考えて当然の、難易度最上級のプロジェクトなわけですよ。はっきり言って。

なので、実際に今回の『2049』を最終的に監督することになったドゥニ・ヴィルヌーヴさんも、最初に企画を聞いた時は「狂っているとしか思えない(と思った)」なんて言ってますけどね。なので今回、35年ぶりの続編となる『ブレードランナー2049』がついに完成したという報せを聞いた時には、おそらく僕を含めた世界中の『ブレードランナー』ファンの正直な気持ちは、素直に「楽しみ!」とかよりはやっぱり、「うわー……本当につくられちゃったか……いやー、つくられちゃいました?……」っていうようなね、そういう不安の方がはるかに大きいものだったんじゃないかな、という風に思います。

■実は前作とは対称的とも言える世界観

では、その結果はどうだったのか? ということなんですけども。まずお話自体は、今回リドリー・スコットは製作総指揮に回って……リドリー・スコットが総指揮として、前作のオリジナル脚本を書いたハンプトン・ファンチャーに声をかけて、再び物語の骨格というか原案を、ハンプトン・ファンチャーがつくって。で、それをマイケル・グリーンっていう人が、劇場用映画脚本の形にした。これは要するに、元のオリジナルの脚本が、ハンプトン・ファンチャーが書いた脚本を、デヴィッド・ピープルズという人がより劇映画用に見せ場とかを増やしてリライトした、というその構図にもちょうど重なるような感じ。だから、マイケル・グリーンがデヴィッド・ピープルズの役目をしたという。要するに、脚本の時点でもう、オリジナルのシフトを踏まえた布陣になっているとかですね。

他にも、それこそ監督のドゥニ・ヴィルヌーヴの意向で、前作で非常に大きな役割を果たしたデザイナーのシド・ミード、今回で言えばラスベガスのカジノ跡のデザインを担当しています。シド・ミードをもう1回呼んでくるとか、こんな感じで……当然のごとく、オリジナルに対する言ってみれば「正統性の担保」ですね。正統性の担保、みたいなことにはもう、抜かりがないわけですよ。で、それで作られたこの『2049』。まず冒頭、いちばん最初に、前作では辞書の言葉で(設定の説明をする)、というひとひねりがあったけど、今回はわりと普通に字幕で、今回の物語の設定みたいなものが出て。そこから前作、オリジナル『ブレードランナー』と同じく、「瞳(のドアップ)」から始まるんです。

これ、もっと言えば、おそらくリドリー・スコットの中では『ブレードランナー』と同一ユニバースにある、ある意味今回の『2049』とは裏表関係にあると言っても僕は過言ではないと思う、『エイリアン:コヴェナント』このムービーウォッチメンでは9月23日に評しました。それとも同じく、瞳のドアップ。おそらくはアンドロイド、レプリカントの瞳のドアップから始まる。まあ、緑の瞳で、「女性かな?」っていう感じがする瞳が開く。ただ、『ブレードランナー』とか『エイリアン:コヴェナント』の瞳のアップと違うのは、今回の『2049』の場合は、この瞳が誰の瞳なのか?っていうのは、作品を見終わってようやく、「ああ、じゃああのオープニングの瞳は、この人のかな?」っていう風にうっすら考えられる程度で、あんまりはっきりとは明かされない。

主人公Kの瞳ではないというのは、これはちゃんと考えられていて。Kがスピナーに乗っているんだけど、Kはおそらくちょっと寝ているのか下を向いていて。明らかにKの瞳じゃあないんですよね。なんていう感じで、瞳のオープニングから入る。そこからですね、これもオリジナルと同様、舞台となる未来のロサンゼルスを上空から見たショットがあるわけですね。ただしですね、先ほども言った通り、今回の『2049』の未来のLA上空ショットは、前作とは対照的に、まあ昼間で、白っぽく開けた、そして非常に区画とかも含めて、「整理された」空間なわけですね。そんな感じで、事程左様にですね、今回の『2049』は、実は絵作りとか、なんなら根本の世界観が、前作の『ブレードランナー』とはかなり違っている。なんなら対照的ですらある、というところが多いんですね。

まあ、2022年に大停電がありました、という設定があって……この大停電の経緯は、YouTubeで見られる、『カウボーイ・ビバップ』などでおなじみ日本のアニメ監督・渡辺信一郎さんによる公式スピンオフ、『ブレードランナー ブラックアウト2022』という(短編アニメ)、こちらで明らかにされている。YouTubeの方では他にあと2本、スピンオフが見られますので。こちら、リドリー・スコットの息子さんがつくっている2本があったりもしますので、こちらも見ていただくといいんですけど。とにかく、「歴史的に大きな断絶がある」という、わりと身も蓋もないリセット設定をシレッと入れているんですよ(笑)。俺、その大停電っていう設定を入れてきたので、「えっ? そういうことやっちゃう!?」みたいな(風に思った)。「あ、シレッとやるのね」みたいな。

要するに、「その(オリジナルで描かれた世界の)後は1回断絶してるんで。結構違って見えるかもしれませんけども、違うんで」みたいな(笑)。そういうのを入れてきているので、まあ何でもありっちゃあ何でもありな設定にはなっているんですけど。とにかく基本、ガラーンとだだっ広い、人気のない空間に、主人公なり何なりがポツーンといる。しかもそこは、なんだかモヤがかかっていたり、あるいは雪とか雨が降っていたり、薄暗かったりで、見通しはよくない。広い場所なんだけど、奥の方は見えなかったりして、画としてはむしろフラットなというか、ノペーッとした質感になっていたりする、というあたり。そういう絵作りが非常に多いというのが、今回の『2049』の特徴なわけですね。

■タルコフスキー・オマージュから導かれた尺の長さ

で、たとえばオープニング。先ほどの話に戻しますけども、ソーラーパネルとかビニールハウス、これらが地表にいっぱいワーッと敷き詰められて、その上を飛んできた1台のスピナー。で、たどり着いたのが、ポツーンと外れたところにある農場なわけです。で、ここからの一連の流れは、これはすでに多くの方も指摘されている通り、前作『ブレードランナー』のオープニングとして、一度はストーリーボードまで描かれたくだりを下敷きにしているんですね。結構そのままやっている。さっき言った『デンジャラス・デイズ』というメイキングドキュメンタリーでも、そのくだりがしっかり時間を割かれているので、そちらで確認していただけるとより詳しくわかると思いますが。

とにかく、街から離れたところにある農場に、ブレードランナー、つまりレプリカント狩りである主人公がやってきて。で、そこには……農家の脇に、元のストーリーボードにも、「ワイヤーで補強された木が1本立っている」とか、それもすでにストーリーボードに描かれていたりする。で、家に入ると、台所で鍋がグツグツと沸騰している。で、後から家に入ってきた大柄なレプリカントが(※宇多丸補足:放送上では言い忘れてしまいましたが、ここのデイヴ・バウティスタ、老けメイクもあいまってとても素敵な佇まいですよね)、まずそのキッチンの方に直行して……っていう。で、そこから、家の中に実は入っていたブレードランナーと対話して、っていうその流れ。かなりそのまんま、オリジナルの、結局は採用されなかったオープニングを踏まえて、この『2049』のイントロ部分は作られているわけですね。

これ、もちろん先ほどのメールにもあった通り、要は「オリジナルの未採用アイデアを元にしているんだ」というようなことに気づくような、うるさ型『ブレードランナー』マニアに向けた目配せ、まさにさっき言った「続編としての正当性の担保」では、たしかにあるんですね。なんだけど同時に、やっぱりこれは、とは言えオリジナルが結果的に捨てたアイデアですから、そこから発想してそのオープニングシーンをつくり上げることで、逆に、「今回は前作とは違う、なんなら対照的な世界観の作品ですよ」という宣言にもなっていると思うんですよ。

さっきから言っているように、ガランと広くて人気がない、そしてモヤだか霧だかが煙っていてなんか見通しが悪い、なんだか白っぽくノペーッとした空間。そこに主人公がポツーンと立っている、というこの絵面。たとえば、主人公だけじゃなくて、木がポツーンと立っている。この木が立っている絵面、これも町山さんとかも言っていましたけども、多くの識者が――ドゥニ・ヴィルヌーヴ自身が認めているんですけども――指摘しているところですけど、タルコフスキーの『サクリファイス』という映画があって、それに非常に似ているわけです。後に(火を)燃やすくだりとかが出てくると、いよいよ『サクリファイス』っぽいんですけど。

で、今回の『2049』は、他の部分でも、たとえば人気のない禁止区域みたいなのに探索しに行く、というのはこれ、『ストーカー』という作品に非常に近い。水たまりがベチャーンとあったりとか、そういうのに非常に近いですし。あと、脳内の思い出を具現化して……「死んだ女房が……?」的なね。それって完全に『惑星ソラリス』的だったりして。要は全体に、非常にタルコフスキータッチというか、タルコフスキーオマージュな感じだったりするんですよね(※宇多丸補足:じゃあなんでタルコフスキー風というのが出てきたかというと、ここは完全に僕の推測ですが、前作で強烈だったアジア要素に対して、今回はブタペストで多くロケしてますから、じゃあそれと差別化するために今回の多民族要素、エキゾチック要素は、“旧共産圏感”で行こう、的な発想から導かれたのではないかと……ホントにただの仮説ですが)。だから、タルコフスキータッチで描かれるので……この尺の長さは、タルコフスキータッチが要請したものなんですよ。これは、ポンポン行くわけには行かないんです。タルコフスキータッチで行くということは。

 

■ドゥニ・ヴィルヌーヴのタッチが基調となっている世界観

で、さっきから言っている絵面、絵づくりとかは……名カメラマン、ロジャー・ディーキンスの、非常にシャープで、非常にグラフィカルな絵づくりなんかも相まって……これはやっぱりものすごーく、ドゥニ・ヴィルヌーヴっぽい絵面だな、っていう感じなんですよね。要は、オリジナルの『ブレードランナー』が、非常にゴチャゴチャと足し算志向で、それゆえに世界観としてはむしろオープン……つまり、いろいろと各人が勝手に想像を付け足す余地があるような世界観。これ、先ほどの『ブレードランナー究極読本』の中で、「レトロフィッティング」という考え方、それでセットを作っていったところも含めて、高橋ヨシキさんがわかりやすく解説していますが……要するに、元の『ブレードランナー』は、1人の人が一貫したデザイン性みたいなのでつくらなかったから、あの世界観になったんだ、というね。

たとえば、シド・ミードが全部をデザインしたのではなくて……たとえば、シド・ミードの(デザインした)いわゆる未来未来した銃じゃなくて、やっぱりあの、昔のテクノロジーを付け足し付け足ししていったようなあのブラスターが、『ブレードランナー』のかっこよさなわけですよ。デッカードブラスターは、非常に象徴的だと思うんですけどね。昔のテクノロジーを足して足して、ゴチャゴチャにした感じというか、そんなわけですよ。なのでそういう、非常に足し算志向で、オープンな世界観。で、ある意味ホットな熱気にあふれた、あの未来世界像。これはまさに、オリジナルの『ブレードランナー』が後世に決定的な影響を与えた部分なわけですけど。それとは対照的に、今回は非常に引き算志向で、すっきりと整理され、デザインされ尽くした、それゆえ世界観としてはむしろ閉じた、低体温なムードが、今回の『2049』の基調を支配しているわけです。

そしてこれは完全に、ドゥニ・ヴィルヌーヴの映画なんですよ。ドゥニ・ヴィルヌーヴの映画のタッチなんですよね。たとえば『メッセージ』でもなんでもいいですけど、それと同じような画調とか、デザインをされた感じになっている。もちろん、前作をそのまま引き継いだようなカオティックな都市生活の様子も、ちょっとは出てきますよ。ただ、たとえばKがご飯を食べているようなところも、あんまり密度とか広がりを感じさせないし……やっぱりそれはあくまでもわかりやすい「ブレラン感」記号っていうか。「こういう感じを出さないと、『ブレードランナー』っぽくなくてみんな納得しないでしょ?」って出しているだけで。

やっぱりね、いま2017年に、そういうかつての『ブレードランナー』的な社会像みたいなので新鮮に描くのは難しいんだな、っていうか……正統派続編なのに、なんか『ブレードランナー』のよくある焼き直しみたいにやっぱり見えちゃうんだな、みたいな感じがして。なので、そこ(前作っぽいカオティックな都市生活描写)をあんまり広げなかったっていうか、あえて広げなかったんだと思うんですけどね。ということで、とにかく基本は、ガランと人気がない空間に、主人公などがポツーンといる、という、前作とは非常に対照的な、タルコフスキー風の──こういうことだと思います──「薄ら寂しい」絵面が、今回の基調をなしているわけですね。で、その薄ら寂しい景色の中で繰り広げられる物語も……今回はやっぱり物語も、非常にうら悲しい、薄ら寂しい、っていうのが特徴だと思うんですね。

■今作は言わば「タルコフスキー・タッチの『ピノキオ』」

とにかく、今回ライアン・ゴズリングが演じる主人公のK……この「K」っていうのは、原作者フィリップ・K・ディックのKであり、そしてカフカの『審判』とか『城』の主人公のKであり……特に『審判』なんか、「ヨーゼフ・K」なんて主人公の名前ですけども。この「ヨゼフ」は、旧約聖書においては「ラケルの子」っていうね……これ、ちょっとネタバレのギリですけども。たぶん今回の『2049』の基本のストーリーは、この「ラケルの子」っていうのとこじつけるところから、今回のストーリーは発想していると思うんですけど。ラケルの子、ヨゼフ。ヨゼフっていうのはジョゼフ(Joseph)ですよね。ジョゼフの通称は「ジョー(Joe)」ですよね……とかね。

とか言い出すと、こういうこと(引用元などの指摘)をやっているとキリがないんですが(笑)。とにかく主人公のK。この規模のビッグバジェット超大作の主人公としては、異例なほど……ここまで最初から最後までひたすらかわいそう、というキャラクター、主人公もいないんじゃないかな?っていうぐらい、とにかく徹頭徹尾、悲惨な男です。ひたすら、とにかく差別されているし、ひたすら搾取され続けているし、ささやかな慰みさえ打ち砕かれ、かすかに抱いた希望も結局は……というような人で。まあその意味で、前作の、ハリソン・フォード演じる主人公リック・デッカードが、実は非常に感情移入しづらいクソ野郎だった(笑)というのとは、やはり対照的と言えると思います。要は逆に言えば、感情移入はよりしやすいキャラクターになっている。

つまり前作の『ブレードランナー』は、リック・デッカードという、非常にフィリップ・マーロウ風の、ハードボイルドな主人公による、フィルム・ノワールなわけですね。物語の骨格はフィルム・ノワール風味。それを基本の骨格として、それと並行して――前作は要するに、2つのストーリーラインが並行して語られて、それがクロスするのがクライマックス、っていう形になっている――それと並行して語られる、逃亡レプリカント側の物語は、はっきり言って「フランケンシュタインの怪物」的ですよ。で、リドリー・スコットは、さっきも言いましたけど『エイリアン:コヴェナント』で、またやっぱりフランケンシュタイン的テーマを追求している。つまり、リドリー・スコットの興味は、やっぱりフランケンシュタインの怪物的な方にあるわけですね……っていうのは『コヴェナント』評でも言ったので、詳しくはホームページに評の公式書き起こしが載っているので、そちらを読んでいただきたいのですが。

まあ要は、前作が「ノワールタッチのフランケンシュタイン」だとするならば、今回の『2049』は、同じ人造の生命に関する物語でも、言ってみれば「タルコフスキータッチのピノキオ」です。同じくピノキオモチーフの『A.I.』と同様、「自分だけは特別な存在と思っていたのに……」というくだり、すごく悲痛なくだりがあったりしますよね。まあピノキオだということです。これ、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督自らもインタビューとかで言っているんですけど、ピノキオにおいて、ピノキオを励まし続けるジミニー・クリケットというキャラクターがいますけども、電脳時代のジミニー・クリケットとして、今回はジョイというキャラクターが出てくる。

これを演じているアナ・デ・アルマスさんは、『ノック・ノック』というイーライ・ロスが『メイクアップ』をリメイクした作品の、(主人公を苦しめる女性二人組の)片割れの方ですね。ちょっと笑顔が満島ひかりちゃんに似たところもあるような、本当にかわいらしい人ですけども。まあ、そのジョイが、電脳時代のジミニー・クリケットとしていたりもする。このジョイさんとKの関係が……途中何度も映るジョイさんの広告コピー「あなたの見たいこと、聞きたいことはなんでも(見せてあげるし、聞かせてあげる)」、これがまた後になって、「うわーっ!」って切なく響いてきたりするんですけども……とにかくこのジョイさんとKさんの関係ね、ライアン・ゴズリングは、超イケメンだけど内向的で本質的にはイケてない、みたいな感じの役、非常に十八番ですよね。『ラ・ラ・ランド』とかなんでもいいんだけどさ。で、今回のKは、彼の過去作で言えば『ドライヴ』のあいつの、イケメンだけど内向的でイケてない感じっていうの足す、はっきり言えば『ラースと、その彼女』だよ! もう(笑)。ラブドールを連れて歩くような人だっていう感じですよね。

 

■Kの物語には落涙、しかし前作の「答え合わせ」の部分は……

で、とにかくまずこの、かわいそうなKくんの物語、未来のピノキオの話に、『ブレードランナー』続編云々を別にして、僕は胸を打たれてしまいました。何度か本当に落涙してしまいました。なぜなら彼のこの薄ら寂しさっていうのは……バーチャルな感情体験にこそリアルを、つまり人生の慰みを見出してしまう、現在の我々自身の姿の、完全に延長線上、地続きだからですね。Kはやっぱり、俺たちなんですよ、ほとんど。たとえば、実生活ではほとんど美しい涙なんか流さないのに、映画を見てようやく泣けるとか……あるいは、それこそテレビの中とか映画の中の人物に惚れたことがある人だったら、誰もKのことを笑えないっていうことですからね。そういう意味では、Kの物語につい落涙してしまう。

そんな感じで、やがてその主人公Kが、2016年4月16日のドゥニ・ヴィルヌーヴ『ボーダーライン』評でも言いましたように、「主人公が世界はこういうものだと思い込んでいたようなものとは、実際の世界は、実はなんなら180度違うものだった、ということがドーンと、もしくはジワーンと突きつけられる」という、まさドゥニ・ヴィルヌーヴ的な物語……特に、探索の旅が、実は自分の出自に関わる秘密を探る旅にも図らずもなっていく、というあたりは、ドゥニ・ヴィルヌーヴ2010年の『灼熱の魂』、これに非常に重なる物語でもあるんですけども。しかも、それは同時に、「自らのアイデンティティーが足元からグラつく」という、非常にフィリップ・K・ディック的な、そういう意味では正統派な感じですよね、そんな物語にもなっていくと。

で、(上映時間)1時間40分ごろにようやく、ハリソン・フォード演じるリック・デッカードが登場して、そこからは、前作に対する答え合わせというか、意地悪な言い方をすれば、あと付けの説明みたいなのがね……そこが非常に、パズルとして上手いっちゃあ上手いんだけど、個人的には……大変よく考え抜かれ、よくできてはいるけども、「よく考え抜かれてよくできた蛇足」っていうことじゃないの、やっぱりこれは?ってモヤるところは、否めないんです。ただ、たとえば「あのキャラクターが再びスクリーンに!」っていうね、まあ言ってみれば『ローグ・ワン(/スター・ウォーズ・ストーリー)』的なサービスの部分、っていうことに関しても、それ自体に関しては僕は非常に疑問に思う部分も多いです。が、この『ブレードランナー2049』ではですね、そうやって「オリジナルとよく似た、よくできたコピーに耽溺するっていうのは、たしかにこの上なく甘美ではある……あの夢のような瞬間がまたやってくる!っていうのは甘美ではあるけど、やはりそれは結局、本質としては虚しく、なんなら危険な幻想なんだ」っていうことを、しっかり釘を刺す作りにもなっているじゃないですか。

なので僕は、そういう、我々がちょっと足を踏み入れかけている文化的堕落に対する、一定の矜持はあるつくりになっている、と思います。昔のものをもう1回出すという、要するにおっさんサービスっていうところに耽溺することに対する危険性も、ちゃんと指摘している、ということですね。で、この甘美なんだけど危険な幻想、「もう一度会いたかったあの人に、また会える!……でもそれは、ただの幻想で、危険なんだ」っていうこの感じは、僕の大好きなヒッチコックの『めまい』にも、非常に通じるあたりだと思います。

まあそれよりも、僕は単純に、ストーリー運びのいろんなところにちょいちょい生じる疑問の方が、ずっとノイズになっちゃって。たとえば、ロビン・ライト演じる警察の上司のマダムっていうのが、Kの言うことを証拠もなしに、たしかめもせずに鵜呑みにすることでしか、途中からこの話は成立しなくなるんですよ。「えっ、そこはなにもなしで信じるの?」とか。そういうのがちょっとノイズになっちゃったり。あとはですね、今回のカリスマ発明者であるウォレスさんの、なんて言うの? ちょっと「冷酷なぶっ飛んだカリスマ像」みたいなのが、これは逆につくり込みすぎて、ちょっと陳腐になってねえかな? とかですね。あとクライマックス。ラヴさんっていうこのキャラクターとの対決はすごくいいんですけど(※宇多丸補足:放送上では言い忘れてしまいましたが、“女性版マイケル・アイアンサイド”とでも言いたいくらい、顔が本当に怖い!)、そこでのデッカードの、ものすごい、ただの受け身な状態がずっと続く感じとか、めっちゃイライラするわ! とかですね。

まあそのラヴの、自分は特別であると思っている感じとか、Kと鏡像関係で、すごく面白かったんですが……そういう部分が、映画の作りとして気になるところはありました。何度か見るうちに、そういう粗が見えてくるところはありました。ただ、そういうことを言ったらオリジナルの『ブレードランナー』も、話運びとかかなり粗がある映画なんで……。

■不思議な感動を呼び起こすラスト

でもやっぱりですね、(今回『2049』は)Kが、自分の存在の、言わば正統性みたいなものを求めてあがく話で。で、最終的にまあいろいろあって、結局、そういう(自分の)外側に価値を求めるという彼の試みは、全て虚しく終わる。その「自分の命というものに価値を求めようとするが、結局は虚しく終わる」っていうのは、やっぱりリドリー・スコットのテーマ性ともちゃんと重なる部分でもあったりして。で、そうやって全てを剥ぎ取られた後に、それでもまだ残る「俺」。最後に残ったそれが、本当のアイデンティティーだと……つまり、俺は俺であるだけでいいのかも、というあの着地。そしてまた雪が降ってきて。

あの「雪が降ってくる」というのも、実はオリジナルに何個かあるエンディングのアイデアのひとつから取ってきたんだと思うんですけど……とは言えあの着地は、要はこういうことです。この『ブレードランナー2049』っていう映画全体のがんばり。「あの『ブレードランナー』の続編を作るんだ、ちゃんと正統性を担保してがんばるんだ!」っていうこのがんばりと、「でも、いくらやったって、それは無理だろ!?……でも、俺は俺だ。ドゥニ・ヴィルヌーヴはドゥニ・ヴィルヌーヴだ!」っていう(笑)、ある種の諦観を反映したような着地。それを象徴しているようで、僕は不思議とこの全体のうら寂しさ、そしてやっぱりうら寂しい着地に、僕は不思議な感動を覚えました。ということでございます。

非常にアンビバレントな気持ちはいっぱい残りますし、「諸手を挙げて」というほど熱狂しているわけではないんですが、僕はやっぱり、絶対に嫌いになれない一作になったと思います。もちろんですね、前作のようなインパクトの作品をつくれなんて、これはどだい無理な話なんで。そういうハードルは僕、もともと期待してなかったというのもあって。僕はいろいろアンビバレントな気持ちを抱えつつ、特にKの物語としては、とてもじゃないけど嫌いになれない、何度もポロポロと泣いてしまうような作品でした。あとね、美術の素晴らしさとか衣装……Kのコートのかっこよさとか、「ああ、この非対称な感じは実に『ブレードランナー』的だ……」とか、いろんなことを言いたいところはありますが。ぜひぜひ大画面、特にIMAX3D字幕がおすすめなので、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『シンクロナイズドモンスター』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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