お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。

放送中

放送中


  • 放送ログ
  • 音声あり

【映画評書き起こし】宇多丸、『ドリーム』を語る!(2017.10.14放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

6J3A8478

実際の放送音声はこちらから↓

++++++++++++++++++++++++++++++
【番組オープニングパート】

宇多丸:
(オープニングトークのあと)……といったあたりで、ここで1曲、曲をかけようと思います。今日、この後に『Hidden Figures』こと『ドリーム』をムービーウォッチメンでやるわけですけども、『ドリーム』のサントラがなにしろ、ハンス・ジマーとファレル(・ウィリアムス)ですよね。ハンス・ジマーがファレルを映画音楽の世界に引っ張り込んで、さらにちょっとステップアップして。それこそ、(大ヒットした)「Happy」なんていうのはそういう映画音楽の世界……『怪盗グルーのミニオン危機一発』の中から生まれているわけですからね。


で、今回の『ドリーム』のサウンドトラック、「Hidden Figures: The Album」という感じで売られているこのアルバム自体、これほとんどファレルの新譜です。まあ、言ってみれば「Happy」とか『怪盗グルー』の時が80’sの再解釈とかそういう感じだとしたら、今回は、60’sのファレル流再解釈による、1枚丸々の……で、なおかつテーマ的には、映画で描かれているような人種差別、性差別というようなものに対する、非常にメッセージ性の高い、これ自体がコンセプチュアルなアルバムとして非常に素晴らしいと思うんですが。

その中から、劇中で主人公のキャサリンさんが、見ればわかりますよね。何度も何度も、トイレに行くだけで大変な道のりを行ったり来たりしなきゃいけないという。コミカルでありながら、非常に重たい意味を持つくだり。この『ドリーム』という作品の、非常に印象的な場面ですが、そこで流れる、この作品自体を象徴するような1曲……あと、歌詞が本当に素晴らしくて。ライミングの仕方とか、それによって伝えていることの鋭さとか。まさに主人公キャサリンが、少女時代からこうやって(育ってきたんだろうなと想像させるような)……「友達たちがダズンズ(「The Dozens」フリースタイルラップのように悪口を言い争うゲーム)で遊んでいる時に、私は勉強していたんだ(I was studyin’ while you was playing the dozens)」とか、そういう話とか。

で、男社会(あるいは人種差別)に対峙してゆくというのを、「男から逃げる、警察から逃げる(Runnin’ from the man, runnin’ from the badge)」っていう風に重ねていって。で、毎回、「その場にいなかった癖に、いたふりをしないで(Don’t act like you was there when you wasn’t)」って(同じフレーズに着地する)。あとは、「私たちの計画に向かって走る(Runnin’ toward our plans)」とか、さまざまな「Runnin’」という言葉に、作品自体のテーマがかかっていたりとか。とにかくこの1曲の完成度だけでも、めちゃめちゃすごいなっていう風に思います。ファレルは本当にすごいっすね。嫌になっちゃいますね(笑)。ということで、お聞きいただきたいと思います。「Runnin’ feat. Pharrell Williams」。

(ファレル・ウィリアムス「Runnin’」がかかる)

……はい。ということで『ドリーム』のサントラからファレル・ウィリアムスによる「Runnin’」をお聞きいただいております。歌詞が本当によく出来ていて。たとえば「From runnin’ to exams(試験に向かって走る)」っていうところから、「two jobs for a man(男のための仕事に向かっていく)」。で、「Don’t act like you was there when you wasn’t(その場にいなかった癖に、いたふりをしないで)」。「In the law of the land the women were often banned(この国の法律では、しばしば女性たちに門前払いを食らわせていた頃から)」みたいな。で、また「いなかった癖に、いたふりをしないで」と……めちゃめちゃ、映画の場面で言っていることと合わせていて。

だから、『ドリーム』は音楽劇でもあるというか。それでさらに味わいが増す、というところがございますので。こういう時にね、歌詞の訳とか(字幕で)出ないのかな?って思うけど、あれはまたいろいろと大人の事情があるらしくて。それとか、なんとかならないかな?って思うあたりですけどね。ということで、後ほどはムービーウォッチメンで扱わせていただきたいと思います。

【「ムービーウォッチメン」本編】

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『ドリーム』

(「I See a Victory」が流れる)

さっきの、ファレルのサントラが素晴らしいっていうので(「Runnin’」を)かけましたけども。ちょっとゴスペル風味が濃いめなのが今回のサントラの特徴かもしれませんね。1962年、アメリカで初の有人地球周回飛行(マーキュリー計画)を支えたNASAの3人の黒人系女性スタッフ。その知られざる物語を描いたヒューマンドラマ。監督は『ヴィンセントが教えてくれたこと』の新鋭セオドア・メルフィ。ミュージシャンのファレル・ウィリアムスが製作と音楽を担当。主人公キャサリンを演じるのは『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』や、あと当然、私にとっては『ハッスル&フロウ』、そして(TVドラマシリーズ)『Empire/エンパイア 成功の代償』とかのタラジ・P・ヘンソン。




その他、オクタヴィア・スペンサー、『ムーンライト』にも出演していたジャネル・モネイやマハーシャラ・アリ、ケビン・コスナー、キルステン・ダンストらが出演しているということでございます。この映画『ドリーム』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。

メールの量は、普通……って、おい! たのむぜ、おい! ちょっと。賛否の比率では「賛」の意見が9割近く。まあ、だいたいの人が褒めている。「感動した。最高!」「今年ベストの1本」「ストーリー、演出、音楽、どれを取っても1級品」「メッセージ性と娯楽性のバランスも見事」など熱い賞賛メールが目立った。一方、「正しさの押し売りのように感じてしまった」などの声もちらほらございました。その中で代表的なところをご紹介いたしましょう。

■リスナーの感想「今年見た55本の中のベスト」

千代田区、ラジオネーム「サイモン」さん。「『ドリーム(ヒドゥン・フィギュアズ)』は『ジョン・ウィック』や『イコライザー』のような『ナメてた相手が殺人マシーンでした』映画の一種、『ナメてた女が計算マシーンでした』」って……(笑)。計算マシーンって表現はどうかな? だって、「全体の計画とは関係なく、お前らは計算しておけ」っていう、そういう部署に女性がいっぱい就いていたっていう(性差別的な)時代のことだから、計算マシーンっていうのはやっぱりナメてない?(笑) で、「……差別というテーマを扱っていても説教臭さは全くなく、差別されていた立場の黒人女性が数学の能力ひとつで男社会に乗り込み勝利する痛快ムービーでもあります。音楽やファッションの楽しさも素晴らしく、踊り出したくなる魅力に溢れています」というね。

ああ、これは後ほど僕が言おうとしていることとちょっとかぶるので。はい。チョークに関することとかね、ある道の使い方であるとかね。「……細部に込められた演出も素晴らしいです。科学の力は重力を乗り越え、人類を宇宙に送り込むことも、人種差別という間違った制度を乗り越えることもできるというメッセージの込められた素晴らしい作品でした。今年見た55本の中のベストの作品です」という。続いて、「ハウ・ファニー・トミー」さん。この方は、「私は宇宙関係ではないのですが、航空機エンジンの開発に関わっていまして。まず、映画としてどうこう言う前に、とても勉強になりました。人工衛星の起動計算を手計算でやっていたなんて、とても信じられません」というご意見だったり。

一方、いまいちだったという方。世田谷区「ピッポ」さん。「絶賛の声が並ぶ中、恐縮なのですが私としてはあまり好きになれない作品でした。たしかにこの映画は社会倫理的に正しいことを伝えようとしており、正しい主人公たちが正しいことをして、その結果正しい結末を迎える。それゆえ、多くの人が賛同しやすい映画ではあると思います。ただ、その主人公たちがあまりにも正しすぎて正しさの押し売りみたいに感じてしまった。彼女たちの正しさを正当化させるための正しくない人(悪役的なキャラクター)の描き方がちょっと表面的すぎるのではないか?」とかね、いろいろな部分の指摘をしていただきました。ありがとうございます。

■「あんたらの知的水準に合わせてこうしたんですよ」という発想は作品の精神に反する

ということで『ドリーム』を私、TOHOシネマズ日比谷シャンテ、そしてTOHOシネマズ六本木で2度、見てまいりました。どちらもなかなか入っていてですね。ちょっと僕が見た回はそうじゃなかったんだけど、シャンテなどではエンドロールで拍手が出ることもちょいちょいあった、なんていうことです。そんなことを聞くだけで、ちょっと僕は泣きそうになってしまうんですが。といった感じで、『ドリーム』……まず最初に、これは後世のための記録として、あえて蒸し返しておきますが(笑)、邦題、日本題について、公開前にいろいろとすったもんだがございました。

最初は『ドリーム 私たちのアポロ計画』という日本タイトルがつけられていたんだけど……これね、もうご覧になった方には明らかだと思いますが、「これはマーキュリー計画の話なんですけど?」というね、当然のように批判の声が上がり。映画で言うと、1983年のフィリップ・カウフマン『ライトスタッフ』の、バックストーリーという感じですかね(※宇多丸註:『ライトスタッフ』のDVDを目の前に置きながらしゃべっていたにもかかわらず、放送上ではここ、なぜか『カプリコン・1』のピーター・ハイアムズという、“気持ちはわからないじゃないけど、正反対の映画だよ!”な、反射的言い間違いをしてしまいました。改めて訂正してお詫びいたします!)。ジョン・グレンが出てきますしね。で、当然のように批判の声が上がり。もちろんね、そのタイトルをつけた側の言い分……配給会社側からは、「日本人が宇宙開発というものを広くイメージしやすいように、あえて『アポロ』とつけたんですけど」という釈明があって、というんですけどね。

ただまあ、個人的には、まさにそういう「あんたらの知的水準に合わせてこうしてやったんですよ」みたいな、その発想こそが、この作品の精神に著しく反している、っていう感じがするんで。僕はやっぱり、ちょっといくらなんでもねえだろ?って思うんだけど。結局、激しい批判を受けて、公開前に副題の『私たちのアポロ計画』の方を削除したんですけど……結果として今度は、『ドリーム』っていうね、ひょっとしたら『ドリームガールズ』のイメージっていうのが多少あった上での、『ドリーム』なのかもしれませんけども(※宇多丸註:後から人に言われて気づきましたが、普通にキング牧師のイメージかもですね。そういうことならまだ許容できなくもない……かな?)、とにかく、結果としてただ『ドリーム』という、これはこれで、「うん……そういう話でもないよね?」っていうね。要するに、なにか自分の能力を超えた、身分不相応な「夢」を追うとか、そういうことじゃないんですよね。「能力にふさわしい仕事と評価がほしい」っていう話なんで。なんかちょっと『ドリーム』単体だと、それはそれで、単にやる気の全く感じられない邦題になってしまっていて(笑)、これも残念ではございますが。

元になったノンフィクション小説と同じ、原題は『ヒドゥン・フィギュアズ(Hidden Figures)』ですね。元のノンフィクション小説も日本版が出ておりますので、ぜひそれを読んでいただきたいと思います。「Hidden」は「隠れた」で、「Figures」は「姿・人物・数・計算」なんて感じで、要するに二重三重に、ダブル、トリプル・ミーニングが入っているんですね。この『ヒドゥン・フィギュアズ』というののダブル、トリプル・ミーニング感を生かした、それこそ日本語でなにか気の利いたタイトルがつけられていればベストだったのにな、っていう。この番組でそれ(邦題の案)だけ募集する企画が成り立つな、って思うぐらいなんだけどね。

■いま劇場でかかっている作品で文句なしに薦められる一本!

で、とにかくそんなゴタゴタは、言うまでもなく、本作そのものの価値とは何の関係もない、ということでございます。いきなり結論中の結論を言わせていただければ、この『ヒドゥン・フィギュアズ(邦題:ドリーム)』は、あらゆる意味で……先ほどちょっと批判メールもありましたけど、僕、そこもちゃんとわかった上で後ほど話をしますけど、あらゆる意味で、ほとんど文句のつけようもない、文字通り万人に超自信を持ってストレートにおすすめできる、超一級の社会派エンターテイメントだ、という風に私は思います。いま、劇場でかかっている作品で……よく「宇多丸さん、どれがいいっすか?」なんてね、聞かれて。その時に(どの作品にするかを)迷っちゃうこともあるんだけど、いまだったらもう迷いなく、「はい。まずは『ドリーム』に行ってください!」って言えると思います。

まあ、僕級に興奮するかどうかは別としても、もう絶対に見ておいた方がいい一本だと思います。特に、小学校高学年から中学生ぐらいの子たちにはもう全員、課題で見せた方がいい、と思うぐらいですね。これ、1960年代アメリカ、NASA。もしくは、バージニア州という、当時まだ非常に差別がきつかった地域での、実話を元にしたストーリー。ではあるんだけども、同時に、それこそ時代や国、人種や性別などを問わず通じるべき……まさしくこれは科学と同じように……極めて普遍的な、重要なメッセージを、しかもここですね、素晴らしく「平易に、楽しく」伝えてきている、ということだと思いますね。もちろん、人種差別とか性差別のクソさっていうのを描いた作品というのは、これまでにもいろいろとありました。

ただ、特にこの『ドリーム』という作品の痛快さは、「なぜ人種差別や性差別はクソか?」っていうことに関してね、もちろんモラルに反するからとか、これは言うまでもないことなんだけど、「人種差別や性差別はなぜクソか? それはなにより、不合理だから……不合理ゆえに、当然のように、非効率を招く。そして、物事の進歩や発展を邪魔する。つまり、それはひいては、人類の発展の可能性を阻害する。だからダメだ!」っていうことを、明快に喝破している。誰にでもすんなりと飲み込める形で、非常にスマートに喝破している、というところだと思いますね。

で、同時にたとえば、差別をしている側……すごく意識的な人種差別主義者とか性差別主義者とかはもう、どうにも治せないアホどもだからしょうがないんだけど、無意識に──要するに、その社会の常識として(差別的な制度や習慣というのが先に)あって、自分としては悪気なくやっている。で、差別ってまさにこうやって定着して、進行していくものだよね、っていうあたりについて……だから、「これは差別です!」って(その無意識の差別者に)言った時に、「あ、そっか。なんか……なんかすいません……」みたいな(気づきを与えることにもなる)。で、そうやって正していった結果、(人や社会が)ちゃんと変化も成長もする余地はある、っていうね、そのあたりもちゃんと描いていたり。でね、こういうように、先ほどメールにもあった通り、テーマやメッセージ、文句のつけようもないぐらい非常に「立派」なわけですね。

■「正しい」テーマを娯楽映画として昇華させたのが素晴らしい

ただ、僕自身ももちろん、テーマやメッセージが立派だからって、かならずしも立派な映画になるとは思っていないです。でも、この『ヒドゥン・フィギュアズ』に関しては、それをエンターテイメントに昇華し、万人に伝えるその手つきや技術が、非常に優れている、という風に思います。まず単純に、この作品が見る価値は絶対にあるというところで、この事実……要するに、宇宙開発にこれだけアフリカ系アメリカ人の女性が重要に関わっていて、それがあまり、公式の記録として、表にはそんなに広く知られてこなかった。アメリカ人もあまり知らなかった、という話が知れるというだけで、まずすごく重要なことですし。

で、その非常に重要な話というのをエンターテイメントに昇華し、万人に伝える手つき、技術も素晴らしい。たとえば、今回の製作・総指揮に入っているマーゴット・リー・シェッタリーさんの原作ノンフィクション小説……まず、これ自体が素晴らしいわけです。つまり、この驚くべき真実を改めて広く世に知らしめた書物、という点で、非常にこれ自体が偉業なわけですね。これ、読み比べていただくと、(事実を)どうやって映画にアレンジしたかがわかりますし、と同時に、「えっ、ここんところ(さすがにここは創作だろうと思われるような劇的エピソード)が本当なんだ!?」みたいな、びっくりするような部分が本当だったりするので、ぜひこれは読み比べていただきたいんですけども。

まあ、とにかくこの原作ノンフィクション小説を、映画用に非常に巧みに再構成した脚色……つまり、本質はねじ曲げないまま、非常にタイトに物語化、再構成している脚色。これは監督のセオドア・メルフィと、アリソン・シュローダーさんという方の、共同の脚色の手際がまず、非常に素晴らしいということですね。あとは、これ以上考えられないほど本当に見事なハマりっぷりを見せるキャスティングと、そのキャストたちの本当に最高の演技アンサンブル、とかですね。あるいは、これはさすがあの『ヴィンセントが教えてくれたこと』、2014年の作品の監督というべきか、セオドア・メルフィさん、特定のある動き、アクションとか、ショットの連なり……その中の、要するに「反復と変化」。繰り返しの中に、ある変化が訪れる、それによって多くを伝える……これは要するに、まさしく「映画的な」語り口、演出そのものですよね。それがとっても上品で上手い、とかですね。

あるいは、それ自体で非常に多くの物語情報を伝えてくる、美術ですね。たとえば、NASAの中の建物。現実そのままのトレースではなくて、非常に物語的に、ある意味象徴化というか、デフォルメされているようなんですけどね。たとえば、西棟。最初にアフリカ系の女性たちが押し込められていた地下の、わりと古くて薄暗そうなところと、バーッと開けたNASAのメインの空間の対比であるとか……そういう風に美術が素晴らしいとか、あるいは衣装の圧倒的な豊かさであるとか。あるいは、今回デジタルではなく、コダックフィルムを使用した撮影のリッチさとかですね……これは当時、NASAのいろんな開発にコダックが深く関わっていたという、コダックフィルムを使う必然性というのも含めて、非常にリッチな画面の質感であるとか。

さらにはもちろん、60年代という時代を現代の視点で再解釈……ノスタルジックでありながら、しっかりと「いま」の時代感というのを空気として醸し出してみせる、ファレルやハンス・ジマーによる最高の音楽たちとか。とにかく、総合芸術としての映画の、全ての面で……メッセージの大事さと、アウトプットのレベルの高さが、完全に一致していると思うんですよね。これだけ大事なメッセージを伝えるのにあたって、もうばっちりな水準の語り口、っていうのを持っていて。まさにこれは、「超一級品」という言葉が相応しい一本だという風に思います。どこを切り取っても本当に素晴らしくて、ディテールをいちいち挙げていくと本当にキリがないんですけど。

■上手くて楽しいオープニング

たとえば、まず冒頭。主人公のキャサリンの、少女時代のエピソードをまず持ってくるわけです。それによって物語的に……要するに、彼女が明らかに持っている、ものすごい資質。そしてそれは世に認められるべきである、という……要するに彼女は、もう資質は絶対に持っている(というお話上の前提)、それを観客にも、条件付けというか、確信させる。そして、それは彼女1人の問題じゃなくて、アフリカ系アメリカ人社会全体の希望をも背負って、象徴しているものなんだ、ということ。この2つの、大きな物語的な動機の部分。その根幹を、最初に観客に、ごくごくシンプルに叩き込む。この構成がまず非常に、脚色として上手いですね。

あとここでね、これはメールにもありましたけどね、「チョークを手渡される」っていう動きが、後半、成人した彼女が、ある大舞台でついにその実力を見せつける。もっと言えば、その場の実質的な主導権を握る、っていう場面。そのくだりとちゃんと反響しあっている、というあたり。実は本作は、本当に全編にわたって、このようにアクション同士、動きとか仕草とか、あるいはショットの連なりとか、そういうもの同士の「反復と変化」を通した、共鳴っていうのかな……これはセオドア・メルフィさんが本当に得意としているところだと思います。『ヴィンセントが教えてくれたこと』でもそれを上手く使っていましたけども、そういう、非常に細やかな演出が施されている。

で、いま言った少女時代。アバンタイトルエピソード。両親に連れられて走る車の中から、空を見ている少女時代のキャサリン。というところから、物語上の現在、1961年バージニアの田舎道。壊れて立ち往生している車っていうのをバーッと(空から)捉えたショットに、『Hidden Figures』って(タイトルが)かぶさって。その中で、同じポーズの(ショット左右が)反転した形で空を眺めている、成人したキャサリンへとつながっていく、このオープニング。

ここも、たとえば天才的な資質を持って、大人たちのバックアップを得て、これから飛び級進学するという彼女の、その天才的な資質が、未来に向けて開かれるのか?というアバンタイトルから、走っている車に乗っていたのに、それが止まっていて。相変わらず空を見上げている……というところで、要するに彼女の天才的な資質は、そうスムーズに、簡単には、輝かしい未来へとはつながっていないようだ、っていうのを、単純に自動車が止まっている、ということでなんとなく匂わせる。これ、上手いですし。あと、この一幕だけで、主要キャラ3人の描き分け、っていうのも見事にしていますし。

あと、物語の基本的な時代背景。冷戦下の宇宙開発競争。スプートニク・ショックの時代だと。そして、人種差別・性差別がいまだに横行する時代・場所でもあったということ。つまり、よりによって、科学、科学競争という、最も合理的思考が求められる、追求されるべき場であるNASAが、1960年代でも人種隔離という、まさに非合理・不条理の塊のようなアパルトヘイトが常識だったという、バージニア州に……NASAがバージニア州にある、という、この鮮烈な矛盾ですよね。それを一気に、そこでポンと見せる……などなど(もろもろの情報)を、恐ろしく的確かつ、タイトに表現しているこのオープニング。

しかもそれを、重苦しくも堅苦しくもなく、パトカーにこうやって先導をさせて、「1961年、これは奇跡よ!」って言って、ファレルのこの「Crave」というナンバー、もうゴキゲンな60’sアップデートナンバーに乗せて、ノリノリでこうやって(物語本編に)導入していく、というあたり。まあもう、とにかくただひたすら、ド頭からして上手いし楽しいし、っていうことだと思いますね。

■見事な映画的演出の数々

事ほど左様にですね、たとえば書類などを「手渡す」という行為であるとか、この番組の冒頭の「Runnin’」の話でもしましたけど、遠い道のりをドタバタドタバタ一生懸命行く……しかもそれが、物語後半でどう変化していくか? 最初は1人で辛そうに走っていたのが、今度は彼女が走る理由が全く変わってくる。しかも、一緒に並走するというか、同じ道を、誰が走らされるのか?っていうあたりの痛快さとか。

あるいは、ドアとか閉ざされた扉っていうのを「開けて入る」っていう動き、その象徴性とか……途中に出てくる、もう「門戸を広げないとどうにもならない」状態っていうのの、ものすごく、これ以上ないほど直接的な(笑)アクションによる表現とか、非常に楽しかったりしますし。あるいは、もっと微妙な、ちょっとした視線の交わし合いとか、そういうので……とにかくちょっとした動き、ちょっとした表現、その繰り返しと変化というところでこそ、実は多くを語っている。セリフよりも、そういうところでこそ多くを語っている、というところが、やっぱりセオドア・メルフィさん、非常に、まさに「映画的演出」をしているあたりだなという風に思いますね。

で、逆にですね、たとえば凡百の演出家なら、大げさに感情表現させるような場面。非常に感情的に、ウワッと盛り上がるような場面でも、登場人物たちは努めて平静を保つように……少なくとも、表面上は常にそうしていようとしている。たとえば、非常に人種差別的な扱いを受けたっていう時に、表面上は平静を保とうとしている分、余計に胸に溜め込んだ思いの重さとか、それを表に出せない、出さないということの辛さが、より切実に迫ってくる、というつくりになっている。で、例外的に劇中で唯一、主人公キャサリンが感情をむき出しにするシーン。ここはやはりね、『ハッスル&フロウ』から『Empire/エンパイア 成功の代償』などでおなじみ、タラジ・P・ヘンソンさん

要するに、それまでのうんざりするような反復と、それに加わる、プラスアルファな変化。いつもうんざりするような反復をしているのに、ただでさえうんざりしているのに、今日はさらにこれかよ!っていう変化も加わって……抑えに抑え込んで、溜めに溜め込んできたものを、一気にそこでボン! と吐き出す。まさにタラジ・P・ヘンソンさん、もともとは激情をバーン!ってぶつける、激しい感情をぶつける時にわりと光るタイプの女優さんが、(そこまでは)あえて抑えて抑えて、その場面でボーン!とその本領を発揮する、まさに名場面。そこでも、要はものすごいワーッて泣き叫ぶような場面なのに、言っていることは、「トイレ、行っていいっすか!」っていうね(笑)、このバランスですよね。しかもこの場面は、先ほども言ったように、差別を無意識に、差別を日常の常識としてしまっている人たちの、まさに目を覚ますというか、「あっ、そういうことか……」みたいな感じ。

つまり、いわゆる意識的な差別主義者じゃない、でもそっちこそが実は社会において問題だという、無意識の差別っていうのを浮き彫りにする、本当に名場面だと思いますけどもね。非常にバランス感覚がいい。「トイレ、行っていいっすか!」っていうね。重い話をする時でも、言っていることそのものは、そういう日常的な話だとかね。あるいは、キルステン・ダンストが、ともすると薄っぺらで一面的な「悪役」にもなってしまいかねない上司役というのを、とても人間的に……つまり、彼女は無意識に人種差別的な態度を取っているわけだけど、彼女は彼女で、いっつも疲れ切った表情をしているわけです。疲れ切って、「私に恥をかかせないでね」とか言って。要は彼女自身も、女性管理職としてプレッシャーとか、それこそ性差別的な壁に悩まされていたりもするのだろう、というような(想像を観客に喚起させる)、ちゃんとしっかりした厚みのある演技っていうのかな? それを、ちゃんとキルステン・ダンストがキャラ造形をしていて、本当に僕は感心したんですけども。

とにかくそのキルステン・ダンストの上司と、『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』などなど、すでに大女優の風格すら漂っているオクタヴィア・スペンサー演じるドロシーがですね、たとえば後半に、トイレで会話するシーンがあるんですけど。最初は鏡越しに……まあちょっと距離を取った、表面的な会話をするわけですね。で、やおらパッとキルステン・ダンストが横に向き直って。で、そのキルステン・ダンスト演じるビビアン・ミッチェルというキャラクターなりに、本音を優しく伝えた……つもりなんだけど、ここでの、キルステン・ダンストと向き合った時の、オクタヴィア・スペンサーを捉えたショットの、大きさの違い。画面のサイズの違い。キルステン・ダンストは正面から捉えて、わりと顔がアップめで気持ちを伝えているのに、オクタヴィア・スペンサー(のショットは)はちょっと引いて(撮っている)。要するに、全然心の距離感が違う、というあたり。会話の中身と同じぐらい、もしくはそれ以上に、2人の意識の差というのを容赦なく、「映画的に」示しているという。これぞ映画演出!という見せ方であったりとかですね。

■年齢も性別も問わず、万人に見て欲しい完璧な一作

あるいは、そのビビアン・ミッチェルと同様、当時のNASA職員の人種とか性差別意識っていうのの象徴として創作された「悪役」キャラクターである、ジム・パーソンズさん演じるポール・スタッフォードというキャラクターがいるんですけど。これは要は、非常に官僚的なわけです。非常に官僚的なキャラクターということもあって、終始ほぼ無表情で通させているわけです。これも、よく考えると何気にすごくてですね。完全に、ほぼ最初から最後まで、ほぼほぼ無表情で通している。いろいろなことがあるんだけど、彼の表情にはほとんど変化がないように見える……からこそ、みなさん、見逃さないでくださいね。ラストのラスト、彼がキャサリンにする、ある日常動作。その、これまでの反復とは違う、ある変化。これがさり気なくも、大きな感動を生むわけですよ。ここ、ちゃんと見逃さないでね。こういうところね。

このようにですね、全てのキャラクターに、ちゃんと人間的な変化と成長の余地、というのを残している。つまり、一方的な怒りとか糾弾、というところに主軸を置かない。このつくりこそが、この『ドリーム(ヒドゥン・フィギュアズ)』という作品特有の、爽やかさというか、風通しの良さにつながっているんじゃないでしょうか。あとはもちろん、ジャネル・モネイ。これ、『ムーンライト』でも素晴らしかった、非常に美しい女性です。ジャネル・モネイさん演じるメアリー……これ、実在のメアリーさんもね、すっごい相当「強い」人で、そういうエピソードだけでもすごく痛快なので、これは元のノンフィクション小説をみなさん、ぜひ読んでいただきたいんですけど。

たとえば、法廷のシーンでの、やはり「ドアを開けて一歩前に進む」アクションの、スリリングな力強さ。そして、そこの法廷劇としてのロジカルな楽しさとか、スリリングさ。ここも本当に面白いですし。あるいは、その彼女と夫との関係の、ちょっと泣きたくなるほど素敵な、その関係の変化、のところとか。この関係の変化という意味では、やはり『ムーンライト』に出ていましたマハーシャラ・アリの、キャサリンとは後に恋仲になるわけですけども、そのいい人だけどちょっと無神経だった彼の、やっぱり泣きたくなるほど素敵な変化……たとえば性差別の解消っていうのは、何も男を貶めることではないんだっていう(メッセージが、この2人の男性キャラクターの描き方から伝わってくる)。ということも含めて、本当に、何度でも見返したくなる楽しさとか、豊かさに満ちているなと思います。

あと、もちろん言うまでもなくケビン・コスナー。このケビン・コスナーも、本当に無表情の使い方が上手い。本当に、ほぼほぼ無表情なんだけど……最近ね、本当に脇で光るタイプになってきたなとかね。もろもろ、こんなことを言っていると本当にキリがないです。とにかく、全体として非常にサラリとしているというか、スマートな作りなんですけど、エンドクレジット前、最後にもう一度、タイトル『Hidden Figures(隠れた人物・隠れた計算)」、これが出てくる時に、本当に涙があふれてくるというかですね……ドスーンと来る。そこからさらに、エンドロールでファレルのいろんな曲が流れます。ということでね、最後まで爽やかな気持ちで、いいものを見たという気分で出られるという。

これね、「60年代のバージニアだから差別がまかり通っていてひどい」っていう話じゃないのが、実はちょっと悲しい話で。性差別、人種差別……たとえばじゃあ、現代日本でね、「1960年代のバージニアってひどいね。いまの俺たちは違うもんね!」って……恥ずかしくて言えませんよね。ということに改めて背筋も伸ばさなきゃいけない、という感じも含めて、その意味でも本当に「万人に」見てほしい一作だと思います。本当に、年齢も性別もなにも問わずに、とにかく……(誰もが)これ(今夜の評)ほどのテンションじゃないかもしれないけどね。とにかく、私は本当に、映画的にも、どの角度から見ても、ほぼほぼ隙がなくて嫌だ!(笑)っていうぐらい、そんぐらい本当に、完璧だと思います。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『猿の惑星:聖戦記』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下、ガチャ回しパート 起こし>

しかし、ファレルがこんな意識高い系アーティスト感を醸す人になるとは、昔は想像していませんでしたけどね(笑)。本当に素晴らしい。DJ YANATAKEも見に行ってねっていうことを強くね。YANATAKEにも強くすすめておりました。『ドリーム』。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!