お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。

放送中

放送中


  • 放送ログ
  • 音声あり

【映画評書き起こし】宇多丸、『エル ELLE』を語る!(2017.9.9放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

6J3A7339

実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『エル ELLE』

(曲が流れる)

『ピアニスト』などで知られるフランスの名優イザベル・ユペールと、『ロボコップ』『氷の微笑』『スターシップ・トゥルーパーズ』『ブラックブック』などなどなど……で知られるポール・バーホーベン監督がタッグを組んだサスペンス。レイプ被害にあった女性が犯人を探し出そうとする姿を描く、ということでございます。私も念願のポール・バーホーベン最新作ということで、この映画をもう見たよというリスナーのみなさん、通称<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。




メールの量は……「多め」! やったー! ねえ。これはありがたいことでございます。その感想、賛否の比率は9割以上が絶賛。もちろん、男性からの絶賛も多いが、いつも以上に、というよりコーナー史上最高の勢いで女性からの熱い絶賛メールが多数届いたということでございます。「さすがバーホーベン、大満足!」「主人公ミシェルを演じたイザベル・ユペールがすごい!」「これぞ本当のワンダーウーマン」などの声が並んだということでございます。

本当にね、みなさん熱いメール、しかも面白いメールをいっぱい送っていただいてありがとうございます。全部は読み切れなくて申し訳ないんですが、代表的なところをご紹介いたしましょう。「ケイティ・ペリ子」さん。「もうもう大満足です。50億点です。『ワンダーウーマン』のダイアナは応援しながら楽しく見ましたが、『エル ELLE』の主人公ミシェルは、『こんな女になりたい』と思いました。私は小説家なのですが、作品作りの際に主観と客観から主人公を見つめ、常にバランスを取ることを考えています。それは私生活にも生かされ、自分の身に起きたことや感情を主観と客観で観察する癖が自然とつきました。ミシェルはさらにその上を行き、主観と客観を同時に発動させられる女性、コントロールできる人間だと感じました。自由奔放と言い切るには理性的で、合理主義と断定するにはあまりにもエモーショナル。しかし、彼女の中では矛盾しないのです。」などなどあって……

「でも、実際の人間は矛盾に満ちています。むしろ現実社会にこそ、少ないながらもこういう人物は存在するのでは? と思いました。だからこそ、遠い場所にいるヒーロー、ダイアナを応援するのとは異なり、私はこの世界のどこかにいる彼女のようになりたいと思ったのです。とにかく映画としても最高に面白かった。痛快だった。私は大好きです。バーホーベン、やっぱり最高! そしてユペール、ありがとう!」ということでございます。そうですよね。人間の、実際にあるあり方そのものをわりとそのままポンと出すという、これがバーホーベンのスタイルですけどね。

一方で、「アチヤリュウ」さん。この方はちょっとイマイチだったという方。「感想はイマイチかな。バーホーベン監督作ということで期待しすぎたのかもしれません。さすがに作劇は上手く、展開も人間関係もわかりやすいので見ている間はハラドキしました。だが、見終わってみるとやたらと物足りなさを感じました。出てくるのはダメ人間ばかりですが、それらの背景や謎がそれほど詳述されないし、人間関係のドタバタがたいした化学反応を起こしていない印象でした」ということでございます。はい。ありがとうございます。

さあ、ということでみなさんの熱いメールを全部読みたいところなんですが、さっそく行かせてください。『エル ELLE』、私もこのガチャが当たる前にも見てまいりましたし、今週もTOHOシネマズ日比谷シャンテで計3回、見ております。先週の『パターソン』評で「イギー・ポップがジム・ジャームッシュ作品に横断的に登場する」なんて話をしましたけど、実は今回の『エル ELLE』でもね、イギー・ポップのかの有名な「Lust For Life」という曲が、2ヶ所ほどで流れますけども。この「Lust For Life」はですね、ポール・バーホーベンの1980年の監督作、『SPETTERS/スペッターズ』でも使われているので。

まあ、ポール・バーホーベンは、ロックというか、ポップミュージック全般にそれほど思い入れがあるタイプとも思えないので、たぶん、「“ノリノリのロック”といえば、まあこれっしょ?」って、適当にかけている可能性もありますけども(笑)。という、非常にどうでもいいトリビアが出てくるほど、僕が本当に全作、心から敬愛してやまないポール・バーホーベンでございます。それこそ、本当に現役の監督としては、僕は、メル・ギブソンとポール・バーホーベンが最高だ!と思っているぐらいです。もちろん、ポール・バーホーベンはゴリゴリの無神論者。非常に合理主義的な方です。無神論者。メル・ギブはご存知の通り、ちょっと敬虔すぎるぐらいのカソリック。ということで、非常に対照的な映画監督、作家とも言えるんですけども。

同時に、両者ともにこういうことが言えると思う。身も蓋もない、即物的な、つまり「映画的」な描写を通して、人間の意志の力、人間の尊厳、というテーマを毎回描き出している。そういう手腕に非常に長けている、という意味で……これはまさに映画監督としての才能そのものと言っていいというあたり。あとは、とかく物議をかもし出しがち(笑)というところも含めて、言ってみればバーホーベンとメル・ギブ、無神論者と敬虔なカソリック信者、という両極から出発して、でもその手法であるとか考え方などをエクストリームに突き詰めた結果、同じ地平にたどり着いた、とでもいうような、ちょっと共通する……言っちゃえば、僕的には非常に好みの資質を持った作り手、映画人である、ということは言えるんじゃないかなと思います。

で、そのバーホーベンの、久々の本格長編劇場用映画である、今回の『エル ELLE』。もちろん僕、オールタイムベストの1本であるルイス・ブニュエル監督の1953年の『エル』という作品がありまして。これは私、いつもオールタイムベストに挙げていますけども、ブニュエルの『エル』とは、全くの無関係です。今回の『エル ELLE』は、フィリップ・ジャンという……これ、ハヤカワ文庫の原作本だとそういう表記で、映画のパンフなどでは「フィリップ・ディジャン」っていう名前になっていますけど……『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』がジャン=ジャック・ベネックスで映画化されましたけど、あれの原作を書いた人の、2012年の小説が元になっています。



とにかく、ポール・バーホーベン監督作としては一応の前作にあたる、『トリック』という作品。『ポール・ヴァーホーヴェン トリック』という、これは2012年の作品。日本では一瞬だけね、ヒューマントラストシネマだったかで劇場公開されて、僕も行きましたけども、元はテレビ映画で……しかもこの『トリック』という作品は、上映時間が85分あるんですけど、そのうちの前半30分は、「脚本を段階的に公募して撮り進めていく」という非常に冒険的な試みをしている、そのドキュメンタリーなんですね……しかも結局、それはいまいち上手くいかないんですよ(笑)。そういうドキュメンタリーパートが前半30分あって、後半50分ほどで、まあバーホーベンとしては軽めのセックスコメディー……しかし、人間の多面性を暴き出すというかですね、「こうだと思っていた人が、実はそうではなかった」っていう話、その意味では、やっぱり実に彼らしいセックスコメディーという……でもとにかく、つくりとしてイレギュラーな作品だったわけです、前作の『ポール・ヴァーホーヴェン トリック』という作品は。

なので、本格的な長編劇場映画としては、それこそ2006年の『ブラックブック』以来ですよね。だから、このタイムラグ感もちょっとメル・ギブに重なるんです。2006年の『アポカリプト』から10年ぶりに『ハクソー・リッジ』、っていうのと重なるんですけど。まあ『ブラックブック』は本当に僕、世界映画史に刻まれるべき名作中の名作だと思いますけどね。全人類必見の名画だと思います。ぜひちょっとね、見たことがない方は見ていただきたいですが。とにかく、がっつりとした長編はほぼ10年ぶりと言っていい。で、しかもそれがバーホーベンのキャリア史上でも……まあ、いろいろちょっとね、毀誉褒貶激しいというか。場合によってはいろいろと駄作呼ばわりされることも多いバーホーベンの中でも、屈指の高評価を世界中で叩き出して。もう映画賞を総ナメ!ということになったんですけども。非常にまあ、ファンとしては喜ばしい限りでございます。

しかし、当然と言うべきか、良くも悪くも常に物議をかもし出すポール・バーホーベン作品……でも、過去のそれらのポール・バーホーベンのフィルモグラフィーと比べても、とびきり今回の『エル ELLE』は、劇薬度が高い、取り扱い注意!な物語。当初は、脚本家のデビッド・バークさんと、アメリカで製作することを念頭に企画を進めていたということなんですけど、インターネット・ムービー・データベース(IMDb)によれば、ポール・バーホーベンはインタビューとかでは名前をぼかしてましたけど、ニコール・キッドマンとか、シャロン・ストーンとか──シャロン・ストーンも見たかったですけどね──ジュリアン・ムーアとか、ダイアン・レインとか、もう名だたる名女優たちがことごとく、それも通常ではあり得ないほどの即レスで断られたっていう(笑)。

「やるわけねえだろ!」みたいな感じで断られまくって、さあ困ったっていうところに、言わずと知れたフランスを代表する大女優にして、これまでも劇薬危険、取り扱い注意!な役柄を進んで演じてきた──たとえば、ミヒャエル・ハネケの『ピアニスト』だとか、あとは一連のクロード・シャブロルの作品、たとえば『主婦マリーがしたこと』とか『沈黙の女(/ロウフィールド館の惨劇)』とか──まあそういう、いままでも非常に、普通なら尻込みするような役柄を進んで演じて評価を高めてきたイザベル・ユペールが、原作も非常に好きだったということだし、バーホーベンもすごく尊敬しているということで、「私がやりたい」と手を挙げて。



で、「じゃあ、イザベル・ユペールがやりたいって言っていて、しかも原作がフランスの小説なんだから、普通にフランスで撮るっしょ!」っていう感じで。しかも、プロデューサーもフランスの方なんで。ということで、ポール・バーホーベン初のフランス語、フランス作品となったということですね。この映画を撮るためにバーホーベンは、フランス語教室に通ったそうです(笑)。で、実際にその原作小説のポール・バーホーベン流再解釈……実は原作小説と、今回の映画になったものは、微妙にニュアンスが異なっているんですね。やっぱりポール・バーホーベン流の再解釈がいろいろと付け足されているんですけど、それと、イザベル・ユペールの相性は、本当に抜群。

というよりもですね、作品がこうして完成したいまとなっては、イザベル・ユペール以外では、この作品は、少なくとも一般観客がコミットできるようなエンターテインメントとしては、成立していなかったんじゃないか? つまり、やっぱりこの主人公にちょっとついて行けなくなっちゃったんじゃないか?っていう風に思えるぐらい……要するに、非常に危ういバランスなんですね。カミソリの刃の上を歩いて渡るような非常に危ういバランスを見事に渡りきって、完璧な化学反応を起こしている。ゴールデングローブ賞、アカデミー賞、セザール賞をはじめ、世界中の映画賞総ナメも納得、の結果を残しているんじゃないでしょうか。

ではなぜこの作品が、そこまで名だたる名女優が即決で尻込みするほどの劇薬であるのか? ポール・バーホーベンがその原作小説を自分流に解釈して、イザベル・ユペールが完璧に体現してみせた、そのテーマというのは何なのか? というあたりを順を追って……ただし、ミステリー的な構造もある作品なので、決定的なネタバレをしないところまででご紹介していきたいと思いますけどね。まず冒頭、いきなり事件が起こる。というか、事件が起こった直後から始まります。まあ要は、イザベル・ユペール演じる主人公が覆面をした何者かにレイプされてしまうわけですね。……今夜の評は、これからこの「レイプ」という言葉が頻発しますけど、ご気分悪くされる方がいたら申し訳ありません。とはいえ、『エル ELLE』はそういう映画なので、申し訳ありませんが。

とにかく、ド頭で主人公が何者かにレイプされる。もちろん映画においても、レイプというのは最低最悪の卑劣な犯罪ですが、しばしば出てくる題材ですよね。それこそ先日、このコーナーで扱ったアスガー・ファルハディの『セールスマン』も、まさにそのレイプを扱った作品でしたし。あるいは、「レイプされた女性が犯人に復讐する」というのを、ジャンル映画的枠組みで、エンターテインメントとして扱ったような作品も、特に70年代を中心に非常にたくさんありますよね。枚挙にいとまがないですけども。また、もうちょっと真面目に……たとえば、そのレイプ被害者がそれを訴え出たことで、セカンドレイプ的な目にあってしまうという、そういう問題を扱ったもの、たとえば日本でも『ザ・レイプ』なんて作品もありますし、あとはジョディ・フォスターの『告発の行方』とか、まあちょいちょいあるわけです。


ただ、この『エル ELLE』という作品は、そのどれとも全く違うわけですね。どう違うか? 冒頭、主人公がレイプされてからしばらくの描写で、おそらく多くの観客が、ものすごく戸惑うんではないかと思います。言うまでもなく、それは意図的なものなんですけども。どうして戸惑うのか? 犯人が主人公を犯し終わって出ていった後、ヨロヨロと立ち上がった主人公が、何をするのか?っていうと、まずは、床に飛び散ったグラス類をホウキとちりとりで掃除する。で、お風呂に浸かる……といっても、いわゆるレイプ物を扱った映画に非常によくある、なんなら、たとえば『ホステル2』という作品の特典映像でカットされた映像なんですけども、少しギャグの対象として扱われてさえいるぐらいに定番となっている、いわゆる「レイプシャワー」という描写。

要するに、「レイプされた女性が、穢れを必死で洗い落とそうとシャワーを浴びながら、泣き崩れる」というような描写……でも本作では、そういう悲壮感はゼロ。普通にリラックスするために風呂に浸かっている。あまつさえ、泡の中に血がフワーッと浮かび上がってくるんですけど、それも無表情でバシャバシャッてやって、かき消してしまう。そして、やおら電話で、寿司を注文し始めるという。で、何事もなかったように息子を出迎えるという。つまり、過去我々が様々な作品で目にしてきた、いわゆるレイプ被害者のキャラクターがするであろう振る舞いっていうのを、彼女は全くしないわけです。

しかも、原作小説であれば、その間の主人公の内面描写……「こういうことを思いながら」っていうのを描写しながらのそれなんですけど、今回の映画はそういう内面描写は一切しないまま、主人公があたかも何も起こっていないかのような表情でいろんなことをこなすところをやるので、より突き放した描写になっているんですよね。で、その後、元夫や友人夫婦にそのレイプの事実を報告するところで、むしろ周りがオロオロしだして。彼女自身は、「ほらね。こういう反応が来るってわかっていたから言うのが嫌だったんだよ」ぐらいの、うんざりとした表情を浮かべていて。で、ですね、ここはいま出ている『映画秘宝』で高橋ヨシキさんも指摘されていることなんですけど、これは、「彼女が“強い女”だからだ」っていう、一面的な理解をしないでいただきたい、っていうことなんですね。

むしろそういう、一面的なレッテル、一面的なキャラクター化、一面的な人間理解っていうのを、この主人公およびバーホーベン作品っていうのは、徹底して拒絶するところに面白さがあるわけです。実際にこのね、ミシェルという主人公は、非常に冷徹で知られる社長でありつつ、頼りない息子を心配するお母さんでもあり、同時にある種呪われた家系の中で非常に葛藤をする……「お母さんには困ったもんだ」と思っている娘でもあり。で、親友に対しては心を許しているらしいが、そこにもひとつ、実は決して褒められたもんじゃない秘密がある、というような、要するに多面的な存在として描かれているわけです。先ほどのメールにもあった通り、その多面的な存在っていうのは、現実の人間そのものなわけですね。

いや、「多面的」っていう言葉というのもあまり適切ではないぐらいですね。というのものつまり、我々は、自分の性格とか自分の生き方っていうのを、「この面、この面、この面」って線引きをしていないですよね。普段はそれらが渾然一体となって……理性的にコントロールしている時もあれば、感情に流される時もあるし、っていう。まあ、そういうものじゃないですか。で、バーホーベンの作品は常に、そういうところを即物的にドン!と出すという。それこそがまさにポール・バーホーベンの作品であって……まさに最近の、キャラクターというものを類型的に描いて、「はいOK!」って済ます風潮の、真逆ということですね。これはね、「どっちが偉い」とか、そういう話はしていませんが(笑)。

で、さらにさっきの、いわゆる一面的な強い女というわけではない……実際に彼女自身、自衛のための手段を講じだしたりとかですね、人並みにその犯罪がまた起こることを恐れていたリもするわけです。ただ彼女は、レイプ被害者「らしく」振る舞うことを拒絶している。高橋ヨシキさんも原稿の中で「Victimize(犠牲者化)」っていう言葉を使われていましたけど、まさにそういうこと。「被害者“らしく”振る舞うことを拒絶している」。「被害者」の枠に自分が収められて、その枠内で、「人から望まれる被害者像」を演じることを拒否しているわけです。ひいては、そういう卑劣で重大な犯罪とか、後々に明らかになっていく過去の家族にまつわる因縁とか、とにかく人生に降りかかってくる様々な理不尽――偶然とか、宿命めいたもの――そういう様々な理不尽に屈さずに、個人としての尊厳を貫こう、自分の人生は自分でコントロールする、その姿勢を貫こうとしてるだけなんですよね。

これは「強い」とか「弱い」とかじゃなくて、人間としての尊厳を守る、人間としての態度なわけです。というのも彼女は、その家族をめぐる壮絶な過去のせいで、世間から逆に、「“加害者らしく”してろ!」っていう強い風当たりを受け続けて、その中で生きてこざるを得なかった背景もある、らしいわけなんですね。あくまで、「らしい」なんですが。で、その糾弾した人々……「正しさ」というものを錦の御旗にした人々が、いかに鈍感に、そして残酷になりうるかというのを、ポール・バーホーベンは『ブラックブック』という作品で容赦なく描き出していました。ともあれ、彼女のその「らしくない」行動っていうのは、周囲の人々、および観客である我々を、非常に気まずいというか、ちょっと不安な気持ちにさせるわけです。

「あれ? レイプされたのに全然平気に見えるんだけど……」って。でもね、それは彼女の口からも言われてますけども、「じゃあ何かい? レイプ被害者は“レイプ被害者らしく”しろっていうことか?」っていう。そういう我々自身の、偏見とか、固定観念をあぶり出すような、鋭い問いかけでもあるわけですね。「たしかにそうだよな。おかしいよ。この彼女のこの感じを勝手に『おかしい』と思うのが、おかしい」と。そこから先、周囲の、それぞれに「こいつが犯人でもおかしくないかも」という程度には一定の下劣さを含んだ男たちの中でですね、少しずつ犯人探しをしていくという前半部は、それでもまだ、「普通に面白いエンターテインメント」の部類に入るあたりだと思います。

ちょっとこれは関係ないですけど、脇のエピソード、サブエピソードですけども。息子がついに赤ちゃんができたっていう時。「赤ちゃんが生まれた!」っていうところ。あれは原作にないんですけど、赤ちゃんの様子を見て、観客もね、「あっ!」って思うんですよね。本当にバーホーベンらしい、超いじわるなアレンジが加わっているので(笑)、これはぜひ映画館で見てみてください。非常に映画的とも言えます。セリフでは言ってませんから。あの後ろで、オマール(という主人公の息子の友人キャラクター)がこうやってずっと立っているのがおかしいですけどね、はい(笑)。

で、その犯人探しが進んでいく。ここは普通にミステリーとして、ある種の面白さ、普通の面白さが担保されているところなんですけど、もちろん勘のいい人は、特にある登場人物のある動き、ある「アクション」を見た時点で、「あっ、つまりこいつか?」っていうのが、途中である程度はわかると思うんですよね。ある「アクション」でね。これはもう、その動きをやった途端にバレちゃいますけども。この、登場人物のある動きから、「あっ、じゃあやっぱりこいつか?」って思わせる、匂わせるという、実に映画的な演出の仕方は、たとえば『氷の微笑』でも、大変に印象的に使われていましたよね。こうやって、エクスタシーに達した瞬間のアクションからの、バッ!っていう。実は今回の『エル ELLE』、過去のポール・バーホーベン作品ともちろんテーマ的にもいろんなところで通じるんですけど、特に僕は、『氷の微笑』と通じるところが大きい1本なんじゃないかな、という風に思っています。

『氷の微笑』という作品は、舞台がサンフランシスコで、そのサンフランシスコのいろんな場所の見せ方とか、あと、階段の使い方とか、あと、有名なあのね、シャロン・ストーンが足を組み替える場面の髪型、衣装、諸々を含めて、ヒッチコックの『めまい』に対する、一種批判的アンサーでもあるような作品だ、という風に僕は思っています。『めまい』も僕は素晴らしい作品だと思いますが、その批判的アンサーだという。つまり、僕の表現で言うと、『めまい』が“幻想としてしか愛されない女”と“幻想しか愛せない男”の病理的な関係を描いた作品であるのに対して、『氷の微笑』は……という風に、事程左様にどうせ幻想しか愛せない男どもの習性を逆手に取って、あえて男たちが見るような幻想を演じてみせることで、徹底してその男どもをコントロールし、実は決して男側の枠にははまらない女性という、そういう物語だったということだと思うんですよね。

で、今回の『エル ELLE』も、まず物語後半で……さっきも言ったように、実は後半で、犯人が結構早々とわかってしまうんです。ミステリーのネタを早々とバラしてしまう。問題はその先だ、というこの構成が、まずちょっと『めまい』的なんですよね。で、さっき言った「レイプ被害者らしからぬ」主人公の行動が、そこからどんどん加速していくわけですよね。要するに、単純な復讐譚では全くないことが明らかになっていくわけです。この、死の危険すら伴うなにか……情事であったりとか、「えっ、死ぬかもしれないのに!」っていう、これも『氷の微笑』的なバランスでもありますし。このあたりは本当に、見る人によっては、「不道徳! 不謹慎!」っていう風に感じてしまうかもしれません。でも、たとえばレイプ被害者だからといってですね、その後の人生においてですよ、性的な自己決定権を持っちゃいけないっていうことですか? 欲情しちゃいけないんですか? それはおかしいでしょう?っていう、これは鋭い問いかけにもなっていますし。

実際に彼女は、その「らしからぬ」振る舞いによって、つまり自らをいろんな型に押し込めるいろんな枠組み、それこそ「レイプ被害者らしさ」であったり、あるいは「不貞をはたらくお前はどうせエロい女だろ」という「らしさ」であったりとか、そういう枠組みを徹底して拒絶し、自分で選択して行動していくことによって、この事態に対して、終盤、彼女は完全にコントロール力を手にしていくわけです。逆に、レイプ犯などまさにその典型ですけど、特にセックスというものに対してある種の一方的な幻想を抱いている男たちは、彼女という完全に自立した他者を前にして、わけもわからないまま自滅していく。「なぜ、なぜ幻想に従ってくれないんだ? なぜ!?」っていうね。「なぜ?ってそれは……私は<他者>だからよ!」っていうことですよね。

なので、これは非常にポール・バーホーベンらしいお話になっていると言えると思います。特に終盤、レイプ犯との最後の対峙と、その決着の顛末は、原作小説と映画版、はっきりとニュアンス、意味合いが異なります。映画版は、イザベル・ユペールの存在感、そしてバーホーベンの哲学によって、より主人公の選択が確信的、主体的になっているというあたり……まあ、(そういう風に言葉で)説明をしているわけじゃないんですけど。ただ、ひとつここで勘違いしないでほしいのは、これは別に、「こうあるべき」とか「こうしなきゃいけない」って言っているわけじゃないんですよ。ましてその、「レイプ被害者はこう行動すべき」とか、「べき」で言っているわけじゃない。ただ、我々の事前のいろんな思い込みとか固定観念、偏見とかに対して、「こういう生き方、人間のあり方というのもありうるじゃないか?」「たとえ、いろんな理不尽な目にあっても、人間の尊厳を失わず、晴れやかに、再び人生を歩み出すような生き方というのもありうるじゃないか?」という、そういう物語なわけです。

映画オリジナルといえばですね、ラスト。犯人と近いところにいる、ある人物の発言がですね。「こいつ、ひょっとして知っていたのか……?」と思わせる。これね、宗教、わけてもカソリックに対するバーホーベンの考え方と考え合わせると、非常に、一見いい場面風に演出されているだけに、大変意地悪なバランスの場面ですね。そういったあたりも、非常にその主人公との対比で見ると、本当に味わい深いですし……というような。非常にやっぱり、バーホーベンは、本当に油断しないでほしいです。たとえば『トータル・リコール』のような、ザ・エンターテイメントみたいな映画でも、実はあなたが思っているような物語ではないんです。メタファーというか、含意(がそこには大きく含まれている)。で、ちゃんと見ていればわかる、ということになっている。

つまり、ものすごく進んだ、攻撃的な、いろんな鋭い問いかけをしながらも、驚くべきことに、それでもやっぱりちゃんと、「普通に面白い」エンターテインメントとしても機能しちゃっているんです。ここが大事なんですね。同じようなテーマを、たとえばミヒャエル・ハネケが扱うこともありうるでしょう。でも、「誰が見ても面白い」エンターテインメントにちゃんと仕立てられるのは、バーホーベンなんですよね、やっぱりね。

ということだと思います。あとね、これね、前作の『トリック』以降に始めたっていう、カメラ2台を近い位置に並べて、それを編集でカクッと、ポンポンと繋いでいく新しい見せ方とか、それに対する話とかもしたいんですけど、ちょっと時間がございません。

御年79才のポール・バーホーベン。こういうところでも勇気が出る! 歳は関係ねえよと。俺は「老害」という言葉が大嫌いなので、そういうくだらないことを言う前にぜひ、『エル ELLE』を劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は黒沢清監督作品『散歩する侵略者』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

++++++++++++++++++++++++++++++

◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!