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【映画評書き起こし】宇多丸、『22年目の告白 ─私が殺人犯です─』を語る!(2017.6.24放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーでございます。今週扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『22年目の告白 -私が殺人犯です-』

(BGMが流れる)

22年前に起こった連続殺人事件の犯人が、時効成立後にマスコミの前に突然姿を現して告白本を出版。世間を騒がせる中、事件を追い続けてきた刑事がその真相に迫っていくクライム・サスペンス。主演は藤原竜也、伊藤英明。監督は『SRサイタマノラッパー』、そしてメジャー作品でいうと、たとえば『ジョーカーゲーム』とか『日々ロック』などでおなじみ入江悠さんでございます。さあ、ということでこの作品を見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。

メールの量は、普通。あら、そうですか。普通ぐらいということで。まあ別に少なくもないという。賛否の比率はおよそ7割近くの人が褒める意見。「ストーリーも面白いしテンポもいい」「エンタメ映画として抜群にいい」「リメイク元である『殺人の告白』より出来がよい」「入江監督のメジャー路線では最高傑作では?」との声が多し。一方、「ストーリーに無理がある」「演技も音楽も過剰で乗れない」という声も否定派の中から上がっていたということでございます。

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「デイヴィッドのキャンプ」さん。「『22年目の告白 -私が殺人犯です-』、初日にTOHOシネマズ川崎で見てきました。私の感想から申し上げると、『邦画サスペンスとして本当に楽しかった。入江監督、ありがとう!』です。オープニングからスピード感のある演出でワクワク。特に阪神淡路大震災や首相2名の映像などを織り交ぜることで22年間という時間の長さと風化具合をナレーションや回りくどい説明などなしにしっかりと刻みつけてくれる演出に、映画館の暗闇で『そうそう。これこれ!』とうなずきながらダイエットコークをグイッと飲み干しました」。いいですね。この描写ね。で、いろいろと書いていただいて。ネタバレが危険な話なので。

「……登場人物全員の闇が屋敷全体を包み込んでいるような別荘のシーンでも……」。ああ、そうだ。俺、後で言う時間がない。後半、ある別荘っていうのが出てくるんだけど。よくあの建物っていうか、あのロケーション、あれすごいですよね。「……別荘のシーンでも、なぜあの事件が起こったのか? また、なぜあのような異常かつ厳密なルールを設けた殺人を繰り返したのか? を理解するにつれ、観客である私も一緒に苦く黒い泥水に口まで全身どっぷりと浸かってしまったような絶望感を感じ……」というね。ちょっとネタバレに触れつつというところでございます。

一方、ダメだったという方。「深夜高速」さん。「『22年目の告白 -私が殺人犯です-』、見てきました。正直な感想を述べますと、あんまり肌に合わなかったです。主演が藤原竜也さんですからある程度大仰な映画であることは覚悟していました」。まあ藤原さんはね、ガッ!っとされるというのはありますけどね。いい時と悪い時があると思いますけどね。「……しかし、出演者全員が藤原さんに引っ張られるように演技が大げさに。音楽にしても過剰。そもそも、ストーリーがどんでん返しの繰り返しですから化学調味料の入れすぎなぐらいの極端さが必要なのは、わからないでもないです。(話の極端さに対して演技の基準を合わせるのはわからないでもないけど)僕個人としてはもうちょっと落ち着いた方がよかったな」ということでございます。


さあ、ということでみなさん、メールありがとうございます。『22年目の告白 -私が殺人犯です-』、私もバルト9とTOHOシネマズ日本橋で2回、見てまいりました。どの回も結構きっちりと入っておりました。公開週から2週連続で一位ということで、普通にヒットしているようでございます。ということでですね、このような感じの、要はミステリー的な物語上の仕掛けを持つ作品。言うまでもなくネタバレは絶対にしちゃいけない。と、同時に、そのネタバレポイントこそが作品のキモでもあるということで、非常に……このコーナーみたいに、それなりに時間をかけて1本の映画を紹介するような場では、やりづらいことこの上ない(笑)というね。

実際のところ、この劇場で売っているパンフレットもですね、最初の4ページ目の右下にちっちゃく……結構小さいんですけど、「ネタバレ注意。次のページから物語の核心に触れております」って。あのね、これもっと大きく書いた方がいいですよ!っていうぐらいですね、迂闊にパッて開くと「ああっ!?」っていうことが書いてあったりするので。で、パンフの大半が要はネタバレありきの話で。そうしないと要は解説にならないからっていうことなんですけど。っていうぐらい、パンフでさえこんなに苦慮しているというくらい(笑)。で、実際のところ、アートワークとか宣伝の仕方も、実は周到に気を遣っているんですよね。なので、私もそこを台無しにはしたくないので、がんばってなんとか決定的かつ直接的なネタバレはしない範囲で、この作品の見どころをお話していきたいと。なんとか努力してみたいと思いますが。

とにかく、2012年の韓国映画『殺人の告白』という作品のリメイクなんですね。この『殺人の告白』、日本公開は2013年。この番組でガチャのカプセルに入れていたかは忘れましたけども、ガチャは当たっていないんだけど僕は当時、普通にこれ見に行きました。3月17日にやった『アシュラ』評の中でもちょっとね、『殺人の告白』の脚本家の方の名前(イ・ヨンジョン)をチラリと触れたと思いますが。ただ、今回の日本版リメイク……「リメイク」と言っていますけど、はっきり言ってこの元の『殺人の告白』とは、全く違う作品になっています。これは概ねいい意味でです。まあ、「時効を迎えた連続殺人の真犯人を名乗る男が告白本を出版して一大センセーションを巻き起こすが、さてその真意は?」というね、いちばん根幹になるプロット。あとはたとえば、かつて犯人を取り逃してしまった刑事とその当事者が、生放送のテレビ番組で直接対峙する、というクライマックスの舞台であるとかですね、とにかくそういう部分が同じなだけで、あとはほぼ、全くの別物になっていると言っていいと思いますね。

というのは、元の『殺人の告白』という映画は、実はそもそも、基本的にちょっとコメディ的なトーンが強い作品なんですね。実は、意外なことにというか。たとえば、犯人への復讐の機会をうかがっている遺族たちのグループっていうのがいるんですけど、これが割と凸凹チームというか、そんな感じで描かれていて。たとえば途中、犯人を名乗る男を拉致したりするくだりで、割としょうもないドタバタが繰り広げられたり、とかがあったりとか。あるいは、この『殺人の告白』という作品は、当時から中盤のカーチェイスがすごい評判だったんですね。車から車へと飛び移っていくような、次々と行くようなのが、結構延々と続く。そういった、車を使ったアクションシーンが非常に大きな見せ場になっている作品なんですが……それもどっちかって言うと、スラップスティックなテイストのアクションシーンということですね。

まあ、言っちゃえばたとえば『ローン・レンジャー』のクライマックスの列車アクションみたいな、バスター・キートン系譜っていうか……そういう感じの、どっちかって言うと荒唐無稽な楽しさ。車から車に、「うわっ、危なっ! うわっ、こんなこと、あり得ない!」っていうことがボンボンボンボンと起こる。そういう楽しさだったりするので。で、もちろんそのお話の根幹には、未解決の連続殺人という重たいことが横たわってもいるわけで。要はこの、「えっ、これって笑ってもいいんですか?」っていうような不謹慎バランスは、はっきり言って韓国のノワールとか、バイオレンス要素がある、まあブラック・コメディでもいいんだけど、そういう映画の魅力なんですね。『アシュラ』とかでもさ、笑っていいんだかなんだかっていうバイオレンスシーンみたいな。


なので、それははっきり言ってオリジナルはオリジナルで、あれはあれでいいんですけども……というね。ただ、それを日本映画に、あの感じをそのままトレースするのはぶっちゃけ、諸々制限があるし……たとえば、そのカーアクションシーンとかは技術的にも、日本の撮影条件的にもまあ、できないでしょうし、まあ、やるべきでもないであろう。要するに下手にそのままやろうとすると、もう目も当てられないひどいことになるのはわかる。僕みたいな素人でさえ、なんとなく「そうなるだろうな」っていうのが想像がつくぐぐらいということで。ということで、今回の日本版リメイクでは、さっき言った「時効を迎えた連続殺人の真犯人を名乗る男が告白本を出版。世間に一大センセーションを巻き起こす。そしてかつて事件を追っていた刑事とテレビ生放送で直接対峙する」という、その元の『殺人の告白』の面白さの、やっぱりここがいちばんのキモだなという、要はアイデアのフレッシュさ。

「よくこんな、荒唐無稽だけど、たしかにゼロとは言い切れない(ような面白い話を思いつくもんだ)」みたいな、フレッシュなアイデアの部分だけを作品のベースとして引き継いで。あとは、たとえば「でも日本だともう法が改正されちゃっているから、こんな死刑になる級の殺人にはもういま時効がなくなったから、このまんまだとこの話自体が成り立たないよな」っていうところから発想をむしろ発展させて。逆に日本版オリジナルの、さらにもうひとひねりある展開を付け加えていたりとか。「じゃあ、時効がギリギリ成立する年代っていつなんだ?」っていうところから逆算して、1995年っていう……まあ1995年は、日本人にとっていろいろと強烈な記憶を喚起させられる年ですよね。阪神淡路大震災、そしてオウムもありましたということで。

で、その95年から90年代後半にかけての酒鬼薔薇事件ね。まさにその、犯人が……ある重大殺人を犯したその当人が本を出版して、それがしかもあまつさえ結構売れてしまう、話題を呼んでしまうというのはまあ、2012年の韓国版の後に、2015年のこの日本で、現実になったことでもあるので。そういうリアリズムも含めて、95年という、我々にとって非常にある種生々しい鮮烈な記憶をかき立てられる年。その時代性、時代感までも作品の中に取り込んだ作りにしていたりとかですね。で、それに伴って、当然のように、さっき言ったそのオリジナル韓国版のちょっとコミカルな、ブラックコメディ寄りのトーンよりも、グッとリアルでシリアスなトーンに徹するように、大きく軌道修正していたりとかですね。

とにかく、日本でいま、『殺人の告白』のプロットを使って再映画化というのをする、意味とか必然っていうのを考え抜いた、ある意味外国映画のリメイクとしては結構理想的な作りになっていると思います。このあたり、まずは脚本。37稿……実質40稿以上ブラッシュアップを重ねたというこの脚本。平田研也さんという方、この方はロボットという会社所属の脚本家の方で、アカデミー短編アニメ賞。『つみきのいえ』で2008年、アカデミー賞をとっちゃいました。あれの脚本をやっていた平田さんと、ご存知、入江悠監督。この2人が共同で脚本して。この2人のまず脚本の粘りが、非常に効いているんじゃないかなという風に思います。

で、またまさにその、いま言った日本版オリジナルのアレンジ要素であるところの、1995年からの現在、2017年までの22年間のこの日本という、その時代感っていうのをですね、お話以上に、映像表現によって非常に雄弁に物語っているというあたりが、むしろその映像の感触とか手触りとして雄弁に物語っているあたりが、僕は個人的には今回の『22年目の告白』、見ていて最もスリリングだったところです。もちろん、お話も面白いんだけど、そういう映像表現っていうか、映像演出がすごく、僕はスリリングでした。

どういうことかっていうとですね。要は端的に言ってしまえば、時代やシチュエーションによって撮影フォーマットを今回、いちいち変えているんですね。たとえば、1995年のドラマパート。1995年にあったことをドラマ的に語っているパートは、16ミリフィルムで撮っていたり。あるいは、その真犯人が撮ったと思しき……まあ真相はもちろん終盤に明らかにされますが、序盤からいきなりその映像が、ド頭からガンガンガンガン!って出ますけども。真犯人が撮ったと思しき連続殺人の、まさに犯行の瞬間を記録した映像。これはHi8(ハイエイト)っていうソニーの家庭用ビデオ規格がありますけどね。それで撮っていたりとかっていうね。これ、撮影の今井孝博さんという人がいろんなフォーマットで撮っている。

で、そこからさらに、阪神淡路大震災の本当のニュース映像とか、あとは劇中の連続殺人を報じるニュース風映像。とにかく、テレビのブラウン管を通したような、現在の感覚で言う「昔の本当の映像感」……これ、わかります? 『プライベート・ライアン』でスピルバーグが、リアル感っていうのを表現する時に、記録映像風の映像にすることで、現在の我々の映像的リアルに訴えかけたようなその距離感で。要は、ちょっと昔のテレビの、ブラウン管を通したニュース風映像っていうのが、我々にとっての「いまのメディア的リアル」の感覚になっている、それを利用しているわけですけども。そういうのが挟み込まれていると。あるいは、2017年現在のドラマパートも、デジタルでワイド画面でという、普通のいま風の映画のルック以外にも、POVでね、カメラを通して捉えたショットとか、あるいは監視カメラ、テレビモニターなどなど、様々なカメラの目、いろんな種類のカメラの目を通した描写が挟み込まれていたりなんかして。

ということで、そうやって撮影フォーマットが変わるたびに、画面のサイズもポンポンポンポン変わっていくと。スタンダードサイズとかビスタサイズとか、シネスコだったりとか。いろいろとどんどんどんどん変わっていくと。こういう風に、異なるメディアとかフォーマットを横断して、言わば複眼的に猟奇的犯罪の諸相、いろんな面を現代的に切り取ってみせるという試みは、たとえば森田芳光監督の『模倣犯』。これ、2002年の、非常に意欲的だっただけに批判も多かった作品ですけど。あるいは、大林宣彦監督『理由』、2004年の作品あたりが、まあ先駆的な試みだったと思うんですよね。いろんなフォーマットで、複眼的に、猟奇的殺人を現代的な視点から切り取っていく、という試みは。


ただ、今回の『22年目の告白』は、その同じ試みを、大幅に洗練して、完成形に近い形に持っていった作品じゃないかなと思います。で、特にやっぱり鮮烈なのは、たとえばオープニング。さっきも言ったように、真犯人が撮影したと思しき凄惨な殺人シーン。首をこう、締めているわけですね。本当に見るに耐えないシーンなんですけど、それをHi8。当時の家庭用ビデオの画質。それで撮るという。要するに粒子が荒くて走査線が入っているような感じで。その、いまの感覚で言う「昔のリアルな映像感」、それが醸す……なんて言うんですかね? なんかその映像の感触。そしてその、本作のオープニングクレジット、たとえば「監督 入江悠」とかね、そういうオープニングクレジットも、その画質感のままで出てくるわけです。その、なんとも言えない不吉さ、禍々しさ、気持ち悪さ。

これ、言ってみれば、たとえて言うなら、こういうことですね。1990年代、レンタルビデオ屋の棚に並べられていた、VHSの、名も知らぬホラー作品を家に持って帰って再生してみた時の、なにか本当に触れてはいけない映像、ガチでヤバい映像を見てしまっている感じ。だから、今回その90年代風荒いビデオ映像のまんまで「監督 入江悠」って出るから、まさにその頃のそういうヤバい作品をいま見ている感じになるわけですよ。で、実際に、後に「Jホラー表現」として世界レベルに結実していくことになるその源流の作品群っていうのは、まさに僕がいま言ったその感じ、レンタルビデオ屋の棚に並んでいる無名のVHSのホラー作品を家で見て、「これは本当にヤバいんじゃないか?」って思った人たち、好事家たちによって、「発見」されていったものなわけですよ。

そういう歴史的経緯に関しては、この番組でも何度となく、Jホラーの歴史については、僕も映画評の中でもいろいろ言ったり、三宅隆太監督を呼んできていろいろとお話をうかがったりしていますが。まあ、改めて何か参照していただくなら、たとえば小中千昭さんの『恐怖の作法:ホラー映画の技術』という本なんかを参照していただければいいと思うんですが。とにかく、そのJホラー的なね、発見の源流というのは、そうやってVHSの棚に置かれていた禍々しい映像作品。その感じみたいなオープニングなんですよ。今回ね。なので、そう考えると本作『22年目の告白』の、映像的裏テーマとして……もちろんこの映画そのものはジャンル的に「ホラー」に分類されるような作品じゃないんですけども……やっぱり映像演出的には、Jホラーの歴史みたいなことがちょっとひとつ、通底しているんじゃないか? という風に僕はついつい深読みしたくなってしまいました。

たとえばそのオープニングのHi8、そのビデオ感モロ出しの映像……その後ね、22年の年月を表現するあのタイムラプス表現、すごく見事でしたけども……そのオープニングの、Hi8のビデオ感モロ出し映像。これは要は、オリジナルビデオ時代の、Jホラー表現の萌芽の瞬間。『本当にあった怖い話』、91年~92年の、『本当にあった怖い話』のオリジナルビデオ時代感。そこから1995年、ドラマパート。さっき言った16ミリフィルム映像。これはVシネっていう感じですね。Vシネの映像感。90年代16ミリといえば、Vシネな感じ。というか、まあJホラー史で言うとだいたい1996年『女優霊』の時代とか、そんぐらいの。いまの映像感覚からすると、やっぱりこの16ミリフィルムの荒い感じと、ちょっと湿っぽい質感が、また妙なおどろおどろしさというか、を感じさせたりとか。



で、そこからさらに現代パート。たとえば藤原竜也演じる曾根崎という、本を出版する男。これの会見。で、若い刑事がそれを見ていて、はっきり言ってとんでもない会見をしているわけですから、刑事が思わず怒ってテレビに怒りをぶつける。「バカヤローッ!」って、テレビを殴っちゃう。したら、画面にヒビが入る。そうすると、曾根崎の顔の部分だけヒビが入って。顔がよく見えない感じでヒビが入って。画面がガガガッ、ガガガッてちょっと荒れるあの感じとか。あるいは後半に出てくる殺人ビデオの瞬間。殺人ビデオの瞬間は、さっき言ったようにHi8のビデオモロ出し映像なんだけど、それをものすごいスローで見たり、静止させたりすることによって生じる、生々しさとはまた違った、なんかこう「死」そのものの映像化みたいな、そういう気持ち悪さ、禍々しさ。これは完全にJホラー表現の確立後……言っちゃえば『リング』以降の映像表現というかね、映像恐怖表現。これを踏まえているんだなという風に、うがった見方をしてしまいますし。

まあ、最終的にクライマックスはですね、いわゆるPOV。カメラクルーが撮影している素材映像ですよっていう。で、そのカメラマンの見た目ですよっていうPOVショットであるとか、あるいは監視カメラの映像などもミックスした、いわゆるフェイク・ドキュメンタリー要素っていうのがすごく前に出てくるわけですね。要はこれ、当番組にも出ていただきました、白石晃士監督作品に代表されるようなフェイク・ドキュメンタリー・ホラーの時代っていうのに、クライマックスは突入していくわけですよ。もう、こうやって並べるだけで、映像表現がJホラー史の進化の歴史になっているという感じだと思うんですよね。フェイク・ドキュメンタリーの時代に映像的主軸がシフトしていく。

で、入江悠監督もこれ、おそらく意図的なんじゃないかな? 俺のただの深読みじゃないんじゃないかな? という証拠に、ここでのカメラマン役を演じているのが、白石晃士作品でおなじみ、常連役者である宇野祥平さんを、わざわざカメラマンにキャスティングしているということで。これは確信犯だと思うんですよね。はい。ということで、繰り返しますがこの『22年目の告白』という作品そのものは、決してジャンル的に「ホラー」、まして「Jホラー」に分類されるような作品では、ござません。これは何度も言っておきますよ。ただね、たとえばその終盤。まだ何も特別なことは起こっていないのに、そのPOV、監視カメラ、そういうフェイク・ドキュメンタリーな映像がすでに醸し出す嫌な空気……みたいなことを含めて、とにかく作品全体に張り付いた、不吉な禍々しい感触っていうのは、やっぱりJホラー史の発展を、映像メディア。その扱い方の変遷としてなぞるという映像演出的な裏テーマがあってこそ(なのではないか)。なにか、具体的には何も起こってなくても、嫌な感じがする。

非常に禍々しい、この世にある、いわゆる「闇」っていうと簡単ですけども……本当に闇、見ちゃいけない、触れちゃいけない、人間の世界にある「闇」な感じがするという。それにやっぱりこれ(本作独特の映像演出)は、いい効果をあげているんじゃないかなという風に思うわけですね。あと、これは入江さんもインタビューなどで公言されているので言っていいかとは思いますけども、鏡面。なにかが鏡的なところに映る面を使った演出。これが多用されていたりとか……あるいはタイトルが出る時の、「22」という数字がどう出るか? とかですね。まあ、殺人者がその殺人の仕方で決めているルール、とかも考え合わせると、ちゃんと終盤に向けたあるツイスト、終盤のひねりに向けたフリが、もう頭から始まっているというあたりもね、非常に巧みじゃないでしょうかね。

このへんももう、完全に日本版オリジナルの演出なんで。やっぱり僕ははっきり言って、その映画演出としてはちょっと、元のオリジナル(『殺人の告白』)よりも一枚上手じゃないかなと。派手な手こそ打っていないけど、一枚上手じゃないかなという風に思いますね。さあ、もうこっから先はネタバレの要素しかないので(笑)、ざっくり言わせてください。藤原竜也さんね、ゲス犯罪者役の極みはやっぱり『藁の楯』というね、このムービーウォッチメンでもやりました。いろいろ言う人は多いですけど、僕はすごく大好きな作品なんですけど。これ、今回同じ北島さんという日本テレビのプロデューサー。この方、『ちはやふる』も手がけているので、結構日本テレビの映画部の注目プロデューサーかもしれませんけども。まあ、『藁の楯』も手がけられている方がやっているんですけども、藤原竜也さんはちょっと、『藁の楯』を彷彿とさせるようなゲス犯罪者みたいな感じで登場するけど、まさに今回は、上手くその見え方を活かしたキャスティングというね。もうここがすでに……ここから先はもう言えませんという(笑)。

伊藤英明さんもいいですし、あとやっぱりもう1人(のメインキャスト)に関してはもう、はっきり言って勘のいい人なら出てきた時点で「うーん……」っていうね(笑)。重みがあるキャストがあってですね。まあ、ここはアートワークにも載っていないし、宣伝もそこを押していないんで、ここでは触れないでおきますが、彼も見事でした。「こんな役もできるんだ!」という感じでしたね。クライマックス、僕は、クライマックスはいくらでもウェットに流れてもおかしくない場面、それこそ、藤原竜也さんが泣きながら叫ぶみたいな演出になってもおかしくないところを、きっちりと寸止めしていたと思います、僕は。偉いなという風に思います。もちろん、突っ込みどころ……こんだけ、はっきり言って元の『殺人の告白』がもうアクロバティックな設定から始まっているので、はっきり言って突っ込みどころはありますよ。

ネタバレにならないように言いますけど……「あいつら、訴えられるだろ? 普通に訴訟だよな」とかさ(笑)。あと、「この人にはせめてちゃんと事前に言っておけよ! 何の問題もないだろう?」とか(笑)。あと、ラストがなんかちょっと取ってつけたような感は否めないかな、とかね。いろいろ言いたいことがないわけではないですが、まあ日本映画の社会派ミステリー、あるいは日本映画におけるサイコサスペンスとして、要はちょっと重めな社会派エンターテイメントとして、僕は申し分がない出来だと思います。入江悠監督、今回は本当に、振られた企画に対して誠実に、やれることをやりきったという、職人監督に徹した作品とも言えます。まあ、はっきり言って無茶な題材なんで。元の『殺人の告白』自体、かなり無茶な題材を、よくここまで持っていったというね。非常に職人技の上限を見せていただいた感じですし。

ただ一方で、入江悠さんのメインテーマであるという風に僕、前作『太陽』評の中で言いました。要は、「オラこんな村いやだ」としての日本論、っていう部分がですね。最終的にやっぱり、世界の暴力、世界的基準の闇っていうのがパッと視野に入ってきて……っていうところで、やっぱりやおらそのテーマがフッと浮上するあたり。やっぱり入江悠さん的な作品にもなっているなと。そう考えるとラスト、「取ってつけたような」って言いましたけど、日本を旅立つというラストも、その(オラこんな村いやだ的な)磁場から逃げるという意味では、まあ入江悠作品的には筋は通っているのかな、という風に思ったりなんかいたしました。

間違いなく入江悠監督、メジャー監督としての風格をようやく……「ようやく」って失礼ですね(笑)。まあでもようやく、文句なしの一発が出たなという風に思います。いやー、面白かった! ネタバレできないから、さっさとみんな行って!(笑) ぜひ劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ハクソー・リッジ』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下、ガチャ回しパート 起こし>

『22年目の告白』、最後にちょっと若干苦言として言った突っ込みポイントで、「あいつら、訴えられるだろう?」っていうくだりは、ちょっとした描写のフォローで全然、そこが気にならない作りにできたはずだなとも思うので。そのあたりは入江さんに今度会った時にでも言っておきまーす。
◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!