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宇多丸、映画『マジカル・ガール』を語る! by「週刊映画時評ムービーウォッチメン」2016年3月19日放送

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

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「映画館では、今も新作映画が公開されている。
一体、誰が映画を見張るのか?
一体、誰が映画をウォッチするのか?
映画ウォッチ超人、シネマンディアス宇多丸がいま立ち上がる――
その名も、“週刊映画時評ムービーウォッチメン”!」

毎週土曜日、夜10時から2時間の生放送でお送りしている
TBSラジオ AM954+ FM90.5
『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』。

その中の名物コーナー、ライムスター宇多丸による渾身の映画評
「週刊映画時評ムービーウォッチメン」(毎週22:25〜)
の文字起こしをこちらに掲載しています。

今回紹介する映画は『マジカル・ガール』(日本公開2016年3月12日)です。

Text by みやーん(文字起こし職人)

▼ポッドキャストもお聞きいただけます。


宇多丸:
今夜、扱う映画は先週、ムービーガチャマシンを回して決まったこの映画。『マジカル・ガール』

(BGM:長山洋子『春はSA-RA SA-RA』が流れる)

何かな? と思った人はね、映画のことをご存知でない方はびっくりしたと思いますが。長山洋子さんのデビュー曲『春はSA-RA SA-RA』という曲が劇中で、非常に印象的に使われているということでございます。白血病で余命わずかな娘のため、彼女が好きな日本の魔法少女のコスチュームを手に入れようと、父ルイスが奔走。その過程で心に闇を抱える女性バルバラと、訳ありの元教師ダミアンを巻き込み、事態は思わぬ方向へと向かっていく……。スペインの新鋭監督カルロス・ベルムトの劇場長編デビュー作。長編としては二作目だけど、劇場公開はこれが初めてということでございます。

ということで『マジカル・ガール』、この映画をもう見たよ! というリスナーのみなさんからね、監視報告、メールなどでいただいております。メールの量はちょい少なめ。まあ、劇場公開がね、東京で二軒ぐらいしかやっていないんで。多くないんですけども、非常に評判は高い作品なので、賛否で言うと、賛がおよそ9割。残りも、「思っていた映画とは違った」といったもので、完全に否定的な意見はひとつもなかった。「先が全く読めないストーリーで驚いた」「省略と、あえてボカすような表現がとても上手い」などなど、とにかく感心したという意見が多かった。また、ラストの解釈については意見が分かれる様子でしたね。

(中略~メールの感想読み上げ)

……はい、ということで『マジカル・ガール』、みなさんメールありがとうございます! 私もヒューマントラストシネマ有楽町などで――結構前にちょっと見ていたんで――計3回も見てます。昨日なんか特にもう、有楽町。ほぼ満席でしたね。ところどころ笑いも漏れるような、非常にホットな雰囲気の劇場でございました。先ほどのメールにもありますけど、この作品についてね、「先の読めなさ」っていうのが僕はですね、映画における面白さとか価値の中で、先が読めないっていうのが絶対的に大事なものとは、全く思っていないんですが。

それでもやっぱり、本当によく出来た先の読めない話っていうのはまあ、楽しいのはたしかだなということで。とにかく本当に、もう、もう……これ以上は言いたくないぐらいです。ストーリーの先が読めないという点では、近年、僕がいろいろ見た映画の中でも、間違いなくトップクラスですね。それだけに、正直、もうここで止めたいです。はい。長山洋子がかかることさえも、本当はあまり言いたくなかったぐらいのね。そんぐらい白紙で行った方がいいんじゃないですかね? びっくりしていただいた方がいいと思います。できるだけ、ネタバレはしないようにしますがね。今日はね。

予備知識を入れなければね、本当に最初のうちは映画としてのジャンルというか、どういう方向の作品か? というのさえ、よくわかんないはずですよね。それこそ、余命いくばくもないと思われる娘のために、お父さんががんばるハートウォーミング・ストーリーかな?って思いはじめても、全然おかしくない始まりなわけですからね。ただ、それがまあだんだんとお話のパズルのピースがはまっていくに従ってですね――ここはもう、宣伝とかでも出ちゃっている言葉なので言ってしまうけど――「ああ、実は割とはっきり、映画ジャンルとしての<フィルム・ノワール>なんだ」って。まあ、犯罪映画で。

特に、思いっきり「ファム・ファタール」(運命の女・魔性の女)が出てきて、それに、特に男が運命を狂わされていくというフィルム・ノワールの定石的な展開があるわけなんですけども。「あ、フィルム・ノワールなんだ。思いっきり、ファム・ファタールものなんだ」っていうことが最終的には、はっきりしていくんですけれど……ということだと思います。言ってみればですね、先ほど出てくるバルバラっていう女性キャラクター、石井隆作品で言えば「名美」であり、そしてダミアンはじゃあ、「村木」かな? みたいなね。まあ、そんな感じでわりとファム・ファタールものとしてはわかりやすい構図があったりするんですが……。

『マジカル・ガール』という映画はですね、これもみなさん、メールで書かれている通りです。全体がですね、たとえば非常に余白が多い。要するに、敢えて具体的な説明をしないストーリー運び。ストーリーの語り方とかもそうですし。あるいは、画面の構成の仕方。何を見せて、何を見せないのか? というのがすごく周到に計算された画面の構成の仕方に至るまで、お話部分も明かさない部分が多いし。カメラも、「敢えてそっちには今、向けません」みたいなのが多い。あと、「ここは敢えて顔は切っています」みたいなのがあるんですけども。

要するに、肝心な部分を敢えて見せない、語らない。非常に大胆かつ精密な省略話法・語り口というのが特徴でもあると。まあ、でもこれ、すごく俗っぽい評価の仕方をすればですね、ヨーロッパのアート系映画祭受けしそうなタッチっていうか。感じだと思いますけどね。まあ、いろんなそういう映画の作り、あるんですけども。近年で言えば、僕が連想したのはですね、同じくスペイン語圏っていうこともあるんだけど、2013年のメキシコ映画で、同じように父と娘の関係性を軸に、非常に静謐なタッチなんだけど、実は超バイオレントな世界っていうのを絶妙な省略とか、絶妙な「見せなさ」で描いた『父の秘密』っていう映画がありましたけどね。あれあたり、非常に通じるものがあるなという風に思いましたが。

まあ、今回の『マジカル・ガール』という映画の場合ですね、そのばっさり省略された部分に浮かび上がってくるもの。要は、観客が想像してしまうものですね。が、ですね、とてつもなく禍々しいというかですね、ちょっと常人の理解を超えたおどろおどろしい変態性っていうのを強烈に感じさせる。ここが、この『マジカル・ガール』という作品のキモだと思う。「変態的」っていうことですね。もちろん、直接的には映されていない、語られていないにもかかわらず、最終的にはものすごいバイオレントなものを見たという印象が残るという風になっている。

このあたりですね、超日本通だというこの監督、脚本カルロス・ベルムトさんが好きだという江戸川乱歩的っていうかね。おどろおどろしさ。超変態性みたいな。劇中でもですね、ラストに『黒蜥蜴』っていうね、映画化を何度かされていると思うけど、美輪明宏さん版の『黒蜥蜴』の主題歌のカバーバージョンが流れるわけですね。『黒蜥蜴』の歌の歌詞が完全にファム・ファタール宣言みたいな歌詞なんですけど。まあ、最後に高らかにファム・ファタールものです!ってうたうような『黒蜥蜴』のテーマが流れたりするわけですけど。

あと、あれだね。途中で検索サイトが「RAMPO!」っていう検索サイトだったりしましたけどね。まあ、そんな感じですかね。とにかくですね、ストーリー運びもそうですし、登場人物たちの行動原理も、すべては説明され尽くさない。たとえば、全体が3つのパートに分かれている。これ、「カトリックの教え上、魂の3つの敵とされている」という監督の説明なんですけども、「世界」「悪魔」「肉(肉欲)」。この3パートに分かれていて。で、一応パートごとにメインで感情移入させるような主人公的な登場人物。それが移りかわっていくというような構成なんだけど。

でも、その登場人物。一応途中まで感情移入できるように見えているんだけど、それぞれ内側に抑えこんでいた闇にだんだん飲み込まれていって。ついには観客の理解を超えた領域に入っていってしまう。まあ、大きく言ってフィルム・ノワールの主人公はいつもそういうものだとも言えるんだけど。とにかく、万人にオートマチックに、いわゆる<共感>されるようなわかりやすい主人公みたいなのが出てくる話じゃないわけですよ。なので、映画の評価基準に<共感>をかならず置くような人は、正直、お呼びじゃない可能性がありますけどね。はい。

でも、それでいてですね、ちょっと誤解してほしくないのは、この『マジカル・ガール』という映画、決してね、いわゆる難解な映画というわけじゃないです。もちろん、余白が多いし、想像するところもありますし、ラストの解釈が分かれるというのもあるけども。話が難しい映画では、全くないです。むしろさっき言った、先の読めない展開に頭をグラングランさせるような感覚っていう意味では、むしろ、僕は面白さっていう意味ではわかりやすい作品だと。その面白さの先に作品が示そうとしているものには深みがあるとしても、面白さそのものは決して難解ではないと思うという。

話そのものとしては、それこそ先週の『マネー・ショート』とか、あと『スティーブ・ジョブズ』とかより、ぜんぜんわかりやすい映画だと思うんですけどね。で、先程から言っているように、フィルム・ノワール。特にファム・ファタールものとしては、最終的にド直球と言ってもいいぐらいかな? という風に思いますし。あと、魔法少女もの。マジカル・ガールは魔法少女なわけですよね。日本の魔法少女アニメに憧れる少女が……というあたり。

Yahoo!レビューで「魔法少女もの要素を期待して見ていたら裏切られた!」みたいな。あの……申し訳ないけど、自分のリテラシーの低さをここまで堂々と作品のせいにできるのはすごいな!って感心するようなレビューとかあったりするんだけど。いやいや、でも、魔法少女ものとして見ても、結構……つまり、監督がですね、今回の『マジカル・ガール』を作るにあたって影響を受けたという、みなさんご存知、『魔法少女まどか☆マギカ』。この番組でも『劇場版[新編]叛逆の物語』。2013年11月9日に取り上げましたけども。

『まどマギ』。はっきりこれ、『まどマギ』的ですよ。なんなら! なんならもう、『まどマギ』の実写版! いや、それは言いすぎだけど……要は、少女の無垢な願いっていうのが反作用としてこの世の邪悪が詰まったパンドラの箱を開けてしまうっていう話だし。魔法少女の成長した姿としての魔女っていうのが出てきて……みたいなこととかね。で、その願いが叶った報い、因果っていうのが返ってきてしまうって。えっ、『まどマギ』じゃん? 完全に『まどマギ』じゃん? 濁ったソウルジェムの話ですよ、だから。

だから、『まどマギ』の実写映画化と言っても過言では……過言ではある(笑)。けど、まあ全然『まどマギ』的な、テーマ的にも一貫性があるなという風に思ったりもします。ということでですね、はっきり言って僕はやっぱりこの作品に関して、あんまりネタバレとかもしたくないし。場面のそういう話とか、あんまりできないので。こっから先は、「後々に見ながらパズルがはまっていく時に、ここを気をつけて見ておくと、より味わいが深いよ」という、映画上のディテールの話をいくつかしていこうかと思っております。

たとえばですね、先ほどから「パズルのピース、パズルのピース」って言っていますが、この映画、実際にジグソーパズルが小道具として出てくるんですね。劇中、非常に象徴的な使われ方をするジグソーパズル。ダミアンという……この「ダミアン」っていう名前がまた象徴的だったりしますよね。「悪魔の子なのか?」みたいなことですけどね。まあ、登場人物みんなそうではあるんだけど、要は訳ありなわけですね。訳ありの老人です。この方、ダミアンがですね、何とか人間的理性を、そしてその人生を組み直そうとするその象徴としてジグソーパズルはあるわけです。

どうやら、少女時代のバルバラという女性と何かがあって、決定的に人生が……まあ重大な罪。長い間刑務所に入るような罪を犯した。まあ、殺人以上の何かでしょうね。で、それを立て直す。で、理性を取り戻すための、医者から渡された、人間社会とつなぐ綱としての、象徴としてのジグソーパズル。ところが、組み上げていくんだけど、最後の1ピースがどうしても見つからないというのが、先ほどね、3パートに分かれているという3パート目。ダミアンがほぼ実質主役となる「肉欲」というパートになって出てくるんですけど。

この最後の1ピース、どこに行ったんだ?ってダミアンは探しているわけですけど。映画を注意深く見ている人ならですね、そのパズルの1ピースと思われるもの。実は序盤中の序盤で、本当にものすごーくさり気ない形で一瞬出てきますよということですね。で、この映画は全体にそうなんですけど、重要な、その後の伏線になるような、あとでそのパズルの1個がここに……あっ、あのピースがはまるんだ! みたいなものがフッと示すんだけど、その直後に、少なくともその場ではお話上もっと印象の強いことが間髪を入れず始まるので。伏線として、要するにわざとらしくないというか、印象に残りすぎないというテクが全編に出てくるという。こういう意味でね、非常に油断ならないんですよね。

登場人物のそういうちょっとした仕草1個1個に全部、実は意味があったりするっていうことなんですよね。序盤、そのパズルのピース。出てくるところ、つまり、とにかくそのパズルの1ピースが序盤ですよ。どこに落ちていたのか?っていうのを考えるとですね、後からですよ。見ている時はわかんない。その場所が何を意味するのか。その直後に非常に印象的なね、宝石屋さんというところで、店員との視線のやり取り。まあ、示すものは非常に明らかな場面が起こるんだけど。

後から考えると、そういうことは、あそこは……ということなんですよね。で、なぜ、そのパズルの1ピースがそこにあるかは、わかんないんですよ。わかんないんだけど、要はこういうことですよね。同時にダミアンはジグソーパズルをこうやって積み上げて。過去、少女時代のバルバラとあった過去と断ち切ろうと。人間的な理性を取り戻そうとしていたんだけど。そもそもファム・ファタール、バルバラからは逃げられなかった! ということですよね。

で、しかもそう考えるとですね、冒頭に、あるセリフが流れるわけです。これは昔、教師だった頃のダミアンが、しかも初めて運命の女である少女時代のバルバラと出会う瞬間のセリフ。こんなことを言うわけですね。「2+2=4だ。それはどんなことがあろうと、2+2=4なんだ。完全な真実は絶対に変わらないものなんだ。何があろうと、見方を変えようが何をしようが変わらないんだ」っていう。つまり、まさに……しかも彼はまさにこの言葉を発した瞬間、バルバラと出会い、人生が狂ってしまう。もしくは、狂ったと言うべきか、この映画の結末に至るように運命がまさに完全な真実であるかのごとく、運命付けられてしまったってことじゃないですか。

だから、そのパズルの1ピースっていうのが序盤でどこにあったのか?っていうのを思い出すと、「うわ~……こわーい!」っていう風に、後からなったりするっていう仕掛けになっているということですね。あとですね、バルバラさん。ファム・ファタール的なって言うけど、最初は別にどういう人か、わかんないわけですよ。「全然、普通の暮らしをしている人なのかな? 美人だな」なんて思って見ているわけですね。で、後からどんどん、実はかなりエグかったっぽい過去が……「エグかったっぽい」程度なんですよ。そんな、明らかになんない。何があったか? なんてわかんないんですよ。

エグかったっぽい過去が明らかになっていくバルバラさんっていう女性がいる。非常に美人の。でも、その普通っぽい暮らしをしている時点の描写っていうのも注意して見ていると、これはなかなかに味わい深いと。まあ、第二部「悪魔」っていうパートがあるんですけども。そこでバルバラさんが事実上の主人公として進んでいくんだけど。まあ、旦那は精神科医で、非常に裕福な暮らしをしている。結構なことじゃないですか。で、旦那のことは大好きっていうことらしい。で、まさに旦那への愛ゆえに、いろんなことを重ねていくっていう話でもあるんだけど……。

だけども、この2人、そもそもバルバラさんは精神のバランスを崩しやすい方であるらしいっていうのが会話の中から浮き上がってくるわけで。たぶんだけど、この2人、最初は患者と医者だったんだろうなと。精神科医と、それにかかっている患者だったんだろうなという風に思わせるわけなんだけど。この2人の関係性がもう出てきた途端に、ちょっといびつな、非対称な関係というか。非常にいびつな関係だなっていうのが、もうパッと出てきた瞬間に。たとえばですね、旦那の靴をひざまずいて結んであげている。それ自体が超異常っていうわけではないんだけど。ひざまずいていると。

で、まあ会話を交わす。でも、その会話の途中で旦那がせっかく美人の奥さんの顔をグッと掴んで……まあ、ちょっと顔でね、ブーみたいな顔を作って遊ぶことってあると思うんだけど。なんか、それとは違う、ある種のなんて言うか、顔をいじりだしてですね。で、「お前はバカだよな。バカなんだよな」みたいな。完全に支配関係にあるようなものをやると。で、その後ですね、彼はやおら立ち上がって薬と水を取ってくるんだけど。ここでもう、奥さんは完全にひざまずき、かしずいた状態で。旦那は顔も見えない。カットの中で、見えない中で、まるで餌を与えるように薬を半強制的に飲ませるというくだり。

あるいは、その後、もう1回薬を飲ませるくだりで、今度は指を口の中に突っ込んでチェックみたいな、その仕草。1個1個の仕草であるとか構図。それが一々、この一見裕福で、愛し合っていますよという夫婦に漂っている、言っちゃえばSM的な主従関係。非常に不健全な匂いっていうのを、さり気なく、嫌な感じで漂わせていると。故に、その後ですね、ある理由からお金を稼がなきゃいけないっていうので、はまり込んで。まあ、帰っていってしまう世界。彼女が元いたのであろう世界というのが、全然この段階で引きずってるんじゃん! と。

彼女、全然そのままの暮らしじゃない!?っていうのが、実は後から考えるとそれが浮かび上がってくるとかですね。あと、個人的によく考えると味わい深いなと思っているのが、最初の方でですね、魔法少女アニメに憧れる余命いくばくもないっぽい娘のアリシアという少女がですね、お父さんのルイス。このルイスっていうのは、ルイス・キャロルから取っているわけですから。アリシアもきっと、アリスなんでしょう。で、「なんでも願いが叶えられるなら、お父さん、何になりたい?」って言って、お父さん側は「透明になる。人から触られなくなる」。で、娘側は「私は誰にでもなれる。その能力を身につけたい」って言うんだけど。

「透明になる」「触られなくなる」。そして、「誰にでもなれる」。これ、両方とも、我々映画の観客の視点の話ですよね。これね。だからこそ、このところこのコーナーでよくしてますけども。「『見る/見られる』っていう関係の逆転こそ、映画というメディアの特性上、いちばんドキッとする瞬間だ」なんて話を最近、ちょいちょいしますけども。冒頭シーンと緩やかな円環構造をなすラスト場面でですね、まあバルバラが、もう目しか見えないぐらいの状態なんですけども。なにを思い、目に涙をためているのか? 我々観客は、そのバルバラの心境に思いを馳せるわけです。

つまりこれは、誰にでもなれる能力なわけですね。で、一方でその表情をずっと見つめて瞳孔を見て……つまり、透明な存在として見ているわけですよ。誰にでもなれて、透明にもなれる存在がずーっと彼女の表情を追っていると、虚を突くように最後の瞬間……「見るな! こっち見るな! ドキーッ!」っていう、あれが待っている。で、「こっち見るな!」っていうその気持ちは同時に、その直前のシーンでダミアンが言うセリフでもありますよね。「こっちを見るな!」。つまり、自分の罪とか、何なら欲望まで見透かすような少女の視線に「見るな!」と思わず言ってしまう老人ダミアンのうろたえの、我々の気持ちは再現なわけですよ。

つまりラスト、ラスト、ここに至って魔女であるバルバラと魔法少女であるアリシアがイコールで繋がる。見る側の存在。そして、見られる側で「やめろ! 呪いをかけるな!」っていうダミアンと我々観客の関係が、まさに「2+2=4」っていうごとく、完全な真実としてこのラストで固定されてしまうような感じがするから、「やめて! 怖いからやめて! 見ないで! 見ないで!」っていう感じがするというね。そう考えると、ねえ。そもそもじゃあ、アリシアの願いっていうのは無垢と言っていいようなものだったのだろうか? とか、いろんなことを考え出しちゃったりすると。

その訳あり老人ダミアンがフラメンコ曲。日本で言えばド演歌みたいなことでしょう。『炎の少女』をバックに戦闘モードでキメるダミアンが笑っちゃうかっこよさ。ちなみにその前に銃を調達してくれるムショ仲間に会いに行くんだけど。ペポさん。あいつの体型とか、ハンパねえ! みたいなね。体型一発でもすごく味わい深かったりするんだけど。なんだけど、とにかくその訳あり老人のダミアンが最終的に、本当にキレる理由。なんで彼は、最後の最後で本当にキレたのか? これも想像すると味わい深い。

ちなみにこのキレる瞬間。キレられる側の視点しか見せない。このあたりも、この映画の視点の面白さですけど。たぶんね、僕が想像するにダミアンは、「そんなことはわかっている。わかっているけど……わかるわけにはいかんのだ!(ドンッ!)」ってことだと思うんですよね。島本和彦『無謀キャプテン』から名ゼリフを引用させていただきましたけどね。

あるいはね、バルバラが自らの魔を起動させる。意識的に起動するかのように鏡をこう……向こうの世界にガリッ! と入ろうとするようなあの感じとかですね。とにかくですね、一々そういうディテールに仕込まれた余白の部分。それこそ、蜥蜴部屋のプレイって実際どんなん?って。ねえ。1日こっきり、挿入なし、たぶん200万以上ぐらいって、どんなプレイ!? みたいな。想像するだけでとっても楽しい映画です。はっきり言って。脚本、監督カルロス・ベルムトさん。元はコミックアーティストとして成功していたという方ですけど。これが長編二作目。前の『ダイヤモンド・フラッシュ』っていうのはネットでも見れる、オンライン配給みたいですけど。

こっちもノワールです。で、これが劇場デビュー。非常に腕があるし、発想がとにかく独創的で。これからも間違いなく面白いのをいっぱい撮る人だろうという風に思います。あと、あんまりいまのスペイン映画界、詳しいわけじゃないけど。もう撮影から編集から、とっても隅々までレベルが高い作品でございます。超クールなタッチなのに、後味は超キモい。非常にナイスノワール。ノワールの最新傑作としてですね、僕は文句なく、面白かったです。ぜひぜひ、劇場で楽しんでいただきたいと思います!

(中略~来週の課題映画は『ヘイトフル・エイト』に決定)

以上、誰が映画を見張るのか?週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした!

 

(翌週での補足:「いまだに『マジカル・ガール』の描かれていない余白について、いろいろ想像を巡らし続けた結果、ひとつ、思いついたことがある。どうしても言いたい!
あのバルバラっていう、ファム・ファタール的な立場に当たるバルバラの過去って映画では描かれないんだけど。たとえばバルバラがハイティーンの頃、どうだったのか?
ちょうど映画で言うと、日本映画ですけど、塩田明彦監督の『害虫』で宮崎あおいさんが演じるサチ子。あれ、ちょうどバルバラがハイティーンだったらこんな感じじゃね?って。しかも、田辺誠一演じる教師と、過去に何かがあったらしいっていう空白のあり方もかぶるし。っていうことで、『害虫』を『マジカル・ガール』のバルバラのハイティーン版として見る、なんていう見方をしても面白いな、なんてことを1週間ずっと考え続けたりもしています」)