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【映画評書き起こし】宇多丸、『パッセンジャー』を語る!(2017.4.1放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

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宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーでございます。西原商会さんに続き、新しく提供についてくれた西日本コンピュータさん、本当にどうもありがとうございます。ということで、今週扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『パッセンジャー』

(BGM:曲が流れる)

巨大宇宙船で120年もの旅を続ける乗客たちの中、なぜか冷凍睡眠から目覚めてしまった2人の男女。やがて恋に落ちるが、彼らが目覚めた理由と宇宙船に迫る危機を前にして、2人の命運は意外な方向へと進み始める。監督は『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』ではじめて英語圏映画デビューの、ノルウェーの監督さんですね。モルテン・ティルドゥムさん。そして主演はクリス・プラットとジェニファー・ローレンスということでございます。

ということで、もう『パッセンジャー』を見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、普通。ああ、そうですか。公開規模は結構ね、大きい話題作だと思ったんですけどね。メールの量は普通ということでございます。そしてリスナーの感想は、賛否両論。これはね、わかる気もしますね。賛否は分かれる映画でしょうね。褒める意見が全体の半分ぐらい。対して4割ほど否定的な意見があり、評価はかなり割れている。それもかなり納得の内容ということじゃないでしょうかね。

「思っていた内容と違ったが、意外と考えさせられる内容だった」「ヒロインが選んだ結末に感動」「クリス・プラットがうらやましい」などの褒める意見がある一方、「主人公の行動が許せず、最後まで応援できなかった」「前半までは楽しめたが結末にがっかり」という批判意見も多かったということでございます。これ、ネタバレをね、僕の評の中でもできるだけしないようにしていくんで。ちょっとメールもそこを巧妙に、上手く……うっかりね、前みたいに「藤原紀香!」とか言っちゃわないようにね、気をつけないといけない。

代表的なところ。ラジオネーム「いそっち」さんからのメール。「本作は男女2人が90年早くコールドスリープから目覚めてしまう話で、先に目覚めた男の視点で物語が進行します。逆に、後に目覚めた女の視点の話だったらミステリー要素が加わりもっと面白かったんじゃないかとも思ってしまいましたが、それは中盤まで見て間違いだと気づきました。やっぱりこれは最初に目覚めた男の視点で最後まで物語が進むからこそ、彼の成長に観客が感情移入でき、また人生の意味を知ることができる構成なんだなと思いました」と。で、ちょっとネタバレなのでね。この構成の見事さなどを指摘していただきつつ……。

「……現実の恋愛や結婚同様、いろいろとやってしまうのは同じなのではないか? 実人生と同じなのではないか? 寓話と呼ぶには直接的ではありますが、結構グッと来る教訓がもりもり入っているなと思いました」という。すいませんね。具体的な……今日、具体的なところを伏せまくって話さなきゃならないんで。すいませんね。ちょっとわかりづらいところあるかもしれませんけども。

あと、ダメだったという方。メールでいただきました。「前半95点、後半40点といった感じでした。はじめは宇宙船で1人ぼっち with 対話型アンドロイドという設定の妙から生まれる重い思考実験の連続で、極めて人間臭い倫理的ジレンマやヒリヒリ感がとても気持ちよかったです。衣装デザインも素晴らしく、映像としても楽しめました」。そうですね。衣装もよかったですね。あれね。

「……ただ、後半はエンタメ方向に話を振ってしまっていたのが残念でした。この作品の設定ならではの究極の選択も生まれますが、そこまでの道のりが雑かつ陳腐で見ていて一気に冷めてしまいました。もっと静かにジリジリと2人の心理を追い詰めていく手法もあったのではないでしょうか。最後の着地も安易で好きになれません。前半は性格の悪い人向けなのに、後半は性格が良い人向けになっているようなチグハグ感を受けました」というね。あと、宣伝の仕方はちょっとミスリードしているんじゃないか? というご指摘でございました。みなさん、ありがとうございます。メールね。ということでございます。

『パッセンジャー』、私も新宿バルト9。そしてTOHOシネマズ日劇で字幕2Dで2回、見てまいりました。3D上映も一部ではやっているんですけど、あんまりやっているところが少なくて。今回はすいません。2Dでしか見れていません。ええとですね、去る2月18日にやった『ドクター・ストレンジ』。このムービーウォッチメンの評の中で、時間がなくて実は割愛した部分っていうのがあって。その『ドクター・ストレンジ』、共同脚本にクレジットされているジョン・スペイツさん。それが今回、『パッセンジャー』の脚本なんですけども。

元々は、そのジョン・スペイツさんが書いた『パッセンジャー』の脚本っていうのは、これはあちこちに、宣伝とかでも書いてあることですけども、「ザ・ブラックリスト」っていう、要はハリウッドの映画会社とかエージェントが投票して決める、まだ映画になっていない、製作されていない傑作脚本のランキングなんですね。で、過去にこのブラックリストに載って実際に映画化されて、いい映画になったりヒットしたりっていうのはいっぱいあったりするわけです。たとえば、『ドクター・ストレンジ』の前の週にやった『ザ・コンサルタント』という映画。あれもブラックリストに入っていた脚本が元になっております。

で、ですね、とにかくそのブラックリスト・ランキングに、この『パッセンジャー』の脚本が2007年に入って、ジョン・スペイツさんという方は一気に名前を上げたと。ただ、その肝心の『パッセンジャー』は、この10年間、なかなか映画化が実現しないまま進んで。一時、キアヌ・リーブスとエミリー・ブラントというキャスティングで話が進んでいたようなんですが、それも頓挫し……ということで。で、その間もジョン・スペイツさん自身は脚本家として、ブラックリストに名前が入った人だということで一気に名前を上げて。

『ダーケストアワー 消滅』という、なんて言うのかな? 『インディペンデンス・デイ』と『宇宙戦争』と『プレデター』を合わせたような宇宙人侵略物とか。これは結構低予算なやつですけど。あと、ツッコミどころ満載っていう人が多いのもわかるけど、僕は断固支持! 大好きです!っていう『プロメテウス』とかですね。あと、さっき言った『ドクター・ストレンジ』の共同脚本とか。あと、これからやるトム・クルーズの『The Mummy(ミイラ男)』の脚本を手がけたりとか、まあ活躍をされていて。とにかくそういうSF・ホラージャンルの、それもちょっとどこかしら奇抜なアイデアというか、奇想が入っている。そんなような脚本家として活動を続けてきた。ジョン・スペイツさんという方ね。

で、今回ようやくその出世作というか、きっかけとなった『パッセンジャー』が映画化になりましたということですね。で、実際に見てみるとですね……まあ詳しくは後ほど言いますけど、元の脚本からさらに、当然、実際の映画になったバージョンは中身に変更が加えられているんですけども……なるほどこれはたしかに、観客が事前に、たとえば予告とか宣伝とかから予想するようなジャンル的枠組み、「宇宙船の中で男女2人がサバイブしつつ恋に落ちるんでしょう? で、最後はまあチャンチャン、なんでしょう?」っていう、そういう想像ができるようなジャンル的枠組みを超えて、「えっ? これ、そういう話だったの?」っていう風に驚いてしまう、なんなら、ショックを受けてしまうような、そういう、ある大変に変わったというか、まあ意欲的と言っていいと思いますけども、意欲的な仕掛けが一点、二幕目から仕掛けられているんですね。つまり、予告とか諸々宣伝などでは、そこの部分は巧妙に伏せられているわけなんですね。

概ねのストーリーラインは宣伝で見る通りなんだけど、大事な一点が伏せられていると。僕も、できるだけそこを具体的に言わないように気をつけますけども。で、人によってはその二幕目が始まった時点で、登場人物や物語に、拒絶反応が出てしまう可能性は十分にあると思います。実際にメールでもそういう方が多かったですね。もうそっから先、「うわっ、ダメだ。この話。ひどくない、これ?」っていう風になってしまう。要は、この手のジャンル映画としては珍しいというか、ほとんどちょっとあるまじきレベルで……ちょっとだけ具体的に言ってしまえば、倫理的・モラル的にわりと決定的にアウト! わりと本気で、しかも、どうにも取り返しがつかないようなこと、っていうのを、劇中である人物がしでかしてしまう。そして、まさにそういう、重たい倫理的・モラル的な問いとかショックとかをこちらに投げかけてくる、そこにこそ、この『パッセンジャー』という作品の、いちばんの「面白さ」というのがある、という風に言っていいと思いますね。

ただ、その「面白さ」のポテンシャルを、本作が十分に活かしきっているか?っていうとこれまた別の話なので……それは後ほどお話しますが。ということで、できるだけ具体的なネタバレというか、決定的なネタバレはしないように気をつけて、順を追って説明していきたいと思います。が、非常に苦しいです! 苦しい!(笑)

説明できるところから言っていきましょうね。予告とか宣伝などでも明らかにわかる通り、まずはクリス・プラット演じるジム・プレストンという技術者、エンジニアの男が、冬眠ポッドの故障で、本当は120年眠り続けなきゃいけないところを、1人だけ30年目で目を覚ましちゃって。残りの90年ばかり、1人で老いて死んでいくしかないという。どうしよう? というこれが一幕目。いわゆる三幕構成で言う一幕目なわけですけども。

ここはまあ、わかりやすく宇宙版ロビンソン・クルーソーっていうことですね。で、宇宙版ロビンソン・クルーソーといえば、近年『オデッセイ』という本当に一大傑作がございました。あれは素晴らしかったですけども。ただ、『オデッセイ(The Martian)』と違うのは、この『パッセンジャー』の場合、彼らがいる巨大な宇宙船というのが、とりあえず快適な生存環境が、もうばっちり整っている状態なわけですね。娯楽施設とかまでばっちり整っている。空気とか食べ物も心配しなくていい。水の心配もいらないどころか、娯楽施設も整っていて非常に快適ではある。言ってみれば、『ウォーリー』の後半で出てくる、人類を乗せた宇宙船。あれももう完全に、人類はただ安楽に生きていればいいという(設定でしたが)。ああいう感じで、コンピュータ制御の中、完全な生存環境がとりあえず快適に整っている状態っていう。ただ、その中でたった1人だという、そういう宇宙版ロビンソン・クルーソーなんだけど。ちょっとそういうところが『オデッセイ』とは違うあたりということで。

つまり問題は、『オデッセイ』みたいにどうやって生き残るか? じゃなくて、とにかく孤独であるということ。もっと言えば、全く無意味に……ただ安楽に、生きていればいいのか?っていう。安楽に生きて死ぬだけ。無意味に。つまりその「生の意味って何だ?」っていう。そういうちょっと、哲学的な問いのところ一点に集約されていく作りなわけですね。ということで、ここからすでに、観客にそういう、哲学的なものも含めた問いを投げかけてくる作品なんだなという、ここからもう、始まっているわけなんですけども。

ということで、ともあれその主人公の1人ジムがですね、広大な宇宙の中でたった1人、どうすることもできないまま取り残されてしまった、という事実を徐々に理解していき……最初は「あれ、おかしいな?」っていうのがどうやら、「あら、マズくない? マズくない?」と理解していき……で、それでも最初のうちは、自分が置かれた状況を前向きに楽しもうともする。

「まあ、とはいえ生きていけるんだし。あと、娯楽施設も揃っているし。えっ、なんなら、なんなら、パラダイス? なんなら、なんなら……なんならな~ん!」ってこんな風にやっても(※宇多丸註:なかなか流行る気配のない僕考案の一発ギャグです)、誰にもけなされない、みたいな(笑)。でも、やがてそれにも飽き……というか、「やっぱりこんなの虚しいよ! こんなの、生きているって言えるのか?」っていうことで、生の意味の虚しさ、そこに気づいてしまい、次第に身なりとかにも気を使わなくなり……完全な絶望に飲み込まれてしまう、というのが第一幕のくだりなんですけど。

まず、ここの……わりとね、しっかりでっかいセットを作って見せている空間。これ、『パッセンジャー』は、ガイ・ヘンドリックス・ディアスさんがアカデミー美術賞でノミネートされているんだけど、それも納得の、わりときっちりセットを作って、要はちゃんと「空間感」を感じさせるような作りになっている。その、広大な……しかもちゃんと整った空間設備の中で、1人だけポツーン感っていう、この第一幕目がね。これが僕、まずはすっごく怖くて、楽しい!っていう感じだと思いますね。この、セットの巨大な空間感っていうのを生々しく味わうためだけでも、俺、映画館にちゃんと行った方がいいと思います。こう、ガラーンとしている感じ(を十分に味わうために)。

言ってみれば僕ね、いわゆる「館物」が好きなわけですよ。美術館、博物館とかね。あるいはディズニーランドの、それこそ巨大アトラクション、イッツ・ア・スモールワールドとかでもいいですけど、ああいう館とか建物、屋内アトラクションとかの中で、たまたま、わりと広い空間の中に1人だけポツンとなってしまった時の、あの、怖い!でもちょっとワクワクする!っていうあの感じ……あれが一幕目はすごくいっぱい味わえるので。僕はそういう、館物、アトラクション物の怖ワクワクがすごく好きなので、一幕目でまず、「うわっ、たのし~! こういう感じの夢、見てえ!」みたいな(笑)。

まあ、思えばこの『パッセンジャー』。特にこの一幕目ではわりとわかりやすくオマージュが捧げられている『シャイニング』と、もちろん『2001年宇宙の旅』。スタンリー・キューブリックの2本、『シャイニング』と『2001年宇宙の旅』も、思い返してみればたしかに、こういう風にガランと広い、とりあえず快適に整った生存空間の中で、しかしそこは通常の人間社会とは隔絶した場所で。その中でポツーンと、とりあえず快適にはいるけど、ポツーンといる心細さと、でも若干のちょっとワクワク感みたいな……そういうのはやっぱり、『シャイニング』も『2001年宇宙の旅』も、結構たたえていた作品だな、なんてことを思い返したりなんかしてましたけどね。

で、まあとにかくその『シャイニング』の主人公のジャックよろしくですね、妙にちょっと現実感を欠いたクラシカルなバーでですね、バーテン……それも人ならぬバーテンですね。マイケル・シーンが非常にいいバランスのユーモア感で演じていましたけども。人ならぬバーテンとばっかりおしゃべりをしているうちに、どんどん孤独という狂気にとらわれていく主人公ジムさんが、ある時、精神的限界をついに迎えて……ということですね。こっからが問題の二幕目以降。ただ、ちなみにですね、狂気にとらわれていくとか、孤独という絶望の中に落ち込んでいく話ではあるんだけど、やっぱりこれ、演じているのがクリス・プラットなので、なんかね、これは良くも悪くもなのかな? 重くなりすぎない。だから微妙にやっぱりちょっとユーモラスだし、ちょっと笑っちゃう感じもちゃんと出ているし。

もっと言えば、クリス・プラットが演じているからこそ、やっぱりここから話す、あるちょっと重たい倫理的問いみたいなものが、良くも悪くもそこまで深刻に響かないところもちょっとあるかなと。ちょっと軽く感じられるというかね。だからこそ、見ていられるっていうか、この規模のバジェットの作品として見ていられるっていう問題もある気がするんですが。ということで問題の第二幕目ね。さっきから言っているように、ネタバレを決定的にするのを回避するため、具体的に何が起こるのかはあえて言いません。ここでは伏せますが……とにかく前述の通り、この第二幕目で起こること。倫理的・モラル的にかなり決定的かつ、取り返しのつかない……つまり、この後にいくら劇中で、この起こってしまった件をフォローするようなことが描かれたとしても、でもそれって、本質的に解決したことには、たぶんならない。本質的に解決するのは、根本から解決するのは、もう無理だよねこれ……っていうぐらい、取り返しがつかない、とにかくアウトーッ!なある顛末が描かれるんですね。

で、もちろんこの『パッセンジャー』、作り手たちも、これがアウト中のアウトな何かである、っていうことは重々承知で、もちろんこれを描いているわけですよ。絶対に人として許されないことであることは承知だからこそ、そうやって描いている。だからこそ、二幕目の中盤で、もう本当にいきなり……登場人物にも観客にも、いきなり冷水をぶっかけるかのごとく、改めて、「な? さっきからのこの件な、ちょっと忘れているかもしんないけど、もう1回言っとくよ? 許されねえから! 取り返し、つかねえから。アウトだから!」っていうことを改めて、劇中の人物および観客である我々に、本当に容赦ないハードさでガッ!と突きつけてくるわけですね。で、その非常に残酷な真実が判明した時の、ある登場人物の表情。演じている俳優のその表情が……一瞬で、10才も歳を取ったかのようにハッ!って変わるところ。さすがアカデミー賞ノミネート常連は違うなっていう見事な演技でしたし、そこで、それまでずーっと落ち着いたフィックスで撮っていたカメラワークが一転、そこで手持ちでガーッとなって(激しく揺れ動きだす)。要は、自分がいままで立っていた世界が、足元からグラついて崩れていく、という感覚を、映像的にも的確に表現したモルテン・ティルドゥムさん、さすがやっぱり演出の腕があるなという風に思うあたりでしたけど。

ということでですね、そこからもう、もう地獄ですよね。もう、修羅場が展開されていくわけなんですけども。ということで、全く具体的な話ができなくて辛いんだけど(笑)、とにかくこの第二幕目。見ていて非常にね、キツいな!という風になるあたり、なんだけど、これこそがこの『パッセンジャー』という作品の肝ですね。いちばんここが「面白い」あたりっていうことは間違いないと思います。要は、問題提起として非常に興味深いというか。やはり、この言い方ちょっと申し訳ないけど、「あ、面白い問題提起をするな」っていう風に僕は思いました。要は、内面を計り知れない、なんなら不気味な「他者」。もっと言えば、許しがたい罪を犯した「他者」っていうのと、それでもある限定的なシチュエーション、状況とか場所とかで、共存していかなければならない。なんなら、協力しあっていかなければならない……って、これ、さっきのメールにもありましたけど、我々が現実に生きているこの社会であるとか、なんなら人生そのものの、一種メタファーとして全然通じる話ですよね。これね。

しかも、その他者が犯した許しがたい罪っていうのは、その人が生きていくためにどうしても犯さざるを得なかった罪だ、ということもわかっている。その罪を赦すことはできるのか? もしくはその罪を赦すことは必要なのか? そしてそれも含めて、残りの人生を、善き生、意味ある生として生きるってどういうことなのか?っていうような、そういう問題提起をグイグイしてくる作品で。なので、見終わった後で、見た人同士で、もちろんこの作品に対する評価とは別に、「あいつのあの行動さ……」とかさ、「あれで、こうで……」みたいな感じで、とにかくあれこれ議論したくなるタネが、いっぱい詰まっている作品なのは間違いない。そして、これモルテン・ティルドゥムさんのインタビューなんかを読むにつけ、作り手もまさにもう、「見終わった後に侃侃諤諤議論をしていただきたい。それこそが僕はいい作品だと思う」っていうようなことをおっしゃっている……と、そういうことだと思います。

ちなみに、さっきから言っている「罪」であるとか「赦し」って、ちょっとキリスト教的な問題意識っぽく聞こえると思いますけど、実際、さっきから言っているジョン・スペイツさんのオリジナル脚本、ブラックリストに10年前から入っていたオリジナル脚本は、ネットの比較記事なんかを読む限り……特に三幕目はかなり違っているんですけど……もっと大量の死者が出る悲惨な事態になっていくんですけど、オチは完全に、クリス・プラット演じるジムと、ジェニファー・ローレンス演じるオーロラ──このオーロラっていうのはもちろん、『眠れる森の美女』のオマージュなネーミングですけど──とにかくジムとオーロラが、新世界のアダムとイヴになるっていう話に、完全になっているということですね。

で、まあとにかく二幕目。いろいろ本当に修羅場中の修羅場があり……でもそこに、ちょっと意外な「第三者の視点」が入るというね。この第三者っていうのは、メールでもありましたけど、重要なアイテムを預けて去っていくゲームのキャラのようにですね(笑)……あともうひとつ、これも『シャイニング』オマージュでもあるのよ。途中でアフリカ系アメリカ人キャラが出てきてすぐに……みたいなのは。はい、(ネタバレが行き過ぎかけて)すいませんね(笑)。ということで、ここから三幕目が始まるんですけど。この三幕目がクライマックスなんだけど、さっきから言っていた哲学的な問いを(二幕目まで)いっぱいしておいて、ある意味、「それどころじゃない」っていうね(笑)。目の前の生存に関わる、のっぴきならない事態がドッカンドッカン起こり始めてですね。二幕目で出された、そういう重たい問題提起みたいなのが、要は目の前でドッカンドッカン起こっている、生存を確保するための、そのための解決の最中で、二幕目の哲学的問題提起は、「まあまあ不問にされていく」(笑)。そういう感じではある。

正直、二幕目までの、「ああ、そう来る? この映画!」っていう、そのフレッシュな発想の積み重ねからすると、やっぱりこの三幕目のクライマックスは、わりとどっかで何度も見た感じの、まぁ「ぬおおおお~~っ!」かなんか言って、自己犠牲的な行動を取り……みたいな。もう何度見たかわかんない、みたいな感じのクライマックスで、正直、若干ここは退屈度が上がる、というのはあるのかもしれません。まあ、それはいいとして……一応娯楽大作だからそれはしょうがないとして。僕はやっぱり、この作品最大の問題は、「この話、どうオチをつけるつもりなの?」っていうところだと思うんですね。先ほどから言っている、モラル的に絶対に取り返しがつかないアウトな出来事がありました、と。で、オチのあたりに近づくにつれ、結果的に、さっき言ったモラル的にアウト行為があったおかげで、まあなんかプラスがあったじゃん、っていう結果にはなっているんだけど……それはあくまで結果論なので。本質としてその、罪という部分が消えるわけではないですし。

一応、オリジナル脚本にはなかったワンアイデアが付け加わって、「ああ、その罪の取り返しは、部分的にではあれ、可能ではある」っていう、ちょっとそれが示されている。僕はこれは、「ああ、このワンアイデアがつくんだったら、この話の中でできる罪の贖いとしては、ギリ、無しではないか?」と思って見ていたんですが……ただですね、個人的には、クライマックスの最中ぐらいから、さっき言った「罪と赦し」っていうテーマに関して、もうすでに「赦し」が結構済んじゃっている感じのやり取りをキャラクター同士がしちゃっていて。で、その流れでさらに、ラストの方に向けて、このメイン登場人物2人の「その後」っていうのを、画と、プラスセリフで見せてしまっていると。これによって、「観客が考える余地」がものすごく狭まってしまったというか、さっき言った「罪と、本質的には得体が知れない他者、そういうものと共存していけるのか?」っていう、せっかくの興味深い問題提起が、一気にここで矮小化されてしまったという感じがするわけです。もうちょっとグレーなバランスで終わらせることはできたはず。たぶん、要するに編集でもうちょっとなんとかできたと思うんですけど。

実はこの作品、ギリギリまで、去年の11月ぐらいまで再撮影をしたり、再編集をしてたりしたみたいで。それを繰り返していたぐらいなので、バランスに関してはかなり、作り手も苦慮したんだと思いますが。これだけ重いものを提起しちゃっているんで、オチのつけようがない、っていうのはたぶん、作り手も悩んだところだとは思うんですが。とにかく僕、現状のバランスは、特に終盤、編集の仕方とかそういうのを含めて、ちょっとこれは話の矮小化じゃないかな、非常に残念だな、という風に思いました。

それとは別にですね、たとえば最後の方で、あるもうダメだ!ってなった人を、医療マシーンに、『プロメテウス』に出てきたような自動医療マシーンみたいなのに乗っけて、そこで「全部乗せ」治療をするっていうね。そのくだりがもう、完全にギャグ!っていうあたりとかですね(笑)。まあ、ところどころおかしいというか、重くなりすぎない感じは、やっぱりクリス・プラット力もあるのかなという感じがしますね。

あと、ラストのラスト。セリフもないし、一瞬しか画面に映らないとある人が、出演者クレジットの5番目なんですよ(笑)。一瞬しか映らないし、セリフもないんですよ。っていう、なんかもう、ちょっとそこだけでも笑っちゃう感じ含めて、非常に変わったバランスの、非常に変な映画なのは間違いないと思います。ちょっとオチのあたりね、僕は個人的には惜しいなという風に思いましたが、さっきから言っているように、非常に議論が盛り上がる……もっと具体的に見た人同士だったら話せる、「あいつの人の選び方がまずキモくない?」とか(笑)、「こうすればいいんじゃない?」とか、いろんなね。あと、「キャスティングを変えただけで全然ニュアンスが変わるよね」とか、そういう想像をしてみたり。男と女を入れ替えてみてもいい。ねえ。あれ、片方がクリス・プラットだからいいけど、パッと目が覚めて、そこにいたのが……「ええっ?」って(思わず言ってしまうような)人だったらどうする?とかね(笑)。いろんなことを考えられる、これだけで、やっぱり映画の楽しみ、だいぶコストパフォーマンスはいいんじゃないかという風に思いますし。

さっき言ったように、空間感を味わう、宇宙船の中の広大な空間感の孤独っていうのを味わう意味でも、スクリーンで見るのが本当におすすめなので。一見の価値は絶対にあると思います。変わった映画ですけどね。好き嫌いも分かれますが、一見の価値は絶対にある作品なので。ぜひぜひスクリーンでウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『キングコング: 髑髏島の巨神』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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