お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。

放送中

放送中


  • 放送ログ
  • 音声あり

震災から6年…魂でもいいから、そばにいて

久米宏 ラジオなんですけど

TBSラジオで毎週土曜日、午後1時から放送している「久米宏 ラジオなんですけど」。
3月11日(土)放送のゲストコーナー「今週のスポットライト」では、ノンフィクション作家の奥野修司さんをお迎えしました。奥野さんには以前「花粉症」がテーマのときにお越しいただいて以来、9年ぶりのご出演(2008年4月5日放送の「今週のエンターテインメント」)。ちょうど『花粉症は環境問題である』(文春新書)を出版したタイミングでした。今回は東日本大震災の被災遺族のお話。

奥野修司さん

奥野修司さんは大学卒業後、雑誌の記者を経てフリーのジャーナリスト、作家となって、『ナツコ 沖縄密輸貿易の女王』や『心にナイフをしのばせて』など、長年にわたって取材したノンフィクション作品を数多く発表しています。その中には『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年』、『看取り先生の遺言 がんで安らかな最期を迎えるために』など、人間の生死に向き合ったものも少なくありません。

東日本大震災後の2012年からは、被災遺族のもとに通って聞き取りを続けてきました。それは、失くした家族の「姿を見た」「声を聞いた」「メールが届いた」といった、不思議な体験談。それを『魂でもいいから、そばにいて 3.11後の霊体験を聞く』という本にまとめ、お出しになりました。

『魂でもいいから、そばにいて』

そういった不思議な体験…いわゆる「霊体験」は再現性のない、科学的に証明が難しい話なので、遠野物語のように民俗学的に扱うならともかく、ノンフィクションとして書くことはできないと奥野さんは考えていました。ところが、これは失くした家族との「物語」だと気づいたといいます。

奥野さんは震災以前、がん患者の家族の悲しみを癒す「グリーフケア」を取材していました。がんで死ぬと分かってから実際に亡くなるまでの期間が短いほど、家族の悲しみは大きいそうです。震災では心の準備もないまま津波で一瞬にして大事な人や家族を失ってしまったので、その悲しみはとても大きいのです。

その大きな悲しみを抱えた人たちが、失ったはずの家族と「再会」した体験を語ることはどのような意味があるのでしょうか。奥野さんは、震災によって突然、強制的に途切れてしまった自分と家族の物語を自分の納得するかたちに作り直す作業が、「霊体験を語る」ということだとみています。そうすることで、納得がいかないままの心のどこかで折り合いをつけようとしている、と。

失くした家族と「再開」したという不思議な体験は、他人にはなかなか信じてもらえない話なので、自分から語りたがる人はほとんどいないそうです。でも奥野さんは霊の存在をうんぬんするのではなく、霊体験を語ることが遺族自身の心のケアにつながるのなら、例えば「遺族カフェ」のようなものを作って、遺族たちが語り合える場をもっと設けるべきだといいます。

スタジオ風景

あの日から6年。東北の町は復興が進んでいるようですが、最も肝心な、住んでる人たちの「気持ち」はどうでしょう。まだまだ復興とは程遠いのではないか。そしてそれは、大堤防を作ったり道路を整備することではどうにもならないのではないか…。奥野さんの本を読んだ久米さんはそう締めくくりました。

奥野修司さんのご感想

奥野修司さん

いつも被災地で聞いた話のことになると涙ぐむんですね。思い入れがすごく強いので。だから今日はスタジオにハンカチを用意してきました。

普段は原稿を書きながら泣くことはないんですが、今回のこの話に関しては結構、泣きながら書きましたね。特に、お孫さんを失くした話とか奥さんと1歳のお子さんを失くした方の話とか、子供を失くした話を書くのは辛いんですよね。

ですから、今日も子供の話を続けていたらちょっとどうしようかと思ったんですが、大丈夫でした。