★「Post truth」の次は「Aternative fact」
以前、2016年を象徴する言葉として、オックスフォード英語辞書が選んだのは「ポスト・トゥルース」、メリアム・ウェブスター英語辞書が選んだのは「シュールレアル」であったことをご紹介しました。
簡単に振返ってみると、「ポスト・トゥルース」はトランプ大統領が選挙期間中に「オバマ大統領の時代にはアメリカの実質的失業率は42%であった」と酷評しましたが、実際には5.28%で前年より改善されていたというように、随分とウソを並べていたことを「脱・真実」という言葉で表現したものです。
「シュールレアル」も、トランプ大統領が選挙中に数多くの差別発言をしていましたが、それは既存の社会常識を超えるという意味でシュールレアルと表現されたわけです。
どちらもトランプ大統領が震源地と考えると、大変な発信力ということにもなりますが、ひょっとしたら、今年(2017年)を象徴するかもしれない言葉も、すでにトランプ大統領周辺から出始めています。それが「オルタナティブ・ファクト」という言葉です。
「オルタナティブ」は「代わりの」とか「別の」という意味で、「ファクト」は「事実」ですから、日本語に置き換えれば「もう一つの事実」になります。まず、この言葉が飛び出した経緯をご紹介します。トランプ大統領の就任式のときの写真とオバマ大統領の就任式のときの写真を比較して、オバマ大統領のときには観客が180万人であったが、今回は大幅に少ない25万人から60万人であったとマスメデァイが報道したことをについて、スパイサー報道官が記者会見で、
- 今回はモールの花壇を保護するため、白いカバーを掛けたので、そこが目立って少なく見えた。
- 公共交通を使った人数は今回が42万人で、オバマ大統領のときは32万人であったため、地下道などを利用した人が多かった。
- 今回は金属探知機で検査をしたために通行がスムーズではなく、数万人が会場に入るのが遅れた。
と説明し、実際は、オバマ大統領のとき以上の人数がいたと主張しました。さらに、テレビで見た人数は3000万人を越えたと自慢しました。
ところが事実を調べてみると、
- 花壇の白いカバーはオバマ大統領のときにも使われていた。
- 公共交通機関の利用者は今回が57万人で、オバマ大統領のときは78万人であった
- 金属探知機は以前は使用していたが、今回は逆に使っていなかった。
ということが分かり、テレビで見た人数も今回は3060万人で、2009年のオバマ大統領の就任式は3780万人。スパイサー報道官の説明はほとんどウソばかりだったということです。
スパイサー報道官の会見の翌日、ケリーアン・コンウェイ大統領顧問がNBC放送の「ミート・ザ・プレス」に出演したとき、キャスターのチャック・トッド氏が、この誤った情報について問いつめたところ、コンウェイ氏は「そんな仰々しいことを言わないで。あなたはウソと言うけれど、スパイサー報道官は『オルタナティブ・ファクト』を伝えただけよ」と反論しました。
分かりやすく言えば、ウソのことを「もう一つの真実」と言いくるめたことになります。最近では、報道官の名前を使い「スパイサーファクト」という造語も作られていますが、英語では「アヒルの背中に水」、日本語ではやや下品な表現ですが「カエルの面に小便」という感じで、堂々と間違った情報を発表しています。
★テストの誤答もオルタナティブ・ファクト?
実は「オルタナティブ」はこれまでも随分使われている言葉で、例えば、オルタナティブ・エネルギーは、石油や石炭のような主流のエネルギー源ではなく、太陽光や風力のような新しく出てきたエネルギー源。オルタナティブ・メディシンは、主流の西洋医学ではなく、漢方や民間治療のような医学。オルタナティブ・ミュージックは、商業的に流行している音楽ではなく、前衛音楽や民族音楽。オルタナティブ・ツーリスムは、多くの人が殺到する名所旧跡を訪問するのではなく、あまり知られていない場所を訪問する観光旅行。
このように、主流に対して傍流とか新興勢力として登場してきた分野を表現するときに「オルタナティブ」が使われてきました。したがって好意的に解釈すれば、トランプ大統領は既存の価値観を打破する新興勢力ということになりますし、辛辣に解釈すれば、自らを傍流と自任しているということにもなります。
しかし、さすがに影響力は大きく、この言葉は早速アメリカでは都合良く使われていて、点数の悪かった生徒が先生に「試験の点数を書き換えて下さい。僕は間違えたのではなく、オルタナティブ・ファクトを書いたのです」とか、図書館が利用者に「図書館にオルタナティブ・ファクトの書籍を揃えたコーナーを用意しました。これまではフィクション(小説)と表示していました」という具合です。
★小説『1984』の売上が急上昇
このような「ウソも方便」が大統領周辺から発せられる背景を、ベテランのジャーナリストが説明しています。「これはホワイトハウスの伝統で、不都合なことがあると大統領が首席補佐官を怒鳴りつける。首席補佐官は報道官を怒鳴りつける。報道官は記者を怒鳴りつける」。その結果、ウソをつかざるを得ないというわけです。
このようなオルタナティブ・ファクトが頻繁に使われるようになると、社会の真実は何かということが曖昧になる可能性があります。
アメリカでは早速、反応があり、そのような情報操作の社会の恐怖をすでに1949年に描いたジョージ・オーウェルの小説『1984』や、ヒトラーのようなアメリカ大統領が登場する社会を1935年に描いたシンクレア・ルイスの小説『ありえないアメリカ』、徹底した統制社会の未来を描いたオルダス・ハクスリーの1932年の『すばらしい新世界』など4冊が今、アマゾンの売上のベストテンに入っているそうです。これは決して対岸の火事ではなく、我々は日本の政治家の発言についても注意深く聞く必要があると思います。

解説は東大名誉教授の月尾嘉男