お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。

放送中

放送中


窮屈な今こそ「半信半疑」を楽しめ!

東京ポッド許可局

TBSラジオなど、全国14のラジオ局で毎週土曜深夜3時~放送の「東京ポッド許可局」。マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオが繰り広げるトークは、まさに聴く新書。3月6日放送分は、こんな話でした。

 

鹿島 :時代の移り変わりについてね。興味深い話をきいたんです。

 

20160313tpk1

 

「最近の世の中は生き辛い」と、節々で話題にしてきた当番組ですが、あるテレビ番組を通して考えてみたら・・・近年どころではなかった!非寛容な時代の始まりが見えてきたんだというんです。

その番組とは、鹿島局員が子供のころ大好きだった「水曜スペシャル・川口浩探検隊」

1986年に終了した川口浩探検隊について調べを進めていると、

■川口浩探検隊(~86年)

■ギミア・ぶれいく(89年~92年)

■THE・プレゼンター(94年~)という系譜が見えてきました。

 

20160313tpk2

 

鹿島 :時代の空気を思い出して下さい。川口浩探検隊が終わった86年以降は、昭和の王道的なものが終わって、リアルなものを求めた時代。お笑い界では、ドリフやひょうきん族が終わり、とんねるずが出てきた。

マキタ:歌謡界も、89年にザ・ベストテンが終わった。それから変わったよ。

鹿島 :プロレスは、アントニオ猪木が衰え始めて、猪木よりも過激な格闘技色を推し進める前田明が出てきたり。政治でも、自民党・竹下派の全盛期から、新党ブームが起きた。だから、昭和のアレとは違うんだ俺たちは!というのを体現した時代。

タツオ:大人が必死に守ってきた体裁が崩れてきた。

鹿島 :そんな空気の中で、ギミア・ぶれいくって、昭和の王道を最後まで守っているような感じだと思ってた。

 

20160313tpk3

 

鹿島 :「ギミア・ぶれいく」と「THE・プレゼンター」。両方に関わっていたスタッフのかたに会ってきたんです。

 

その方に聞くと、同じ系譜に見えた番組でも、THE・プレゼンターは、川口浩探検隊を継承したのではないんだそう。曰く、94年の時点で既に、80年代的なものは視聴者から許されなくなっていた。そのやり方では「時間の無駄」と、視聴者からクレームがきた と。

だから、THE・プレゼンターの手法はこう。
「手乗り鹿が実在した!」なんてやっていたけど、40cmくらいの鹿は存在することがわかっていた。それを、「手乗り鹿」とファンタジックな名前をつけて、探しに行き、ちゃんと見つかる。オチが見えている上でやっていたと。

 

20160313tpk5

 

鹿島 :94年にはもう、非寛容な時代が始まってたってこと。翌95年はWindows95。ネットが始まるんです。94年は、ギリギリ昭和の最後の残り香がある。ネットが広まる前であり、オウムや阪神大震災で、シリアスに、シビアになる前の、最後の年。

タツオ:確かに、その辺が潮目かもしれないね。オウム事件以降よく議論されたことで、「なぜ人を殺してはいけないのか」って質問を、子供がするようになった。玄侑宗久さんは、昔はそんな質問、子供から出なかった。それがなぜなのかを考えたいって。

 

20160313tpk4

 

タツオ:3世帯同居のころは、おじいちゃんおばあちゃんに、ウソをつくと閻魔様に舌を抜かれるとか、お天道様が見てるんだ!とか。迷信みたいなものがあった。どっかで「オバケなんてうそさ!」と思いながらも、本当はいるんじゃないか…という気持ちもあった時代には、人を殺してはいけないっていうのは、思考停止ボタンとして機能してたと。

鹿島 :非合理な論理だけど、それを信じてましたよね。

マキタ:合理の極みまでいって、そのひずみがあるなら、もう一度非合理を楽しむ考え方もあるよね。それを模索しないといけないし、それが知性なのかもしれない。

タツオ:俺らが叫び続けることだよね。半信半疑を楽しめ!遊びを面白がれ!と。

マキタ:物理的にも精神的にも闇い。いつでも調べ物できる。そんな時代、意味不明の物は、本当に嫌なんだろうね。

タツオ:じゅん散歩とかさ、高田純二さんが散歩してるだけで、オチはない。だけど、あの感じに文句は言わないよね。「○○を探しにいきます!」みたいな振り・タスクがないから、クレームも防げる。散策系が多いのは、そういうことでさ。

鹿島 :それって、ある種ガチじゃないですか。今、水曜スペシャルが進化した、ガチの探検ってなんだ?といったら、路線バスの旅かもしれない・・・。

 

3人のトーク。ぜひ、音声でもっと楽しんでみて下さい。