TBSラジオなど、全国14のラジオ局で毎週土曜深夜3時~放送の「東京ポッド許可局」。マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオが繰り広げるトークは、まさに聴く新書。3月6日放送分は、こんな話でした。
鹿島 :時代の移り変わりについてね。興味深い話をきいたんです。
「最近の世の中は生き辛い」と、節々で話題にしてきた当番組ですが、あるテレビ番組を通して考えてみたら・・・近年どころではなかった!非寛容な時代の始まりが見えてきたんだというんです。
その番組とは、鹿島局員が子供のころ大好きだった「水曜スペシャル・川口浩探検隊」。
1986年に終了した川口浩探検隊について調べを進めていると、
■川口浩探検隊(~86年)
■ギミア・ぶれいく(89年~92年)
■THE・プレゼンター(94年~)という系譜が見えてきました。
鹿島 :時代の空気を思い出して下さい。川口浩探検隊が終わった86年以降は、昭和の王道的なものが終わって、リアルなものを求めた時代。お笑い界では、ドリフやひょうきん族が終わり、とんねるずが出てきた。
マキタ:歌謡界も、89年にザ・ベストテンが終わった。それから変わったよ。
鹿島 :プロレスは、アントニオ猪木が衰え始めて、猪木よりも過激な格闘技色を推し進める前田明が出てきたり。政治でも、自民党・竹下派の全盛期から、新党ブームが起きた。だから、昭和のアレとは違うんだ俺たちは!というのを体現した時代。
タツオ:大人が必死に守ってきた体裁が崩れてきた。
鹿島 :そんな空気の中で、ギミア・ぶれいくって、昭和の王道を最後まで守っているような感じだと思ってた。
鹿島 :「ギミア・ぶれいく」と「THE・プレゼンター」。両方に関わっていたスタッフのかたに会ってきたんです。
その方に聞くと、同じ系譜に見えた番組でも、THE・プレゼンターは、川口浩探検隊を継承したのではないんだそう。曰く、94年の時点で既に、80年代的なものは視聴者から許されなくなっていた。そのやり方では「時間の無駄」と、視聴者からクレームがきた と。
だから、THE・プレゼンターの手法はこう。
「手乗り鹿が実在した!」なんてやっていたけど、40cmくらいの鹿は存在することがわかっていた。それを、「手乗り鹿」とファンタジックな名前をつけて、探しに行き、ちゃんと見つかる。オチが見えている上でやっていたと。
鹿島 :94年にはもう、非寛容な時代が始まってたってこと。翌95年はWindows95。ネットが始まるんです。94年は、ギリギリ昭和の最後の残り香がある。ネットが広まる前であり、オウムや阪神大震災で、シリアスに、シビアになる前の、最後の年。
タツオ:確かに、その辺が潮目かもしれないね。オウム事件以降よく議論されたことで、「なぜ人を殺してはいけないのか」って質問を、子供がするようになった。玄侑宗久さんは、昔はそんな質問、子供から出なかった。それがなぜなのかを考えたいって。
タツオ:3世帯同居のころは、おじいちゃんおばあちゃんに、ウソをつくと閻魔様に舌を抜かれるとか、お天道様が見てるんだ!とか。迷信みたいなものがあった。どっかで「オバケなんてうそさ!」と思いながらも、本当はいるんじゃないか…という気持ちもあった時代には、人を殺してはいけないっていうのは、思考停止ボタンとして機能してたと。
鹿島 :非合理な論理だけど、それを信じてましたよね。
マキタ:合理の極みまでいって、そのひずみがあるなら、もう一度非合理を楽しむ考え方もあるよね。それを模索しないといけないし、それが知性なのかもしれない。
タツオ:俺らが叫び続けることだよね。半信半疑を楽しめ!遊びを面白がれ!と。
マキタ:物理的にも精神的にも闇い。いつでも調べ物できる。そんな時代、意味不明の物は、本当に嫌なんだろうね。
タツオ:じゅん散歩とかさ、高田純二さんが散歩してるだけで、オチはない。だけど、あの感じに文句は言わないよね。「○○を探しにいきます!」みたいな振り・タスクがないから、クレームも防げる。散策系が多いのは、そういうことでさ。
鹿島 :それって、ある種ガチじゃないですか。今、水曜スペシャルが進化した、ガチの探検ってなんだ?といったら、路線バスの旅かもしれない・・・。。
3人のトーク。ぜひ、音声でもっと楽しんでみて下さい。