日本全国8時です

2007年03月20日(火)

unlearn...学びほぐす

哲学者・鶴見俊輔さんが、朝日新聞12月27日、
医師の徳永進さんとの対談で、アンラーン(unlearn)について語っていた。

※アンフェア(不公平)、アンノウン(知られていない)のように、
   英語の「un」は、反対の、という接頭語。
※「アンラーン(unlearn)」、大型の辞書には載っている。
   「他動詞。身につけたことを(自分の不利にならないよう)意識的に忘れる、無視する」

※「学びなおす」といった意味だが、鶴見さんは「学びほぐす」と訳しています。
※アンラーン、鶴見青年には初めて聞いた言葉だが、
   「型どおりにセーターを編み、ほどいて、元の毛糸に戻して、
        自分の体に合わせて編み直すという情景が想像された」と。

※「大学で学ぶ知識はむろん必要だが、覚えただけでは役に立たない。
    それを学びほぐしたものが血となり肉となる」とアンラーンの必要性、語る。

※1月23日朝日の連載で、大江健三郎さんが、鶴見さんの記事に同感。
   アンラーンという英語はぼんやりと知っていたが、「学びほぐす」は名訳だと。

※アンラーンの機会をどれくらい豊かに作ることができるかは、たいせつ。
   アンラーンのおとなたちを見て、あとの世代の人たちもその姿勢に学ぶのでは。
※年を経たときに、学びほぐせない社会は、前に進めない。
これまで自分のなかにつくられたものを、洗い直す。

学んだことを自分のなかにとどめない。
まわりの人、若い人たちに伝えられるようにする。
年配者の勉強は、利己的なものにとどまってはならない。
ちなみに、unteach(アンティーチ・教え返す)という言葉もある。
教える側も、勉強しなおすことがだいじ。

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2007年03月13日(火)

岩波文庫80年

きょうの荒川さんは、岩波文庫80周年についてのおはなし。

※岩波文庫が80周年。先日、『岩波文庫の80年』という文庫本も出た(岩波文庫)。
※昭和二年七月、創刊。当時円本ブームで日本の読書人口一気に拡がる。
 岩波文庫は、敢えて古典を廉価刊行。
※最初の文庫(昭和2年7月)は、夏目漱石「こころ」(初版は岩波書店)、
 幸田露伴「五重塔」、トルストイ「戦争と平和」、チェーホフ「桜の園」、
 プラトン「ソクラテスの弁明・クリトン」、カント「実践理性批判」など23点。
※現在までに、5400点も!

※岩波文庫は、ひところまで星印(★)で定価示した。
※創刊時はおよそ100頁で★1つ=20銭。 「こころ」は、40銭(★★)
 当時のモノの値段は、カレーライス20銭、もりそば10銭、ビール大瓶40銭。
 大工さんの日当3円10銭。
※1981年(昭和56年)星印廃止。現在「こころ」は本体460円。

●岩波文庫80年の歴史では、戦争中の話が印象的。

※昭和15年(日中戦争)、陸軍恤兵(じゅっぺい)部から、岩波文庫20点、
 各5000部を実費で納入せよ、の命令。
※戦線の将兵への慰問品だった。

※送られた文庫は志賀直哉「小僧の神様」、漱石「虞美人草」、中勘助「銀の匙」、
 ウェブスター「あしながおじさん」、プーシキン「大尉の娘」、アラルコン「三角帽子」など⑳点。
※2年後・昭和17年(太平洋戦争中)、以下10点、各1万部。
 森鴎外「高瀬舟」、幸田露伴「五重塔」、藤村「千曲川のスケッチ」、
 ラファイエット夫人「クレーヴの奥方」、スタンダール「カストロの尼」など。
※よく読むと反体制なものも。
※戦争中は印刷用紙も統制、言論封圧。そのなかでも、なんとか生き延びた。

※創刊直後、反響は、津々浦々から寄せられた。それが残されている。
※特に「我が生涯の教養を、岩波文庫に託す」(一読者)のひとことは、
 創業者の岩波茂雄(当時40代)の心に永く刻まれた。

※文庫の世界は、20年程前から変わった。
  「文庫のかたち」をしているだけの、内容の軽いものふえた。
 でも岩波文庫、講談社文芸文庫などは健闘。
※新しい文庫も誕生。
 昨年秋に、ハヤカワ演劇文庫(早川書房)、古典新訳文庫(光文社)。
 古典新訳文庫は、カントや、レーニンなど哲学・思想もある清新なラインナップ。

※安易な本に支配された観の読書界。不安、不満を感じはじめた読者が、
  書物の意義を振り返る時期か。
※「教養」が求められない時代こそ、古典・名作文庫の意義はおおきい。

※ただし問題点も。ヴィットリーニ『シチリアでの会話』(岩波文庫)は、
  436頁の本だがそのうち訳者の解説が121頁分も。
※あまりに長すぎ不適切。解説文にも神経を払ってほしい。そうでないと読まれない。

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2007年03月08日(木)

女性文学の活況

きょうの荒川さんは、女性作家のお話でした。

※菁柿堂(せいしどう)、新編『日本女性文学全集』(12巻)がこの春、刊行。
 樋口一葉、平塚らいてう、与謝野晶子から、岡本かの子、林芙美子、宇野千代、
 瀬戸内寂聴、有吉佐和子、曽野綾子、秋元松代、宮尾登美子、田辺聖子、
 川上弘美まで91名の代表作収録。
 現代では、女性作家が日本文学の中軸という観も。

※中公の文学全集「日本の文学」80巻(昭和40年)収録の女性作家は、
 一葉、林芙美子ら15名。全収録作家は120、女性は1割強だった。
 1996年から12年間の芥川・直木賞女性受賞は35パーセント超える。

 2004年1月、金原(かねはら)ひとみ(当時20)、
 綿矢りさ(史上最年少・当時19)も記憶に新しい。 
 文学は上からいただくものではなく、下から吹き上げるものだと思う。
 若い女性に賞は話題づくりという向きもあるが、二人は、実力派。

※青山七恵(ななえ・23歳)さん。
 受賞作『ひとり日和』(河出)が先週発売となった。
 また同日、綿矢りさの芥川賞受賞後第一作(受賞3年目)長編『夢を与える』(河出)も発売、15万部超えた。
 新鋭部隊の多くは若い女性。文学賞受賞、低年齢化を進める。

※1973年生れ、人気作家・柴崎友香(しばさき・ともか)の『また会う日まで』(河出)は、
 修学旅行のときに魅せられた「気になる」男の子を、何年かあと、
 会社の休暇とってまで、訪ねていく話。男女の間の、淡く、繊細な感情の交流描く。
 男の子にかかわる女性、さらにその回りの男女と、次々に、不思議な「愛」のかたちがあらわれる。
※高橋源一郎は「こうした男女の関係は、どういうことなのかわからないところ多い。ホワイ? という感じだ」と。
 微妙、繊細、どのように見たらいいかわからない問題が、いたるところに。
 「この世界そのもの、すべてが、書くに値する驚異の存在である、という感じ受ける」と。
 名付けて「繊細感情描写型」。これが主流。


※ただし素材的には「私小説」系。かたよりがあるように思う。
 「私」や「私の世代」に話題が限られ、ひろがりない。自分のまわりに
  心地よく美しいものを並べている感じ。虚構をつくる力、よわい。

※1974年生まれ、日和聡子(ひわ・さとこ)『火の旅』(新潮社・先週28日刊)は
 梅崎春生の名作「幻化」(1965)の舞台、鹿児島坊津・阿蘇火口を40年ぶりに訪ねる、新鮮な紀行小説。
 「私」を離れ、名作・過去の時代への敬意、興味記す。
 こうした、成熟した作品も現れている。硬軟そろい、「女性の時代」は、完成されていく空気。

※先頭は、金原ひとみか。
 芥川賞後、自分の姿勢、方向固め、文学を膨張させている。

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2007年02月27日(火)

日本語の集成

今日の荒川さんは、画期的な「新しいことばの集成」の話。
日本語「コーパス(CORPUS)」について。

コーパス=「集大成。(言語学では)言語資料」の意。
1960年代にイギリスで誕生、欧米諸国も続き、日本も着手、一大プロジェクト。
日本では、独立行政法人・国立国語研究所が進めている。
日本語の科学的研究の基礎資料、明治から現代まで大規模のデータベース。 
構築されたコーパスは2011年頃に正式公開、いま準備中。

先週、日本文芸家協会で、これについて代表者会議があった。荒川さんも参加。
国語研究所の人たちと、徹底討議した、とのこと。

※「ことば」のすべて、「日本語の、ありのまま」を集成する。
  しかも無作為抽出で。
※書籍、新聞・雑誌、白書、教科書、議事録、ウェブ、モノローグ(話しことば)、
対話、雑談、落書き・・とにかく、「書かれたことば」の全部を集める。
※明治大正の総合雑誌『太陽』だけで試したときは700万語を抽出。
今回、最終的には1億語が目標。

そもそも、コーパスの目的は、辞書とはまるきりちがうもの。
辞書は、ことばの手本にはならない。
コーパスは、誤ったことばでもなんでもいい、それを集めて、後世の人たちに、
日本語の「ありのまま」の世界を示すもの。「未来への文化財としての価値」。
江戸時代のコーパスがあれば、落書きひとつも、貴重な資料に。

ただし、たとえば俳句・短歌採録についてなど、コーパスの編集方針に疑問もつ人多い。
日本語「コーパス」は初の試みだけに、試行錯誤がつづく。

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2007年02月20日(火)

名前のない山

今日の荒川さんは、ずーっと気になっていた、尾瀬のある山について。
その山には、なんと名前がないといいます。標高1800m以上の山なのに。

今年尾瀬は注目が高い。というのも、この夏に「日光国立公園」から独立し「尾瀬国立公園」になることが
報道されたから(いまはまだ日光国立公園に含まれる存在)。

気になったのは尾瀬の湿原ではなく、ある本で読んだ、尾瀬に存在する一つの山。
その山には、名前がない。

その山は、終戦時までは地図にも載っていなかった。
尾瀬ヶ原からは見えないこともあり、発見が遅れた。
航空写真が発達するまで、誰も気にしなかった、といったほうが正確か。

とても気になったので、詳しいことを前橋市「尾瀬保護財団」に訊いてみた。
昭和20年代、航空写真で、そこに山があることがわかった。

「その後、学者の西丸震哉さんが無積雪期に登攀、頂上の火口跡が湿原化、
 丸く森が抜けたようになっていることからカッパ山と命名」。

「そのあと川崎隆章(山と渓谷社創立)氏が踏査、マイナーピークと命名」

僕が読んでいたのも、まさに西丸さんの書いた文章。
※『ちいさな桃源郷』(幻戯書房・池内紀編)の一編、
 西丸震哉さん(食生態学)「カッパ山」(昭和44年)によると。
 昭和34年ころ、西丸さんが登頂。てっぺんがまったいら。
 カッパのお皿みたいなので、「カッパ山」と西丸さんが名付けた。
※これがおそらく、あの名前のない山につけられた、唯一の愛称かもしれん

「1822m」と、高さだけを記した地図、
または「マイナーピーク」としている地図が多いが、
ついにこのほど「カッパ山」とする地図帳を発見、おどろく。
西丸さんの名付けた通りになった。

深田久弥『日本百名山』によると、
江戸末期文人画家、谷文晁(1840年没)の『日本名山図絵』には、
九州から北海道の入り口までで、90の山しかない。
ひとつひとつ写生、街道筋から見える山に限る。
山岳信仰の山、歴史のある山以外のものは、高くても、発見遅れたのかも。

信州や越中や飛騨の深い山が知られるようになるのは明治末。
越後、会津、奥羽の隠れた山が登山者の対象になったのはさらにあと。
谷川岳が知られるようになるのも昭和6年上越線開通のあと。

現在は日本中さがしても未知の山はなくなった。名無しなんて、カッパ山が最後。
いとしい感じも。すべてが分かることがいいのか。

★もうひとつ。山の読み方にも、謎が残る。
「○○山」の「山」は、「やま」か「さん」か。

※『日本百名山』には「山」がつく山が50、百山の半分(「岳」44、「峰」2、その他4)。

※「月山」(がっさん)「伊吹山」(いぶきやま)「大峰山」(おおみねさん)
「祖母山」(そぼさん)などには山も含めて全体にルビあるが、
「〇〇山」の「〇〇」にはルビがあるのに「山」にルビがないものも多く、
読めない。不親切だと思う。

※群馬の「赤城山」は、国定忠治の「赤城の山も......」のセリフで「やま」だと
ずっと思っていたが、「あかぎやま」でも「あかぎさん」でもよいらしい。
※青森の「岩木山」は「いわきやま」「いわきさん」ともにOK。
※他に医王山(いおうぜん)、大山(だいせん)も。

むずかしいときは「黙読」するしかない。

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