日本全国8時です
6月12日 「ハンカチ王子」
きょうの荒川さん、最初の話題は、なんと「ハンカチ王子」について。
※ハンカチ王子。早稲田の斎藤祐樹投手の人気で「六大学野球」が生き返り。
早慶戦は大フィーバー。きょうから始まる、全日本大学野球選手権も注目。
※今日は、ある人の登場で、その世界が俄然注目される話です。
芸術の分野でも、いままで何度も「ハンカチ王子」が生まれてきた。
●小説...坪内逍遥(27歳)。
小説は文芸の最高形態、「倫理的立場をはなれて、人性の真実を写すもの」
「文学は人間がそれに一生をかけてよい仕事である」と(小説神髄・明治⑲年)。
江戸時代の戯作者のように下に見られていた小説に日があたる。
以降、漱石、鴎外、芥川らも自信もって創作。
●三島由紀夫。16歳、『花ざかりの森』でデビュー。
「三島の才能」にはかなわないと、筆を折った人、他のジャンルに移る人が多数出た。
●村上春樹。小説界の建武の中興。結果的に純文学から離れる読者をつなぎとめた。
日常語なので、自分にも書ける、作家になれるかもの幻想ふりまく。
※小説は商業主義の支援もあり、定期的に「ハンカチ王子」が出るので、心配ない。
ところが、詩歌は、ほうっておくと、ジャンルそのものが死滅の危機にさらされているので、
「王子」の登場は、重要。
●石川啄木(明治43年・24歳)...『一握の砂』。
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」
「ふるさとのなまりなつかし停車場の人ごみのなかにそを聴きにゆく」
・・・26歳で没。永遠の青春歌。
●寺山修司(詩人・歌人)...第一歌集『空には本』(18歳・昭和33年)
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
「大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ」・・・48歳で没。
●塚本邦雄「日本脱出したし皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係も」
「馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ」2005年、84歳で没。
※寺山、塚本登場で1960・70年代は「前衛短歌」に人気集中。
●そしてもうひとり、王子じゃないけれど。1987年、俵万智、登場(24歳)。
『サラダ記念日』が空前のベストセラー。
「思い出の一つのようでそのままにしておく麦藁帽子のへこみ」
「嫁さんになれよだなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの」。
※日常感新鮮に、卓抜なセンス。
ちなみに本のカバーの推薦文は、私が書きました。あんなに評判になるとは。
短歌は古い、もうスターは出ないと思われてたときに、出た。まさに王子。
※詩人では、とにかく島崎藤村。明治30年(25歳)、第一詩集『若菜集』は、
青春と恋愛の賛歌。いなかの娘さんたちもきそって愛唱、普及・浸透度すごい。
「まだあげ初めし前髪の、林檎のもとにみえしとき、前にさしたる花櫛の・・」。
テレビが普及するような感じか。
※ついで萩原朔太郎、田村隆一、谷川俊太郎・・。
※大学野球同様、芸術も、たったひとりの若き才能でそのジャンルが活気づく。
江戸川乱歩(探偵小説)、松本清張(推理小説)、司馬遼太郎(時代小説)、
星新一(SF)、岡本太郎(芸術活動)、池田満寿夫(現代美術)、
横尾忠則(イラスト)、アラーキー(荒木経惟・写真)、つかこうへい(演劇)・・。
※共通しているのは、
・20代、革新的才能で新時代の扉ひらく。一挙手一投足が注目される。
・思い切り沈滞しているときに「王子さま」が出て、ジャンル活気づく。
・あと続かず、元通りも多いが、一度でもあると
「あんなこともあるから、がんばろうね」と、その世界の人たちの
元気の素、励みに。(模倣品も増えますが)
・一つのジャンルが輝くと、社会全体が明るくなる気分。
6月5日 ドライブ? ドライヴ?
きょうは、外来語の文字表記について。
特に「フ」に濁点か、「ウ」に濁点か。
というのも、先週、番組宛にこんなメールをいただいた。お名前は無し。
「荒川さんへの質問です。いつも通勤中に聴いてます。
先日電車内で前に立っている人が、三島由紀夫を読んでいて、
ふと「ドライヴ」という文字が目に留まり、ああ、三島由紀夫の時代から
「ヴ」を使っているんだなと思いました。ヴを最初に使った人は誰でしょうか。
突然で済みませんが、よろしくお願いします」
※三島由紀夫のSF長編『美しい星』(昭和37)に「ドライヴは快適に運んだ」。
また「夏の扇風機は五五万台売れたが、今はもう電気ストーヴがとんどん動いているよ」、
「テレヴィジョン」などで「ヴ」。ビロードは、慣習で「ビ」。
※他に「カレンダア」「スタア」「テエブル」のような表記。
※「ヴ」の使用例を探り、大体の時代は分かってきた。
●昭和30年、川端康成『東京の人』に「ドライブインの喫茶室で」=「ブ」。
●昭和18年の『明解国語辞典』に「ドライブ」。が、「ヴァリエーション」で「ヴ」。
●昭和6年、藤沢桓夫『生活の旗』に「ウェーヴ」(波)。
※さらにさかのぼると、明治45年森鴎外の小説『かのように』で、
「ウェランダの硝子戸を」と、濁点なしの「ウ」使用。
※そのもっと前、明治30年の福沢諭吉『福翁自伝』(60年の半生回顧)、
煙草を吸う場面で、「ストーヴの火でちょっと付けた」。
※他にアメリカ人「ヴェンリートという人に」にも「ヴ」。
蘭書訳語に努力した、福沢諭吉あたりが最初かと。
※江戸期(1774)『解体新書』(オランダの解剖図・ターヘル・アナトミア)を
杉田玄白、前野良沢が苦労して訳し、カタカナに。
日本人がV音と出会ったのは(B音との区別を意識した)のは、
この時期ではないか。
※濁点は、かなり古くから存在したらしい。
室町末期の通俗辞典、すでに漢字に濁点あり。
※17世紀末(江戸初期)の小説類には、「たき木」の「木」の右上に
2つの点(いまの濁点に近い)。これで「たきぎ」。
※「男共」の「共」の右上に濁点で「おとこども」と読ませる。
※だから、V音を「ヴ」と書き表すことを、江戸時代の
どこかの人がしていた可能性もある。
※結局「ヴ」は、発音に近い音を表記にするという姿勢。
※「B」か「V」かでいえば...、バイオリン、バカンス、バレーボールなどV音でも、
すでに慣用化したものは、いまも「バ」。
※シェークスピア『ベニス(英語)の商人』も、ヴェニス、ヴェネチアには変えない。
※むかしは、特定の原語(英語など)からことばが入ったため、混用が生まれた。
(例・英語=フローレンス、イタリア語=フィレンツェ。
・英語=ダニューブ川・ドイツ語=ドナウ川。・露語カフカス、英語コーカサス)。
※原音に近い「ドライヴ」と書いたところで、
読者がそのとおりに発音するとは限らない。
※あくまで視覚にうったえるもの。結局は、見た目の「語感」。
目で見るときと、つかうときで、誤差がある。それが外来語である印。
※カタカナ表記、発音の心得は...慣習にならうこと。
あまり「飛び出す」と、変に。
5月29日 新しい漢和辞典
きょうの荒川さんは、「新しい漢和辞典」のお話。
きょうは新しい辞書のハナシ。
実は、9月に出る予定の漢和辞典があるのですが、
その内容見本を見た。)
『新潮日本語漢字辞典』(新潮社・税込9975円)、9月27日発売。
とにかく、これからの漢和辞典の方向が見えてきたことは事実。
「漢字は日本語である」という考え方に立つ。そこが新しい。
内容見本に「漢字独立宣言」「漢字は日本語である!」とある。
これまでの漢和辞典は、古代中国のことば(漢文・漢詩)を知るためのもの。
だから「秋桜」(コスモス)、「浴衣」(ゆかた)、「秋刀魚」(さんま)、
「東風」(こち)、「稲妻」(いなづま)、「最中」(もなか)というような日本独自の
読み方・意味をもつ熟語は、多くの漢和辞典では掲載しないか、冷たい扱い。
漢字は中国のものではなく、いまや日本のものという視点。
新しい漢和辞典では、日本で育った意味や字形、熟語、用例などを中心にする。
たとえば、現在の中型・漢和辞典で「秋」を見るとします。
熟語の一部を並べると・・。
●秋意(秋の情趣) ●秋影(秋のひざし) ●秋河(天の川)
●秋官(古代官職名) ●秋郊(秋の野外) ●秋娘(美人)
●秋扇(使われなくなった扇) ●秋信(秋の訪れ)
●秋堂(秋の気配に包まれた建物) ●秋芳(秋に咲く花)、
●秋分 ●秋風 ●秋波(媚びる目つき)・・・。
※このうち私たちはどれだけ使うでしょうか?
おそらく70例のうち8割は使わない。
※さらにに用例は、漢詩、漢文の出典と、我々とは縁遠い。
用例も、漱石・鴎外・啄木など、日本近代・現代文学作品を中心に。
一般的な熟語(たとえば情緒、心配、経験など)を
芥川や川端、三島が文章のなかでどう使っているかわかることに。
俄然、親しみやすくなる。
本家中国の漢字は、1956年以降、略体字(簡体字)に。
伝わった先の日本は漢字文化を守り、独自に熟成。
そもそも「外国語」の辞典のように見えた漢和辞典が、リアルなものに
生まれ変わるのはいいこと。
問題点もある。
①広辞苑など、国語辞典とのかかわりが、どうなるか。
②載せない熟語・載せない漢字がふえることで、
日本語の眺望がまずしくならない工夫を。
いずれにしても、思い切った方向転換だと思います。
5月22日 5人の旅 『五足の靴』
ちょうど百年前の明治40年夏、若者5人が旅をした。
それを記した、「五人づれ」著/『五足の靴』が
先週、はじめて文庫(岩波)になった。「東京二六新聞」連載の紀行文。
5人が、かわるがわるに書いたので「五人ずれ」著。
・与謝野鉄幹(35・浪漫主義の拠点「明星」主宰)、
・北原白秋(23・早大英文予科中退、すでに詩歌界の寵児)、
・平野萬里(ばんり・23・帝大2年・歌人)、
・太田正雄(詩人・木下杢太郎・23・東大医学部1年)、
・吉井勇(22・歌人・酒びたりで早大予科中退)。
東京から汽車で厳島(宮島)。
そこから福岡、柳川、佐賀、島原、天草、長崎、佐世保、
三池(炭鉱)、阿蘇、熊本へ。※汽車、鉄道馬車、人力車、船…を利用。
白秋の故郷「柳川」にも行った。北原家は、筑後屈指の造酒屋。
最初と終りに、泊まる、いわばベースキャンプ。
東京から客人連れて長男が帰るというので室内装飾、寝具新調と、家は「祭礼のような混雑」。
福岡/川丈という旅館では。
「旅館と、温泉宿と、寄席と、氷店と、水上花火を装置した納涼店とを兼ねた家」。
(不思議な家ですが)
当時、青年たちのグループ旅行は多かった。
『明星』(新詩社)では、旅の予告(社告)を掲げた。
誰が、いつ、どこへ行くと。
地方在住の同人・愛読者との懇親、勢力拡張策。前年には南紀旅行。
この旅の成果は、2年後の白秋の第一詩集「邪宗門」、
杢太郎の南蛮趣味、異国情趣の詩に実り、一時代つくる。
それと同時に、紀行文そのものとしても大変魅力的。
この5人旅の魅力は、どこにあるのか?
「五人」であること。のびやかな気分で旅できる。僕が思うに…
一人旅は、感動分かちあえず。
二人旅はよほど親しくないと、次第にうっとうしくなる。
三人なら、嫉妬心生じる。
四人だと、二人ずつの「派閥」に。
そして六人以上だと、「誰がいたか」あとでわからなくなる。
※書き方もいい。分担性。無理なく、かえって旅が「立体化」。
※仲間選びが、たいせつ。旅は、どんな人と行くかで決まる。
これはいまも同じでしょう。
5月15日 幻想文学
大型書店の文学コーナーに行くと、その中に必ず「幻想文学」。 なんだろう?と。
ファンタジー、異端・怪奇小説、推理・冒険小説などのうち、特異な雰囲気もつ小説が並ぶ。いわゆるSFは排除など、いわくいいがたい領域。
●マイリンク(オーストリア・旅芸人の子として生まれ、晩年はプロテスタントから大乗仏教に改宗)の『ゴーレム』......プラハのユダヤ人街に古くからある人造人間の伝説、神秘的小説で世界中に影響。
●ユイスマンス(仏⑲世紀末)の『さかしま』......パリ郊外、昼と夜の時間をさかさまにし、奇怪な人工楽園つくり、失敗する独身青年の心理。
これにマルキ・ド・サド(仏⑱世紀)ランボー、ボードレール、コクトー、
『百年の孤独』のガルシア・マルケス(ノーベル賞・コロンビア)、バタイユなど。
何が「幻想文学」になるか。
・「訳者」がポイント。渋沢龍彦、生田耕作(以上フランス)、種村季(すえ)弘(ひろ)(ドイツ)、脇功(イタリア)が訳したというだけで「幻想文学」になる(笑)。
・19世紀から20世紀初頭の作品が主。近代から現代に切り替わる社会的不安が「幻想文学」の土壌。
日本の作家では,
・稲垣足穂/1977没。飛行機もの、星ものなど宇宙ものや、少年愛ものでいまも人気高い、奇人作家。
・寺山修司/1936~83。歌集「田園に死す」など、土俗的想像力。
・渋沢龍彦/1928~87。フランス文学者。サドなど異端文学の紹介評論。
・中井英夫/1922~93。塔晶夫(とう・おきお)名で書いた『虚無への供物(くもつ)』(1964)。
探偵好きの青年など4人活躍。これ以上の事件防ぐため第4の密室殺人を予想、真犯人指摘の小説書く。現実と虚構の葛藤、敗北する探偵。推理小説におさまりきらない、アンチ・ミステリーの金字塔。
貴族的で、耽美的、幻想的。中井さんは、人気があった。『虚無への供物』は大判の単行本。学生はそれを買って自慢してた(笑)。
あとは泉鏡花、江戸川乱歩、佐藤春夫、夢野久作、久生十蘭、小栗虫太郎、
最近では国枝史郎(荒唐無稽の時代小説)、橘外男が人気。いずれも故人。
昭和初期の推理・大衆小説界の人多い。
川端「片腕」「眠れる美女」、宮沢賢治も幻想小説の傑作多いが、メジャーな人は入れてもらえない、おきて。
★「幻想文学」の特徴。
・古代からの神話伝説や宇宙開闢観を「採集」したもの。
・想像力の「資源」となる。
・「偏愛的」読者が支える、不滅の分野。
・前衛文学、大衆文学の区別のない、自由な世界。
イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』(河出文庫)
マルコ・ポーロが、フビライ汗に、この世にある都市を次々に物語る。
巨大都市、地底都市、連続都市。無形都市、信じられない空想力発揮。
同じくカルヴィーノ、『不在の騎士』。
戦争に明け暮れる中世、真っ白い甲冑の中は、なんと空洞。からっぽの騎士が活躍。
ブッツァーティ『神を見た犬』(光文社古典新訳文庫)。
その中の「七階」。
病気の男。症状軽く、最上の七階に入院。重くなるとひとつ階が下がる。
一階を見ると部屋が暗い。重い患者が死ぬと、窓のブラインドが下げられるらしい。七階に、新患者が来てベッドが足りない。少しの間、一階下の六階に移ってと
いわれる。五階ならいい治療うけられる、看護婦が休暇とるので、戻るまで
もう一つ下に...。気がつくと主人公は一階に置かれていた。
自分の部屋が急に暗くなり、窓のブラインドがおりる......。
もちろん、もっと現実味のある話もある。
「文学は幻想文学として誕生した」(ボルヘス)。
幻想を通し、読者の意識が拡張。現実をふかく味わう、楽しみ。