トークパレット木曜日「スタンバイ・ブックナビ」

2012年02月02日(木)
今朝は、書評家の岡崎武志さんにお薦めの本を紹介していただきました。


★パリ、ニューヨーク、ロンドンなどで個展が開かれたこともある、日本を代表する世界的な彫刻家が佐藤忠良。昨年の3月30日に98歳で亡くなられました。
★『つぶれた帽子』はその生涯を自ら振りかえる自伝です。

★佐藤の彫刻作品は、仙台の宮城県立美術館に記念館があり、私も二度、訪れてみましたが、手近なところでは井の頭線の「永福町」駅改札を出たところに、佐藤の「冬の像」という作品が置かれている。マントを着た若い女性が、冬の冷たい空気の中、すっくと立つ凛々しい姿の彫刻です。
★吉祥寺から渋谷へ出るとき、井の頭線を使いますが、ぼくはこの「冬の像」が好きで、ときどき途中下車して見ることもあります。ご自宅が永福町にあったんですね。その縁で駅に寄贈されたようです。

★佐藤は1912年に宮城県で生まれますが、6歳のとき父親が死に、母親の実家がある北海道・夕張へ移って、そこで成長します。
★絵が好きな少年で、昭和7年に絵描きを目ざして上京し、絵の学校へ通いますが、彫刻に目覚めて東京美術学校の彫刻科へ移る。貧乏暮らしで、絵のデッサンで消しゴム替わりに使う食パンの耳が、床に落ちてるのを拾って食べたと言います。

★卒業して彫刻家になっても食えず、ずっと奥さんが働いたと言います。(結婚してできた子どもが、のちの女優・佐藤オリエさん。)昭和19年、兵隊に取られて戦地へ。満州のソ連との国境近くに送られ、ソ連軍の進攻、長い逃亡生活を経てシベリア送りになります。酷寒の地で、死と隣り合わせの生活を三年送り、四年ぶりに内地へ戻ったのは昭和23年。30代半ばになっていた。

★戦後、佐藤が土をこねる日々が始まり、目覚ましい仕事ぶりを見せる。佐藤は、美男美女ではない日本人の顔を作り続けて、「きたな作り」なんて言われた。

★そんな中の、「群馬の人」は代表作の一つですが、モデルは子どもが通う小学校の先生。よく家に遊びに来ていた。岡本先生と言いますが、ある日佐藤が「岡本先生、坊主頭になってくれたら顔作りたいんだけど」と言うと、その日のうちに坊主頭になって来て  くれたという。なかなかできることじゃありません。

★この本には佐藤の彫刻作品が写真でたくさん収録されていますが、「群馬の人」もある。海外で評価されたのは、これらの素朴な人たちの顔の作品だった。

★「あの手、この手も身につかず、ただひたすら、母や大工の顔にのめりこむようにして土を手にした頃の仕事が、国を越えて共感を得たのかもしれない」と著者は書く。

★一つのことを必死にやり続けた人ならではの、いいことばが、この本のあちこちに散りばめられています。人生、折り返し地点などと言いますが、著者は人生は「ゴールの見えないマラソン」で、「失敗の上に足を踏まえ、またやり直すことしか確かな手ごたえのないことが解りだした」と書いている。
★最後の一行が「折り返したのでは私の壁は破れない」。「手際よくごまかす術ばかりうまくなるのが心配」という一行も心に残った。読むうちに、自然に背筋が伸びてくる。

★今年の春、またいろんな夢を抱いて、多くの若者が上京してくることと思いますが、80年前に上京してきた先輩の声として、この本をぜひ読んでほしいと思いました。そして、永福町にある「冬の像」を見に行ってほしい。

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