トークパレット木曜日「スタンバイ・ブックナビ」

2012年01月05日(木)
今朝は、書評家の岡崎武志さんにお薦めの本を紹介していただきました。
 


★「どりこの」と聞いて、知らない人はどんなものを思い浮かべるでしょうか。これ、じつは昭和初期に流行した日本の「飲みもの」なんです。
★最盛期には年間に220万本というヒット商品で、海外でも飲まれた。しかも、これ、滋養飲料で「食欲不振、食べ過ぎ、二日酔い、つわり、貧血、胃腸病、高熱、疲労、神経衰弱」などに効果があり、「ときには瀕死の重病人さえも生き返らせ」て、「聖水」とまで呼ばれた。
★太平洋戦争の激化で製造中止となり、やがて人々から忘れ去れていく。帯に昭和3年生まれの作家・田辺聖子さんが「今あれば、もう一度飲みたい」と書いているから、現在、80代以上の人には、強烈な記憶として残っているらしい。

★本書は、その存在を知らなかった1961年のルポラーターが、マボロシの飲み物の謎を追ったノンフィクションです。きっかけは、東京都大田区、田園調布に「どりこの坂」という坂を見つけて、そこに書かれた説明書きを読んで「どりこの」を知る。この坂の附近に、「どりこの」を開発した博士が住んでいたという。

★誰がどう作ったのか? なぜ昭和を代表する飲み物になったのか? どうして現代では製造できないのか? 謎はたくさんあるのですが、最大の謎が、この「どりこの」を販売していたのが講談社という、現在でも大手の出版社だったということです。
★出版社が飲みものを売る、ってあんまり聞いたことがない。
 ※「どりこの」は原液を薄めて飲む甘い飲みもので、定価は昭和のはじめに1円20銭。著者は現在の価格で「5000円から6000円」と踏んでいる。高い。

★生みの親で、田園調布に住んでいたのが高橋孝太郎博士。労働生理学の先駆者で、昭和45年に83歳で亡くなっている。当時としては長生き。「どりこの」のおかげ?
★最初は「三越」で販売され、銀座の資生堂パーラーでしか飲むことができなかった。その後、講談社の初代社長・野間清治と高橋博士が出会い、意気投合し、講談社が「どりこの」の販売を一手に引き受けることになった。
★当時、講談社は「講談倶楽部」「少年倶楽部」そして「キング」など雑誌王国で、キングレコードというレコード会社を持ち、化粧品や医薬品も売っていた。そこに、飲みものが加わるのは不思議でもなんでもなかったんですね。

★著者は講談社と野間清治、そして高橋博士の人物像を描き出しながら、奇抜な広告戦略や、「どりこの」を売りまくった少年社員たちの活躍を取材で追っていきます。主役は  「どりこの」なんですが、野間清治、高橋博士のユニークな人物像にスポットライトを当てたところも、この本の読みどころなんです。

★ところで「どりこの」という商品名。いったい、何語か? 実に不思議な言葉。本書によれば、高橋博士が「どりこの」製造のヒントとしたのがドイツの学者・ドゥーリクの論文。ブドウ糖が疲労回復に効くというもの。このドゥーリクの「DURI」、高橋孝太郎の「KO」、一番弟子中村の「N」、三人の助手に共通する「O」を組み合わせたという。

★戦前に製造された「どりこの」の実物が、講談社の資料センター別室に残されていて、著者は、なんとこれを特別に試飲させてもらう。
★透き通った黄金色であるはずの液体は70年を経て、どす黒くなっていた。「間違いなく賞味期限は切れている」と言うが当たり前だ。薄めて飲むと「蜂蜜でも砂糖でもない、神秘的な甘さ」で、「ひとビン全部を飲んでしまいたくなるようなおいしさだった」と  著者は書いている。勇気があるなあ。

★「どりこの」が売られたのは、世界恐慌による不況、冷害や凶作、そして戦争と暗い時代だった。そんな時代背景があってこそ「暗い世相をも吹き飛ばす力強さと面白さ」を持つ「どりこの」が、国民に熱狂的に受け入れられたのではないか、と著者は考える。

★坂の名前を不思議に思ったところから、70年前の飲みものの謎を追う著者の作家魂には、大いに刺激を受けました。

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