トークパレット木曜日「スタンバイ・ブックナビ」

2011年11月17日(木)
今朝は、書評家の岡崎武志さんにお薦めの本を紹介していただきました。


★平成24年度の年賀はがきが今年も11月1日に発売となりました。
★総発行枚数は38億2000万枚と発表されています。普通の裏が白地の年賀はがきのほか、「ディズニーキャラクター年賀」や、「いろどり年賀」(うぐいす、ももいろ)が、同じ50円で発売されるほか、一部の郵便局で、裏面に金箔押しで吉祥模様のついた「金箔風年賀」が5枚セットで350円で売り出されるようです。

★通信方法は携帯電話とメールが主流で、ふだんは手紙も書かない人が、やっぱり年末になると年賀状を書く。ぼくも100枚以上書いて出して、出していない人から送られて来た場合、また20枚30枚と追加で新年に書きます。
★年に一度、年賀状だけのつきあいの人もいる。それでももらうとうれしい。ぼくは、毎年手書きでイラストと文を組み合わせてデザインしたのをコピー印刷しまして、宛名は手書きです。

★年賀状は日本に独自の文化を作ってきました。『年賀状と戦後史』は、そんな日本人と年賀状のつながりを、時代背景に照らし合わせて追った異色の戦後史です。

★年賀状の習慣そのものは、日本の近代化された郵便制度が発足する明治四年から自然発生的に始まったと言います。
★明治39年に、一般の郵便物と区別して年賀状を特別に取り扱うようになる。このとき、すでに四億通の年賀状が取り扱われている。昭和の戦争をはさんで、戦後、昭和21年には、もう年賀状のやりとりが始まっています。

★現在のお年玉くじつき年賀はがきも、この戦後の混乱期に生まれた。
★発案者は一般の市民で、大阪で洋品雑貨店を営んでいた林正治(まさじ)。ラジオの尋ね人の放送を聞いていて、毎日、肉親や友人、知人を捜している人がいる。それなら、お互いの無事を確かめるために、年賀状を利用すればいい。そこにお年玉をつければ、もらった人も喜ぶ。そんなアイデアを大阪郵政局に持ち込み、採用される。
★昭和25年の新年から、「お年玉くじ」つき年賀はがきがみんなの元に届くようになった。当時、普通の年賀はがきは二円で、寄付金一円プラスした年賀はがきのみ、くじがついた。枚数は両方で1億8000万枚。

★このときのお年玉くじの商品にも時代を感じます。
★特等がミシン(18本)、一等が純毛洋服地(360本)、二等が学童用グローブ(1440本)、三等が学童用こうもり傘(3600本)、4等が手箱型はがき入れ(7200本)、5等が便箋封筒組み合わせ(5万4000本)、6等が記念切手(360万本)。
★これが、昭和25年の日本人が、もっとも欲しいものだった。昭和29年の年賀はがきのくじでは、一等がテレビでした。当時のテレビの値段は、いまに換算すると140万円くらいと著者は見積もっている。このときは大いに話題になって、抽選結果にも多くの人が注目したと言います。

★昭和32年(ぼくの生まれた年ですが)用の年賀はがきから、寄附金ありでもなしでも、両方にお年玉くじがつくようになった。寄附金つきの枚数がこの時、大幅に削減される。
★その裏に、「寄付金を受ける日本赤十字社と中央共同募金の経理がずさんで、寄附金の相当部分が彼らの人件費や旅費などに浪費されていたという事情」があった。この道はいつか来た道、という感じで、ため息が出る。

★こんなこともありました。
★年賀はがきとは別に、年賀切手も売り出され、これには、十二支にちなんだ地方の郷土玩具の絵が使われた。あんまり気にせず見ていましたが、どの県、どの市の郷土玩具が切手に使われるかは、その地方にとって、絶大な観光PRの効果があったというのです。
★昭和36年用年賀切手には、この年は丑年だったので、最初、福島県の郷土玩具「赤べこ」が使われる予定だったが、当時、郵政大臣だった鈴木善幸(のちの総理)の出身が岩手県で、同じ牛をかたちどった岩手県の郷土玩具「金のべこっこ」を使ってけれ、と指示が出て、「赤べこ」と「金のべこっこ」を組み合わせたデザインになった。
★ところが、昭和35年12月の内閣改造で、鈴木善幸は郵政大臣を外れ、切手が発行されたとき、その職になかった。政治的職権を利用して、切手を作るというのがあったそうで、「大臣切手」と呼ばれた。

★その後、1973年に始まるオイルショックのときは、年賀状の発行枚数が半減するという事態に。年賀状も時代の波をもろにかぶる。
★そして1975年、衆議院本会議では、民主党議員から「郵政、電信の合理化」により、虚礼となっている年賀はがきの廃止が提案される。年賀はがきの危機です。
★これに対し、当時首相の三木武夫は「年賀はがきはわが国の古い伝統に根ざしており、残したほうがいい」と言った。このとき、三木首相が、廃止案に賛成していれば、年賀はがきは、途絶えていたかもしれない。
★販売枚数は1998年の約42億枚がピークで、年々減少しているようですが、それでも今年も38億枚からの販売枚数を保持している。
★年賀状も印刷から、プリントゴッコという家庭用の簡易印刷機のブーム、ワープロによる宛名書き、そしていまやパソコンで自由にデザインを選んで、自宅でプリントするまでに、年賀状のスタイルも変わってきました。
★今年は、東日本大震災と福島の原発事故があり、重苦しい時代で、年賀状にも「おめでとう」と書かないという配慮や、被災された方は欠礼されても仕方ない。
★それでも、著者は「おわりに」で、いまでも祝電や弔電など、電報が決して消滅しないように、販売枚数は減っても年賀状が「今後も、我々にとって最も身近な『文化のかけら』であり続けるに違いない」と書いています。ぼくも早速、12月に入ったら、年賀状の準備を始めるつもりです。

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