トークパレット木曜日「スタンバイ・ブックナビ」

2011年10月06日(木)
今朝は、書評家の岡崎武志さんにお薦めの本を紹介していただきました。



★小林信彦さんは、ぼくが現代作家のなかでもっとも好きな作家の一人で、出された本は全部読むよう心掛けています。昭和7年生まれだから、来年はもう80歳。
★「流される」は小説でして、「東京少年」「日本橋バビロン」と先に出た作品とあわせて自伝的小説三部作の完結編。

★著者の実家は、「立花屋」という両国の橋のたもとにあった和菓子屋。創業は享保8年(1723)という老舗で、お父さんが九代目。著者は長男で、戦後に父親が亡くなった時、店を継がずに老舗は廃業。そのあたりのことが「日本橋バビロン」に描かれている。

★人間、両親と、生まれた時代と、場所は、自分では選べない。著者は生まれた時に既に日本は戦争中で、東京下町の商人に家に生まれ育ち、国民学校6年のとき、山奥の村へ疎開していじめられる。中学高校と青春期を戦後の真っただ中に送る。
★小林信彦という作家は、この自分の置かれた環境、運命を、非常に冷静な目で観察し、文章にしてきた人です。

★本書「流される」は、たぶん幸田文の小説「流れる」に引っ掛けてあるのだと思いますが、東京・青山で工場を営んでいた母方の祖父の人生、戦後の東京の風景と風俗、そして自分の青春を描く。それは、まさに時代の波に「流される」日々でした。

★ぼくがもっとも興味深く読んだのは、著者が自分の目で実際に感じた戦後という時間、そして東京の風景です。
★敗戦後、昭和21年3月に疎開先の上越から東京へ戻ってきた14 歳の著者は、地下鉄に久し振りに乗り、青山一丁目駅から地上の「タイルの壁に触れるのが嬉しかった」と書いている。都電の描写もあちこちに出てくる。著者が青山にある祖父の家に身を寄せ、文京区大塚にある中学に通うシーン。

★「渋谷発の都電に青山一丁目で乗り込む。電車はそれほど混んではいないが、少し走ってはすぐ止まるので、時間がかかる。赤坂見附からは坂をゆっくり登って、三宅坂でポイントを切り換える。私が乗っているのは須田町行きの電車だから、車掌は一度おりて、半蔵門の方角にポイントを切り換えるのである」
★なんでもないシーンですが、都電に乗って東京を移動していた経験者には、実感にあふれ描写の細かい、たまらない文章だと思います。

★中学の夏休みには渋谷から六本木あたりをうろつく。六本木は空襲を受けて何もなかった。花屋のゴトウと古本屋があるだけ。この古本屋は、誠志堂と言いまして、つい最近まで六本木交差点近くにあった。
★著者はこの誠志堂へ入って、本棚の上に翻訳ものの探偵小説があるんですが、公務員初任給2000円時代に、一冊200円から300円したという。ぜいたく品。「それを息を詰めて見上げるのが夏休みの日課だった」と書いている。

★父がはいていた白いズボンで銀座へも行く。邦楽座がピカデリー、東宝劇場がアーニー・パイルと名を変えて日本人は入れない。
★白いズボンの中学生は「やつら(米軍)にあずけておけば、ひどく汚しはしまいという安心感があった。これがソ連軍だったら、どういうことになるかわからない」なんて考える。ませた中学生なんですよ。
★でも、探偵小説と映画が好きで、ひどく大人びてクールな中学生というのが、まさに作家・小林信彦の原型でもあるんですね。

★写真や映像とはまた違う、生き生きした実感にあふれた東京物語として私は読みました。

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