トークパレット木曜日「スタンバイ・ブックナビ」

2011年09月22日(木)
今朝は、書評家の岡崎武志さんにお薦めの本を紹介していただきました。


★今年、東日本震災後、四月に某洋酒メーカーのテレビCMで、歌手俳優さまざまな人がリレーで「上を向いて歩こう」を歌う、というのがありました。これ、よかったです。
★歌手は矢沢永吉さん、和田アキ子さん、俳優は三浦友和さん、宮沢りえさん、それから村田兆治さんなんかも「上を向いて歩こう」を歌った。総勢71名が参加、みなノーギャラだったと言います。「見上げてごらん夜の星を」も同じように歌われて、どちらも坂本九さんの曲。それから「上を向いて歩こう」をあちこちで聞くようになった。
★いま公開中のジブリ・アニメ「コクリコ坂から」でも挿入歌で使われている。永六輔作詞、中村八大作曲、坂本九歌という六八九トリオが生んだ歌は、うちひしがれた人を励ます歌だと再認識しました。

★「上を向いて歩こう」が誕生したのは昭和36(1961)年というからちょうど50年前。昭和36年と言えば、ジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任。東西ベルリンに壁が作られ、日本では岩戸景気に沸き、赤木圭一郎が死亡しています。

★ラーメン一杯50円でした。そんな年「上を向いて歩こう」は大ヒット、2年後「スキヤキ」のタイトルで全米チャート一位も獲得。そして今、また歌い継がれている。

★この本を書いた音楽プロデューサーの佐藤剛さんは、「上を向いて歩こう」を「奇跡の歌」と呼ぶ。この歌はどんなふうに作られたか、また、なぜアメリカで大ヒットしたかなど、歌の魅力と謎に迫ったノンフィクションです。

★まず誕生秘話、ですが、なんとなくNHKのバラエティ「夢であいましょう」のなかで作られて、ヒットしたと思っていましたが、最初に歌われたのは昭和36年7月21日大手町の産経ホール。

★第三回中村八大リサイタルがあって、この日、初めて坂本九が「上を向いて歩こう」を歌う。このリサイタルは、第一部が、中村八大がピアノでジャズを演奏、第二部が中村八大が、この日のためにすべて書き下ろした曲を、いろんな歌手が歌う。
★江利チエミ、ザ・ピーナッツ、水原弘、デューク・エイセス、加山雄三など。すごいメンバー。そのなかに、19歳の坂本九が混じる。「上を向いて歩こう」を歌う。

★例の「ウヘッフォムフフイテ アルコフホフホフホフ」という歌い方。このとき作詞者で舞台監督をつとめた永六輔が、この日初めて坂本九に会ったと言いますが、この歌い方を聞いて耳を疑った。ふざけているのかと思ったという。
★ところが、廊下で坂本九の歌を聞いていた(もちろん初めて)ハナ肇と水谷良重が「いい歌だな」「こういうのヒットするよね」と言ったというんです。

★このとき客席にいたNHKディレクターの末盛憲彦もまた、この曲に手応えを感じて、その年の春から始まっていたテレビ「夢であいましょう」で歌わせた。すると大反響。
★翌週も翌週も歌い、ついに「今月の歌」として二カ月歌う。

★レコード発売はその年の10月。爆発的ヒットで坂本九はスターになる。まあ、ここまではよくあるヒット曲とスターの誕生物語と著者は言う。いや、じゅうぶん凄いと思いますが、著者はこの曲の背景にある謎にもっと踏み込んでいく。

★まず中村八大。昭和20年代後半、ビッグ・フォーというジャズバンドで大人気。北海道の十日間の公演で、一人あたり、現在の一千万円のギャラをもらっていた。   
★ところが人気と多忙でクスリにハマっていく。坂本九が登場する第三回リサイタルの前、第二回リサイタルを昭和33年にやっていますが散々な出来。禁断症状を克服し、再起を賭けたのが第三回リサイタルだった。
★このとき歌われた「上を向いて歩こう」の楽譜がありますが、よく見ると坂本九の歌は譜面の指定とは違う。譜面では一小節を四つに切ってるところを、坂本九は八つに切って歌っている。

★著者は「8ビートのロックンロール・ナンバーのように歌っている」と分析する。中村八大はそれを許した。八大さんは歌手と新曲のレッスンをするとき、歌手が何度も間違えると、その間違えた方を採用して譜面を書き換えた。そのほうが歌いやすいから、という理由で。

★永六輔。中村八大と名コンビ。二人の曲づくりは詩が先。それを中村八大が自由に手を入れて、一曲にした。八大は永が書いてきた詩の一番大切なところを探す。それを柱にする。だから、ほとんど歌い出しがそのままタイトルになる。「黒い花びら」「夢であいましょう」「上を向いて歩こう」「おさななじみ」「こんにちは赤ちゃん」、たしかにそうです。

★永六輔は「光子の窓」の台本を書いていたが、安保の集会に参加するため、台本をすっぽかして井原高忠からクビにされる。「上を向いて歩こう」の歌詞は、安保挫折の思いが込められている、とこれは著者の見立て。

★坂本九。プレスリーに憧れて16歳で歌手に。実家が花街の料亭で、小さい頃から三味線の音を聞いて育った。長唄やどどいつを歌った。永六輔はそのことを知って、九の歌い方「ウヘッフォムウフイテ」は日本の伝統音楽から来ていると悟る。
★著者は、坂本九の「ビート感」を高く評価して、これがあるから、コトバのわからない海外でも「スキヤキ」はヒットしたと言う。この三人、どれが欠けても、「上を向いて歩こう」は「奇跡の歌」にはならなかった。

★さて、アメリカでなぜ「上を向いて歩こう」が「スキヤキ」としてヒットしたか。ラジオがきっかけだった。日系人が多いカリフォルニア州中部の町で、地元ラジオ局に日系アメリカ人のリスナーが一枚のレコードをかけてほしいと持ってきた。DJはこれを気に言って、一日に何度もかけたと言います。日本語がわからないので、とりあえず「SUKIYAKI」とつけた。リクエストが急増し、これに目をつけたレコード会社キャピトルが発売して、全米ヒットにつながる。キャピトルはその前、イギリスから売り込みに来たビートルズというバンドを断っている。ビートルズを断って坂本九。なんともすごい話です。

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