トークパレット木曜日「スタンバイ・ブックナビ」

2011年07月28日(木)
 

今朝は、書評家の岡崎武志さんにお薦めの本を紹介していただきました。

★宮澤賢治は昭和8年、約80年前に、37歳という若さで亡くなっています。いまでもよく読まれ、熱烈な愛好者がいる文学者です。
★これまで宮澤賢治については、既にたくさん本が出ていますが、この本は、自然観察者としての賢治をクローズアップさせ、「とんぼの本」というシリーズらしく、美しい写真、貴重な写真をたくさん使って、新たな視点から賢治を読み解いた本です。

★震災後、俳優の渡辺謙さんが賢治の詩「雨ニモマケズ」を朗読した画像がユーチューブにアップされ、被災者を力づけた、と話題になりましたが、じつは、賢治の一生の背景にはさまざまな災害がありました。作家の重松清さんが、賢治の跡を訪ねてサハリンを旅行した文章にこう書いています。

★「賢治が生まれた一八九六年は明治三陸大津波と陸羽地震の年で、没年の一九三三年には昭和三陸大津波が起きた。樺太旅行の直後、一九二三年九月一日には関東大震災が起きている。さらに天候不順による凶作があり、日露戦争と第一次世界大戦があり、  世界大恐慌があった。賢治の三十七年間の人生には、常に、無数のひとびとの悲しみが影を落としていたのだ」

★「銀河鉄道の夜」にジョバンニとカンパネルラのこんな会話がある。「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」とジョバンニ。「うん、僕だってそうだ」とカンパネルラ。そこでジョバンニが続けて言う。「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」。
★一生をかけて、人間の「ほんとうのさいわい」を考え続けた賢治。重松さんは「宮澤賢治なら、この震災の被災者にどんな言葉を手向けるのだろう」と書く。

★この本の写真を担当した小松健一さんは、賢治が盛岡高等農学校時代、親しくつきあい、賢治の作品にも影響を与えた保坂嘉内という友人について書いている。
★保坂の生家は山梨県韮崎市。この韮崎から八ヶ岳が眺められ、保坂は何度も八ヶ岳に上って、スケッチをしているのですが、そのなかに八ヶ岳山麓にある「風の三郎社」という祠のスケッチが残されている。寮で同室だった賢治に、保坂は故郷のこと、「風の三郎社」の話をしただろうと小松さんは想像する。「風の又三郎」がここから生まれた、  という説を出している。

★賢治の学校の後輩にあたるエッセイストの澤口たまみさんは、賢治作品に現れる鳥や虫、動物、植物など自然描写を取り上げ、「自然から紡いだ言葉たち」と題して解説する。
★カエルが登場する童話「蛙のゴム靴」には、雨が降るのを待って雲を眺めるカエルたちが描かれている。雲を見ながらカエルたちが言う。「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」/「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」/「実に僕たちの理想だね。」/雲のみねはだんだんペネタ形になって参りました。
★「ペネタ形」とは、澤口さんによれば「賢治の造語で、入道雲が崩れて今にも雨が降り出しそうな、アマガエルにとっては最高の雲を指している」そうです。
★この文章には、岩手山にかかる見事な「ペネタ形」の入道雲の写真が添えられている。

★そのほか、岩手の自然を撮った、じつに美しい写真がふんだんに使われていて、そこに賢治の作品から詩や文章が引用されている。文章が詰まったページもあるのですが、ぼくはこの本を数日カバンに入れ、写真をペラペラと。そういう楽しみ方もできます。

★また、一生独身を通した賢治ですが、最後に小学校の先生との「秘められた恋」についても、新証言を含めて明らかにされています。週刊誌なら「スクープ!」というところ。

★繰返しになりますが、大津波の年に生まれ、次の大津波の年にこの世を去った宮澤賢治の生涯と作品は、これまでにも増して、いま、心に深く届くはずです

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