トークパレット木曜日「スタンバイ・ブックナビ」

2011年03月24日(木)


今朝は、書評家の岡崎武志さんにお薦めの本を紹介していただきました。

★暦ではまもなく3月も終わり、いよいよ4月。新学期、新入学の季節。
★生徒や学生たちは、新しい教室に入って、新しい仲間との出逢いが待っている、と共に新しい先生との出逢いも待っています。
★学校時代のことを思い出すと、友だちのこともそうですが、いろんな先生のことも思い出される。いい先生との出会いは大切で、その後の人生においても大きな影響を  受けることになる。

★今日、ご紹介するのは、子どもたちに多大な影響を与えた国語の先生のお話。副題の「エチ先生」とは、もと灘校の国語教師、橋本武さん。
★愛称が「エチ先生」で、みんな生徒はそう呼んだ。今年数えで百歳を迎えましたが、いまだにカルチャーセンターなどで教える現役の先生なんです。それだけであっぱれ。

★「奇跡の授業」とはどういうものか。岩波文庫に『銀の匙』という作品があります。エチ先生は、戦後、教科書もノートも使わず、この『銀の匙』ただ一冊を、中学三年間かけて読むという授業を三十年続けた。
★先生と、教わったかつての生徒に取材した著者によれば、それは「生徒の興味で脱線していく授業、『わからないことは全くない』領域まで一冊を徹底的に味わい尽くす」というものでした。流行りのコトバでいえば、究極のスロー・リーディング。

★橋本は昭和九年に当時中学だけだった灘校に赴任。
★いまでこそ灘校といえば、東大入学者数の上位を誇る進学校ですが、戦前は私立より公立の時代。橋本も灘校の名前さえ知らなかった。
★戦後、高校を新設し、同時に「一教科、一教師で六年間持ち上がり」という一貫教育を行う。そこで橋本は決意する。


★新入生から教科書を使うのをやめて『銀の匙』を三年間かけて読もう。昭和二十五年のことでした。教科書どころかノートも使わない。毎回、手製のプリントを配り、そこには『銀の匙』を身近な話として読むヒントが散りばめられていた。

★『銀の匙』とは、中勘助が明治の終りから大正にかけて書いた自伝的作品で、東京下町で育った少年時代を回想している。岩波文庫には昭和十年に入りましたが、つねに、この文庫の売り上げ上位を誇る人気作品。病弱な少年が見聞きした世界が、繊細な名文で綴られている。それをどんなふうに授業にしたか。

★たとえば「丑紅」というコトバが出てくる。プリントに「丑紅」の説明があり、エチ先生が黒板に「丑」というコトバの説明のために「十二支」そして「十干」の表を張り、中国の暦の解説をする。
★「甲子園球場」の「甲子」、「還暦」、「丙午生まれ」など、『銀の匙』からどんどん離れ、授業が続く。この授業を12歳で受けていたのが山崎敏充くん。いまは最高裁判所事務総長です。敏充くんは、この日から、自宅までの帰り道、「神社や寺社の名前、料理店や駅の看板などが、すべて意味のあるものとして映るようになった」と言います。
★あるいは「凧揚げ」の場面。主人公の気持ちを追体験させるため、エチ先生は美術教師と組んで、骨組み作りからの凧揚げを生徒にさせる。いまで言う「総合学習」。

★ある年、灘校の新入生にアンケートをとったところ、「国語が好き」という生徒は5%だったのに、一年後、「95%が国語が好き」に変わった。
★著者が取材のなかで、エチ先生が繰り返したことばを紹介している。それは「国語はすべての教科の基本です。学ぶ力の背骨なんです」でした。まったく同感です。

一覧へ戻る

ページトップへ