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【映画評書き起こし】宇多丸、『何者』を語る!(2016.10.22放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

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「映画館では、スペシャルウィークにも新作映画が公開されている。
一体、誰が映画を見張るのか?
一体、誰が映画をウォッチするのか?
映画ウォッチ超人、シネマンディアス宇多丸がいま立ち上がる――
その名も、週刊映画時評ムービーウォッチメン!」

宇多丸:
ここから夜11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーでございます。スペシャルウィークの今夜扱う映画は先週「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して当たったこの映画……『何者』!

(BGM:中田ヤスタカ『NANIMONO feat. 米津玄師』が流れる)

『桐島、部活やめるってよ』の原作者、朝井リョウの直木賞受賞作を、演劇ユニット「ポツドール」の主宰者で、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』などの監督を務めた三浦大輔が映画化。就職活動のために集まった5人の大学生たちの本音や、自意識の七転八倒をSNSなどを通じて描き出す。出演は佐藤健、有村架純、二階堂ふみ、菅田将暉、岡田将生らということでございます。ということで、この映画を見たよというリスナーのみなさんからのメールをいただいております。ありがとうございます。メールの量は、普通よりちょっと多め。ああ、そうですか。この番組に関してはね、やっぱり注目度が高いんですかね? 10代後半から20代の投稿が多いということでございます。

賛否の割合は「賛」が9割。「よかった。というか、刺さった」という人が多かった。いま、まさに就活中の人から、割と年齢が上の人も非常に刺さった人が多かったということでございます。ただし、一部の原作小説ファンからは「原作からの改変が上手くいっていない」という意見も。また、「現実の就職活動と比べてリアルだ」という人もいれば、「現実と乖離している」とか、あと「普通すぎてこれを映画にするほど?」と、相反するような意見も見られたということでございます。代表的なところを紹介しましょう……

(メール紹介中略)

はい。ということで、ちょっと駆け足で申し訳ありません(注・この日は日本シリーズの中継が延長したため、放送開始が30分遅れた)。メールをいただいた方、皆さん、ありがとうございました。

私も、『何者』ですね、今週バルト9、TOHOシネマズ日本橋、そしてTOHOシネマズ六本木と結局、連続して3回見てきてしまいました。まず、僕の結論から先にさっさと言っちゃいます。あの、万人にすすめやすいような、ストレートなわかりやすい面白さ、みたいなもので満たされているタイプの作品ではないです。同じく朝井リョウ原作の『桐島、部活やめるってよ』。この番組では2012年9月16日にハスリング(映画評)いたしましたが。『桐島』のような映画としての圧倒的な完成度というところまで行っている作品か? というと、正直それはそこまで至らないかもしれないとは思います。

ただ、僕個人は結局ですね、最後のエンドロール……中田ヤスタカさんのあの曲が流れるエンドロールを見ながら、完全に打ちのめされていた。というより、もっと正直に白状すれば、ちょっと恥ずかしいぐらい嗚咽していましたっていう。こんな、体の内側からヒクヒクくるぐらいきちゃったのは結構『クリード』以来かもしれない、ぐらいの感じでございます。ちなみに、僕自身は大学時代、就活、就職というのを結局しなかったクチでございますし、常々公言している通り、いまはSNSも全くやっておりません。見てはいるけどね! 人のを見てはいるけど、自分ではSNSをやっていないという立場なので、この作品が描いている題材とは距離がある立場とは言えるはずなんですけども。

それだけに、だからこそ……要するに、就活も俺、したことないし。SNSもやっていない立場だからこそわかるのはこれ、ものすごく普遍的な話だと思います。つまり、「“何者”かになる手前の存在としての若者」だったことがある人なら、誰でも思い当たるところがある、非常に普遍的な話だと僕は思いました。というのもですね、「可能性が開かれている状態=青春」というのが僕の定義であるというのをですね、『横道世之介』という映画の評を2013年3月24日にやりました。その『横道世之介』という映画の評とか、あとこの前やった『君の名は。』評の中でも僕、出しましたけど。

とにかく、開かれている可能性としての青春。開かれていた可能性から、差し当たってひとつの道を選びとって進んで行かなければいけない時期。とりあえずは青春の可能性を閉じる、青春を終わるタイミングっていうのは、誰にもかならず訪れるわけですし、まさにその自分の人生をほぼ決定的に方向づけてしまう選択のその手前の部分で、いまだ何者でもないからこそ、人に対しては……たとえば同世代の人とかに対しては卑屈になったり、虚勢を張ってみたりっていう、まさしくその自意識の七転八倒。そしてその末にいろいろと「やらかしてしまう」っていうのもまた、これ時代に関係なく、多くの人が、多くの元若者が歩んできた道なはず。っていうか、若者じゃなくても、いまもまだ、ひょっとしたらそこを抜け出ているとは言えないかも? みたいな道だと思うんですよね。

なので、たとえば僕自身も就活はしていない、SNSはやっていないけども、特に大学入りたての頃の会う人、会う人、実は互いに暗黙の品定め、マウンティングをしていたなと。で、それに対して僕、すごい恥ずかしい告白をすれば、劇中で佐藤健演じる拓人くんがやる、ある最悪の行為があるんですけど。それに近いことを――SNSは当時なかったですけど――やっていた。辛辣な人物批評みたいなのを手帳にずっと書いたりしていたっていうね。だからそれを、忘れていたんだよ! それを、映画を見て久々に思い出させられて、『桐島』の時同様、あまりのその痛々しさに、スクリーンに映っていることと、スクリーンに映る自分の……そこ映る自分の痛々しさに、「もうあの時代に引き戻さないでくれ~っ!」と、久々に。まさにこれこそ、スクリーンに向かって「おいっ! 人に向かって指をさすな!」というね(笑)。「指をさすな」系の映画だなという風に思いましたけどね。

事程左様にですね、その『桐島、部活やめるってよ』の時と同様にですね、それぞれの観客がそれぞれの立場から、劇中の人物に自分を投影して悶絶したり、自分はああだった、こうだったと話し合ったりという風にしてこそ。そういうのこそが、この『何者』という作品のもっとも正しい楽しみ方であり受け止め方、咀嚼の仕方じゃないのかな? という気もしています。ここでクドクド、僕が自分の解釈を言うよりは。

ただ、あえて言えばこの映画、最初にも言ったように決して万人にすすめやすい、わかりやすい面白さで満たされているわけではないので、ちょっとそのあたりは言っておきたいと思います。特に前半部は、これはまさに主人公、あるいは主人公たちがまさにそういう時期にいる人たちだからということでもあるんだけど。お話が本当にはどこに向かっているかっていうのがはっきりしないというか、割とフワッとした作りになっているわけですよ。もちろん、就職活動の話なんだから、差し当たってはどこでもいいけど会社から内定をもらうっていうのが一応の目的であるのは確かなんだけど、じゃあその「内定を勝ち取る」っていうのがね、この話のゴールか?っていうと、まあ明らかにそうじゃないですよね。この話ね。そういう話じゃないっていうところに進むわけですよね。じゃあ、何なのか? 何が本当の目的なのか?っていうのを主人公たちが手探りで探しているような状態がずっと続いている。これがまあ、映画の前半なわけですよ。

しかもそれが、あえて……半ばあえてのまったりしたペースで進む。まあ、言っちゃえば半分ミスリード的に、あえてのまったりした感じで進むので、観客によっては、特に前半部は「これ、何の話?」って思ってしまう人も……『桐島、部活やめるってよ』もやっぱり「何の話かわかんない」っていう人が一定量いるのと同じように、やっぱり一定の観客が「何なの、これ?」ってなる人がいるのもわからいではない。僕もちょっと、「もうちょっとテンポアップできないのかな?」って思う瞬間は前半、多々あったりはしましたけども。ただその、表面上なんとな~く、まったりとつつがな~く進んでいく若者たちのイマドキ就活を巡るあれやこれやの端々から、時折フッと非常に不穏なニュアンス。それこそ、各々の若者が底に抱えている悪意というか、底意のようなものが垣間見えるたびに、先ほどから言っているように、まるで自分の中の醜い、みっともない面を鏡で見せられているようで非常に居心地が悪い。胃がキリキリと痛むような思いに駆られるという――これ、褒めてますけども――というようなことなわけですね。

非常に要するに細か~い、微妙な機微を楽しむのが前半であるのは間違いない。で、このあたり、脚本・監督の三浦大輔さん――劇団ポツドールというのを主催されています――の、まさに真骨頂。大根仁さんが監督された『恋の渦』であるとか、ご自分で監督された映画であれば前作にあたる『愛の渦』であるとかっていう、まあどちらもすさまじく意地悪で楽しい作品でしたけども。その2作みたいに「性」っていうものの身も蓋もない要素が今回は全くない分ですね、むしろ上っ面コミュニケーションの欺瞞性、ヤダ味みたいなのがより際立っているんではないかと思います。要は三浦大輔さんが描く、いつもその人間のそういう「実は……」な醜い面みたいなのを暴いてみせる作風と、朝井リョウ作品、朝井リョウの小説の相性っていうのはそもそもがよかったのかもしれないと思うんですけどね。

なにより今回、三浦大輔さんによる映画化であるというのが非常に大きなプラスになっているという風に思われるポイントがあって。それはやはり「演劇要素」の扱い方だと思いますね。佐藤健さん演じる主人公の拓人っていうのはもともと学生時代演劇をやっていたと。で、その演劇をやっていた元相棒でいまは1人で劇団を立ち上げている烏丸ギンジというキャラクター。これ、顔ははっきり映画では見せないんだけど、烏丸ギンジというキャラクターがいて。で、その烏丸ギンジが主催している舞台を、具体的に舞台として作り込んで、本当に公演している劇団のように、一種ドキュメンタリックに見せた上で、それを要所で、就職活動という、一種舞台上の演技(的)でもある……会社の前で自分を演技してみせる舞台上の演技であり、同時にその身体ごと、存在ごと晒すしかない戦い、もがきでもある。その点でやっぱり演劇と重なる。(演劇と就活を)カットバックさせてシンクロさせる。この就活カットバックシークエンスもやっぱりドキュメンタリックに撮っていたりなんかして。シンクロさせることで全体のメッセージをより熱く、エモーショナルに浮かび上がらせることができているということになっていると思うんですね。

それに加えてですね、さっき言った特に前半の、あえてのフワッとしたお話運びの裏にあった真実が、まあ怒涛のように明らかにされるクライマックスというのがあるわけです。要するに、前半のフワッとした作りはある意味ミスリードだったわけですけども。もちろん、勘のいい人ならその主人公の拓人くんを見ていてですね、「どうせこいつ、そういうようなことやっていたりするんだろうな」っていうのは早めの段階でわかったりはしていると思うんですよ。ただそれだけにですね、つまりこういうことですよ。自分が客観視しているつもりだったある状況。自分がクールに客観視しているつもりだったその状況たちがことごとく、その客観視して密かに悦に入っている自分ごとさらに客観視されてしまうというように、次第に舞台化されていく見せ方、演出をしているわけです。

ここ、本当に圧巻で。しかも、もちろんそれはSNS、Twitterというものの劇場性というものともシンクロしているわけで。で、その演出が演劇度(を増すほどに)、つまり悪意ですね。悪意みたいなものが次第にドライブしていく、イヤ~な感じがドライブしていくあの感じ。僕、「映画の中の演劇的演出」の使い方の中でも、今回の『何者』は結構トップクラスの納得度というか、必然を感じさせる。非常に面白い使い方をしているなという風に思いました。でも本当に、その「人や物事を客観的に見ている賢い俺」を客観的に見られる恥ずかしさって、そんなこと指摘されたら基本、誰も逃げられないだろっていう。「やめろっ!」っていうね(笑)。まあ、これは褒めてますけど。そういう話だと思います。

ただ、僕が今回の『何者』という作品を大好きなのは、そういう人としての醜さ、みっともなさ、恥ずかしさを、決して高みから、一方的にあざ笑ったり、一方的に批判するとか、そういうことじゃない。また、青春。可能性が開かれた状態の終わりっていうのを、それこそね、「あの頃がいちばん人生でよかった」とかそういう風に否定的に描くのでもなく、その自らの限界を認めざるを得ない瞬間、非常に苦い青春の終わりっていうのを容赦なく見つめながら、実は、そこからこそ本当の人生が始まるんだよと。決して穏やかではないかもしれないけど、大海原が、それこそ開かれた可能性が、そこからこそ広がっているんだよっていう、極めて真っ当な、大人なバランスで登場人物たちを文字通り「送り出している」ところ。これに僕は心底感動したわけですね。意地悪な話なのに、「いや、なんて優しいんだよ!」と。

だからね、最後の最後ね、中田ヤスタカさんと米津玄師さんの主題歌が流れ出して、主人公がビルの中から外へ出るのを背中から追いかけるっていうだけのラストショットが、巨大な感動を呼び起こす。彼が次の世界に出ていくっていう。もう僕、いま言っているだけで涙ぐんできちゃうぐらいですけども。予告で出てきたコピー「青春が終わる。人生が始まる。」。これがもう、ある意味いちばんこの作品のね、本質を簡潔に言い当てちゃってはいるんですよね。はい。主人公だけじゃなくて、たとえば役回り的にはいちばん嫌な感じともいえる岡田将生さん演じる隆良っていう役がいるけども。彼だって、拓人と同じく自信がないからこそ虚勢を張っているっていうのが見えるからこその、愛おしさっていうね。特に今回の映画版では、小説版にはない、彼のほうが拓人より一足早く人として成長しちゃっているじゃないかっていう、そのくだりもあったりして……っていうところも含めてですね、とにかく出てくる人々みんな愛おしいということですね。役者陣全員、一人ひとり「ここがよかった、ここがよかった」って言いたいけど、時間があんまりないんですが。はい。ということでございます。

まあ、言いたいことがあるとしたら、やっぱり前半の、小説だったら拓人の言い分みたいなのに100%思い入れた上での逆転っていう驚きがあるけど、映画版だとやっぱり佐藤健さん演じる拓人はちょっと不自然なまでに受け身っていうか、黙ったままのキャラクターになっちゃっているため、ミスリードが多少不自然。あるいはテンポ、役者の演技の間っていうのを割とそのまま生かすテンポっていうのが、もうちょっと映画的に刈り込めるんじゃないか? とかですね。あと、Twitter描写で僕が思ったのはね、最後、クライマックスに出てくるあるアカウント。いちばん肝心のあるアカウント名が出る。それはいいんだけど。グッと来る場面なんだけど、あいつ、もっと絶対に数、つぶやいているから。ツイート数80しかなかったじゃん? ああいうやつはだいたい1万とかつぶやいているからね!

まあとにかくこういう感じで何時間でも語り合いたい作品でございます。まあ、『君の名は。』と対照的な、非常に苦い青春映画を同時期に劇場にかける東宝の凄みみたいなのを感じましたし。今後は僕、街中でリクルートスーツの一団を見るだけで涙ぐむ可能性がある。本当に大好きな、大切な一本になってしまいました。言いたいこともありますが、本当にこれはおすすめでございます!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『金メダル男』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下、ガチャ回しパートにて>

ええと、『何者』に関してはちょっと今日、時間も短めになっちゃっていましたし。結構スタッフとかも語りたい人……橋Pとかもものすごく熱くなっていたんで、ちょっと熱が冷めなかったら来週あたり、放課後クラウドとかやってもいいのかな? ぐらいには思っています。やっぱね、それは朝井リョウさんの原作が、そういうなにか力があるんですかね? こう、やらせるというのはね。

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過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!
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