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蜷川幸雄さんの死で考える「了見」

東京ポッド許可局

6月5日放送分のエンディング。

 

5月12日に亡くなった演出家・蜷川幸雄さん。告別式では、舞台に携わった俳優陣が涙ながらに弔辞を読み、その全文が出回りました。
 

マキタ:「京都で溝端淳平くんと一緒にいたんですが、彼も、蜷川さんに鍛えられたと。どうたった?って聞いたら・・・」
 

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藤原竜也さんも言ってましたけど「憎しみしかなかった」と。ケチョンケチョンに言われて。
 
1回目に出演した時はさほど…だったけど、2回目の舞台では本当にすごくて。
今でも、蜷川さんの声が頭をよぎったり、蜷川さんの声がテレビで流れたら「ビクッ」となるんだって。
 
人格も否定されるような。そんな経験ある?
そんなことまでして、何か事をなさなきゃいけないっていう。
 
もちろん、憎しみとは言っても、その先にあるものが、お互いにわかっているから言ってるんだけど。
 
お笑いの世界だったら、談志師匠をもってしても、お笑い側というか、談志師匠のウィットみたいなものがあって、その中で「感じろよ、お前」ってなる。
 
そうじゃなくて、蜷川さんは言葉のスパルタ

お笑いだったら、そこまでやると大事なお笑いが逃げてっちゃうでしょ。
お笑いの感性の領域には、そういうのが無いと思う。
 
そこまでして成り立たせなくちゃいけない演劇って、なんなんだろう。
 

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タツオ:「お芝居を選ぶか、お笑いを選ぶかの人種の違いもあると思う。お芝居を選ぶ側の人たちは、うっとり系、星のような目をした人が多いと思う。
 
お笑いやろうと思う人たちは、どこか一歩引いてる。学校の教室の中で、先生に突っ込みを入れてた側。体制にモノを言っていた側だから。
 
でも、クラスの人気者だと、身ぐるみ剥いでやんないと…というのがあるのかもしれない。演出家的に」
 
 
マキタ:「顔がかっこいいだけといったら語弊があるけど、漠然と、俳優になりたいという感じで飛び込む。そういう子が役者で入ってきたときに、どこを鍛えて、どこを削り取らないといけないのか。舞台に立つというのは嘘じゃないですか」
 
タツオ:「かっこいい子かわいい子って、逃げ場があるから。精神的にも。そういう逃げ場を無くす作業が必要なんだろうね」
 
マキタ:「嘘とか、欺瞞とか、スケベな気持ちを全部ぶっ壊す作業だったのかな」
 

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鹿島 :「一旦、自我をぶっ壊されて、そこで新しい自我を作る場。よく、再生工場じゃないですけど、阿部寛さんだってそうでしょ。モデルだったのが、つかこうへいさんのところで徹底的に、恥ずかしい思いもさせられて。でも、そこで、何もかも捨てて、出てくるものってあるんじゃないですかね」
 
マキタ:「PKは、プロレスを見続けてさ。道場で、徹底的にしごかれて・・・」
 
鹿島 :「プライドをもって悠々と乗り込んでくるんだけど、全部つぶされて、雑巾みたいになって。かさぶためくったらまた強くなってるような。実際、四方八方に丸見えなわけで、隠し事ができない。カッコつけてる奴よりは、それを取っ払っちゃって、それでも這い上がっていこうって奴の方が共感を得るでしょ」

 
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タツオ:「【了見】ってことなんじゃないですか。落語家の了見とか」
 
マキタ:「了見は、自分で作るものじゃないのかね。削り取られた中のピュアな、吟醸の了見みたいな。人間の持ってる本質は、自分でどうこうのするものじゃないのか…ひょっとしたら」
 
タツオ:「それをお芝居に活かすときに、どうするか。自分と向き合う作業にならざるをえないよね」
 
鹿島 :「自分と向き合うっていうのは、僕の解釈では、恥をかくこと。モデルさんとか、客前に立たなくていい人だから。そういう人にとって、客前の舞台に立つって、僕らが想像するより緊張すると思うし、勝負だと思う」
 

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マキタ:「僕は、演劇に興味がなかったし、若い頃に演劇に誘われて、やましい気持ちで出てみたことがあった。小劇団で、ノルマは課されるし、座長は女優たちとやっちゃってるし。そういうのを見たから「演劇って嫌い!」って思った。薄汚れた了見を見ちゃったからかもしれないけど。僕、改めて演劇を見てみたいなって。とびっきり嘘つきな。マクベスとか。なぜやるんだよ!なんでシェイクスピアとかやるの?日本人が。そういう嘘っぽいものこそ見てみたい」
 
鹿島 :「みんなで行きますか?シェイクスピア観劇」
 

本編の葉っぱJAPANとはうって変わって、真面目な局報になりました。