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宇多丸、『ズートピア』を語る! by「週刊映画時評ムービーウォッチメン」2016年5月7日放送

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

ズートピア_01

宇多丸:「映画館では、今も新作映画が公開されている。
     一体、誰が映画を見張るのか?
     一体、誰が映画をウォッチするのか?
     映画ウォッチ超人、シネマンディアス宇多丸がいま立ち上がる——
     その名も、週刊映画時評ムービーウォッチメン!」

TBSラジオで毎週土曜日、夜10時から2時間の生放送『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』。

その中の名物コーナー、ライムスター宇多丸が、毎週ランダムで決まった映画を自腹で観に行き、評論する「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。

ここではその文字起こしを掲載しています。

今回紹介する映画は、ディズニーの最新CG映画『ズートピア』(日本公開2016年4月23日)です。

▼ポッドキャストもお聞きいただけます。

 
宇多丸:
今夜扱う映画は、先週「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して当たったこの映画、『ズートピア』。

(BGM:テーマ曲 Shakira『Try Everything』が流れる)

ガゼルことシャキーラのこの歌が劇中で非常に素晴らしい使われ方をしていますね。

肉食動物と草食動物が共に暮らす架空の大都会「ズートピア」を舞台に、新米警官のウサギの女の子ジュディと、シニカルなキツネの詐欺師ニックが出会い、お互いに衝突しながらも連続誘拐事件の真相に迫っていく。監督は『塔の上のラプンツェル』『ボルト』などのバイロン・ハワードと、『シュガー・ラッシュ』のリッチ・ムーアということでございます。

ということで、この作品『ズートピア』をもう見たよというリスナーのみなさんからの感想、通称<ウォッチメン>からの監視報告、メールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、多いです。多い。そして、リスナーの感想は9.5割の人、つまりほとんどの人が絶賛でございます。「クライム・サスペンスとしても最高」「バディものとしてキャラクターたちも魅力的」「差別問題の扱い方がとても現代的。むしろ大人が見るべき」「ディズニー恐るべし」などなど絶賛の声が並ぶ。一方、ごくわずかな不満意見としては、「ストーリーや世界観に目新しさがない」「職業差別への問題が解消されていないのでは?」などなどがございました。代表的なところをご紹介いたしましょう。

(メール紹介、中略)

……ということで行ってみましょう。『ズートピア』、私も字幕2Dを2回、あと吹き替え3Dでも見てまいりました。TOHOシネマズ錦糸町とかで。このコーナーでも何度も言ってますが、2006年にジョン・ラセターがディズニーのチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就いて以降、いきなり作品クオリティーがドンと高くなって、次々と傑作・快作を連発してきた近年のディズニーですけども。その中でも、もう結論から言っちゃいます、今回の『ズートピア』。トップクラスの完成度だと思います! ちょっともう、極めつつあるなという感じがいたしました。

ちょっと文句のつけようがない。あえて言うなら、これはマジですけど、「あまりにも欠点がなさすぎるのが欠点」って言いたくなるぐらい。あまりにも欠点がなさすぎてもうかわいげがない。そのぐらい、とにかくあらゆる意味で隙がない。もちろん、でも、その隙がないレベルに達するまでにはですね、ディズニーやピクサーならではの制作過程の、大幅な方向転換まで含む……たとえば、当初はスパイものだったのを、こういうバディもの、モロにウォルター・ヒルの『48時間』風だと僕は思いましたけどね。『48時間』風のバディ刑事もの、相棒刑事ものに変えていったりとか。

当初はキツネのニック側の視点がメインの話だったのが、コンテを編集して並べて見せる状態のテスト試写を繰り返す中で、やっぱりウサギのジュディをメインにしたりとかですね。あくまで、ズートピアという都市のありかた、そこからいろいろなものに焦点を絞っていくという方向に転換していったりとか。とにかく、全工程でのたゆまぬブラッシュアップですね。

どういうことかっていうと、具体的には厳しい自己チェックと改善の繰り返し。この映画に直接クレジットされている人たちだけではないクリエイターたちが集まって、たとえば脚本とかストーリーに対して、穴も含めて意見をぶつけ合う。要するに厳しい批判を浴びてブラッシュアップしていく「ストーリー・トラストシステム」っていう、ジョン・ラセターが導入したシステムを取っていて。それでもうブラッシュアップにブラッシュアップを重ねた結果のこの隙のない脚本であり、ストーリー、テーマ。

そして、加えて当然、ディズニーならではのアニメーションとしての圧倒的なスキルの高さですよね。まず伝統的に積み上げたアニメーションの、絵を動かすということに対する技術の、基礎技術の高いところにきて、もちろんCG。今回で言えば毛並み表現とか骨格表現とかも含めた、とにかくこちらもたゆまぬ技術革新の集積まであると。つまりですね、シネマハスラー時代、ピクサー作品の『ウォーリー』(の映画評)。この補足として単行本に僕が書いたことのように、こういうことですよね。「世界最高レベルで超頭が良くて、しかも最先端の技術も持って、しかもそれを常に磨き上げているやつらが寄ってたかって、さらに死ぬほど努力してやがる!」っていう。そりゃあ、並大抵のもんが太刀打ちできるわけがないよ、というものができあがるということですね。

たとえば今回の『ズートピア』、テーマはずばり「偏見と差別」ということだと思いますね。共同監督のバイロン・ハワードさんとリッチ・ムーアさん。そのリッチ・ムーアさんの前作『シュガー・ラッシュ』、この番組でも2013年4月13日にやりましたけど。『シュガー・ラッシュ』もある意味、偏見と差別をめぐる物語でありましたけど、今回、よりそのテーマを深く鋭く掘り下げているという風に言えると思うんですけども。

いちばんわかりやすいのは、やはりレイシズム(人種差別)。このメタファーだなというのはパッと見てわかりやすいところですけど、場所や描写によってはこの主人公ジュディっていうのは女性でもあるので、セクシズム(性差別)のニュアンスも入っているところがあったりなんかもして、とにかく差別。いろんな人種差別であり性差別であり、とにかく差別っていうものがいかに生じ、ねじ曲がった理由で正当化されてしまうのかと。偏見、先入観、無知ゆえの恐れ、侮り……などなどが、いかに恐ろしい、醜い事態を招いてしまうのかという、極めて普遍的ですよね。人類が繰り返してきた愚行であり、そして悲しいかな、非常に今日的テーマでもあります。今の日本でも全く残念ながら、無縁ではないテーマを描いているわけですよ。

それをですね、肉食動物と草食動物っていう、それこそ“生物学的根拠”がある<区別>。区別ですよね。肉食動物と草食動物、生物学的根拠がある区別。そのメタファーを使って、それが差別という力関係の構造にすり替わっていくプロセスを描いていくわけなんですけど。そこでこの『ズートピア』っていう作品がひときわ偉いなと思うのはですね、もちろん「差別はよくないですよ」という、正しいメッセージを伝える作品はいろいろあるんですけど、この『ズートピア』がひときわ偉いのは、差別する側/される側を固定的な加害者/被害者関係として、つまり一種、白黒わかりやすい、言っちゃえば安心できる善悪構造に安易に落とし込まずに、主人公や我々観客も含め誰もが、それぞれに他者への偏見を持っているし、同時に偏見を持たれる側でもあるという、要は現実の差別構造が生じる心情の複雑さとか、現実に存在する問題の複雑さにかなりフェアに向き合おうとしているということじゃないでしょうかね。

しかもこれ、本当の人間世界を舞台にすると、とってもセンシティブな、扱いの難しい話になってしまいがちのところを、ここはやっぱり哺乳類だけで成立している文明という架空の設定を使った……要は寓話ですよね。寓話ゆえに、より鋭く差別という問題の非常に深刻かつ、なかなか解けない問題の本質に切り込むことができている。寓話であるがゆえの鋭さを持つことができている、という素晴らしさがあると思います。これはたとえばですね、この番組でも2010年4月18日に扱いました『第9地区』という作品。あれも差別という構造を、宇宙人というメタファーを使って……そうじゃないとちょっとこれは扱いが難しい、ちょっと誤解を与えかねないですよ、というところを、ちゃんとやっているのにも近い構造なんだけど。

さらに今回の『ズートピア』の場合、素晴らしいなと思うのはですね、たとえば主人公のウサギのジュディっていうのが生まれ育った田舎から電車に乗って、大都会ズートピアにやってくる序盤の場面があるんですけど。シャキーラのさっきの『Try Everything』という曲がかかって、やってくる。ここで、要は今回の映画はディズニー伝統の、動物が普通に服を着て生活している設定シリーズ。それを久々にやりますよっていうことでもあるんだけど、同時に今回、作り手たちが新たなこだわりとして挑戦している部分で、それぞれの動物のサイズの差というのを、これまでは、しゃべるもの同士の動物っていうのはサイズをちょっと嘘をついて、サイズを均等に合わせて描くことが多いというか、そっちが基本だったんだけど、今回はその動物のサイズの差を現実のままに、あえて揃えないという部分が、動物が服を着て生活しているものとして新たにトライしている部分だってことらしいんですけど。

その結果どうなったかっていうと、たとえば先ほど言ったジュディが田舎から電車に乗って大都会ズートピアにやってくる場面。電車の乗降口であるとか、あるいは歩道であるとか、お店であるとか。とにかくそれぞれの動物のサイズによって様々なバリエーションがある。ドアひとつとってみても、いろんな場所に、いろんな位置にあるし。ちっちゃい動物が危険じゃないように歩けるよう、歩道が用意されていたりとか。もちろんキリンだったらキリンがジュースを飲む用になっていますよとか。カバみたいに水の中で普段暮らしている人には、こうやって出てきてブワーッて、こう(乾かして)。

いろいろと動物によってそれぞれのディテールが用意されていて、サイズも違うし、という。で、そのアイデアを凝らしたディテールの数々を見ているだけでも、もちろん楽しいっていうのもあるんだけど、何よりここが重要なんですけど、要は、憧れの大都市ズートピアに出てきた主人公ジュディの視点そのままに、このズートピアという街の多様性。ズートピアの街にパーッて出ますよね。いろんな動物が、いろんなサイズで、いろんな感じで歩いていて。で、いろんな動物のための、いろんな都市の造りがあって……っていう、多様性それ自体がパッと見て、理屈抜きに、「ああ、いいな!」って感じられるっていう。ここが『ズートピア』、すごいいいなって思うんですね。

つまり、多様性の肯定。いろんな違う人たちがいる。「違う人たちがいるって、なんて豊かで幸せなことなんだ!」っていう、さきほど言った差別と偏見っていうのに対するひとつの理想的回答、大テーマみたいなものを、まずは視覚的に、理屈抜きで観客にスッと納得できるようにしてる。「ああ、それはやっぱり多様性がいいに決まっている!」って、理屈抜きで納得できるようになっている。ここに『ズートピア』の素晴らしさ、つまりアニメーションであることの意味、利点も非常に生きている素晴らしさがあるんじゃないかと思います。

まあね、多様性っていうんだけど、このズートピアという都市、設定上、哺乳類だけって限られているし、その哺乳類の中でも、人の匂いがする動物、つまりペット的なイヌとかネコ、あるいは家畜の匂いがするウシとか……まあ、じゃあブタはどうなるんだ?っていう話なんだけど。ブタはなんか、混じってましたけどね。あと、当然サル的なものは排除されている。そういう意味で、周到に寓話として飲みこみやすいように設定はされてはいるんだけど。とにかく多様性の肯定っていうのが言葉じゃなくて、理屈じゃなくて、アニメそのものの面白さ、喜びとして直結してテーマとしての正しさというか、良きことが伝わってくるという。このあたりが本当に『ズートピア』、同じテーマの作品の中でも1個抜けた素晴らしさを持っているんじゃないかと思います。

あとは、決めつけによる差別とか排除っていうのはもちろん最悪なんだけど、ただ「違い」っていうのは楽しいじゃん。違いは豊かだし、違いは楽しいじゃんっていうこの視点があればこそ、たとえばそれぞれの動物の固有性をネタにしたギャグ。それもちょっと意地悪なギャグ。たとえば、特に劇場でもきっちり毎回、見るたびに爆笑が出ていましたけども、あのナマケモノのくだりとかですね。アメリカの免許センターがすごく非効率的で……っていうアメリカの事情はあるらしいけど、とは言え、「お役所仕事」っていう言葉があるくらいだから当然、万国共通なんでしょう。ああいう、役所でイライラするっていうのはさ。

ナマケモノのくだりはあれ、最高ですよね。特にあの、元のオリジナル版のゆっくりしゃべるところと、単語をパッと言うところとの、緩急がね。間がおかしいんだよなぁ。あと、表情の順番。目が開いて、それから笑うっていう。あれ、ジョン・ラセターが実際にあの顔をやってみせて、それを描いたらしいんですけどね。ああいったナマケモノのくだりであるとか、あとはもうちょっと大人っぽい、毒っ気の含まれた動物ネタだと、『レミングス・ブラザーズ」っていう……当然、「リーマン・ブラザーズ」なわけですよね。だからリーマン・ブラザーズ、リーマン・ショックが起こったああいう金融業界のレミングス性みたいなものをさ。それも皮肉っているっていう、ちょっと大人っぽいジョークとかも含めて、とにかく、それぞれの動物の固有性をネタにしたギャグ。これって言ってみれば、人種ギャグのメタファーなわけですよね。

人種ギャグって、それぞれの人種の固定観念っていうか、ステレオタイプを元にしたメタファーでもあるんだけども。その根本的テーマが、要するに「差別はよくないよ、多様性を認めましょう」っていう圧倒的な正しさに対して、そういうちょっと毒っ気のある人種ギャグみたいなものがポンポンポンポン放り込まれるのが、ある種この作品の風通しのよさも確保しているという。この辺りはですね、やっぱりリッチ・ムーアさん。『シュガー・ラッシュ』の評の時も言いましたけど、元々は『ザ・シンプソンズ』とか『フューチュラマ』のシリーズをいっぱい撮っている人なんですよ。

これ、完全に『ザ・シンプソンズ』『フューチュラマ』を作ってきた人ならではの大人のバランス感覚と言えると思います。あとはやっぱり、たとえばヌーディスト村のシーンのポーズのえげつなさとか。あと、コップに書いてあるちょっとした文字が、それ自体がギャグになっているとか。あのへんのセンスはもう完全に『ザ・シンプソンズ』の感覚だという風に思いますね。リッチ・ムーアさんの持ち込んだものが大きいんじゃないかと思いますが。とにかく、その圧倒的なテーマ的正しさに対して、ちょっと風通しのよくなる、ちょっと意地悪な人種ギャグ。大人な毒っ気のある、そういうのが入るっていうことを含めて、そこも隙がないっていうことなんですよね。要するに、正しすぎない。それも含めて<正しい>っていうね。ポリティカリー・コレクトすぎない正しさっていうか。

あと、終盤で主人公のウサギのジュディが、自分自身の人種というか“動物種偏見”を持っていたということをキツネのニックに詫びるという、非常に感動的なシーンでもですね——吹き替え版はそのへん、セリフのニュアンスが違っちゃっていて、僕はちょっと残念だったんだけど——「ごめん」って言って泣くジュディに、キツネのニックが「はいはい。お前らウサギ族は泣き虫だからな」っていう、まあ言っちゃえば人種ステレオタイプギャグを、それで返すことでより2人の許し合いっていうのの深さがわかるという秀逸さですね。

ちょっとそういう、普通の他の人に言われたらムカつくようなことも投げかけられるというか、正しくなさまでも投げかけられるというかね。ちょっと際どいギャグまで入れるという、そこが非常に……で、しかもそこで泣きながらニンジンペンを取ろうとするジュディの仕草のかわいさときたら! なんでそんなにかわいいのかよ! ねえ。ちなみに、このキツネのニックさん。ほぼ全編にわたってこの主人公のジュディのことを「ウサギ」か「ニンジン」としか呼ばないんですよね。だけど、ついに彼女の名前を呼ぶというその瞬間。要するに、種の壁を超えて、<個>として認め合ったその瞬間とか、このあたりも上手いですし。

それも含めて、途中でいかにもアメリカっぽいトークメソッドだけど、自分で質問をして自分で答えるっていう頭を良く見せるトークメソッドっていうのが後でまた活きてきたりとか。ちょっとした会話のディテールとか小道具とかが……さっきのニンジンペンとかが、後できっちり伏線として気持よーく回収されるという、まあ本当に脚本が上手い脚本ですね。あと個人的には、ジュディが失意のまま田舎に一旦帰ってみると、幼なじみのあいつが……っていうあのくだりで、これは『イントゥ・ザ・ストーム』序盤で嫌な感じだったあいつがラストで、っていうところで虚を突かれた時と同じような感じで、俺は「はぁ〜」って。もう、ちょっと涙腺決壊ですよね。ドバチョーッ!っときて、泣いてしまいました。

あと、中盤の謎解きのどんどんどんどん街の暗部、汚職や麻薬ビジネスの匂いを含めた街の暗部に踏み込んでいくフィルムノワール・タッチのところも本当に堂々たるものでしたし。もちろん、『ゴッドファーザー』の、セリフまで完コピのところとか。あと、『ブレイキング・バッド』から『帝国の逆襲』に至るまで、随所に散りばめられたパロディネタの数々とか。特に、あの『アナ雪』いじりですね。ちょっと悪意込みの『アナ雪』いじり。ここもすごい『ザ・シンプソンズ』譲りの感じがするんだけど、とにかく『アナ雪』いじりのちょっとしたセリフとかそういったものも含めて、とにかく細部に至るまで掘り甲斐があるという作り込みも含めて、楽しいし深いし最高じゃないですか!っていうね。

まあ、あえて、本当にあえて言えば、ラストで主人公のジュディがする演説がちょっとこう、きれいすぎっていうか、いいことを言葉にしすぎなんじゃないか?っていう気がしなくもないが、ただあそこで言っていることはとっても大事だし、言葉にしておいた方がいいかなっていう。つまり、「個としての違いはある。それぞれに違いはあるよっていうことを認めた上で、でもその上でわかり合っていこうよ。そして、そのためにはまず自分自身が変わっていかなきゃ!」っていう。差別・偏見テーマっていうのに対して、やっぱりきっちりちゃんと言うべきことを言っているし、なにより、その偏見・差別はよくないですよっていうラストのラストできっちり、もう1回こちら側の先入観というか偏見を逆手にとった大オチで見事に大爆笑をかっさらって、ポン!って終わるっていうこの見事さも含めて……「はい、やっぱり隙がねえや! きれいすぎじゃね、きれいすぎじゃね?」と思ったら、「いやいやいや、さらにもう1個来たか!」っていうね。最高でございました。

過去のディズニークラシック。動物を使ったステレオタイプ描写に対するポリティカリー・コレクトも含めた今日的再解釈、再回答という意味で、『プリンセスと魔法のキス』以降、ディズニープリンセス・ストーリーの再解釈というのを始め、『アナ雪』でひとつの完成を見たという、一連のディズニールネッサンス。その流れの中で、たとえば人種偏見であるとか性差別とか、そういうことに対するディズニーの再解釈。新たなディズニーをもう1回ここから始めるぞ! というですね、そういう流れ上にも置けるという。その意味でも、ひとつの頂点だと思いますね。

アニメでしか、この方法でしか描けないテーマの深みであり、鋭さであり、そしてこちら側に突きつけてくるものであり、というね。で、なおかつ、きっちり爆笑できて、話も面白く。え〜……なんだよ! ということでございます。本当に素晴らしい作品でございます。「文句のつけようがない」とはこのことでございます。ぜひぜひ、劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 〜 来週の課題映画は『ちはやふる 下の句』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

Text by みやーん(文字起こし職人)